02. 正論と感情

 翌週。 


 教室を、背広の男が尋ねてきた。

 中肉中背、濃紺のスーツにはシワも見当たらない。黒縁メガネに黒髪短髪の、逆三角形の「にんじん」の様なシルエットの男だった。


「SCRAPの者ですが」


(ついに来た)

 小規模音楽教室の経営者である御音みおんは、椅子を鳴らして立ち上がった。26才。教室に抱える生徒数10人。 

 

 SCRAPからやって来た、にんじんみたいな男は、小さな応接室へと通された。


 無理くりスペースを開けて作った応接室。

 窓から光が取り込まれる。

 窓の反対側には白い花瓶があり、薄黄色の花が活けてあった。


 その花瓶の側に、燕尾服姿の、教室のマスコットキャラクター「ぼびゅっしい」が、何も言わずに、でんと立っていた。


 御音みおんはお茶を客人に勧めた後、椅子に座り直し、背筋を伸ばして口を開いた。

「うちは、おたく様の管理楽曲は使っていません。著作権の切れた、クラシック曲を教えています」


「そうですか? 流行りのPGKGとか、お子さんから要望ありそうですよねぇ? うちの管理楽曲ですが」


「……演奏させないようにしています」


「おや? 将来有望なお子さんに、随分と酷な事をなさるんですね。それがおたくの教育方針なんですね」

 にんじんのような男は、形だけ笑った。

 

 後輩の里琴りこはうつむいていた。

 先輩であり、経営者の御音みおんは、勝ち気をその目に宿して、言い返した。

「あなた方のせいでしょ。著作権で、教育を縛るから」



「教育? これは面白い事を」

 にんじん男の口調は、つとめて冷静だった。

 小さく張り付く嘲笑。目は「モノを知らぬ小娘が」と言っている。

 「持ちたる者」の目だった。


 攻撃手段をまんまと引き出したにんじん男は饒舌になった。


「あなた方が非営利で、かつ、生徒から料金も徴収していないならば、演奏しても合法になります。しかしあなた方は、『営利団体』だ。我々の管理楽曲で『利益』を得ている者が、対価を支払うのは、創作者保護の観点から当然でしょう?」


「もう1つ。著作権は、法律で定められた『権利』です。その権利を行使することに、何の問題がありますか? 我々と包括契約を結んで、自由に曲を練習させる事だってできるのに。それを拒否しているのは、あなた方です。あなた方の生徒さんも、育てばいずれ、創作者になるはずですよね? その創作者に、対価が還元されなくても良い、と、おっしゃりたいんですか?」


「そんなこと言ってない。あたしたちは使ってないと、言ってるだけでしょう!」

 御音みおんの語気は荒くなったが、辛うじて、席から立ち上がりたくなる衝動を抑えていた。


「でしたら、それを証明していただかないと」

 対するにんじん男は、やはり冷静だった。


「無い事の証明なんてできないはずです。悪魔の証明です」

 里琴りこが、そっと助け舟を出した。しかし、にんじん男の黒縁メガネは、キラリと光った。


「悪魔? はは、人聞きの悪い事を。証明は行い得ますよ? 例えば、教室に監視カメラでも設置なさったらいかがです? 練習風景を動画撮影してお渡し頂ければ、我々の管理楽曲を演奏していない事が証明できますよ? あるいは、演奏した楽曲のレポートを毎日作成して、我々に提出するという方法でもよろしいですが? もちろん、嘘の報告は困りますがね。ははは」


「なんであたしたちがやらなきゃいけないの? それは、あなたたちがやるべき仕事でしょ! 権利を振りかざす側がやるべきでしょ!」

 ついに怒りを抑えきれなくなった御音みおんは、椅子に大きな音を出させ、ついに立ち上がった。


「ええ。ですからこうして、包括契約、つまり、使い放題契約の、お伺いに来ているわけですよ。現実問題として、演奏楽曲を全てリスト化するなど、繁雑すぎてナンセンスです。曲ごとに管理するより、包括でやった方がお互い楽です。御社の利益現実世界ではの50%受講料の2.5%さえお支払い頂ければ、管理楽曲が使い放題なわけですから。我々はそれを、創作者に適切に分配する。みんな丸く収まる、良い案だと思いますが?」


「分配? ちゃんとやられていないじゃない!」

「いいえ。我々の規定に基づき、適切に分配がなされていますよ」


「とある音楽家が、『俺に分配が来ない』と愚痴っていましたよ!」

「どの方ですかね? 憶測や伝聞で言われても困りますね。また、仮にそうだとしても、とやかく言えるのは、我々に管理を委託している委託者の方です。あなた方ではない」


 にんじん男の言は正論だった。

 感情的には納得がいかない御音みおんも、教室の経営者だ。握りこぶしをふるふるとさせながら、再び着席した。



 重苦しい沈黙が、小さな応接室を支配した。



 その空気を、穏やかな口調で破ったのは、社会人になったばかりの後輩、里琴りこだった。

「……10人位ですよ? 私たちの生徒さんは。それでもダメなんですか?」


 しかし、賢そうスマートなにんじん男の反論は、予め準備されていた。

「あなた方は、継続して事業としてやってらっしゃいますよね? ですから、生徒さんは不特定多数、つまり『公衆』に該当するんですよ。判例もありまして。最高裁まで行って、『クロ』だと結論が出ています。ニュースでも報道されたんですがね?」



(本当に、そうなのかなぁ……? 演奏を聴いてるの、私と先輩と、えっちゃんだけなのになぁ……)

 里琴りこは、それを言うことが出来なかった。


 応接室には、再び重苦しい沈黙。

 その場にいる3人のうち、2人の女性の口は、きゅっと閉じたまま、ついに開く事は無かった。



 花瓶の側では、マスコットキャラの「ぼびゅっしい」が、空調の風を受けて、寒さに不平を鳴らすが如くカサッと音を立てた。黒いモジャ髪に、燕尾服という出で立ちだった。



 そして、にんじん男が口を開いた。

 彼の目は、2人の女性を見ていなかった。

 宙に向かってそらんじるように、冷ややかにフレッダメンテ


「うちの管理楽曲を使っておきながら、『払わん』は通用しないのです。著作権は、創作のインセンティブに関係します。創作を仕事にする者がいて、その創作物には鑑賞の対価が払われなければならない。でなければ、創作者は皆、飢えて死んでしまいます。それは、我が国の文化の発展を、阻害してしまう事にも繋がるのです」


 ……。


 ……。



 それを見つめるマスコットキャラ「ぼびゅっしい」の、1人の男が潜んでいた。






(TIPS)

【演奏権】

 著作権(財産権)の1つ。

 聞かせることを目的として演奏する権利のこと(若干丸めた表現)。



【公衆】

 (1)特定少数

 (2)特定多数

 (3)不特定少数

 (4)不特定多数

 

 (2)から(4)が「公衆」に該当します。

 ※社会通念上の言葉の定義と、法上の言葉の定義とは、ズレる事があるので注意が必要です。

 特に(3)。不特定でも、少数なら、「公衆じゃないよね?」と思っちゃいますけど、法上では「公衆」です。




【現世日本では】

「公衆とは?」が、目下の争点となっています。

(1)「女児1人、先生1人に聞かせるなんて、『公衆』じゃねーだろ!」

  と考えるか(社会通念は、こちら?)


(2)「教室には入れ替わり立ち替わり、いろんな教え子が来るでしょ? だから『公衆』です」

 と考えるか。(法的には、今の所こちら。「社交ダンス教室事件」控訴審平成16年3月4日)

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