第21話 魔法の世界 5

 バリバリバリと、落雷のような音が鼓膜を直撃した。強烈な閃光が発生し、とっさに目をつむっていても瞼の裏から眼球を焼く。視界が真っ白に染まり、わずかの間視力を失う。

 気が付いたら、何も聞こえなかった。


 ◆◇   ◆◇   ◆◇ 


 ——あったかい……


 身体が、温かい何かに寄りかかっている。わずかに身じろぎをすれば、柔らかい感触が服の上からも伝わり、わずかにいい匂いがした気がした。

 なぜだろう、無性に落ち着く。まるで、幼いころ母親に抱きしめられた時のような、あの安心感だ。嫌なことも全部忘れることができる、あの温もりだ。

 ゆっくりと、瞼を開ける。目には、木張りの床しか見えない。脳が完全に覚醒し、自動的に先までの記憶が読み込まれる。

 ミレーナからの試練で、靄の中に潜った。その中で、あの時と同じ方法を試した。そうしたら、靄がいきなり吹き飛んで俺は意識を失った。そして今に至る。

 俺が寄りかかっているのものは、いったい何なのだろう。ふと、それが気になった。


 トクン、トクン、トクン……。


 顔をうずめると、かすかに心音が聞こえる。少し遅れて、四肢の感覚が戻ってくる。手でまさぐってみれば、その何かがわずかに動いたような気がして、

 ……心音?

 視界の右隅に、栗色の長い髪が入り込んでいる。よく見おぼえがある髪だ、それも彼女はこの場所にいる。そして、この場所にいた人物でその髪色の人間は、彼女一人しかいない。


「な⁉ ちょっ」

「動かないで」


 飛び退こうとした身体が、予想外の力でホールドされる。胴体と腕を一緒に締めれてたため、動くことができない。そこに、これまた聞き覚えのある声が届く。

 予想通りの人物の声。この状況で一番聞きたくない声。これ、いったいどうやって反応すればいいのか。


「こうしてると回復が早いらしいから、そのままにしてて。ゆっくり息吸って。身体の力は抜いて」


 雨宮 晴香その人だ。

 いや、まずなぜ雨宮は平常心でいられるのだろうか。いま俺たちは、互いに抱き合っているような体勢と何ら変わらない。ミレーナたちが見ている前で、こんなことをしているのだ。赤の他人とでも恥ずかしいのに、それが想い人ならなおさらだ。前々から思ってはいたが、なぜ雨宮はこういうところを気にしないのか――――


「お願い、じっとしてて。………………これ、すっごく恥ずかしいから」


 前言撤回。よく聞けば、雨宮の声は若干震えていた。伝わる心音は速く、心なしか、雨宮の体温も高いように感じる。そう言えば、「らしい」と言っていたのでこれもミレーナの指示なのだろう。俺と同様に、こんな行為をすることに対しての羞恥心はしっかり持っているようだ。それはそれで、かなり恥ずかしいが。

 しばらくの間、雨宮が俺を抱きしめ、無言の時間が発生する。こんな状況で話しかけることなどできるはずもなく。俺はただ目をつむって耐える。柔らかな身体の感触に耐える。


「それにしても、本当にびっくりしたよ。いきなり部屋が爆発したんだもん」


 しばらくして、雨宮がそう呟いた。


「うわぁ~、そんなになってたのか」


 どうやら、俺が感じたことより少し——だいぶ派手なことが現実では起きていたらしい。それにしても、部屋が爆発していたなんて思ってもいなかった。後でミレーナに怒られるのではなかろうか。

 だが、


「でも、雨宮がいるってことは」


 この場にいるということは、あの靄が吹き飛んだということなのだろう。そうでなければ、雨宮は入ってこれないはずだ。

 しかし、果たしてそれは合格になるのだろうか。



「合格だ、イツキ」



 後ろから、声が聞こえた。もう大丈夫と、雨宮にそう言って立ち上がれば、そこにはやはりミレーナが立っていた。


「基準は達成した。まさか、精神負荷の結界ごと消し飛ばすなんて想定もしていなかったがな」

「あ、あははは……、かなりの力技だったんで」

「力技にもほどがあるぞ。私が作った結界を陣ごと焼き切るなんて君が初めてだ」


 合格、その言葉を聞いてひとまず胸をなでおろす。ミレーナの顔を見てみれば、祝うというよりも困惑と呆れの表情が浮かんでいた。ははは、とあいまいな笑みを浮かべてごまかす。自分でもかなりあり得ないことをしたという自覚はあるのだ。


「まあ、それは置いておいて」

「————」

「もう一度言う、合格だ。周りを見てみろ」


 ミレーナに言われて周りを見渡す。すぐさま、


「………………」


 固まった。

 本があった。壁中に棚が取り付けられており、その棚も俺の身長の軽く十倍はある、その中に所狭しと本が詰め込まれており、どこから差してくるのか、天井のステンドグラスからは月光が差し込み部屋を昼間のように照らす。

 図書館だ。蔵書が軽く数万冊はくだらないという、巨大な図書館だ。


「ここは、私の集めた研究資料や魔術の本、禁術その他諸々が集められた図書館だ。侵入者撃退用にあの結界を張ってあった」


 蔵書量に圧倒されていると、いつの間にかミレーナが俺の隣に立ち、一緒に眺めていた。


「これからは好きに使っていい。どこに何があるかはルナに訊いてくれ。私より詳しいぞ」

「ルナ?」

「よろしく、イツキ」

「⁉」


 知らない声に振り向く。そこにはフードを被った銀髪の少女が手を小さく上げていた。歳は、雨宮と同じくらいか。


「改めて紹介をしよう」


 ミレーナが、ルナと呼んだ少女の方を手を向ける。


「まずは、ルナ。私の娘兼一番弟子だ」

「人狼族です。よろしくね」


 ばさりとフードが取られる。そこには、狼を連想させる大きな耳が二つ。だがなぜだろう、こんな状況なのに、全く驚かない。感覚がマヒしてしまったのだろうか。

 それよりも、


「そして、アマミヤ ハルカ。君の姉弟子にあたるな」

「はあ⁉」


 あまりにも予想外な言葉に、素っ頓狂な声を上げる。雨宮が、落ち着かないようなしぐさをしながらぺこりと頭を下げる。だが、その顔にはふざけた表情はなかった。


「理由は、神谷くんと同じ。わたしも、何もできないままじゃ嫌なの」

「…………」

「というわけで、よろしくね、弟君」

「やめろ」


 姉弟子になるのはまだいい。理由も納得したし、止めることもできない。だけど、それだけは絶対に御免だ。そんな呼び方をされたら、後で死にたくなる。


「ふふふふ、微笑ましいじゃないか」

「笑ってないで、悪ふざけ止めてくださいよ」

「何を止める必要がある?」


 そして、ミレーナもルナも、笑いながら茶化すだけだ。おそらく、期待は全くできない。この先のことを思うと、この段階で少し憂鬱になった。

「さて」と、ひとしきり笑った後ミレーナが俺たちから距離をとる。


「ありきたりな言葉しか思い浮かばないが、とりあえず……」


 次の言葉が、すぐに予想できた。思い浮かんだ言葉があまりにもベタなものなので思わず苦笑する。本当に、この人は普段そういうことに縁がないのだろう。だがこれはこれで、素直にうれしかった。

 やっと俺も——、




「魔法の世界にようこそ、カミヤ イツキ」

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