第六章 絶望編

第132話 無力な小賢者

 リンは、己の弱さに絶望していた。


 リンは自らに課した誓いを思い出す。





 ーー異世界では、ユーキくんのために生きる。

 ーー必ずユーキくんを見つけ出し、彼のことを守る。

 

 ーーその為に、強くなろう。

 ーー命を懸けて、自分を鍛えよう。


 ーー誰にも負けないくらいに。

 ーーたとえ魔王が相手でも、ユーキくんだけは守れるくらいに。





 そう誓った。

 誓っただけではなく、誓いを果たすために、強くなるために、限界まで頑張ったつもりだった。


 ……だが、その誓いは果たせなかった。


 四魔貴族スサが現れた際、リンは何もできなかった。


 アレスが殺され、エディが屈辱的な行動を取らされていた時も、何もできなかった。


 リンは、スサと対峙するこの時まで、どこかで慢心していた。


 アレスを除けば、人間としてほぼ最高峰の力を手に入れたリン。

 一対一なら、十二貴族や剣聖にも引けを取らない実力を身につけていたはずだった。


 ユーキ……エディの役に立てると。

 エディを守る力を手に入れたと。


 本気でそう思っていた。


 だが、スサと遭遇した際、リンは、あまりにも無知で愚かな勘違いをしていたと思った。

 己の慢心について、死にたくなるほど恥じた。

 

 肌で感じる圧倒的な魔力。

 生物としての絶望的な差。


 スサとリンの間には、隔絶された実力の差があった。


 その場にいた全ての人間が、スサの脅威には気付いていた。

 だが、その中でも、最も具体的に差を感じていたのはリンだった。


 リンの持つ称号、『観察者』。

 この能力のせいで、リンには相手の実力がより具体的に見えてしまう。


 アレスとリンの魔力量の差は、四倍の開きがあった。

 そのアレスより五倍以上多い魔力量を持った魔族。


 それがスサだった。

 単純計算で、リンの魔力量は、スサの二十分の一以下でしかない。


 魔法使いとして、この差は絶望的だった。


 スサが最低限の魔力で身を守っているだけでも、リンの攻撃は、スサには通らない。

 例え、昼寝をしている状態のスサに、不意打ちで全力の魔法をぶつけても、かすり傷すら負わせられるか怪しいだろう。


 圧倒的な魔力を持つ者は、故意に魔力を抑えない限り、常に一定量の魔力がその体を覆っている。

 あまりに多いその魔力が、どうしても体内に収まりきらず、漏れ出すためだ。

 濃密な魔力は、魔法障壁と似たような効果を果たし、多少の攻撃は受け付けない。

 四魔貴族という、魔族の中でも魔王を除けばトップに位置するスサにとって、人間の放つ最上級魔法でさえ、『多少の』攻撃でしかなかった。


 その場にいた誰より、リンにはそれが分かっていた。


 生まれたばかりの赤ん坊と大人との差。

 歯のない赤ん坊が非力な顎の力で噛み付いたところで、痛くも痒くもない。


 それくらい大きな実力差があった。


 その事実が、リンの動きを止めた。


 エディに屈辱的な行為をとらせるくらいなら、命を賭してでも、スサへ攻撃を加え、その行為をやめさせるべきだった。

 リンがスサの怒りを買えば、エディの行為は止められていたはずだった。


 でも、それができない。


 エディのために、全てを捧げたはずなのに。


 それなのに、リンは動くことができなかった。

 エディの名誉のため、命を投げ出すことができなかった。


 結果的に、エディもリンも、レナのおかげで命は助かった。

 命だけは助かった。


 エディとリンは、レナが生き残るための道具に過ぎない。


 いや。

 エディは違うだろう。

 レナはエディに気があったから、本当の道具は自分だけだ。


 エディに想いを寄せるリンやヒナ、それにローザにしてみれば、命を盾にエディを子作りの道具にしたレナの存在は、恨みつらみの対象でしかない。


 だが、リンはレナを恨む資格すら自分にはないと思っている。

 その行為が褒められるものかどうかは別として、レナは行動した。


 圧倒的な存在であるスサを前に、レナは自分の意思を貫いた。


 アレスの娘であるレナは、リンや他の人間たち以上に生き残る可能性が低かったはずだ。

 そんな窮地を、レナは自らの言葉と行動で覆した。


 そして、エディと、恐らくついでだろうが、リンも命を救われた。

 結果だけ見ると、レナはリンよりエディのためになっており、そしてこの世界は結果が全てだ。


 例え、自分本位であろうと。

 エディへの気持ちでは、リンの方が勝っていようと。


 今回の件に関して言えば、リンよりレナの方がエディの役に立っていた。


 その事実にリンは打ちひしがれる。


 この十年の努力は。

 この十年の想いは何だったのだろうか。


 自分にできる限界まで、己を鍛えたつもりだった。

 そして、十分な力を身につけたつもりだった。


 だが、それはただの『つもり』だっただけで、実際は何の役にも立たなかった。

 肝心な時に、何の行動も取れない程度の力でしかなかった。


 リンはスサを前にした時の自分のことが頭から離れない。


 足を震わせ、その圧倒的な存在を前に怯えていることしかできなかった自分。

 十年待ちわびた想い人のために、命を捧げることができなかった自分。


 ーー私は弱い。


 リンは思う。


 ーー私は役立たずだ。


 リンは己を責める。


 ーー役立たずの私には、エディさんのそばにいる資格はない。


 その日以来、リンは、エディの顔がまともに見れなくなった。

 惨めさと申し訳なさとで、会話すらろくに出来なくなった。


 魔族に食べさせる子供を作るためとはいえ、エディに抱いてもらうチャンスではあった。

 だが、そんなチャンスをチャンスとは思えず、エディの寝室に入ることなど到底できない。


 アレスが死に、本当の意味でレナの奴隷となったエディ。

 彼が何を考えているか、リンには分からない。


 リンの『観察者』の本当の能力を使えば、それも分かるはずだった。

 だが、それを調べる勇気がリンにはなかった。


 エディと距離を置き、自室に籠るリン。


 カーテンを閉じ、心を閉じ、リンは自室のベッドの上にうずくまる。


 エディの役に立てない自分に存在価値はない。


 だからと言って、圧倒的な実力差が見えてしまった今、さらに己を鍛えて、スサと戦う気力もない。


 リンは思う。


 ーー存在価値がないなら、死ぬしかないのでは?


 しかし、リンは自ら命を絶つ勇気もなかった。


 だが、きっとこのままエディと関係を持たなければ、リンは用無しとなり、魔族の餌になるに違いない。


 そう思ったリンは、何もしなかった。


 ……これは緩やかな自殺だ。








 そんな日々がどれだけ続いたか分からない。


 差し入れられる食事を、少しだけかじるのと、暇潰しに魔法の研究をやる以外、リンは一日中、何の行動も起こさなかった。


 食べて寝て、ベットの上で蹲るだけの日々。


 だが、ある日、リンが籠る部屋の扉が開いた。


 暗い部屋に光が差し、誰かが部屋に入ってくる。


 ああ。

 役立たずの私に、ついにお迎えが来たのか。

 魔族の餌となり、ようやく役立たずの私が死ぬことができる。


 リンはそう思い、やつれた顔を上げた。


 その目に映ったのは……

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