第37話 元英雄の娘④
「魔力は使えるようになったけど、結局この獣は何ができるの?」
私は二人に問いかける。
「魔法を使うには、それなりに時間がかかるだろうから、身体能力の強化だろうな。ええと……君」
「はい!」
エディの呼びかけに直立不動で答える獣人の少女。
「そんなに畏まらなくてもいいよ。俺だってレナの奴隷だけど、レナにはタメ口だし」
「あなたにタメ口で喋ることを許した覚えはないけどね」
つい、そんなことを言ってしまう私。
エディにだったら、どんな話し方をされても構わないのに。
そんな私の言葉を無視して、エディは獣人の少女に対して言葉を続ける。
「魔力の使い方の前に、まずは名前を決めないといけないな。獣人の名前って人間と同じでいいのかな……」
そう言いながら、自然と私の顔を見るエディ。
仕方なく、私は答える。
「昔は部族ごとに決まりがあったようだけど、今はみんな適当につけてるらしいわ。ただ、魔族にとっての魔王同様、名前を付ける相手っていうのは、非常に大事にされるみたい。こんな獣に崇拝されても困るだろうから、名前はつけないことをお勧めするわ」
エディは少しだけ考えたようだが、腹が座ったようだ。
「名前は付ける。崇拝はしなくていいが、名前も呼べない間柄じゃ、信頼関係は築けないから」
結論を出し、決意に満ちた表情をするエディを止めることなど、私にはできなかった。
「分かったわ。私もこれ以上は言わない」
個人的な感情を別にすれば、これから共に戦う以上、例え奴隷以下の獣が相手でも、名前は必要かもしれない。
騎士も、戦いを共にする馬には名前を付ける。
エディは名前を考え始める。
しばらくして思いついたようで、獣人の少女の顔を伺うように見ながら口を開く。
「ヒナって名前はどうかな?」
エディの言葉を聞いた獣人の少女は、顔をパッと明るくする。
こんな顔ができたのかと驚く程の変わり様。
そしてその笑顔は、女の私がドキッとするほど、綺麗だった。
私はその時のエディの顔が見れなかった。
もしエディの顔が、この獣人の少女に少しでもトキメキを感じていたら。
私はこの獣人の少女を、この場で殺してしまうかもしれない。
「ありがとうございます、ご主人様! 頂きましたこのお名前、大事にいたします!」
私のそんな想いは、ヒナの、歓喜の声でかき消される。
エディは、そんなヒナの反応に照れている様だった。
久しぶりに見たエディの人間らしい表現。
その表情を生み出したのが私でないのは残念だったが、それでも、この表情を見ることができただけでも、ヒナを助けた意味はあったのかもしれない。
獣の奴隷なんて、いざとなったら捨てたらいいのだ。
深く考えるのはやめにしよう。
「ご主人様はやめてくれ。奴隷契約はしたが、ヒナとは対等でいたい」
そんなエディに対し、ヒナは首を横に振る。
「ご命令とあれば呼び方は改めますが、私はあなたに一生を捧げると誓いました。対等でいるのは難しいです」
エディはヒナの言葉に困った表情を見せる。
「レナ。どうにかしてくれ」
エディに頼られたことを内心少し喜びつつも、表には出さない様にする。
「こういう時だけ頼らないで。獣の扱いなんて本人次第でしょ。好きにすればいいんじゃない? あなたがご主人様なんだから」
私の返事に、エディはため息をつく。
「それじゃあせめて呼び方は変えて欲しい。名前で呼んでくれ」
「畏まりました、エディ様」
様付けで呼ばれたエディは、それ以上訂正するのを諦めたのか、疲れた様子で肩を落とす。
「とにかく、あなたの軽率な行動のせいで村には泊まれなくなったわ。この獣の能力確認は明日やるにして、今日の夜はどうするの?」
私は、エディの気持ちを切り替えてあげるべく、話題を変える。
「寝込みをさっきの奴隷商人に襲われる可能性もゼロじゃないから、できれば今夜は野営じゃなく、どこか安全な場所に泊まりたいけど……」
エディの言葉に俯くヒナ。
「申し訳ございません。私などのために……」
エディはそんなヒナに優しく微笑みかける。
「それは気にしなくていい。それより何かいい心当たりはないか?」
ヒナは再度俯く。
「ずっと自由のない身だったため、村以外のことは何も……」
二人の会話に、仕方なく私は提案する。
「できれば迷惑をかけたくなかったけど、ここから二時間くらい進んだところに、お父様の配下のおじ様が住む町があるわ。信頼できる人だから、例え他の十二貴族たちに帰順した今でも、一晩くらいなら匿ってくれるはず」
配下の人達は、ローザ以外、みんなが戦死したか降伏したと言っていた。
おじ様は何より家族や領地の町の人を大事にする人だったから、きっと戦いはせずに、降伏しているだろう。
私達を匿うのは確かにリスクが高いが、私のことを自分の子供の様に可愛がってくれたおじ様なら、間違いなく私達を匿ってくれるはずだ。
好意に甘えて迷惑をかけるのは本意ではないけど、今の状況では背に腹は代えられない。
「分かった。今夜はそこへ行こう」
私達三人はおじ様の元へ向かうべく、奴隷商人の追跡を警戒しながら、道を進んだ。
おじ様の家は街の中心にあった。
この街を治めるのがおじ様の役目だ。
お父様の領地の中でもかなり大きめであるこの街を任されていることからも、お父様からおじ様に対する信頼の大きさが伺える。
街を治める長の住む家ということで、それなりの大きさはあるが、派手な印象は受けない。
そんな家の前で、私達は立ち止まる。
「ここがおじ様の家よ」
エディとヒナに、私はそう告げた。
「異常がないか、少し様子を見てくるわ」
二人に言い残し、私は家の周囲を見回ってみる。
頼りのない私たちが、誰かに助けを求めるのを想定し、罠を貼られている可能性がゼロではないからだ。
ただ、家の周囲には、誰かが潜んで私達を待ち構えているような様子はなく、特におかしな点はなさそうだ。
「特に問題はなさそうだわ」
二人の元に戻った私がそう告げると、エディは頷く。
「ところで、レナのおじさんの実力は?」
エディが私に質問してきた。
エディの質問の意図は、おじ様がもし敵に回っていた時の戦闘を想定したものだろう。
そんなことは絶対ない、とまでは私も言い切れないのが今の状況の辛いところだ。
家族や町を人質に取られていたりしたら、万が一ということはある。
「私よりは強いわ。配下の兵士の練度も、申し分ないと思う。でも……」
私は言葉を切ってエディの目を見る。
まっすぐ私を見返すエディに、言葉が詰まりそうになるが、私は言葉を続ける。
「わ、私とエディが力を合わせればどうにかなると思うわ」
私の言葉に、少しだけエディは沈黙する。
返事がないことに少し不安になる私に、エディは淡々と返す。
「……そうか」
エディは一言だけそう返した。
エディの表情から、その感情を深くは読み取れないが、特に私の言葉は気にしていないようだった。
なぜ沈黙したかは分からないが、とりあえず私は、ホッとため息をつく。
「それじゃあ行きましょう」
話を変えるべく提案した私の言葉に、エディとヒナが頷く。
なぜか門番はいないようだったので、私は直接玄関の扉を叩いた。
「……どちら様ですか?」
家の中から出てきたのは、以前何度か会ったことのある、おじ様の奥様だった。
少しやつれて見えるが、おじ様の主人であるお父様があんなことになったのだから、関係する人たちにも負担があるのは当然だろう。
そんな中、さらに負担をかけてしまうのを心の中でお詫びしつつ、私は返事をする。
「レナです」
フードを取った私の顔を見たおじ様の奥様は、目を見開く。
「……まずは中へ」
おじ様の奥様に案内されるがまま、私達三人は家の中に入る。
おじ様の奥様は、獣人であるヒナを見て、少しだけ眉をひそめたが、何も口にはしなかった。
「お掛けください」
おじ様の奥様に促されるまま、私とエディは椅子に腰掛ける。
ヒナは少しだけ躊躇したようだったが、エディに目で促され、ゆっくりと腰掛けた。
「おじ様はいらっしゃいますか?」
早速質問する私に、なぜか一瞬固まった後、おじ様の奥様は返事をする。
「今夜は外に出ていて、戻らない予定となっております」
おば様の答えに、私は対応を考える。
私のことは、既に世間に広まっているはずだ。
おじ様がいないのなら、匿ってもらえないのではないか。
でも、そんな心配は杞憂だったようだ。
「主人が、アレス様同様に、レナ様のことも大切に思っていたのは存じております。大変な状況だというのは理解しておりますので、もしよろしかったら、今晩は当家にご滞在いただき、疲れを癒していただければと思います」
願っても無いおじ様の奥様からの申し出に、私は頭を下げる。
「ありがとうございます。正直助かります。一晩で結構ですので、泊めていただけるとありがたく思います」
そんな私に、おじ様の奥様は微笑みかける。
「一晩と言わず、何日でもどうぞ。まずはハーブティーでも用意いたしましょう」
おじ様の奥様はそう言うと部屋の奥に下がり、しばらくして温かいハーブティーを三杯運んできた。
「ありがたくいただきます」
逃亡してから口にできていなかった温かな飲み物に、気持ちがホッとする。
緊張しているのか、エディとヒナは口をつけていないようだった。
せっかくの好意を受けずに、勿体無いと思ったが、怒るほどのことではないので、そのまま黙っておいた。
そんな私に、おじ様の奥様は質問する。
「男女同じ部屋というのはどうかと思ったのですが、当家には客室が少ないため、申し訳ございませんが皆様同室でよろしかったでしょうか?」
私はチラッとだけエディを見て、目が合いそうになったので慌てて目を逸らす。
「もちろん問題ございません。お心遣い感謝致します」
私の返事を聞いたおじ様の奥様はホッとしたよう笑顔を作る。
「それでは部屋へご案内しましょう」
「はい。ありがとうございます」
おじ様の奥様のご案内で、私達三人は、客室へ案内される。
エディとヒナは何やら小声で話しているようだったが、先頭を歩くおじ様の奥様の横を歩く私の耳までは届かなかった。
何を話しているか気になったが、流石にそこまで聞くのはやり過ぎだと私にも分かったので、聞くのは我慢した。
「それではゆっくりとお休みください」
部屋の前に着くと、おじ様の奥様はそう言って頭を下げ、その場を後にした。
扉を閉めて、私はエディとヒナの方を向く。
「それでは今日はゆっくり休みましょう。この先、しばらくはベッドで眠れないかもしれないか……」
言葉を続けようとする私の口の中へ、エディがいきなり手を突っ込んできた。
ーーなっ?
突然の行動に、私は思考が追いつかない。
次の瞬間、エディの拳が私のお腹にめり込む。
「……うっ」
胃の中のものがこみ上げてきた私は、無様に嘔吐する。
エディの行動が分からない。
なぜこんなことをするのか分からない。
ヒナという仲間ができたから、私はもういらないということか。
カレンを殺させようとした私を、やはり許せなくなったのか。
奴隷契約の魔法は、言葉を発しなければ発動しない。
口に手を突っ込まれた今の状態では、どうすることもできない。
普通の魔法も同様だ。
魔族やエディのように、私は無詠唱で魔法は使えない。
純粋に体に魔力を流して、身体能力を強化しても無駄だろう。
魔力も筋力も、私はエディに劣る。
簡単にねじ伏せられる。
素手の状態で言葉を封じられた時点で私は詰んでいる。
武器か魔法が使えたら、逃げることくらいはできる可能性があったかもしれないが。
エディの目から感情は感じられない。
ーー殺される
私は必死でエディの手を振りほどこうとした。
……無駄だということは理解しながら。
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