第36話 元英雄の娘③
「君の名は?」
村を出てしばらく移動し、少し離れたところで、休憩を取る私たち三人。
まず最初にエディが獣人の少女へ尋ねた。
「……名前はございません。物心ついた時には親はなく、先ほどの村で飼われておりました。村では『獣』や『兎』と呼ばれておりましたので」
獣人にはよくあることだ。
親も同じく別の人間に飼われているのか、親は殺されて、この少女だけ奪われたのだろう。
名前をつけられないことも多い。
名前を付ければ情が湧き、売る時や「使う」時、最悪の場合は殺す時に、阻害要因になる、という理由からだ。
私にとっては、ありふれたなんて事のないことだったが、エディにとってはそうではなかったようだ。
「……そうか」
エディは沈痛な表情になり、黙り込んでしまう。
エディは優しい。
そこも魅力ではあるが、時には優しさが邪魔になることもある。
獣人などとは口を聞きたくなかったが、このままでは話が進まないので、仕方なく私が口を開く。
「その割には言葉はしっかり話せるようだけど。獣のくせして一人前に敬語を使えているし」
獣人の少女は、相変わらず私に対しては敵対的な目を見せるものの、質問自体にはしっかり答える。
「……はい。その方が高く売れるということで、勉強はしっかりさせていただいておりましたから」
その話を聞き、エディの表情は更に辛そうになる。
私はその表情を見ないふりして、話を続ける。
「それで、あなたはこの先どうするの? 私たちは事情があって、あなたみたいなペットを飼っている余裕はないの。どこかで育ててくれる飼い主のあてか、仲間たちの群れはないの?」
獣人の少女は首を横に振る。
「……飼ってくださる方のあてはございません。仲間がどこにいるのかも分かりません。山谷で本物の獣のように暮らすか、身を売って生きるしかないでしょう」
獣人の少女はそう言って俯く。
「まあ、獣は獣らしく、山で暮らすのがいいんじゃないかしら。私たちには関係ないけど。とりあえず私たちは先を急ぐから、ここでお別れね。変態貴族の玩具にならなかっただけ、エディに感謝することね。それじゃあ」
そう言って去ろうとする私を、エディは蔑みの目で見る。
可哀想なこの獣人を見捨てるなということだろう。
「……レナ、待ってくれ。俺はこの子を連れて行ってやりたい。命の危険がある旅だから、この子さえ良ければだが」
獣人の少女を哀れむような目で見ながら、私へ懇願するエディ。
「一度は終わりかけた人生です。私の全てを賭けて、あなたのために尽くしたい。連れて行っていただけるのであれば、たとえ今日死のうとも、後悔はありません。ぜひお願いいたします!」
勝手なことを言う獣人の少女を睨みつつ、私は考える。
エディの気持ちが分からないわけで訳ではない。
捨てられた子猫がいたら、拾ってあげたい気持ちは、私にだってある。
だが、ここは引いてはならない。
「許可できないわ。私たちの目的を忘れたの? 役立たずを連れて歩く余裕はないわ。旅行に行くのとは違うの」
私の言葉に、エディの目が一瞬キラッと輝く。
「……役に立てばいいんだな」
エディの言葉に、私は肩をすくめる。
「獣人は魔力が使えない。だから歴史でも、真っ先に人間に駆逐されたわけだし。まだ、肉食系の動物ならともかく、兎系の獣人は、多少耳が良くて脚力がある以外、役に立たないわ」
図星だからだろう。
獣人の少女は俯く。
そんな少女の手を、エディがそっと掴む。
私の心に黒い気持ちが沸くのを感じたが、なんとか堪えた。
獣人の少女も、いきなりのエディの行動に戸惑っているようだ。
「俺も元々は魔力は使えなかった。でも、ある人のおかげで今は使える。君も、もしかしたら使えるようになるかもしれない方法があるが試す気はあるか? 想像を絶する痛みがあるし、最悪は死ぬかもしれない。そして、必ずしも魔力を使えるようになる保証はない」
「お願いします! 全てをかけると言った言葉に嘘はありません。少しでも役に立つ可能性が上がるのなら、命なんて惜しみません」
エディの申し出に、獣人の少女は、今までで一番大きな声で回答した。
少女の答えに、エディはじっと少女の目を見た後、ゆっくりと頷く。
「それじゃあ、始めるよ」
エディの言葉に、獣人の少女は頷く。
エディは少女の返事を見て、ゆっくりと魔力を流し始める。
エディの体の周辺に黒色の靄が漂い、魔力が可視化される。
そしてその魔力が、ゆっくりと獣人の少女へ流れ出す。
「……うっ」
魔力を解放する禁忌の呪法。
エディが行なっているのは、王国で禁止されている行為だった。
本来、長い時間をかけて徐々に開く魔力回路を、一瞬で開ける代わりに、想像を絶する痛みを伴う悪魔の方法。
あまりの痛みにほとんどの人間が発狂するか死んでしまうという。
そのエディの行為に、私は背筋が凍る。
命を失う程の痛みを与える行為を、平気で提案するエディ。
言葉とは裏腹に、エディは私以上に獣人に対して厳しいのかもしれない。
苦悶の表情を浮かべる獣人の少女。
そんな少女を見ても、一切魔力を緩めないエディ。
少女の顔は苦悶という言葉を通り越して、今にも死に絶えそうなものになる。
「エ、エディ。流石に殺すのは……」
焦る私をよそに、全く魔力を緩める気配のないエディ。
少女が痙攣しだし、いよいよ死んでしまうのではと思い始めたその時だった。
ーーブワッーー
少女の体から、エディのものではない、膨大な量の魔力が噴き出した。
お父様やエディには及ばないだろうとは思うが、恐らく私以上の魔力。
魔力を使えないはずの獣人から、そんなあり得ない程の量の魔力が吹き出たことに、私は驚きを隠せない。
「……よく頑張ったな」
倒れそうになった獣人の少女の肩を優しく抱きながらエディはそう言った。
「……はい」
息も絶え絶えになりながらそう答える獣人の少女を見て、私はまた黒い感情に支配されていた。
少しの間痛い思いをしただけで、物心ついた頃から努力してきた私より多くの魔力を手に入れたこと。
何よりエディの腕に抱かれ、優しい眼差しを向けられていること。
「……エディから離れなさい」
私の言葉を聞いた二人が、揃ってこちらを見る。
「レナ。俺はこの痛みを知っている。この子は今、死ぬほどの苦痛からやっと解放されたところなんだ。少しは休ませてあげないと」
エディの言葉に、私は首を横に振る。
「獣人が魔力を使えるはずはないわ。きっと獣人のフリをした魔族か、王国の刺客だわ」
私は、話しながらその可能性がないわけではないこと、寧ろその可能性が高いと思い始めていた。
そんな私の言葉にエディの方も首を横に振る。
「疑う気持ちは分かるが、この子は違う」
獣人の少女を庇うエディを、私は睨む。
「何を根拠に?」
私の問いかけに、ゆっくりと答えるエディ。
「俺と同じ目をしていたからだ」
「えっ?」
私は思わず聞き返す。
「レナの常識では、奴隷は魔力を使えるのか?」
「それは……」
使えない。
少なくとも私はそう教わってきた。
魔力が使えるのは人間の中でも優れた血筋の者だけで、貧民や奴隷達、劣った人間は使えないというのが常識だ。
だが、実際はどうだ?
元奴隷だったエディは、人間としてトップクラスの魔力を備えている。
私が殺したエディの母親も、魔力を使えない、普通の人間だった。
仮に父親の方が膨大な魔力を持っていたとしても、片方の親が劣った人間なら、エディもここまでの魔力を備えていないはずだ。
つまり、魔力は血筋が全てではなく、貧民や奴隷達も使える可能性があるということではないか。
彼らが魔力を使えないのは、単に魔力回路が開いていないだけだということではないだろうか。
エディが使った禁忌の呪法を除けば、魔力回路を開くには時間とお金が、かなり必要になる。
もしそれが理由だとすれば、世の中の常識は大きく間違っていることになる。
獣人だって、魔力回路さえ開けば、誰でも魔力を使えるのかもしれない。
「そうだとしても、やっぱり安心はできない。安易に近寄るべきではないわ」
私の言葉に、エディは頭を悩ませているようだった。
本当に、この獣人の少女が、敵でない保証なんてどこにもないからだ。
エディに触れられたことが許せないという、嫉妬心だけではない。
自分にそう言い聞かせながら私は獣人の少女を睨む。
すると、エディの腕の中にいた獣人の少女は、よろめきながらも立ち上がる。
「無理はしないで……」
立ち上がるのを止めようとするエディに、獣人の少女は笑顔を向ける。
「お気遣いありがとうございます。でも、だいぶ落ち着いてまいりましたので」
そう言うと、獣人の少女は私の方を向く。
「私のことを信用できないというあなたの言葉はもっともです。それなら私を奴隷契約の魔法で隷属させてください。そうすれば疑いようがないですよね」
獣人の少女はそう言うと、エディの方を向く。
「私はこれまでの人生で、こんなに人に感謝したことはございません。心からあなたのお役に立ちたいと思いました。そしてさらには、お役に立つための力まで与えていただきました。お側にいるためなら、奴隷にでも何でもなります」
ーーありえない。
この獣人の少女もカレンと同じだ。
魔法契約の下で奴隷になるということは、自分の全てを捨てるに近い行為だ。
主人に死ねと言われたら、本当に死なざるを得ない、そんな契約だ。
なぜそんなにすぐ、自分を差し出せるのだろうか。
「その男は私の奴隷よ。奴隷になるなら私の奴隷になりなさい」
獣人の少女は、私へ敵意丸出しの目線を向ける。
「私が感謝しているのは、この方に対してであり、あなたに対してではございません」
獣人の少女の言葉に、エディも言葉を重ねる。
「俺はお前に逆らえない。それならどちらの奴隷でも同じだろ?」
反逆に関しては確かにそうだ。
でも、カレンの時のように、私だけがこの少女を殺したい時には変わってくる。
ただ、この場でその話をするわけにはいかない。
気に食わなければ殺す、と言っているようなものだ。
仕方なく私は頷く。
「……分かったわ。あなた達、契約魔法を使えないでしょう? 私がかけてあげるわ」
私の提案に、二人は頷く。
そうして、私は二人に奴隷契約の魔法をかけた。
……その際、ある条件を課したことは二人には告げずに。
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