第23話 異世界生活開始 2

 寝ぐせを直し、服を着替え、その他諸々の準備の後に部屋を後にする。外観から考えると不自然に長い廊下を進み、取りあえずはリビングを目指す。廊下を進んでいると、カチャカチャという金属がこすれるような音と火を使っているような音がかすかに耳に届く。その音はリビングに近づくにつれ、どんどんとはっきり聞こえるようになる。

 ミレーナたちの住むこのログハウス(実際にそう呼んでいいのか甚だ疑問だが)は、キッチンと食堂がつながったダイニングキッチンとなっており、その場所がリビングルームの役割も兼ねている。そのため、食事の準備をする人物がいれば、必ずと言っていいほどリビングは騒がしくなる。

 晴香の足が少し遅くなる。少しだけ憂鬱にため息をつく。なぜなら、朝食について思い出してしまったから。

 この世界には、電子レンジもなければクッキングヒーターも、当然レトルト食品なんかもない。電気がないのだからそれは当然なのだが、問題なのは、そのせいで食事の支度に時間がかかるということだ。火を使うにしても、まずは火を起こすことから始めなければならないはずだし、食材の調達や保存にも手間がかかる。おなかがすいたからと言って、はいどうぞと食事が提供されることはない。必然的に、晴香が空腹を満たすにはミレーナかルナの手を借りなければならないのだ。助けてもらっておいて、そこまでしてもらうのはかなり後ろめたい。

 樹がいるのだから、食事は作ってもらえているはずだ。もう一度作ってくれと言わなくっちゃいけないなんて気が滅入る。いっそのこと、朝食は抜いてしまおうか……。

 そう思いながら、晴香がリビングへの扉を開ける。すると、


「あれ? 神谷くん?」


 キッチンには、意外な人物がいた。


「よう、案外早かったな」


 晴香の声に反応し、キッチンにいた人物——神谷 樹がこちらを振り向き、意外そうに目を少し見開く。

 樹は、どうやら料理をしているようだった。少し汚れた布切れをエプロンのようにして首から吊り下げている。手にはフライパンを持っており、その下では炎が赤々と踊っている。先ほどから感じている甘い匂いは、どうやらそのフライパンから生まれているようだ。


「なんで、料理なんかしてるの?」

「ミレーナさんが、俺たちはもっと遅くまで寝てるだろうって思ってたらしくて、取り置きしてくれてたんだよ。それをいま温めてる。あと、開けた非常食の消費」


 ちらりと中身を確認し、「やべっ」という呟きを漏らして樹の視線はフライパンに戻る。少しかがんで、コンロ(らしきもの)の下についたつまみを回す。火の勢いが、少し弱まる。

 ミレーナにそこまで予測されていたのは、ミレーナがすごいのか、単に晴香が単純なだけなのか。ついでに言うと、樹の睡眠時間は短くて浅いと本人も言っているし、あまり参考にもならない。

 しばらく、その姿を後ろから見つめる。めったに見れない樹の珍しい一面に、なんだか無性に得をした気分になる。

 樹はあの性格で、意外にも料理が上手い。何度か食べてみたから解る。手の込んだものはあまり作らないとは言っていたが、それを鑑みてもレパートリーから出来栄えまで、晴香では数歩及ばない。それなり家事はこなせるつもりだったので、そのまさかの事実に、そして料理なんて趣味じゃなく、単なる食費の節約のためという身もふたもない理由を上げる樹に、少し嫉妬してしまったほどだ。


「フレンチトーストだけど、食べるか?」


 皿によそいながら、樹はそう訊いてくる。ちなみに、フレンチトーストは樹が得意なものの一つだ。

 なぜだろう、しぐさ一つ一つに、視線が惹かれる。ここにいるだけで無性にうれしい。ここにいられることがくすぐったい。これも、惚れてしまったものの弱みだろうか。


「ありがとう。頂くね」


 ◆◇


「そういえば、神谷くん、料理できたの?」 


 フレンチトーストと付け合わせに舌鼓を打つことしばらく、そのことが気になり、正面でスープをすする相棒へと問う。


「いままでも見てきただろ……」

「え? あっ、えっと、そうじゃなくて。よくこのキッチンつかえたなぁって」


 あきれたような、今更かよというようなジトっとした目で、樹は晴香を見る。その答えに一瞬戸惑うが、質問の不備に気が付き慌てて訂正する。「ああ、そういうことか」と、樹がスープを飲み干し口を開く。


「俺が起きてきたときに、ちょうどミレーナさんと出くわしてさ。料理ができるって話をしたら、使い方を教えてもらえた」

「それで、使えるものなの?」

「案外簡単だったしな」


 キッチンの方を見ながら、樹は説明をしてくれた。

 曰く、さっき上がっていた炎は《魔石》というものから出ていたとのことだ。ロジックは解らないが、何らかの形で、大気中に存在する魔力といわれるものを蓄えたものが魔石である。

 魔石にも種類があり、熱を蓄えるもの、砕くことで熱を奪うもの、光を発するもの、魔法の発動に不可欠だという魔力を蓄えておけるものと様々。その中で発熱する魔石を加工したのが、あのキッチンにあるコンロのようなもの……らしい。つまみをいじることで放出される熱を調節できるのだが、火が出るのは下手くそな証拠、と樹は言う。しかし、聞いただけで使えるものなのかは甚だ疑問だが。

 いや、そういえば、なんとなくカリバー・ロンドの調理器具と似ているような気がしなくもない。だとしたら、感覚で使えるというのも納得できるのだろうか。


「雨宮もアレ、やったのか?」

「うん。わたしはちゃんと歩き切ったけどね。神谷くんと違って」

「あ、あれは無茶だったなって反省してるって」

「どうだかなあ」

「信用なしかよ……」

「自覚あるでしょ? 神谷くんも」

「…………はい」


 気まずそうに頬を掻き、樹は視線を逸らす。図星の時、樹がよくする動作だ。中学のころから全く変わらない、あまりにも解りやすいその動作に、思わず頬が緩む。

 話は、自分でもびっくりするほど話題に事欠かず、いつまでもしていられた。

 この世界のこと、文字のこと、あの精神負荷結界のことへと止まることなく進む。

 そして当然、


「魔法ってさ、やっぱり火属性とか、そういう感じで別れてるのかな?」

「石とか、風とか、水とか?」

「そう! そんな感じ。神谷くんは、興味ある属性とかあるの?」


 この世界で一番の不思議――《魔法》へと興味が移る。

 本当にさわりだけだが、ミレーナからは魔法についての基本的なことを教えてもらっている。ミレーナが言うには、この世界には魔法と魔術があり、それらは決して摩訶不思議な力などではなく、れっきとした技術らしい。

 基礎理論があり、関連物質が存在し、決まった手順を踏めば同じものが発動する。ただし、環境によっては影響をもろに受ける。それにより結果が変わる。地球でいうと、若干化学寄りのイメージに近いだろうか。


「俺は……風、とかかな」

「へぇー、意外。てっきり、火属性かと思ってた」

「んー、俺の戦闘スタイルが近接戦闘系だろ? そう考えたら、火なんか使ったら怖いんだよな……俺まで焼けそうで」

「うわぁ、夢がないなぁ」

「へいへい、悪ぅございましたね」


 疲れたように樹は手を振り、最後のフレンチトーストにかぶりつく。そのしぐさを見て、なぜだか無性に安心する。一番大切なものが変わっていないことに、自然と笑みが漏れる。

 意外なことに、無関心で定評のある樹は、それなりに仲良くなった人からのからかいなら律義に返してくれる。少しのいたずらでも対応はしてくれるし、何なら仕返しもしたりする。

 これが親しい人でないときは、そうはいかない。あの絶対零度のような冷たい視線は、相手の気分を一気にどん底まで叩き落す。晴香自身も向けられたから解る。何というか、間違って先生を罠にはめてしまった時のあの感じがした。蛇に睨まれた蛙というか、何というか……最近は、そんな視線を送られることもなくなったけれど。

 大人ぶっているくせに、妙なところで子供っぽい。変なところで意地を張るし、気を許した相手には、案外年齢不相応な無邪気さも見せる。それに、何でもできるように見せかけて変なところが抜けている。その意外な一面が、変なギャップが、母性か何かを強烈に掻き立てる。わたしが付いていなくちゃと思わせてしまう。もしかしたら、その部分も晴香が樹に惹かれている原因の一つなのかもしれない。


「まあどっちにしろ、一朝一夕で身につくものじゃなさそうだけどな」

「だからといって、さぼらないように。弟弟子くん」

「だからやめろって、それ」


 笑い交じりでからかえば、割と深刻そうな顔をして反抗してくる。なるほど確かに、いきなりの弟呼びは恥ずかしいだろう。どうしようか、このまましばらくはこれでからかってみようか……。


「――食べ終わったら、部屋に来てくれってミレーナさんが言ってたぞ」


 ふふ、と堪えきれずに笑いだすと、かなり不貞腐れた顔をして樹はコップの水を飲み干す。それでもちゃんと、必要なことは言ってくれる。少しかわいそうになり、からかいすぎたかと反省する。


「あれ? 神谷くんは?」

「俺は別行動。ルナが返ってくるまで待機だってさ」

「そっか」


 昨日の今日だが、ついに来たかという思いが湧くことには変わりない。


 ――始まるんだよね、いよいよ……。


 心の中で、思わずそう呟く。

 怖いか、と訊かれれば、決してNOではない。魔法を習うということは、少なからず命の危険がある状況に近づくのだ。力を持ってしまえば、使えてしまえば、そうなってしまうのは仕方のないことなのだと思う。事実、晴香はやってしまうだろう。

 だけど、それでも、やらなければいけない。

 やらないという選択肢もある。だがそれは、選んでよいという意味にはならない。生き残りたいならば、大切な人をも守れるくらいの力が欲しいなら、その選択肢では到達することができないからだ。

 すでに晴香は、一度自分の命と樹を失いかけている。あの過去をもう一度味わえと言われれば、全力で拒否するし、何なら想像すらもしたくはない。

 痛い思いをするのは、身体だけではない。いやむしろ、身体の方が単純だ。時間が経てば、傷が癒えれば、痛みは自然と消えていく。ひとたび完治したならば、二度とその痛みを味わうこともない。

 対して、心はどうだろう。見えないくせに傷つきやすく、一度傷がついたら治ることはない。できるのは、傷口を何かで上塗りすることだけ。ふとした拍子にそれは容易に剥がれ、癒えることのない痛みを、予想もしない場面で味わうことになる。構えることができない分、それは単純な痛みよりつらい。

 自分のせいで樹が死んだら、ミレーナやルナが死んだら。この世界に晴香だけが残されてしまったら。確実に、一生消えない致命傷を心に追うことになるだろう。はっきりと、そう確信できる。

 もう、二度と御免だ。

 痛い思いをするのは、寿命が縮むような思いをするのは、あの時で十分だ。

 やらなくては。強くならなくちゃ。

 そう、まずは他でもない、自分のために。


「――おや? もう起きていたのか」


 突然、部屋の入り口から聞き覚えのある気怠そうな声が届く。振り返れば、やはりそこにはミレーナの姿が。慌てて挨拶をする晴香と樹に、ミレーナはおはようと応じる。心なしか、昨日までの隈が深くなっているように感じる。


「よく眠れたかい?」

「はい。むしろ寝すぎちゃったくらいです。すみません、朝食すっぽかしちゃって」

「なに、こうなることは予想していたからな。余った食材も、昼に回せばいい。実をいうと、もう少しくらい遅くまで寝ていると踏んでいたんだが。やっぱり、若いっていうのはいいな」


 微笑ましいものでも見るような目つきで、ミレーナが笑う。歳のことを訊くわけにもいかず、晴香は苦笑いする。


「ミレーナさん、その服は?」

「これか? 戦闘服ではないんだが、いざとなった時には動けるくらいの強度はそろえている。まあ言ってみれば、半戦闘服といったところかな」


 樹の問いに、ミレーナは服をつまみ持ち上げる。その服装は、少し大きめのブーツにローブを羽織り、昨日より少しだけゆったりとしたラフな格好。だが、それでも私服で着るにしては物騒なものであるため、だらしないという印象は全く湧かない。


「っとそんなことより、二人そろっているのはちょうどいい。私から少し、話したいことがある」

「話したいこと……ですか?」

「君たちに、大きく関係すること、と言えばいいかな」

 思わず疑問符を浮かべれば、ミレーナが補足をしてくれた。そのあとに続いた言葉に、晴香はごくりと喉を鳴らす。

「君たち、迷い人についてだ」

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