第180話 奴隷のパートナー④

 私の言葉に、テラ様は怒りもせず優しく答えた。


「悪いが、俺はお前を諦めない。俺がその誰かに劣っていると言うのなら、己を磨き、改めてプロポーズさせてもらう」


 魔力を緩めながらそう宣言するテラ様に、私は肩をすくめながら答える。


「何度プロポーズされても俺の気持ちは変わらない。だがまあ、それでも俺をどうにかしたいなら、魔王となり、世界をその手にしてからにしろ。その過程で、きっと俺の想い人が立ちふさがるはずだからな」


 魔王になる、という魔族にとって不可能の代名詞ともいえる私の言葉に、テラ様はにいっと笑う。


「言われずとも魔王にはなる。その上で世界を手にし、そしてお前も手にしよう」


 私は、後で少年に知られたら怒られるだろうと思いながらも、半分冗談で、半分期待込みで答える。


「まあ、俺の惚れた相手が、お前に負けるわけはないがな」


 テラ様は私の言葉には答えず、話を続ける。


「……とりあえず、人間狩りなどはやめろ。食事も住む場所も俺が手配する。お前は魔王の妻らしく、大人しくしていろ」


 私は、肩をすくめながら答える。


「お前の妻になる気はないが、食事はありがたく頂こう。森をさまようのも少し飽きてきたし、人間を狩るのは好きではないからな」


 テラ様の提案はありがたい限りだった。

 自分への、プロポーズをするほどの想いを利用するのは、少しだけ良心が痛んだが、少年に会いに行くまでのとりあえずの繋ぎとして、提案を受けることにした。






 テラ様は毎日、私へ質の良い人間を送ってくれた。


 そんな私を見る、テラ様の配下の女性たちの目は冷たかった。


 多かれ少なかれ、彼女たちは夢見ている。

 テラ様の伴侶となることを。


 そんな彼女たちからすれば、テラ様のプロポーズを断り、それでもこの領地に居座って貴重な食材を貢がせる私は、許せない存在だろう。


 皆が敵意の籠もった目を私へ向ける中で、特に厳しい目を私へ向けていたのは、将軍を務めるリッカ様だ。


 テラ様からプロポーズされた時、リッカ様が近くにいたのには気付いていた。

 だからこそ、その怒りは他の魔族の比ではないのだろう。


 リッカ様の視線には、私への明確な殺意が乗っていた。


 もちろん、私を殺せばテラ様の不興を買うのは間違いなく、それどころか高確率で殺されてしまうだろう。


 だから、表立っては攻撃してこない。


 でも、それも時間の問題だ。


 表立って攻撃できないなら、裏で。


 そして、裏での攻撃には仕掛けに時間がかかる。

 今はその準備中だろう。


 私は、近いうちに自分への刺客が差し向けられるだろうと思っていた。


 私自身、今の自分が女として最低なことをしている自覚はある。


 全くその気もないのにテラ様へ気を持たせ、貴重な食材を貢がせ続けるのは悪女以外の何者でもなく、良心の呵責を覚えていた。


 だから、ある程度力をつけたらこの地を離れるつもりだった。


 テラ様の食事のおかげで、もともと連隊長程度にすぎなかった私の魔力は、今や二階級分も増えて、師団長レベルに迫る勢いだった。


 ただ、その増加も最近は落ち着いてきている。

 これ以上人間を食べても、劇的に魔力が増えることはないだろう。


 そろそろこの地を離れ、人間の国へ赴こうと考えていたときだった。


 いつもの食事の時間とは別に、私へ近づいてくる二人の人間の気配。

 そして同行している大隊長クラスの魔族。


 人間たちの魔力量は中隊長から小隊長クラスだったが、私はアレスの家での生活で、鍛えられた人間は魔力量以上の力を持っていることを知っていた。


 私は刺客に備えて、自分の魔力を旅団長クラスしかないように偽装している。


 そんな私を倒すための刺客としては、十分とは言えないまでも、あり得るレベルの戦力だった。


 私は威圧のために、自分の魔力を溢れさせる。


 たまたま通り掛かっただけなら、敵意を持った魔力を感じた時点で引き返すだろう。

 刺客だったとしても、戦力差を感じた結果、引き返すかもしれない。


 私は好んで人殺しをしたいわけではない。

 避けられる戦闘は極力避けたかった。


 でも、そんな思いも虚しく、相手の三人は私の元へ向かってきた。


 近づいてきたのは人間の男女一人ずつと、魔族の女性が一人。


 戦闘開始前に、とりあえず刺客を放った主が誰か探りを入れてみる。

 すると、相手は刺客とは思えないくらいあっさりと口を割り、黒幕はリッカ様だということがすぐに分かった。

 もともとそう思っていたところに、確証を得ただけだが。


 私は無駄な殺生は好まない。


 まずは、引き下がるよう話をするが、彼女たちは引き下がらなかった。


 魔力量をさらに上げ、私は彼女たちを威圧する。


 それでも彼女たちの決意は変わらないようだった。


 実力差は明確。

 にもかかわらず、引き下がらないのには、彼女たちにも引くに引けない理由があるからだろう。


 無駄な殺生は好まないが、だからといって自分が死ぬつもりもない。


 人間二人はその命を無駄にしないため、食事にしようかとも思ったが、二人とも人間にしては強い。

 原型を残して殺そうと加減した結果、万が一私が死んでしまっては元も子もない。

 私は、安全のため、そして極力彼女たちを苦しめないために、最大火力で決着をつけることにする。


 今や並の師団長以上の威力を誇る私の魔法。

 かつて魔王様に与えられ、そして自ら捨てた名前を冠する魔法。


「……魔王様。今一度与えて頂いた名を使わせていただく無礼をお許しください」


 私は右手を、刺客の三人へ向ける。


『紅蓮!』


 テラ様と対峙した時より私の魔力は増しており、かつてより遥かに強力になった魔法が、三人を襲う。


 風魔法による酸素の供給と、空気の層により熱を逃さないことで、込められた魔力量以上の威力を誇る炎は、私の瞳同様に赤く燃え盛る。


 それなりの力はありそうだとはいえ、大隊長クラス以下の魔力しか持たない三人がこの炎を防ぐ手段はないはずだった。


 ……だが。


 魔族の女が何かを投げると、空気が凍てつくのを感じる。


 膨大な冷気が溢れ、私が放った炎へ襲いかかった。

 冷気は大気中の水蒸気を凍らせ、巨大な花となる。


 突如現れた氷の花が、私の放った炎とぶつかった。


ーーブワッーー


 その二つの巨大な力が衝突し、あたりが水蒸気に包まれる。


 もちろん刺客の三人がこのように強力な魔法を使えるわけがない。


 三人を陽動に、見えないところに潜んでいたリッカ様が私を攻撃した可能性を考えるが、それはないと判断する。

 もしリッカ様が近くにいるなら、魔法を防ぐのではなく、私を攻撃するはずだ。

 この隙を逃すほど、将軍を任される魔族が間抜けなはずはない。


 私は記憶を遡り、強力な魔法を保存することのできる鉱石があったことを思い出す。

 あまりに貴重なため、世に出回ることはほとんどないその鉱石の効果だろうと、私は推測した。


 私が一瞬、そのような考察に頭をとられている間に、魔法の衝突で生じた水蒸気が揺らめく。


 すると、水蒸気から飛び出した人間の男が、まるで空から落ちるかのような勢いで、逆に空を飛んでいく。


 数十メートル飛んだところで停止し、今度は本当に私の方へ落ちてくる人間の男。

 男は空中で体制を整えると、黒く輝く大剣に魔力を込め、空へ掲げた。


 猛スピードで落下しながら、男は叫ぶ。


『剛剣!』


 落下の勢いをそのまま活かし、私の体ほどもある大剣の重さに、全力だと思われる魔力を加えて、男は剣を振り下ろした。


 魔力量に大きな差があるとはいえ、これほど複合的な力が合わさった攻撃を無防備に受ければ、私も致命傷を負いかねない。

 仕方なく私は、左腕に魔力を込めてその攻撃を防ぐことにする。


 無防備に受けるのは厳しいが、防御すればそれなりの衝撃は受けるものの、大したダメージは受けない。


 それが、男の攻撃に対する私の評価だった。


 そして、それは間違ってはいなかっただろう。


 ……人間の女の攻撃がなければ。


 男の攻撃を防ごうと、視線を上に向けた私の視界の端に、突然閃光が映る。


 未だ立ち込める水蒸気を切り裂き、人間の女が落ちるようにこちらへ飛んで来た。


 銀色に輝く細剣の鋒を私へ向け、迫りくる人間の女。


 その速度は、上空から落下してくる男より遥かに速い。


 魔力量が増大し、少し昔より遥かに動体視力の向上した私の目でも、なんとか捉えるのが精一杯の速度で、女は私へ迫っていた。


 回避は間に合わない。

 男の攻撃を防ごうとしている左腕も当然動かせない。


 私は、空いた右腕で女の攻撃を防ごうと、右腕を動かそうとする。


 しかし、なぜかは分からないが、右腕が急に重くなり、防御がほんの僅かに遅くなった。


 普段なら問題にならない程度の動作の遅れ。


 だが、通常なら視界に捉えることすら困難な人間の女の攻撃相手に、このほんの僅かな遅れは致命的だ。


 それでも私は、右腕に流す魔力量を一気に増やし、全力で振り上げる。


 腕は間に合わなかったが、右手の掌が辛うじて間に合い、その剣先を受けた。


ーーブスッーー


 剣先は私の掌を貫くが、貫かれた瞬間、剣ごと右手を横へ動かすことで、体に直撃するのを避ける。


ーードンッ!ーー


 同時に、上から振り下ろされた大剣による攻撃も左腕で防ぐ。


 体重や剣の重さ、さらには上から落下してきたことを踏まえてもなお、それ以上の重さを感じる攻撃に、私の膝が沈みそうになる。


 それでもなんとか耐えた私は、右手を貫かれたまま剣を握って女の追撃を防ぎ、ミシミシと音を立てる左腕を思い切り振り、男を弾き飛ばした。


 通常の動きに支障が出るほどではないが、体が重い。

 男を弾き飛ばすのにも、通常以上の魔力を必要とした。


 私は、晴れてきた水蒸気の向こうで、こちらへ右手を向ける魔族の女を睨む。

 恐らく、その魔族の女が私の動きに制限をかけているのだろう。


 どのような仕組みかは分からなかった。

 

 ただ、最初の攻撃を防いだ今はその制限は大した影響になっていない。


 確かに、先程のギリギリの攻防の中では、致命傷になりかねない妨害だった。

 思い返せば、今更ながら冷や汗が出てくる。


 でも、その攻防を終えた今は、もう怖くはない。


 人間の男とは距離を取り、人間の女は武器を封じた。


 私は笑う。


「ふふふっ」


 そして、剣を握ったまま魔力で固定し、そのまま右手を振って人間の女の武器を奪い取り、空いた左手で、人間の女の首元を掴む。


「お前たちと同じ人間である『刀神』のじいさんの動きが役に立った」


 剣を手に貫通させ、その行動を封じる。

 その動きは、少年と『刀神』との訓練の中で見たことがあった。

 今回はその経験が生きた。


「……刀神?」


 私の言葉に、人間の女が首を傾げ、呟くが、私はそれを無視して、女を引き寄せる。

 『刀神』は人間の中では有名な存在であるから知っていてもおかしくない。


「人間にしてはなかなかやるが、残念だったな」


 私は人間の女をよく見る。


 囚われの身でしばらく風呂にも入っていないのか、多少薄汚れているが、その容姿は人間にしてはかなり優れていた。

 何より、中隊長に匹敵する量の魔力の持ち主は、テラ様の連れてきた人間の中にも多くはいなかった。


 未だに人間を食べるのに抵抗はあったが、この極上の人間を前に、少しでも強くなる必要がある私が躊躇う理由はない。


「せっかくだからいただくとするか」


 私は、人間の女を食べるべく、邪魔な服を引きちぎろうとして、手を止める。


 触れた服から香る微かな匂い。


 私は無意識に、人間の女の服の匂いを嗅ぐ。


 長い間洗濯していないためか匂ってくる女のものと思われる汗の匂いに混じって、どこかで嗅いだ匂いがした。


 失われた記憶の中で、微かに思い出される思い出のかけら。


 大事な。

 何よりも大事だった記憶。


 その中で、この匂いを幾度も嗅いだことがあるのを思い出す。


 その匂いで、手が止まる。

 脳が痺れ、動けなくなる。


 大きな力の差があるとはいえ、大したダメージは与えられていないだろう人間の男や、無傷の魔族の女がいる中での思考停止。


 それがどれだけ危ないことかは分かっている。

 それでも私は、何も考えられなくなった。

 その匂いを思い出すだけで、何もできなくなった。


 そんな私へ攻撃しようとする人間の男を手で制し、人間の女が口を開く。


「お前……カレンという名ではないか?」

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