宇宙探偵長門有希

われわれの周囲には、社会的栄光からの転落ぶりが驚くほど類似している大量のゲージがいる。その中には脳腫瘍や頭のけがや他の神経系の病のために脳にダメージを受けた者がいる。 

               —アントニオ・R・ダマシオ「デカルトの誤り」


 ハルヒが「光あれ」と発してから世界には光があり、淡路島が産まれ、そこから次々と国作りが行われたわけであるが、しかし広い宇宙の中にぽつんと淡路島だけが浮いている様子というのは、想像すると非常にシュールである。


 未来の朝比奈さんは、「今回はキョン君に人類の誕生を妨害しに行ってもらいます」と言った。


 という訳で、朝比奈さんが鼻からコカインを吸引すると同時に、幻覚作用からPTSDを発現し、ロシアとアメリカによって引き起こされた第3次世界大戦のアラスカ戦線の記憶のフラッシュバックによる四肢を引きちぎられたかのような絶叫をBGMに、俺は宇宙開闢以前まで時間平面移動をしたのだった。


 宇宙が存在する前の宇宙空間というのは、いや、宇宙が存在しないのであるから、宇宙空間というのは間違いなのだが、つまりいくばくかの後に宇宙が存在したはずの虚無というのものは、何やら寂しい雰囲気に包まれている。しかしこの虚無、つまり何もない空間に『寂しい雰囲気』というものが存在するのは不思議なもので、人間が主観的に観測することによって完璧な無においても何かを見出してしまうものなのであろうか。


 朝比奈さんはPTSDを発症してしまっており何の役にも立たないので、ここからは自分自身の力で何とかしなければなるまい。


 しかしどうしたものかと途方に暮れていると、何かが無の向こうから平泳ぎでこちら近づいてきた。長門である。情報統合思念体は情報の誕生とともに生まれたはずであるので、全てが無であるこの空間に存在するのはおかしいような気がするが、ここが無である、という情報は確かに存在している訳であるので、ここに長門がいることもそんなにおかしいことでは無いのだろう。


 しかし何もない空間というのは不思議なもので、端的に言ってしまえば上下という概念もないものだから、無の中で膝を抱えながらゲロを撒き散らす朝比奈さんも、無を縦横無尽にかき分けて平泳ぎをする長門も、俺から見ると上下左右がしっちゃかめっちゃかに見えるのだ。まるで無重力と言いたいところであるが、言うなれば無重力という概念は重力が存在するという前提のもとに存在するものであって、そこには有よりは相対的に無いという状態が存在するという方が正しいだろう。


 何も無い空間を俺が認識できるのも、強いていうならば、ゲロを撒き散らしながら無を漂う朝比奈さんという存在と、それ以外、という相対的認識によって無というものを認識している訳であって、無そのものを認識できている訳では無い。

 しかし、無はその相対的な認識によって認識されてしまう。

 故に、完全な無の中にも『寂しい雰囲気』が存在してしまう訳である。

 そして、『寂しい雰囲気』が存在する以上、それは完璧な無ではなくなってしまうのである。もっと言えば、『寂しい雰囲気』はその無によって、大気圏の酸素のある空間の中に、存在するよりだいぶその存在感を強めていると言えるだろう。

 無の中において『寂しい雰囲気』というのは有の中にあるよりも相対的に存在しているのである。


 この後、無に光をもたらそうとしたハルヒをグーで殴り、宇宙の誕生を阻止した俺たちは無事人類の誕生を妨害できた訳であるが、当然の帰結として人類である俺はこの世界から消滅してしまい、世界は無で閉ざされてしまった。


 無論、ここには俺がいた、という情報が、無によって相対的に強調される訳であるのだが、無となってしまった俺にとって、それは何の意味もなさないのであった。


「宇宙探偵長門有希」完

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