第43話 反逆者の娘の奴隷①

 カレンを失い、再び一人になってしまった俺は、今後の方針を考えていた。


 こちらの世界の母親を殺され、さらには愛する女性と強制的に離れ離れにされた恨みもあり、娘のレナについては絶対に許さないと決めている。

 ただ、父親のアレスに対しては恩を感じていた。


 アレスの生存を知った俺は、できることならアレスのことは助けたいと思っている。


 復讐に命は賭けられないが、生きている恩人を救うためなら話は別だ。


 レナのことは今すぐ殺してやりたかったが、アレスを助けるまでは、使える駒だ。

 戦闘力自体はそこそこしかないが、アレスの娘という肩書きとコネには使いどころがあるはず。


 暫くは殺さずにおくことにした。

 ……そもそも、奴隷契約に縛られている俺は、今すぐに殺す手段を持っていないというのもあるが。


 娘を失うことになるアレスには悪いが、子供の育て方を間違ってしまった分、そこは我慢してもらうしかない。


 いずれにしろ、まずはアレスを救うことに全力を尽くそう。







 そう思っていた。


 ……ヒナと会うまでは。


 ヒナを救った時、邪な気持ちはなかった。


 純粋に哀れな少女を助けてあげたい、という気持ちだけで体が動いていた。

 逃亡中の身で、目立ってはいけない、と頭では分かっていたが、見捨てることなどできなかった。


 種族が違うというだけで。

 そんな理不尽な理由で。


 美しい少女が、獣のように、物のように扱われるのを見過ごすことはできなかった。


 俺も……もしカレンと出会わなければ。

 アレスやダインに認めてもらえなければ。


 今頃どうなっていたか分からない。


 ヒナは、レナや俺といることで命の危険に晒させるわけにはいかないので、暫く一緒に旅し、落ち着いたところで解放してやるつもりだった。


 ……ヒナが俺に全てを捧げると言うまでは。


 ヒナは俺が魔力回路を開いたことで、魔力が使えるようになった。

 さらには、俺の奴隷となったことで、俺が切り札として使える存在になってしまった。


 ……レナを殺す際の武器として。


 ヒナという名を与えたのには、特に意味がない。

 ヒナは兎の獣人だ。

 兎から俺が連想するものは、月だった。

 女神のように美しい兎の獣人少女の名前として、元の世界の月の女神の名前を与えようと思ったが、なかなかいい名前が浮かばなかった。


 アルテミスやツクヨミという感じではなかったし、ルナだとありきたり過ぎる。


 そこで落ち着いたのが、ハワイでの月の女神であるヒナだった。

 異国の神様だが、名前が日本人っぽいのも選んだ理由だ。

 憎むべき少女レナと一文字被ってしまったのはやむを得ないと割り切ることにした。


 レナの知り合いの家に向かう途中、レナが花を摘みに隊列を離れたタイミングで、俺はヒナへ告げる。


 ヒナには知っておいてもらわなければならない。


「俺はレナをいずれ殺そうと思っている。だが、奴隷契約に縛られているせいで、直接手は下せない。ヒナの手を汚させることになるかもしれないが、大丈夫か? もちろん無理強いをする気はないけど……」


 自由になったばかりの少女に、いきなり人を殺せ、と命じるなんて、自分でも酷いとうのは分かっていた。

 だが、俺の質問に対し、ヒナは笑顔で答える。


「エディ様があの女のことをよく思っていないのは分かってました。耳に魔力を込めると、心臓の音から、感情の起伏も分かるようです。エディ様の心音があの女に対して酷く冷徹なのは感じておりました」


 心音で感情の起伏を推測できると言うのは驚きだが、より驚くべきは、その後の発言だった。

 ヒナは急に真顔になる。


「すぐに殺しますか? 私は貴方のためなら、何だってできます。どんなご命令でも、遠慮なさらずお申し付けください」


 ヒナの言葉に、俺は後悔する。

 俺が助けてしまったことで、俺はこの子の人生を縛ってしまった。

 ヒナは俺のためなら、本当に何でもするのだろう。


 何の疑問も。

 何の躊躇いも感じずに。


 俺は最低な人間だ。


 アレスを騙し討ちした十二貴族達よりも。

 俺の母親を殺し、俺の大事なパートナーまで殺そうとした、レナよりも最低かもしれない。


 己の目的の為に、何の罪もない少女の手を汚させようとしている。

 やむを得ないとはいえ、自分の手を汚さない分、人によっては俺の方がレナよりひどいと思うだろう。


 それならせめて、俺はこの子を大事にしなければならない。

 心の中でそう誓う。


「今はまだいい。暫くはレナにも役に立ってもらわなければならないからな。それより、耳の話はかなり使えると思う。目的地へ向かう間、魔力で色々と試してもらいたい。他にも獣人特有の何かがあるかもしれない」


「分かりました」


 素直に答えるヒナに俺は礼を述べる。


「ありがとう、ヒナ。今の俺にはヒナしかいない。負担をかけてしまうが、よろしく頼む」


「はい!」


 頼りにされたことを喜び、笑顔で答えるヒナに、俺の心は痛む。


 俺は地獄に落ちるかもしれない。


 ……いや。


 無垢な少女を利用して、恩人の娘を殺そうとしているのだ。

 地獄に落ちるのは、かもしれないではなく確定だろう。


 戻ってきたレナと合流した後、二時間ほど進んだところで、比較的大きな街に着く。

 ここが目的の人物の住む街らしい。


 街の中心部にあった、目的の家の前で、レナは様子を見てくると俺たちに告げ、その場を離れた。

 すかさず、俺はヒナへ尋ねる。


「魔力を使って、他にも何かできそうだったか?」


 俺の問いに、ヒナは頷く。


「はい。まず耳への魔力の強化では、かなり広範囲にわたって音を拾えるようになっています。相手の位置や行動まで、音で推測できそうです」


 俺は頷く。

 それだけでも十分役に立つ能力だ。


「まず、ということは他には?」


 ヒナは再度頷く。


「嗅覚もかなり敏感になります。料理なら、中に紛れた具材が何であるかまで分析できるでしょう。あとは、脚力も大幅に上がっております。元々軽く跳ねただけで数メートルは跳べましたが、足で地面をつかんだ感触だと、全力で魔力を込めれば、数十倍から数百倍は跳べるかもしれません」


 想像を超えた結果だった。


 聴覚と嗅覚に関しては、戦闘以外の部分で非常に役に立つ。

 諜報に危険の察知。

 生き残る上で重要な要素だ。


 脚力についても、未知数な部分はあるにしろ、移動にも戦闘にも、応用の幅は広そうだ。


「とりあえず、この周囲に危険はあるか分かるか?」


 ヒナは耳へ魔力を込めて暫く聞き耳を立てたかと思うと、首を横に振った。


「今は危険はないと思います。屋敷の中にいるのは、中年くらいと思われる女性と、使用人と思われる老婆が一人。その他の気配はありません」


 ヒナの返事に、俺は頷く。


「分かった。この能力のことはレナには隠しておこう。もし危険を感じたら、俺にだけ知らせてくれ。例えば片耳だけ動かすことはできたりするか?」


 ヒナは返事の代わりに、右耳を少し傾ける。

 それを見た俺は返事の代わりに黙って頷く。


 レナが戻って来るのが見えたからだ。


 特に問題はなさそうだ、というレナの報告を聞いた俺は、レナに対し、この家の主の実力を尋ねる。

 今は不在のようだが、万が一敵にまわった際の危険度を知りたかったからだ。


 俺の質問の意図を察したレナは、配下の実力まで合わせて回答してくれた。


 このような、相手のニーズを察した機転の利かせ方を見ても、レナは剣や魔法だけでなく、頭も悪くない。

 殺すまでは大いに役立ってくれそうだ。


 レナの情報によると、家の主の実力はそれなりにあるようだったが、俺とレナが力を合わせればどうにかなるレベルではあるようだ。

 加えて、レナはまだ知らないが、ヒナの脚力を使えば、もし相手が想定以上に強くても、逃げる分にはどうにかなるだろう。


 家の周囲に何もなかったことで、レナは完全に安心しているようだったが、俺は警戒を解かずに、レナに続いて家の中へ入る。


 俺たちを出迎えたのは、中年の女性だった。

 ヒナの事前情報通りだ。


 挨拶をするレナを眺めていると、自分の服の袖が小さく引っ張られていることに気付く。


 不思議に思った俺が振り向くと、斜め後ろに控えていたヒナが不安そうな顔で右耳を傾けていた。

 俺は無言で小さく頷くと、周りに気づかれぬよう、ヒナの手を優しく握る。


 ヒナが右耳を傾けたということは、この中年の女は敵だということだろう。

 おそらく、心音で敵意を感じたのかもしれない。


 俺は警戒を最大限に高めながら、中年の女の招きに応じて、家の中へ入る。

 お茶を勧められたところで、ヒナは再度右耳を傾ける。

 毒か睡眠薬でも盛られているのだろう。


 俺とヒナは出されたお茶に口をつけない。

 レナには伝えることが出来なかったため、レナはお茶を飲み干してしまった。

 いずれは殺すが、今はまだ役に立つから、このまま死んでもらっては困る。

 

 毒でないことを祈りつつ、この中年の女がいなくなったら、すぐにレナを吐かせなければならないと思っていると、幸いなことにすぐに部屋へ案内された。


 歩きながら、ヒナは中年の女性に聞こえぬよう、小声で俺の耳に告げる。


「さっきのはおそらく睡眠薬です。それと、家にいた老婆が外に出て、大勢の人間を連れてこちらへ向かっています」


 俺も小声でヒナに返す。


「恐らくこれから戦闘になるが、どれだけ劣勢でも、ヒナは手を出さずに安全なところで控えること。そして、戦闘中、俺が右手を上げたら、レナと俺を抱えた上で跳躍できるよう、逃げる準備だけしておいてくれ。二人も抱えて飛べそうか?」


「大丈夫です」


 自信たっぷりに答えるヒナへ、俺は小さく頷く。


 その後、部屋に着き、中年の女が去ったところで、俺はすぐにレナの口へ手を突っ込み、睡眠薬を吐き出させるべく、鳩尾へ拳を入れる。

 睡眠薬がどれ程即効性があるか分からない以上、一刻も早く吐き出させなければならない。


 レナは嘔吐しながらも、怯えた目で俺を見返し、なんとか逃げようと試みていた。

 無理矢理奴隷にした俺が、反抗したとでも思ったのだろうか。


 そこでふと、口さえ封じてしまえば、奴隷契約下でも殺せるのではないかという考えに至る。

 奴隷契約魔法の下では、魔法で行動を縛られ、主人に対して反抗できないものだと勝手に思っていたが、奴隷契約には、もしそこまで万能でないとしたら。


 試しにレナを殴ってみようと拳に魔力を込めようとすると、魔力が拡散して力を込めることができなかった。

 自身の敵意に反応して奴隷契約魔法は反応するようだ。


 一つ良い検証ができたが、そんな様子は表に出さないよう、表情を消すことを意識しながら、口から手を引き抜く。


 突然の俺の行為に、レナは憤慨していたが、ヒナが飲み物に異物を混ぜられていたことを説明すると、納得したようだった。


 睡眠薬ではなく、敢えて『異物』とぼかしたのは、能力を完全には明かさないというヒナの機転だろう。

 いずれ敵対する相手に、手の内を全て明かす必要はない。


「取り敢えずここは危険だ。すぐに立ち去ろう」


 俺がそう言うと、ヒナが長い耳に手を当てる。


「どうやら手遅れのようです。かなりの人数がこの建物の周りを囲んでいるようです」


 先程から気付いていたことを、さも今知ったとばかりに口にするヒナ。

 この少女の演技力は、事情を知っている俺にすら、不自然さを感じさせない。


「そうか。魔力は感じないから、全く魔力のない普通の人間か、高度に訓練を積み、魔力を抑えられるようになった精鋭のどちらかだろう。レナの実力や、追っ手を殺したことはバレているだろうから、恐らく後者かな」


 俺もヒナに合わせて言葉を繋げる。


 それから俺たちは部屋の外へ脱出することにした。

 おそらく完全に包囲されているだろうが、部屋の中にいても嬲り殺しにあうだけだ。


 外に出た俺たちを待ち受けていたのは、案の定、大量の騎士や兵士たちだった。


 統率の取れた明らかに精兵と分かる者たちに、それを率いていると思しき白銀の騎士。


 俺は即座に戦略を練る。


 逃げるためではない。

 この場をどう活用するかについて、だ。

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