第96話 逃亡の騎士①
光弾の直撃によって右足を負傷し、うずくまるヒナ。
私はすぐさまヒナに駆け寄り、右足の傷を見る。
ヒナの脚は、太ももの半分くらいが抉り取られ、骨が露出していた。
痛みで絶叫し、気を失ってもおかしくないほどの重傷。
しかし、ヒナは呻き声すら上げず、歯を食いしばっていた。
信じられない精神力だ。
「治癒魔法は使えるか?」
私の問いに、ヒナは首を横に振る。
「練習中ですが、まだ使えません。ですが、魔力を注ぎ、回復に努めれば何とか治せるかと。魔力を使った獣人の治癒能力が人間のそれより高いのは、修行の間に試して分かりましたので。ただ、その場合、魔力の大半を使うことになり、逃亡に支障をきたしてしまいます。それに、時間もかなり消費してしまいます」
私は続けて質問する。
「……片脚で跳躍はできるか?」
「できますが、数十メートルしか跳べません。逃亡は困難かと」
ヒナの言葉を聞いた私はレナ様の方を向く。
「レナ様。ヒナに治癒魔法をお願いします」
「…………」
私の声が聞こえているはずのレナ様は、なぜか黙ったままだ。
「レナ様?」
もう一度名前を呼ぶ私に対して、レナ様はようやく答える。
「……ローザ。その獣は捨てましょう」
冷たく言い放つレナ様の言葉に、私は動揺する。
「な、何をおっしゃられるんですか? エディだって全員生きて戻るように言っていたじゃないですか」
レナ様は首を横に振る。
「私の治癒魔法の実力は高くない。その怪我を治そうとすれば、かなりの時間と魔力を使うことになるわ。その間、貴女一人であの敵を抑えられるとでも?」
レナ様はそう言って光弾が飛んできた方角を見る。
離れていても感じる強大な魔力。
私より高い魔力の持ち主が少なくとも三人。
さらに、二つ名持ちレベルの魔力も十数人。
私たちを本気で止めに来た王国の鋭部隊だろう。
先ほどヒナを攻撃した魔法から考えるに、一人は恐らく、宮廷魔道士筆頭の『光弾』。
アレス様を除けば、賢者や大神官に次ぐ、王国ナンバースリーの魔法の使い手だ。
正直、『光弾』一人だけでも私の手に余る。
「だからと言ってヒナを……仲間を見捨てるんですか?」
僅か一ヶ月とはいえ、ヒナは一緒に地獄を見てきた仲間だ。
そんな仲間を見捨てることなんて、私にはできない。
「私はその獣を仲間だなんて思ったことはないわ。ヘマして作戦を台無しにしたのはその獣よ。作戦の要である脚を負傷するなんて、自業自得だわ。この場に残り、敵を足止めして、私たちが逃げる時間を稼ぐくらいのことはやってもらわなくちゃ」
レナ様が言うことも、全く分からないと言うわけではない。
だが、突然飛んできたあの攻撃を防ぐことは、恐らく私でもできなかった。
運悪く弾が飛んできたのが、たまたまヒナだったというだけだ。
「逃亡するのに怪我人はお荷物以外の何者でもない。一人でも多く生き延びるために、最後くらい役に立ってもらいましょう」
レナ様が話をする間、ヒナは終始無言だった。
悔しさで顔を歪ませるということもなかった。
大事な局面で非情な判断ができるということも、統治者には必要なことなのだろう。
その意味では、レナ様の判断はいずれ統治者になる方としては正解なのかもしれない。
でも、私は受け入れられなかった。
「私が一人で敵を防ぎます。だからレナ様はヒナを治してください。それでも、もし私が防ぎきれないようなら、ヒナとともに逃げていただければ結構です。死んでも足止めくらいはやり切ります」
私の言葉にレナ様は考え込む。
「確かに、貴女が多少なりとも時間を稼げれば、この獣の脚が跳躍できるくらいに回復して、逃げることができるかもしれないわね」
レナ様の言葉に、私は光明を感じる。
「それなら……」
それならヒナをお願いします! と言うとした私の言葉は遮られる。
「でも嫌」
「な、なぜ?」
助かる可能性を感じたならなぜ従ってくれない?
私には、レナ様の考えがわからなかった。
「だって今逃げれば、私と貴女はリスクが少なく逃げることができるでしょう? それに、私はその獣が嫌いなの。貴女知ってる? その獣は、エディと二人で王都に潜入している時、体でエディを誘惑しようとしたのよ。奴隷魔法に性的な誘惑を禁止する制限をかけておいたら、その制限が反応したわ」
レナ様の言葉に、下を向くヒナ。
子供が奴隷に誘惑されるのを防ぐため、奴隷契約にはそのような制限をかけることができる。
そして、そんな誘惑をした奴隷を排除するため、契約魔法をかけた者に、制限に引っかかったことを知らせることもできる。
事前にレナ様から聞いていた通りのことを、ヒナはやったのだろう。
レナ様もエディに想いを寄せているから、抜け駆けのような、そんな行為をしたヒナを許せないのかもしれない。
だが、私はレナ様ほど不快には思わなかった。
もし自分が同じ立場だったなら、きっと自制できなかっただろうからだ。
想いを寄せる男性と一週間も二人で過ごして、何もするなと言う方が難しい。
エディに想いを寄せるライバルとして、思うところがないと言ってしまえば嘘になるが、見捨てたいほど憎いかといえば、そんなことはなかった。
「確かに、レナ様のお気持ちは分かりますが、だからと言って自分たちの身代わりに、見捨ててしまう理由にまではならないと思います」
私は自分の気持ちを素直に伝えた。
そんな私の言葉を聞いたレナ様は呆れたような表情を見せる。
「そう言えば貴女も出立の時に、どさくさに紛れてエディに抱きしめてもらっていたものね。卑怯者同士、惹かれるものがあるのかしら? それなら勝手にしなさい。私は一人でこの場を離れるわ」
レナ様が離れてしまうと、ヒナが回復したところで、ヒナが回復のために魔力を使い過ぎてしまい、この場からの離脱が難しくなる。
何とかレナ様の気持ちを変えようと、次の言葉を考えていたところで、『剛腕』が口を開く。
「お前ら、敵の俺が言うのも何だが、仲間割れしている場合じゃないと思うぜ。こうしている間にも、増援が近づいてくる。逃げるなら止めはしないし、戦うなら俺も相手をしなくちゃならない」
今の『剛腕』の言葉に、私は疑問を抱く。
「逃げるなら止めないなんて、そんなこと言ってもいいのか?」
私の言葉に、『剛腕』は笑う。
「お前たち、どう考えても叛逆なんて狙ってないだろ? 逃げ延びることありきのさっきの会話を聞けば、馬鹿でも分かるさ。それなら無理して戦う意味が俺にはない。まあ、さっき殺された騎士たちの敵討ちはしてやりたいが、こっちもあんたらの知り合いを大勢殺してる。お互い様だ。逃げるというなら俺個人としては手打ちにしてやってもいい」
予想外の『剛腕』の言葉に、私は戸惑う。
私が『剛腕』の立場なら、仲間を殺されたことを許せはしないだろう。
そして、『剛腕』は部下思いで知られた騎士だ。
なんとも思っていないとは思えない。
一方で、私たちを騙そうとしているわけでもないだろう。
そんな器用な人物ではないことを、私は知っている。
だからこそ意図が読めなかったが、逃してくれると言うなら言葉に甘えて逃げるしかないだろう。
「それではレナ様はお一人で逃げてください。ヒナも動けるくらいまで回復できたら逃げるように。私が殿を務める」
これで恐らく、私はここで死ぬだろう。
さすがに今迫り来る戦力相手に勝てると思うほど、自惚れてはいない。
だが、少なくともレナ様は逃げることができる。
ヒナも、私の粘り次第では、逃げ切れるかもしれないだろう。
それなら私の命は無駄にはならない。
エディとの約束は守れないが、それはあの世で詫びることにしよう。
できるならもう一度エディに抱きしめてもらいたかったが、それは贅沢すぎる望みだ。
惚れた相手に一度でも抱きしめてもらえただけで、私の人生としては上出来だ。
そして最後は仲間のために命を張って死ねる。
騎士として最高の人生だ。
私は覚悟を決める。
迫り来る敵は、もう数分もしないうちにここへたどり着くだろう。
どこからでもかかってくるがいい。
そう心の中でつぶやき、私は敵に備えることにした。
……だが。
「ローザさん!!!」
初めてヒナから名前を呼ばれた気がする。
そんな惚けたことをゆっくりと思う暇もなく、突然の斬撃が私を襲った。
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