第83話 守るために


「はぁ、はぁ……!」


 腹の痛みが我慢できず、その場でうずくまる。


 少し顔を上げて、自分の剣を見る。

 血がベッタリとついていた。


 この男を殺す前も魔物を殺してきたので、血は少なからずついていた。

 しかしさっきまでついていた魔物の血と、男の血は見分けがついてしまう。


 魔物の血より、少し鮮やかな色をしている。


 人間の血だ。

 今までは訓練などで他の人が流した血や、自分が流した血を見てきた。


 横で倒れている男を見る。


 瞳孔が開いていて、その目は光を捉えていない。

 魔族の特徴的な赤い目のまま、死んでいる。


 男の身体からもおびただしいほどの血が流れている。

 私の足元まで血が届いている。


 剣についた血、そして足元に流れる血を見て私がこの男を殺したという実感が湧いてくる。


 手が震えてくる。

 今まで一度も人を殺したことがなく、殺す覚悟も決まってなかった私が、殺した。


「お姉ちゃん……?」


 その時、後ろから声をかけられて、また背中に暖かい手の平が当たったのを感じる。


 振り向くと、女の子が私を不安げな顔で見つめていた。


「大丈夫? お腹痛いの?」


 私の顔を覗きながらそう言った。


 うずくまっていた私を見て、お腹が痛いと思ったのだろう。

 実際その通りだが、先程より痛みは引いてきて今はそれ以外のことで呆然となっているところだった。


「どこ痛いの? 痛いの飛んでけー、ってしてあげるよ?」


 膝立ちになっている私とほとんど同じ身長のこの子は、私のお腹に手を当ててくる。

 とても優しく暖かい手が、まだ少し痛むお腹を撫でる。


「痛いの痛いの、飛んでけー」


 小さい声で、可愛らしくそう言ってお腹から手を離し、空の方へ痛みを飛ばしてくれた。


「どう? 痛くない?」


 そう言って、可愛らしい笑顔を浮かべた。


 この子は、どこまで理解しているのだろう。

 崩れ落ちてきた家に母親は押し潰されてしまった。

 その後もこの子を守っていた先輩兵士も、おそらく爆発の衝撃で飛んできた破片に貫かれて死んでいた。


 五歳ぐらいの女の子には、到底理解できない状況なのかもしれない。


 だけど、私に向けられたこの笑顔は――この状況でも、いや、こんな惨状だからこそとても綺麗で尊いものだ。


 この子を、この笑顔を、私は守った。


 私は空に向けられたこの子の手を、優しく握る。

 魔族の男に剣を押し切られそうになった時、この手に助けられた。


 守らないといけない、そう思ったんだ。


 私は人を殺した。

 それは覆すことができない事実であり、逃れられない重いものだ。


 だが……この子の笑顔を守るために、殺した。

 そう考えると、男を殺したことに後悔などは全くない。


 殺さないと、守れなかったのだ。


『私もいつか、本気で剣を振るえるだろうか……?』

『……何か、本気で守りたいと思うものがあったら、出来ますよ』


 エリックと話したことを思い出す。


 本気で、守りたいものがあれば剣を本気で振るえる。

 そう答えてくれたエリック。


 その時はわからなかった。

 いつか人を殺さないといけない時がきても、私は本当に人を殺せるのかより一層怖くなった。


 だが、今ならわかる。


 エリックも前に人を殺したと言っていた。

 本気で守りたいものがあって、それを守るために殺したのだろう。


 私も、その覚悟が今できた。


 今からまた私は戦場に行かないといけない。

 その時にはまた人を殺すことがあると思う。


 この子を守るため。

 他にも、この国に住む民のために。

 襲いにきた魔族の奴らを、殺さないといけないんだ。


 それを、この子が教えてくれた。


「お姉ちゃん……どうしたの?」


 私が手を握ったまま動かないから、不思議に思った女の子はそう問いかけてきた。


「いや、なんでもないぞ。ありがとう」

「うん、痛みが無くなって良かった!」


 私のお礼を痛みが飛んだから言ったと思ったのか。

 ちょっと違ったが、まあいいだろう。


「ここは危ないから、安全な場所に行こう」


 今ここには魔物も相手の兵士もいないが、いつ来るかもわからない。


 少し離れたところに、もう一つ住民が集まっている避難所があるはずだ。

 そこがもう襲われていないのを願って、この子を連れて行かないといけない。


「お姉ちゃん、一緒にいてくれる?」


 上目遣いでそう言ってくるが、私は首を横に振った。


「残念だが、私はすぐに仕事に行ってしまう」

「そうなんだ……」

「すまない」


 女の子は悲しそうに顔を俯かせる。

 しかし、すぐに顔を上げる。


「また、会えるよね?」

「っ! ああ、会えるさ。必ず」

「約束しよ?」


 子供らしい、小さな小指が私に向けられる。

 この惨状を一瞬忘れさせるほどの可愛らしい提案に、頬が緩んでしまう。


 私も小指を出して、女の子の指に絡ます。


「指切りげんまん。嘘ついたら針千本のーます。指切った」


 絡ました指をゆらゆらと揺らしながら、女の子はそう歌った。


「約束だよ」

「ああ、約束だ」


 これで、死ねない理由ができたな。

 女の子の約束を破らないためにも、私は戦わないといけない。


 私は立ち上がり、女の子を抱きかかえて行こうとする。


「よし、行こうか――えっ」


 ――脇腹に、鋭い痛みが走った。


 下を向くと、右脇腹から刃が出ていた。


「――っ!!」


 後ろを振り向こうとしたが、無理だった。

 すぐに力が出なくなり、前のめりに倒れてしまう。


 手足が動かない、まるで自分のものではないみたいに。


 地面に倒れてから、すぐに意識が遠のいていく。


 まずい、まずい……!

 気絶、してしまう……!


 意識を、保たないと。


 重い瞼を閉じないようにしたが、無理だった。


「さっきの戦い見てたよ。君みたいな強い人がいたら、魔族側が不利になったちゃうからね。ここで抜けてもらうよ。悪く思わないでね」


 そんな声が、意識を失う前に聞こえた。


 聞こえて、しまった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る