ゴジラ・ミニラ・長門有希 オール怪獣大進撃
文章の文学的な意味、と言うものを考えると、もはや一文字も筆を進めることができない。そもそも文学とは何なのか。文化とは、俺たちが当たり前に持ち合わせていると考えている、知性、と言うものは何なのだろうか。今、ファミレスのドリンクバーから持って来たホットコーヒーを眺めて、カップの取っ手をとり、口に運んだとする。そこに一体どの様に悟性と知性が関わっているのか、ということは、無学な俺には全く縁遠くて、理解不能なことだ。
ということで、俺は急に天井をぶち破るような音[1巻,pp188]と共に現れた長門が
「一つ一つのプログラムが甘い」
と言ったことに関する文学的な意味について考えを巡らせていたのであるが、そもそももはや状況が理解不能である。長門はなぜドラゴンボールのワンシーンよろしく天井をぶち破って現れるのでなく、ぶち破るような音とともに現れたのだろうか。実は一度たりとて、長門が天井をぶち破って現れた、とは描写されていないのである。俺は、つまり天井がぶち破られた様子を認識できていないのではなかろうか。
なぜ、俺は天井がぶち破られた、と認識しなかったのか、それは恐らく朝倉によって情報改変されたこの空間は、俺の目や脳の認識できるレベルを超えてしまっているからであると推測される。情報の伝達手段として言語を用いない情報統合思念体[1巻,pp122]の情報改竄によって作られたこの空間は、恐らく人間が言語によって世界を認識している以上、視覚的にはなんとなくこの空間の壁が全てコンクリートの壁に置き換わっていた[1巻,pp185]と認識していたが、恐らくそれは言語化できない状況を脳が無理やり辻褄をつけるためにとりあえず用意した近似的に理解できる回答であって、恐らく正解ではないのだろう。
言うなれば、今長門が槍のようなものに貫かれて鮮血を噴き出しているのも恐らく何かのつじつま合わせによる認識であり、今まさに朝倉が音もなくキラキラした砂になって消えようとしているのも、人間が視覚を言語的トポイに置き換えて認識している以上、この文学的表現は必ずしも正解であるとは言えないのだろう。認識できないものは表現できないのである。朝倉が消える、という結果を伴う事象をどのように表現するかという点でのみ、この表現は意味を持つのである。俺は朝倉が「砂のように崩れて消えていく」という表現の中で、「砂のように」という比喩を使っていることにも注目していただきたい。つまり、朝倉は砂になったのではなく、砂のようになったのである。その砂を構成するものは、恐らく岩石が風化・浸食・運搬される過程で生じた岩片や鉱物片などの砕屑物ではあるまい。タンパク質の結合を分解した細胞の塊とでも言った方が真実に近いのかもしれないが、この表現は、少し、いや、だいぶグロテスクである。
物事というのはほとんどの場合その観測者の持つ文化的コンテクスト、イデオロギーによって認識に大きな差が出る。情報を情報として認識する情報統合思念体にはそのような齟齬は発生しないのではないか、とも思うが、今まさに主流派と急進派の派閥争いが繰り広げられていたわけで、情報統合思念体も、情報を解釈することによって理解していると捉えても良いのかもしれない。では情報統合思念体は、言語ではなく一体なんによって情報を理解しているのであろうか。
などということを考えているうちに、朝倉は
「私が消えても第2第3の朝倉涼子があなたたちの前に立ちふさがるでしょう、私は情報統合思念体急進派四天王の中でも最弱…それまで、涼宮さんとお幸せに、じゃあね」
と言って消えてしまったのだった。
「ゴジラ・ミニラ・長門有希 オール怪獣大進撃」完
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