第78話 そんなこと、解ってるよ。 1

 火を見るのは好きだった。


 父方の実家に暖炉があり、小さい頃から慣れ親しんでいるからだろうか。両親はいわゆるエリートといわれる部類で、その所為か、毎日顔を合わせるという子供としての経験を共有できなかった。毎日、どちらかは家にいない。片方がいることもそこそこ珍しかった。だから、子供時代のほとんどを父方の実家で暮らした。


 しかし、別に不仲というわけではない。仕事をしているわりには、両親共々わたしのことを愛してくれていたと思う。仕事が入っているのに旅行の計画を立てたり、たまに急遽仕事が入ってしまった時なんかは、旅行中にわたしに気が付かれないように抜け出すという暴挙に出ていた。今思っても、娘のために無理しすぎだと叱りたくなる。実際、指摘した時は笑っていた。そう言った両親の仕事上、父方の実家で平日を過ごすことが多かった


 話を戻そう。わたしは、火を見るのが好きだった。

 全く同じ形がなく、常に違う姿を見せる。小さい頃は、まるで自分の言葉に反応してくれているかのように錯覚していた。火は、大切な話し相手だった。自分の言葉に共感してくれているかのような、そんな気がした。


 でも、今は違う。


「…………」


 目の前で燃えている火を、ぼうっと見つめる。絶えず姿を変えているはずの火は、さっきから同じ形を繰り返しいているように思えてならない。まるで、今の心境をそのまま転写しているように思えてならない。炎に何を思っても仕方ないし、炎にも何の落ち度もない。だが今は、この炎の存在がなぜか腹立たしい。


 なぜ、こんなことになってしまったのだろう……考えていることは、さっきからずっと同じだ。


『迷宮攻略に参加する』


 会議が終わり、戻ってきた樹がそのことを告げた。

 わけがわからなかった。なぜ、樹が参加する必要があるのか、あれだけ負けてしまっていたのに、なぜまた攻略組は同じことをするのか。全く理解できなかった。ゲームですらもっとマシな作戦を立てるのに、頭がどうかしてしまったのだろうか……そう本気で思った。


 樹が話した理由は、不服こそあれ理解し難いものではなかったのだと思う。実際、巻き込まれる形になったルナも仕方ないといった様子で頷いていた。むしろ、割り当てられるかもしれない仕事内容に文句を言う始末だ。


 だけど、わたしには全く理解できなかった。

 理由を聞いても、これからどうなってしまうのかを理解しても、どうして樹が参加しなくてはいけないのかが全く解らなかった。いや、頭は理解しているが、感情が拒否していると言った方が正しいのかもしれない。だっていまも、考えていることは同じなのだ。


  どうして、樹が死にに行くようなことをしなくてはいけないんだろう。どうして、この世界の者ではない樹が対処しなくてはいけないのだろう。どうして、一人で決めてしまったのだろう。



 どうして、記憶のことをわたしに話してくれなかったのだろう。



 焚き火のはるか向こう。数人の騎士たちを囲って樹が話をしている。たぶん、作戦を練っているのだ。樹が口を開くと質問するように彼らの口も開き、レオが補足するような動きを見せると全員が頷く。会議は順調なようだ。多分、もうしばらくで終わる。


 当たり前のことだが、わたしは会議へ参加する資格はない。部外者だからとかそう言う理由じゃない。もっと、根本的な理由だ。いまのわたしは、何もできない。次の連絡隊に同行する形でここから撤退することになる。


「…………なんで……」


  それがわたしの声だということに、しばらく気が付かなかった。


  自分でもびっくりするような声が、口からこぼれ出ていた。恨めしいような、嫉妬しているような、怒っているような、泣いているような……そんな正体不明の声。一瞬自分が発したと気が付かったほどおぞましいそれは、鼓膜を揺すぶると同時に鳥肌を立たせた。


 自分でも解らない。『なんで』これはどう言う意味なのだろう。


 攻略に参加できないことだろうか。それとも、樹が記憶のことを話してくれなかったことなのだろうか。理不尽なこの状況についてなのだろうか。一人で全部決めてしまったことだろうか。


 解らない。考えても考えても、自分の気持ちがよく分からない。はっきりと何か思うところがあるのは感じているのに、その正体が何なのかが全然解らない。


 不意に思い出したのは、あの日盗み聞きしてしまった樹とミレーナさんとの会話。そこで、樹が言った言葉。『言っても仕方がない』その声が鼓膜の奥でよみがえり、余計に心を揺らす。


 樹は一体、何を隠しているのだろう。それに、どうしてそれを言ってくれないのだろう。

『言いたくない』は納得できる。わたしも経験があるし、今も言いたくなくて他人に隠していることはたくさんあるからだ。だけど、『言っても仕方ない』は納得できない。


 どうして、言っても仕方がないと断定できるのだろう。たしかに、誰が見てもそうだと言えるものもあるとは思う。だけど、一緒に考えることくらいはできる。解決できなくても、気持ちは楽になる。知っていればわたしも配慮ができる。『寿命の問題』だってそうだ。それなのに、黙っていたらわたしは本当に何もできない。


 今までわたしは、何のために――、


「…………はぁ――……」


 ため息がもれる。

 こんなことこそ、考えても仕方のないことなんだ。


 そもそも、樹はわたしの子供でも、ましてや所有物でもない。ちゃんとした一人の人間だ。ミレーナさんの言いつけはあるが、わたしから何かさせられるような拘束力はない。わたしには、樹を縛る権限はない。この感情は、わたしの身勝手なものだ。それは解ってる。そりゃそうだと、納得しているのに……。


 どうして、この気持ちは治らないんだろう。


 気が付いたら、テントでの会議は終わっていた。そのことをぼんやり認識し、どれくらいこのまま居たんだろうと辿ってみる。たぶん、二十分はこのままでいたはずだ。目の前の焚き火も、燃料を入れていなくて小さくなってきてしまっている。


 立ち上がり、ぐいっと伸びをする。バキバキというすごい音が背中からした。少しだけ重たい身体を動かし、ぐるっと見渡してみる。周りにはまだ起きている冒険者の人たちが、自分の武器を整備している。ルナもまだ向こうで作業をしているし、たぶん樹もそうだ。話しかけないほうがいいと思う。


 そう言えばと、気晴らしに少しだけ気になっていた場所へと向かってみることにする。別に、安全地帯の外というわけでもないから大丈夫だろう。いまは、少しだけ独りになりたい。二人に合う前に、心を落ち着ける時間が欲しい。


 いま樹と話したら、余計なことを言ってしまいそうな気がする。

 ここにいない方が、いいような気がする。

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