エピローグ
103歳になった長門有希
人気のない夕暮れの丘の上で、私は今にも沈みそうで、なかなか沈まない夕日を眺めている。
彼が私を選んだ時、涼宮ハルヒは地面に頭をこすりつけて咽び泣いた。そしてその日から涼宮ハルヒの存在はこの世界から消えてしまった。
きっと、彼女は終わらない時の迷宮の中で、どこかの世界の自分を選んでくれる彼を探し続けているのだろう。
隣に座る朝比奈みくるは、時間遡行を経ていない、まさしくこの時代に生まれた朝比奈みくるだった。
「お互い悲しい身の上ですよね。」
と朝比奈みくるが言ったので、私は少しの間灼熱に燃え盛る太陽から目をそらしてその言葉の意味を考えてみた。
悲しいという気持ちを、私は未だにどこか心の中でちゃんと理解できていない気がする。
そもそも私は、感情というものを本当の意味で理解することはできたのだろうか。
彼が教えてくれた様々な感情の断片を学習していった私は、果たして入力に対するレスポンスを試行錯誤しながら学習していく人工知能とどう違ったのだろうか。
おはよう、という言葉に、おはようで返す、ということは、感情を持っていなくても可能なことなのだろう。
人工知能に人間の言葉を理解させようとするときには、新聞コーパスを活用することが有用である。文法の成り立ちをいちいち教えるより、たくさんの例文を読み込ませて「こんにちは」の後には「いいお天気ですね」という言葉が続く確率が高い、という形で学習をさせた方が、何十倍も効率がいいのだ。
私の獲得した感情は果たして人工知能のそれとどれだけ違うのだろう。
「キョン君が亡くなってもう40年にもなるんですね…」
朝比奈みくるは独り言のようにそう続けた。
私は沈みゆく赤い太陽を見つめていた。彼がいなくなったとき、私は果たして悲しかっただろうか。今感じるこの感覚は、寂しいという感覚であると考えて差し支えないのだろうか。
やがて、隣にいる朝比奈みくるも私を残していなくなるだろう。赤々と燃えたぎる太陽でさえも、およそ55億年後には私を孤独な存在として残して、燃え尽きて消え去ってしまう。
私は朝比奈みくると別れて、家に帰った。103年住んできたこの家はかつての無機質な様相を見せることはなく、かつての彼との思い出の品や、刻まれた細かな傷によって私が存在した103年間をしっかりと記憶してくれている。
ふと、無造作に置かれた「ハイペリオン」の書籍を手にとってパラパラとめくってみる。
これは彼との初めてのつながり、思い出の本。頁の間から一枚の栞と、図書カードがこぼれ落ちた。
『午後7時 光陽園駅前公園にて待つ』
栞に書かれた文字は、確かに100年前の私が書いたものだった。
図書カードを拾い上げ、じっくりと眺めてみる。
「また図書館に」
という、思い出深い言葉を、ふと思い出した。
無論、忘れていたわけではなく、ただストレージにバックアップされた記録がそれをトリガーにしてサジェストされたに過ぎない。
私はかつて通っていた高校の正門前に来ていた。
あの選択を彼に否定された場所。朝倉涼子がそれを必死で止めようとしたあの場所。
102回目に初めて朝倉涼子の『やらなくて後悔するよりも、やって後悔したほうがいい』という言葉の意味を理解できた気がする。
懐かしいあの部室を思い浮かべながら、私はいつか手に入れることができるかもしれない、感情というものに想いを馳せる。
私は栞を手に取ると、涼宮ハルヒの能力の断片を使って、103回目の彼との再会のために世界改変を行ったのだった。
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