02. 正論と感情
翌週。
教室を、背広の男が尋ねてきた。
中肉中背、濃紺のスーツにはシワも見当たらない。黒縁メガネに黒髪短髪の、逆三角形の「にんじん」の様なシルエットの男だった。
「SCRAPの者ですが」
(ついに来た)
小規模音楽教室の経営者である
SCRAPからやって来た、にんじんみたいな男は、小さな応接室へと通された。
無理くりスペースを開けて作った応接室。
窓から光が取り込まれる。
窓の反対側には白い花瓶があり、薄黄色の花が活けてあった。
その花瓶の側に、燕尾服姿の、教室のマスコットキャラクター「ぼびゅっしい」が、何も言わずに、でんと立っていた。
「うちは、おたく様の管理楽曲は使っていません。著作権の切れた、クラシック曲を教えています」
「そうですか? 流行りのPGKGとか、お子さんから要望ありそうですよねぇ? うちの管理楽曲ですが」
「……演奏させないようにしています」
「おや? 将来有望なお子さんに、随分と酷な事をなさるんですね。それがおたくの教育方針なんですね」
にんじんのような男は、形だけ笑った。
後輩の
先輩であり、経営者の
「あなた方のせいでしょ。著作権で、教育を縛るから」
「教育? これは面白い事を」
にんじん男の口調は、つとめて冷静だった。
小さく張り付く嘲笑。目は「モノを知らぬ小娘が」と言っている。
「持ちたる者」の目だった。
攻撃手段をまんまと引き出したにんじん男は饒舌になった。
「あなた方が非営利で、かつ、生徒から料金も徴収していないならば、演奏しても合法になります。しかしあなた方は、『営利団体』だ。我々の管理楽曲で『利益』を得ている者が、対価を支払うのは、創作者保護の観点から当然でしょう?」
「もう1つ。著作権は、法律で定められた『権利』です。その権利を行使することに、何の問題がありますか? 我々と包括契約を結んで、自由に曲を練習させる事だってできるのに。それを拒否しているのは、あなた方です。あなた方の生徒さんも、育てばいずれ、創作者になるはずですよね? その創作者に、対価が還元されなくても良い、と、おっしゃりたいんですか?」
「そんなこと言ってない。あたしたちは使ってないと、言ってるだけでしょう!」
「でしたら、それを証明していただかないと」
対するにんじん男は、やはり冷静だった。
「無い事の証明なんてできないはずです。悪魔の証明です」
「悪魔? はは、人聞きの悪い事を。証明は行い得ますよ? 例えば、教室に監視カメラでも設置なさったらいかがです? 練習風景を動画撮影してお渡し頂ければ、我々の管理楽曲を演奏していない事が証明できますよ? あるいは、演奏した楽曲のレポートを毎日作成して、我々に提出するという方法でもよろしいですが? もちろん、嘘の報告は困りますがね。ははは」
「なんであたしたちがやらなきゃいけないの? それは、あなたたちがやるべき仕事でしょ! 権利を振りかざす側がやるべきでしょ!」
ついに怒りを抑えきれなくなった
「ええ。ですからこうして、包括契約、つまり、使い放題契約の、お伺いに来ているわけですよ。現実問題として、演奏楽曲を全てリスト化するなど、繁雑すぎてナンセンスです。曲ごとに管理するより、包括でやった方がお互い楽です。
「分配? ちゃんとやられていないじゃない!」
「いいえ。我々の規定に基づき、適切に分配がなされていますよ」
「とある音楽家が、『俺に分配が来ない』と愚痴っていましたよ!」
「どの方ですかね? 憶測や伝聞で言われても困りますね。また、仮にそうだとしても、とやかく言えるのは、我々に管理を委託している委託者の方です。あなた方ではない」
にんじん男の言は正論だった。
感情的には納得がいかない
重苦しい沈黙が、小さな応接室を支配した。
その空気を、穏やかな口調で破ったのは、社会人になったばかりの後輩、
「……10人位ですよ? 私たちの生徒さんは。それでもダメなんですか?」
しかし、
「あなた方は、継続して事業としてやってらっしゃいますよね? ですから、生徒さんは不特定多数、つまり『公衆』に該当するんですよ。判例もありまして。最高裁まで行って、『クロ』だと結論が出ています。ニュースでも報道されたんですがね?」
(本当に、そうなのかなぁ……? 演奏を聴いてるの、私と先輩と、えっちゃんだけなのになぁ……)
応接室には、再び重苦しい沈黙。
その場にいる3人のうち、2人の女性の口は、きゅっと閉じたまま、ついに開く事は無かった。
花瓶の側では、マスコットキャラの「ぼびゅっしい」が、空調の風を受けて、寒さに不平を鳴らすが如くカサッと音を立てた。黒いモジャ髪に、燕尾服という出で立ちだった。
そして、にんじん男が口を開いた。
彼の目は、2人の女性を見ていなかった。
宙に向かって
「うちの管理楽曲を使っておきながら、『払わん』は通用しないのです。著作権は、創作のインセンティブに関係します。創作を仕事にする者がいて、その創作物には鑑賞の対価が払われなければならない。でなければ、創作者は皆、飢えて死んでしまいます。それは、我が国の文化の発展を、阻害してしまう事にも繋がるのです」
……。
……。
それを見つめるマスコットキャラ「ぼびゅっしい」の中に、1人の男が潜んでいた。
(TIPS)
【演奏権】
著作権(財産権)の1つ。
公衆に直接聞かせることを目的として演奏する権利のこと(若干丸めた表現)。
【公衆】
(1)特定少数
(2)特定多数
(3)不特定少数
(4)不特定多数
(2)から(4)が法上の「公衆」に該当します。
※社会通念上の言葉の定義と、法上の言葉の定義とは、ズレる事があるので注意が必要です。
特に(3)。不特定でも、少数なら、「公衆じゃないよね?」と思っちゃいますけど、法上では「公衆」です。
【現世日本では】
「公衆とは?」が、目下の争点となっています。
(1)「女児1人、先生1人に聞かせるなんて、『公衆』じゃねーだろ!」
と考えるか(社会通念は、こちら?)
(2)「教室には入れ替わり立ち替わり、いろんな教え子が来るでしょ? だから『公衆』です」
と考えるか。(法的には、今の所こちら。「社交ダンス教室事件」控訴審平成16年3月4日)
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