男の子の願い

 彼には願いがあった。

 それは、男として必ず一度は叶えなければいけないはずのものだ。少なくともその彼、ラスナ=アレスターはそう信じている。


 今は、サントからマダラシティへと向かう馬車の中。ガルドへ『風神龍』ルドラの力を借りるための旅は終わりに近づこうとしていた。にも関わらず、ラスナの顔は、これまで見たこともない程に険しい。ラスナに対しては積極的で明るいフィーナでさえも、ただならぬその様子に話しかけられないでいる。

 

 馬車の中で距離も近く、ラスナに聞こえないように話すということも出来ないので、フィーナはライラに目線だけで相談してみた。しかし、ライラも肩をすくめてお手上げといった様子だ。


 今朝、サントの宿屋で目を覚ましてから全員で朝食を摂った際には、別段変わった様子はなかった。夜にはマダラシティにあるヴァレンティアの王宮に到着する、という今日の予定を確認しながら、一瞬だけでもメアリーにデレっとしたことはスノウには内緒にしておいてくれとラスナがフィーナに頼み込むという、いつも通りの和やかな雰囲気の食事だったはずだ。


 それなのにサントを発ち、馬車の中で会話をしたりゲームをしたりしている内にぐんぐんとラスナの表情は険しくなっていく。まるで、最後の最後でマダラシティに何かこの旅一番の難題が待ち受けているかのようだ。


 旅の終わりがすぐそこまで近づき、またラスナと会う機会が減るのかと思うと少しでも会話を楽しみたいフィーナは、思い切って聞いてみることにした。


「ねえお兄ちゃん、ずっと怖い顔してるけど……何かあったの?もしかして私、何か怒らせるようなことしちゃったかな……?」


 おずおずと上目遣いで聞いてくるフィーナに、ようやく自分が場に緊張の糸を垂らしてしまっていることに気づいたラスナは、顔を綻ばせ、隣にいる少女の頭を撫でながら答える。


「ごめんな。ちょっと真剣に考え事しててさ」


 そんなラスナの言葉を聞いて、フィーナも安心したように頬を緩ませた。


「お兄ちゃんがそんな真剣に何かを考えるなんて珍しいね。もし悩みがあるんだったら相談してみてよ」

「あのな、俺だって真面目な考え事くらいするぞ?何でコンビニのトイレはあんな無駄に混むのか、とかな」


 地球、というより日本で実装されたテクノロジーがやや遅れて入り込んでくるマダラシティでは、全自動コンビニ店員ロボなど少しずつ近代化が進んではいるものの、それでもまだまだコンビニに関する人的な問題は山積みだ。


 その例の一つとして数えられるのが「トイレまじで混みすぎ問題」で、これは数あるコンビニの問題の中でも早急に解決が必要とされながらも、未だに解決されていないものの一つと言えるだろう。


 ラスナは自分で問題を投下したにも関わらず、また周囲を差し置いて物思いにふけってしまう。何故、コンビニのトイレはあんなに無駄に混むのか。


 あまりコンビニを利用しない人だと、この話を聞いて「コンビニではなく、家で用を足してくれば済む話ではないのか」などと考えてしまうのかもしれない。しかし、それは早計というものだ。


 コンビニで用を足す人間には、大きく分けて三種類が存在する。


 まず一つは、仕事でなかなか家に帰れない為に、コンビニで用を足さざるを得ないタイプ。例えばトラックの運転手などがこれに当てはまる。


 二つ目は、早急に用を足さなければ下半身がエクスプロージョンしてしまうタイプ。これは、出先で誰もが一度は経験したことがあると思うのでわかりやすいだろう。特に天界では、壁の外の世界に機械など、現代の科学技術で作られたものをポイ捨てすると腹を下すなどの地味だが確実に効果のある天罰をもらうため、地球よりもこのタイプは多く見られる。


 三つ目は、家にトイレがないタイプ。マダラシティではこういった事例はほとんどないが、地球ではたしかに報告されている。


 これらの情報から、自分の家で用を足せばいい、という考えはあまりトイレの激混み問題の解決には繋がらないということがわかっていただけると思う。


 では、どうすればコンビニのトイレは混まなくなるのか。


 混雑の緩和、という点だけに焦点を当てるとするならば、トイレの数を増やすのが手っ取り早いだろう。理想を言えば、全てのコンビニにトイレを5つほど増設してしまいたい。男女兼用や女性専用の割合をどうするかは、その店舗の客層と相談して決めるといいだろう。


 しかし、これには非常に大きな問題が付いてくる。店舗によっては売り場面積よりもトイレの面積の方が大きくなってしまうことだ。特に土地に余裕のないマダラシティではこの実現は難しい……。


 そこまで考えたところで、フィーナがまた心配そうな顔でこちらを見上げていることに気づき、ラスナは頭の中にあるものを少し吐き出してみる。


「なあ、フィーナ……コンビニのトイレはどうやったら混まなくなるのかな?」

「そんなの知らないしどうでもいいよ……悩みはそれだけ?」


 そこで少し迷った末に、ラスナは今日の帰り道の途中からずっと悩んでいた事を女性陣に相談してみようかという考えに思い至った。


「なあ、フィーナとライラにちょっと聞きたいんだけど……」

「なになに?」「何でしょうか?」


 フィーナは好奇心と、ようやく悩みを打ち明けてくれたという嬉しさに目を輝かせている。ライラは相変わらずのポーカーフェイス。


「他人にとっては取るに足らないつまらない事でも、そいつにとってはすごく大事なお願い事を男からされたとしたら……女としてはどう思うのかな?」


 この話を聞いたフィーナは、すぐにラスナの話の具体的な内容を推測した。

 

 わざわざ男と女に分けるということは、ラスナが何かスノウにお願い事をするのだろう。そして、それはラスナにとってはとても大切な事で……。


 そこまで考えて、フィーナは表情を曇らせる。それを知ってか知らずか、先に返答をしたのはライラだ。


「ラスナ殿がお強いのはわかりましたが、さすがに私たちを相手に戦うのは分が悪いのではないですか?」

「何の話だよ」

「スノウ様に性的なお願いをするおつもりなのでしょう?下手をすれば王宮の兵士たちとも一戦交えることになると思いますが」


 ラスナを人とも思わぬライラのいつも通りの毒舌っぷりだが、ラスナの反応はいつもとは違うものだった。


「いや、そんなことはない……んだけどさ……」


 具体的な内容はわからないが、その反応は、フィーナとライラの憶測がいくらか当たっていると思わせるのには充分だ。ライラは呆れ顔になり、フィーナは更に不安げな表情を重ねて、追加の質問をした。


「お姉ちゃんに、どんなお願い事をするの……?」


 日頃妹のように可愛がっている少女のそんな表情を受けて、ラスナは言いにくそうにしながらも、嘘は吐きたくないと言うように、遠回しに真実を話す。


「俺さ、無事風魔法が使えるようになって帰ってきたら、ユキにお願いしようと思っていた事があってさ……」

「そっか……そうなんだ……」


 それ以上聞きたくはないというかのように、そんな返事とも取れぬ言葉でフィーナは会話を途切れさせる。そして少しの間俯いて何事かを考えた後、重い口を開いて言葉を紡いだ。


 ちなみにラスナのセリフは俗に言う死亡フラグというやつに近いフレーズなのだが、それを指摘できる者はラスナを置いて他にはこの場にいなかった。


「どんなお願いでも、お兄ちゃんにとってそれが本当に大事で真剣にお願いされたら、お姉ちゃんに出来ることなら聞いてくれるんじゃないかな……」

「そうか……そうだよな。ありがとう、フィーナ」


 それから馬車の中には重い空気が流れ、車輪が土の上に轍を刻んでいく音と、目を開けたまま眠るボブの寝息だけが響いている。ボブは、サントを出ると早々に眠りつき、今では熟睡モードに入っていた。ちょっとやそっとの騒音では起きることはないだろう。


 馬車がマダラシティに到着すると、一行は郵便屋から連絡を受けて長い事待ってくれていた王家用の車に乗り込む。壁の中に戻ってきて一気に溢れた、スマホの不在着信やSNSの通知を整理する気には誰もなれず、重い空気は依然として続いた。


 やがてその時は訪れた。車が王宮に到着すると、スノウを始めとしてゲイル、ソドムなどがラスナたちを出迎える。無事で怪我一つないラスナたちを見ると、スノウは満面の笑みを浮かべて歩み寄ってきた。


「みんな、お帰りなさい。本当に心配したんだから」


 しかし、ラスナたちを一目見て、少し様子がおかしいことに気づく。ラスナはいつになく真剣な表情をしていて、フィーナは何か不安なことでもあるかのように俯き、顔を強張らせている。


「どうしたの?何かあったの?」


 そこでラスナは一歩前に出てフィーナの前に立ち、これまで見せたことのないような真剣な表情で語り始めた。


「ユキ。俺、無事に帰って来たよ。それでさ、もし風魔法を使えるようになって帰ってきたら、ユキにお願いしようと思ってたことがあるんだ……」


 いつもならラスナと一緒にいると安心感を覚えるスノウも、このときばかりは緊張してしまう。しかし、そのあまりに真剣な表情に、無事に帰って来てくれたんだし、もし私に出来ることなら聞いてあげてもいいかな……。スノウがそう思った矢先に、ラスナの口からその願いが遂に発表された。


「俺にっ……俺に!」


 緊張は最高潮に達し、その場の誰もが固唾を呑む。




「風魔法を使って……スカートめくりをさせて欲しいんだ!!!!」


 爆発系合成魔法の定型魔法モデル、『爆発エクスプロージョン』。炎と水の魔法が使えるようになったらほとんど誰もが覚える初歩的な爆発魔法である。威力が高いわりに発生も早く、燃費が悪いものの非常に使い勝手がいいのが特徴だ。


 今、その『爆発』がラスナの身体を吹き飛ばした。

 ラスナは緩い放物線を描きながら勢いよく後方に飛んで行くと、あらかじめ約束されていた事のように、綺麗に植木の群れに突っ込む。

 『爆発』を放った主は、ラスナの目の前にいたスノウだ。スノウは怒り心頭と言った表情で叫ぶ。


「最低!!もう、本気で心配してたのに……ばかみたい」


 そのままスノウは踵を返して王宮に戻ってしまった。そして、様々な思案を巡らせていたフィーナやライラも、


「お兄ちゃんなんて死んじゃえばーか!!!!」

「ラスナ殿がその様な方だとは……思ってました」


 などと、スノウと似たような様子で次々にラスナに罵倒を浴びせて王宮に入っていく。フィーナは見向きもせず、ライラはゴミを見るような目でラスナを見下ろしながら。


 残されたボブは、同じ男としてラスナの心情を理解してか唯一「ドンマイ」と慰めの言葉を残して去って行った。ソドムは肩をすくめてからため息をついてスノウたちの後を追い、最後に残された実の父ゲイルは、


「ラスナ……本当に成長したんだな……」


 と、わけのわからないところで息子の成長を実感して去って行く。


 マスターの側から離れることのできないクロスは、少し離れたところで浮いたままラスナをじろりと睨んだ。


「何やってんだお前」

「だって、一回くらいやってみたいだろ……スカートめくり」


 ラスナは植木に突っ込んだ体勢のまま、しばらくは色んな意味で起き上がれなかったが、やがて巡回の兵士に王宮から追い出されると、最終のバスで帰宅。しばらくスノウやフィーナからはRINEなど諸々の応答が返ってこなかったという。

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