第151話 魔王の娘⑦
私は、跪いてこちらを見つめる少女が何者かを見定めようと、じっと見つめる。
顔には当然見覚えがないし、この世界では知り合いもいない。
だが、私はこの女性が誰か、すぐに分かった。
瞳の色は変わっても、私を真っ直ぐに見据える感情を感じない目には見覚えがあったからだ。
……元の世界で、私の護衛をしていた少女の目だ。
私のことを元の世界の名で、しかも様付けで呼ぶのは彼女しかいない。
「どうやってここへ?」
私の質問に、元護衛の少女は答える。
「この国の結界は、魔力を極限まで抑えることで、魔族でも突破できます。少女の姿になるまで人間の摂取量を抑えることで、侵入することができました」
答えについては納得感があった。
魔族であるはずの少女からは、人間と同等程度の魔力しか感じない。
私は続けて質問する。
「なぜ私のことが分かったの?」
その質問にも、少女は即答する。
「ミホ様の護衛を務める者なら当然です、と言いたいところですが、それには理由があります」
少女は私の目を真っ直ぐに見つめて言葉を続けた。
「ミホ様を含めた一部の方だけがこの世界へ飛ばされた後、残りの者たちへ、女神様がさらに詳細の説明を続けました。それが称号についてです。この世界へ転生する際、一人に一つだけ、この称号という特殊能力が付与されています」
新しい事実に私は少しだけ驚き、また、少しだけ腹が立った。
つまり、先にこの世界へ飛ばされ、称号の存在を知らされていない者は、死んでも構わない捨て駒だったということだろう。
「私の称号は、『護衛者』です。護衛すべき方の居場所も分かりますし、護衛する際には能力も上がります」
少女の言葉を聞き、疑問を口にした。
「私にも何か称号はあるの?」
私の問いかけに、少女は少しだけ困った顔をする。
「あると思いますが、他人にそれを知る術はありません。こちらの世界に来た時に分からなかったのであれば、それを知るのは難しいかもしれません」
これは大きなビハインドだ。
生き残る強さを身につけるために、初めから称号があればもっと楽をできたかもしれない。
もっと言えば、あの時ママを助けられたかもしれないだろう。
あの女神もどきを憎む気持ちが強くなる。
でも、今更言っても仕方ない。
今は自分の身を守れる程度には強くなった。
あとは、ユーキくんに再会するまでに、誰からでもユーキくんを守れるだけの実力と地位を、自力で築いておくだけだ。
少女は、そんな私の心中などまるで気付かずに、改めて私の目をじっと見てくる。
切実な目で。
懇願するように。
「ミホ様。私を側に置いてください」
元の世界でも、この少女は常に私の側にいた。
自分の存在を殺して私を守り、私の身の回りの世話をするためだけに、青春を、人生を犠牲にしていた。
「異世界に来てまで、元の世界の仕事に縛られる必要はないわ。好きなように生きなさい」
私は、日本最大の広域指定暴力団のトップの娘でも、後継者候補でもなくなった。
この世界でも、魔王の娘ではある。
だが、魔王には、血筋に関係なく、最も強い者がなる。
だから、私に仕える義務も意味もない。
「ミホ様。好きに生きようとして行き着いた答えです。ミホ様は私が自らの全てを差し出してでも側にいたいお方です。必ずや何かの役に立って見せますので、ぜひ側に置いてください。ミホ様の側にいられないのであれば、私が生きる意味はございません」
私は少女の目の奥をじっと見つめる。
嘘をついているようには見えない。
だが、人が他人のために自分の全てを投げ出すことなんてほとんどない。
心の底から大切に思う人のためでもなければ。
私はこの少女にとって、私にとってのユーキくんのような存在なのだろうか。
人生をかけてでも仕えるに足る存在なのだろうか。
答えは分からない。
あとは、私がこの少女を信じるか信じないかだ。
私はこれまで、誰かを信じるなんてことがなかった。
元の世界でもこちらの世界でも、魔物のような者たちが巣食う環境で暮らしてきた私は、誰かへの安易な信頼が、命取りになることを知っていたからだ。
だが、今の私には何もない。
性欲に塗れた男ならともかく、この少女が、今の私に取り入ったり、私を騙したりしたところで、何のメリットもないはずだ。
もちろん、義理の母たちや兄弟たちからの刺客という可能性もゼロではないから、手放しで信用するわけにはいかないが。
いずれにしろ、神の加護とやらのあるこの人間の国にいる限り、この少女は魔力を抑えなければならない。
仮に敵だったとしても、今の私が遅れをとることはないだろう。
寝込みを襲われても魔力を纏って寝れば大丈夫だろうし、魔族の体は毒にも耐性があるようだから、毒をもられる可能性も気にしなくていい。
「分かった。それじゃあお願いするわ。今は何も返してあげられないけど、いずれ何かお礼をさせて」
私の言葉に、ぱあっと笑顔になる少女。
「ありがとうございます! お礼は不要ですが、全力で頑張ります!」
年相応にしか見えない屈託のない笑顔を見て、何だか私の気分も、久しぶりに明るくなる。
ママ以外、敵だらけだった世界で、久しぶりに知り合いに会えたことで、柄にもなく私自身も喜んでいたらしい。
「そういえば、こちらの世界での貴女の名前は何かしら?」
私の問いかけに、少女は少しだけ間を置いて答える。
「もちろんこちらの世界での名前はございますが、できればその名前は避けていただけるとありがたいです。魔族の間では、仕える方に名前をつけていただくのが何よりの誉。できれば私も、ミホ様に名前をつけていただければ幸いです」
私にもこちらの世界での名前はある。
魔王である父につけられた名だが、確かに私もその名では呼んで欲しくなかった。
「私には名前を付けるセンスがなんてないわ。名字になっちゃうけど、元の世界の貴女の名前を使わせてもらって、シトリでどうかしら? その名前ならこちらの世界でもしっくりきそうだし」
私の言葉に、少女の笑顔がより嬉しそうなものに変わる。
「ありがとうございます! ミホ様に名前をつけていただけるなんて、身に余る光栄です。それでは本日からこの世界でも、シトリとお呼びください」
私自身が一から考えてつけたわけじゃないので、微妙なところではあるが、ここまで喜ばれて悪い気はしない。
「分かったわ。よろしくね、シトリ」
こうして私は、この世界で再び、一人ではなくなった。
彼女からは、その後も色々と学んだ。
彼女によると、私が女神の格好をした女からこの世界に送り込まれた後、追加で話された情報は称号のこと以外にもいくつかあった。
一つは、元の世界の能力や地位が、良くも悪くも増幅されること。
これはそこまで驚きではなかったが、もう一つは衝撃の内容だった。
私とシトリ以外のほとんどのメンバーがこの世界に現れるのは、約千二百年後だということ。
人によって現れる時期は、数年から数十年の誤差はあるようだが、それではユーキくんと会えるまで、恐ろしく長い年月を待たなければならないことになる。
私は、絶望のあまり目の前が真っ暗になる。
ユーキくん。
今の私にとってユーキくんに会うことだけが全てだった。
ユーキくんを守れるよう強くなろうとした。
ユーキくんと再び会うために、人間の肉まで食べて生き延びてきた。
それなのに、ユーキくんと千年以上も会えないなんて……
落ち込む私を、シトリがそっと抱きしめる。
ママ以外の人に抱きしめられた記憶のない私は、突然の出来事に反応できない。
「ご無礼をお許しください、ミホ様。でも、私には落ち込まれたミホ様を放っておくことはできません」
シトリは、ゆっくりと私から離れると、私の目を見る。
「ミホ様は、ユーキ様を想っていらっしゃるんですよね? 元の世界で貴女の護衛をしている時から、それは感じておりました。そんなユーキ様と千年以上も会えないということで、今のお気持ちは察して余りあります」
シトリはそう言うと、まるで自分のことのように悲しげな表情を見せる。
「でもミホ様。このことをプラスに捉えませんか? ユーキ様がこの世界に来るまで、十分な時間があります。それまでにミホ様が魔王となり、この世界を思うがままにできるようにしませんか? そうすれば、ユーキ様がこの世界に着いたとき、最高の環境で暮らせるはずです」
シトリが言うことは一理あった。
仮に今ユーキくんが目の前に現れたとしても、人間に正体がバレないように隠れながら、魔族の追手を気にして暮らさなければならない。
魔王の娘が、母親を食べて国を逃げ出したなどという話は、醜聞以外の何物でもないから、熱りが覚めるまでは国にも帰れない。
もし仮に何かしらの理由で人間の国を出なければならない事態になり、私を処分しに来た魔族の精鋭から襲われれば、今の私ではユーキくんを守り切る自信はない。
それどころか、将軍や四魔貴族を相手にした場合、私自身の命すら危ういだろう。
少し長すぎる気はするが、より強くなり、ユーキくんを誰からでも守れる力を付けるための期間だと考えれば、無駄ではないだろう。
一人では途方もない時間だが、誰かと一緒なら乗り切れるかもしれない。
「それなら、シトリが言う通り、魔王を目指してみようかしら。ユーキくんと幸せに暮らすために」
私の言葉を聞いたシトリは、元の世界を合わせても、これまでで一番と言っても過言でないほどの笑顔を見せる。
魔王を目指すことが、そんなに嬉しかったのだろうか。
それとも、落ち込んだ私が少し前向きになったのが嬉しかったのだろうか。
どちらが理由かは分からないが、これから千年以上一緒に過ごすパートナーが笑顔になるのはいいことだろう。
「私にできる全力でお手伝いいたします」
顔を引き締めてそう告げるシトリに、私は笑顔を返す。
「頼りにしてるわ。私には今、貴女しかいないから」
ーーユーキくん。
貴方がこの世界に来るまでに、誰よりも強くなって、幸せに暮らせる環境を用意しておくね。
私はそう誓い、静かに決意を固めた。
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