第239話 戦場の奴隷②
戦局は思わしくなかった。
もともと数はこちらが圧倒的に不利。
個々の力はこちらに分があるように思えたが、聖女の姿をした悪魔の称号のせいでそれも覆った。
そして極め付けは……。
『サクリファイス』
交換式の電池のように補充される魔力。
敵の主力の魔力が消費されると、何万人もの兵士たちが、自らの命を投げ打って魔力を補充していく。
人の命をこのように使うなんて、人間の所業ではない。
こんなことを平気で行う人間と、同じクラスで過ごしていたなんて信じられなかった。
ミホのことを抜きにしても、こいつらに世界を盗らせるわけには行かない。
だが、気持ちとは裏腹に、こちらの魔力は減る一方だった。
俺の相手であるヨミの姿をした眼鏡の十二貴族。
剣の腕は圧倒的に相手が上。
何百年も剣だけを磨いてきたヨミの力を持つ相手に、たかだか数ヶ月鍛えただけの俺が、剣で対等に戦えるわけがない。
ダイン師匠や『剣聖』と俺の実力は、思っていた以上に開きがあったようだ。
俺と戦う時に手を抜いていたわけではないだろうが、剣には俺の知らないさらなる深みがあるということだろう。
人間の身でこの相手と渡り合った二人に、改めて尊敬の念を抱きつつ、俺は俺のできることを全力で行う。
『雷光』
『閃光』
そしていくつもの魔法。
それらを駆使して、何とか食らいつく。
……だが。
ーーズサッーー
それまでどうにか凌いできた敵の攻撃が、ついに俺を捉え始めた。
致命傷ではないし、魔力で傷は塞げる。
ただ、魔力が加速度的に削られていく。
「どうした、口だけ男。もう終わりか?」
そう言って笑うヨミの姿をした眼鏡の十二貴族。
だが、俺はその笑みほどに相手に余裕がなくなってきているのを感じていた。
「お前の方こそ。そろそろ魔力の補充をしなくていいのか?」
先ほどから魔力の補充が止まっている。
相手の目的はあくまでミホ。
相手にとって、俺たちはその前座に過ぎない。
ミホとの戦いに備え、兵士の命を使い過ぎてはいけないという制約でもあるのだろう。
「魔力の補充も必要ないほど、お前が弱いのに気付いただけだ」
そう言って笑うヨミの姿をした眼鏡の十二貴族。
だが、その顔に貼り付けた笑顔の裏の焦りを、俺は見逃さない。
ベストは俺たちだけで勝つこと。
それが無理なら相手の戦力を削ぐこと。
一つ目は難しくても、二つ目はもう一押しのところまで来ているのが分かった。
ただ、問題はこちらの仲間たちの安否だ。
ミホは助けたいし、世界もこいつらの手に渡したくはない。
だが、そのために仲間が全滅では喜べない。
俺一人ならどうなってもいいが、残りの仲間たちにはできる限り無事でいてもらわなければならなかった。
敵の主力の一人を引き受けているとはいえ、仲間たちに対して全くケアできていない今の状況は良くない。
そう思いはするものの、他へ目を配る余裕が俺にはなかった。
一瞬でも隙を見せれば、俺の首はすぐさま飛んでしまうだろう。
悪くはないが、もどかしい戦況。
『劫火!』
俺の右手から放たれた、以前とは比べ物にならないほど威力の増した最上級魔法は、豪炎となってヨミの姿をした眼鏡の十二貴族を飲み込んだ。
しかし、今や四魔貴族以上の魔力を有する相手は、全身を魔法障壁で覆ってそれを防ぐ。
そして、すぐさま自らの体へ重力魔法をかけ、体を落とすようにこちらへ飛んでくると、重力で重みの増した剣を上段から振り下ろす相手。
まともに受ければ、刀が折れて真っ二つになりかねないので、回避の選択を取る俺。
『雷光』
小さく呟き、後ろへ飛ぶ。
お互い決定打に欠く戦い。
先に痺れを切らしたのは相手だった。
「聖女様!」
ヨミの姿をした眼鏡の十二貴族が声を上げる。
「……何でしょうか?」
二人がやり取りしている隙に、俺は急ぎで周りを見渡す。
満身創痍な仲間たち。
だが、今のところは誰も死んではいなさそうで、ほっと胸を撫で下ろす。
仲間たちの無事を確認し、すぐさま視線を敵の主力の二人へ戻す。
「これ以上は時間の無駄だ。あんたには悪いが、女神様を降臨させて欲しい」
眼鏡の十二貴族の言葉に、表情を変えない聖女の姿をした女。
「私たちの本命はあくまで魔王です。この雑魚た……この人たちごときを相手に女神様の手を煩わせるなんてあり得ません」
毅然と断る女に対し、ヨミの姿をした眼鏡の十二貴族が、苛立たしそうに言い返す。
「あんたの言うことは分かるが、これ以上消耗したら魔王と戦う際の予備魔力がなくなる。……それとも、女神のために死ぬのが怖くなったか?」
ヨミの姿をした眼鏡の十二貴族の言葉に、聖女の姿をした女の表情が歪む。
「自分たちが役立たずなのも忘れて、よくそんなことが言えますね。死ぬのが怖い? 怖いのは女神様に愛想を尽かされることです。せっかくこの身を捧げても、女神様に見放されて、私の願いが叶わなければ意味がありません」
女はそう言うと、まるで何も視界に入っていないかのように天を仰ぐ。
「女神様にこの体を託すのは、魔王と戦う時。それは譲れません。私の全ては女神様のために」
女はしばらく天を眺めた後、視線を戻す。
「……ですがまあ、あなたの言うことも理解できます。そこで提案です。もう少し『役立たず』の基準を変えてはいかがでしょうか? 先程お友達に役に立ってもらう経験をして分かりましたが、あと五、六人、戦闘に使えないお友達を戦力に変えれば、さすがに勝てるのでは?」
身も凍るような提案。
お友達が誰のことを指すのかは明確だった。
人の命の価値に差はないとはいえ、神のために命を捧げる覚悟がある人間と、元の世界でクラスメイトだった人間。
その二つの間には、心理的な壁があるはずだった。
だが、この女の中にそれはない。
自分と神以外の人間は、等しく無価値だった。
その穢れなく輝くように見える瞳がそう語っていた。
女の提案に、ヨミの姿をした眼鏡の十二貴族は考える。
考えるだけ、まだこの男の方が人間味があった。
……それでも至った結論は同じだった。
「……分かった。人選はあんたに任せる」
眼鏡の十二貴族の言葉に、聖女の姿をした悪魔が、本性を表した笑みを浮かべる。
ただいやらしく。
ただ残酷に。
ニィッと微笑む。
……そして、生贄を選ぶ。
……俺にはクラスメイトに関するロクな思い出などない。
小さなプライドを傷つけられたくらいで俺に嫌がらせをしてくる、器の小さい奴ら。
それに乗っかって俺を下に見てくる奴ら。
自分に飛び火することを恐れて何もしない奴ら。
どいつもこいつも、救う価値のない人間ばかりだ。
唯一、俺に手を差し伸べてくれたミホはここにはいなくて、俺と同じように奴らの被害に遭いそうだったリン先生は俺の仲間だ。
敵の中に、救うべき奴なんていない。
……そう思っていた。
でも、違った。
一歩踏み出す勇気が足りなかっただけで、マナは命を賭けて俺を助けてくれた。
マナの友達のレイカも同様だ。
ほんの少しの強さが足りなかっただけで、きっかけさえあれば変われる人たちは、きっと敵の中にもいる。
眼鏡の十二貴族や聖女の姿をした女までもがそうだとは言わない。
ただ、これからこいつらに魔力に変えられてしまうクラスメイトたちの中には、もしかしたらそういう人がいるかもしれない。
俺はダメな男だ。
自分がつけた優先順位をいつも守れない優柔不断な男だ。
俺にとって一番大事なのは、最初はミホだった。
そしてその次はカレンだった。
カレンのためなら他の全てはどうでもいいはずたった。
今の俺にとって大事なのは、俺なんかのことを想ってくれる六名の女性たちだ。
次に大事なのは、俺と一緒に戦ってくれる仲間たちだ。
大事なもののたに全てを賭けるべきだというのは分かっている。
仕方なしにとはいえ、ミホを殺そうとし、俺たちと敵対している奴らのことなんて放っておけばいいのは分かっている。
だが、ダメな男である俺は、しばらく同じクラスで過ごしたというだけの、俺のことなどなんとも思っていないか、むしろ敵だと思っている赤の他人が殺されるのを見過ごせない。
『風槍』
無詠唱で放った初級魔法は、聖女の姿をした悪魔の身に纏った薄い光のようなものに遮られて霧散する。
「女性を不意打ちで突き刺そうなんて、魔王の夫になるような男性は、やはり野蛮ですね」
そう言って悪魔の笑みを浮かべる女に向けて、俺は右手を向ける。
「……育ちが悪いもので。クラスメイトを生贄にするような害虫を見ると、すぐに叩き潰したくなる」
俺の言葉を聞いた聖女の姿をした女は、目を丸くした後に声をあげて笑う。
「貴方のことはよく知っています。頭も良くて勉強もできるけど、家が貧しくていじめられている可哀想な子がいると。元の世界では私の愛が届かずに申し訳ありませんでした。でも、貴方にとってはこの方たちも、あなたのいじめに加担した仇のようなものじゃなくて?」
女の言葉に、俺は鼻で笑う。
「あんたの愛なんて届かなくてよかったよ。おかげで俺はミホや最高の仲間たちと出会えた。そして、俺は別に自分へのいじめなんて気にしていない。こんなことやってる暇に勉強しないから、俺より成績悪いんだろ、馬鹿じゃないのか、とは思っていたが」
俺はそのまま右手に魔力を込め続ける。
「そして、そいつらはみんな馬鹿だった。そんな馬鹿な奴らだからこそ間違いもするし、逆に学びさえすれば、生まれ変われる。だから、簡単に殺して、変わるチャンスすら与えない、お前なんかは認められてなれない」
俺の言葉を聞いた女が、ふーっとため息をつく。
「女神様から貴方は殺さないように言われてるのですが。まあ、生きていて、目さえ見えればあとはどうなってもいいでしょう」
女も、俺の方へ右手を向ける。
「最後の通告です。もし貴方が神への信仰を誓うなら、魔王を殺したあと、生かしていただくよう女神様にお願いしますよ?」
女の言葉に、俺は肩をすくめる。
「あの女神もどきを信仰するくらいなら、自殺を選ぶ」
俺の言葉に、女はムッとした表情を隠せない。
「凌辱されてボロボロになった魔王の前で、先に貴方を殺してあげます」
俺は苦笑する。
「そんなんでよく聖女が名乗れたな。人の不幸を笑う悪趣味女も、そんな女に信仰される女神もどきも。まとめて俺が倒してやる。かかってこい」
こちらの中で、俺だけが殺されないよう気を遣われている。
なら、それを利用しない手はない。
敵を挑発し、俺に攻撃を引きつけて、周りの負担を軽くする。
その上で、聖女を装う悪魔を、俺が倒す。
「俺との戦いの途中で浮気とは余裕だな」
視界の外から振るわれる、ヨミの姿をした眼鏡の十二貴族の攻撃。
斬撃が煌めき、俺を襲った。
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