第82話 殺す覚悟


『あなたは――本気で剣を振ったことはありますか?』


 その言葉の意味は、剣とは人を殺す道具だということ。

 エリックの本気とは、人を殺す覚悟を持って剣を振るうということだ。


 私はこのベゴニア王国の兵士だ。

 とても誇り高い職だと自分でも思う。

 兵士になるために、ずっと剣を振ってきたと言っても過言ではない。


 私には才能があった。

 女だとしても、男を超えるほどの剣の実力がついた。それが私の自信となった。


 私に勝てるのは騎士団の中でも団長と副団長ぐらいしかいないと自負していた。


 しかし、私を倒した歳下の男に負けた。

 その男が言うには、私は一度たりとも本気で剣を振るったことがないと。


 人を殺す、覚悟。

 私にはそれが足りない。

 おそらく、団長や副団長もその覚悟を持って剣を振るってきたのだろう。

 もしかしたら、私より弱い人達も本気で剣を振るっていたのかもしれない。


 怖い、人を殺すのが。

 魔物を殺すのは大丈夫、おそらく会話ができないことや見た目が人間とはかけ離れているからだろう。


 人を殺してしまったら、私の中で何かが変わってしまうと恐れてしまっているのだ。


 他の兵士より実力は確実に私の方が上。


 しかし――。


「はっは! 傑作だ! まさか王国の兵士に人も殺せない奴がいるなんてな!」


 こういう時に活躍するのは、私より弱くても覚悟を持っている人だとわかった。


 目の前の男は笑いながら剣を振るってきた。

 それを私は受け止める。

 剣を合わせて拮抗するが、男の方が素の力は強いようで押されてしまう。


「くっ……!」


 男の赤い目が私の焦燥している顔を捉えている。

 先程より笑みを邪悪に深くして、さらに押し込んでくる。


 私の後ろには幼い女の子がいる。これ以上、後ろに下がるわけにはいかない。


 押し込んでくる力を流して、相手の体勢を崩す。

 そして剣を――振るわずに、その無防備な腹に蹴りを入れる。


「ぐはっ……!」


 先程斬りつけた傷が腹にあるので、結構痛むはずだ。

 男は少し下がりながら腹を抑える。

 苦悶の表王を浮かべていたが、すぐに口元はニヤッと笑った。


「はっ、やっぱり剣で攻撃しねえんだな……」

「っ! 黙れ! 私に勝てないとわかっているだろ! さっさとどこかへ行け!」


 剣の切っ先を相手に向けながら私は叫ぶ。

 しかし、相手は何も怖くないという風に笑っている。


「そうだな、普通に戦えば勝てないが、殺し合いなら勝てるぜ。しかも、今はお前には足手纏いがいるだろ?」


 男は私に、いや、後ろにいる女の子の方に手の平を向ける。


「っ!」


 その行為に嫌な予感がして、後ろにいる女の子の方に駆けつける。


「『地面槍グランドランサー』」


 女の子を抱きかかえてそのままの勢いで飛ぶ。

 その瞬間、足に突き抜けるような痛みが走る。


「くっ――!」


 女の子を傷つけないように胸に抱えたまま転がる。


「だ、大丈夫か?」


 転がるのが止まり、抱えていた女の子を見る。


「うん、大丈夫……」

「そうか、良かった」


 女の子を立たせて、髪についた埃などを払う。

 膝立ちで目線を合わせていたが、女の子が私の足を見る。


「お姉ちゃん、足から血が……」

「ああ、大丈夫だ。痛くも痒くも無い」


 ズキズキと痛む足。

 見ていないが、感覚的におそらく左足。

 足首のところに地面から出たものが突き刺さったのだろう。


 立ち上がろうとした瞬間、今まで味わったことないほどの激痛が走った。


「――っ!」


 女の子と顔を合わせている手前、苦痛を顔に出してはいけない。

 しかし、少し出てしまったのだろう。


「お姉ちゃん、大丈夫?」

「っ……ああ、だい、じょうぶだ」


 踏ん張って立ち上がろうとしたが、左足に力が入らずに立ち上がれない。


 しかし、後ろからはもうすでに男が来ていることが気配でわかった。

 膝立ちのまま後ろを向くと、男が大きく振りかぶって剣を振り下ろしてきた。


 咄嗟に下から振り上げるように剣を振るう。


「形勢逆転だな!」


 男は上から潰すように体重をかけて押し込んでくる。


「くっ……!」


 これを流すのは簡単だ。少し剣の向きを変えて横に逸らせばいい。

 しかし、今はそれができない。


 それをしてしまうと、今は次の一手が打てないのだ。

 次の一手が遅れると、すぐ後ろにいる女の子に剣が当たってしまう可能性がある。


 流すのはしてはいけない。

 だが、このまま押し込まれてしまうと負けてしまう。


「さっきやられた、お返しだ!」


 瞬間、男の蹴りが私の腹に入る。


「がっ……!」


 蹴られることがわかり腹に力を入れたが、それでも内蔵に響くような痛みが襲ってくる。


 腹を抑えてうずくまる……こともできない。

 男はまた剣を振り下ろしてきたので、痛みを我慢しながらもう一度受け止める。


「しぶとい奴だ!」


 先程より力を込めて押し込んでくる。

 腹の痛みや体勢の悪さで、腕に力があまり入らない。


 まずい、このままじゃ死ぬ!

 一回流して、体勢を立て直して――。


「お姉ちゃん……!」

「――っ!」


 流そうとした瞬間、後ろから今にも泣きそうな声が聞こえた。


 そうだ、男の剣を流したら女の子に危険が及ぶかもしれない。

 流せない、だがこのままじゃ死ぬ……!


 すると――背中に何か暖かいものが当てられた。

 小さい、とても。

 後ろには女の子しかいない。


「頑張って、お姉ちゃん……!」


 手だ。

 女の子の手が、私の背中に当てられている。


 そうだ、女の子には私しか頼りがないんだ。

 ここで私が負けたら、女の子は死ぬ。

 絶対に、勝たないと。



 こいつに今、勝つためには――本気で剣を振るうしかない。



 男の剣を、流す。

 押し込んでそのまま殺そうとしていたのだろう、男は簡単に体勢を崩してくれる。


 一瞬焦った様子を見せるが、すぐにニヤリと笑みを浮かべる。

 男の剣が流れたすぐ近くに、女の子がいるのだから。


 やらせない。


 私の剣が、男の懐に入っている。そうなるように崩した。


 それに男が気づいた、だがもう遅い。


 ――斬る。


 左脇腹から上に、右肩の辺りまで剣を振り抜く。


「くっそが……殺せるのかよ」


 その言葉を最期に、男の身体は二つへと分離した。


 体勢を崩した勢いで、そのまま私の横に倒れる。

 私が斬った部分から上、そこが身体とは確実に離れている。


 目を開けたまま、男は死んだ。

 私が、殺した。

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