episode:3【墓前の女】


 幼少期の夏は決まって、朝五時に玄関前集合だった。というのも、祖母が健康オタクで「朝の散歩は体にいいから」と付き合わされたのだ。子供の私からしたら、「そんなのはどうでもいい。まだ寝ていたい」というのが本音ではあったが、眠った街の朝の空気を初めて吸った時、夜更かし した時よりも " 大人 " になった気がして、徐々に朝の散歩が好きになっていった。


 カランコロン……カランコロン……

起きる気配の無い街に下駄の音が二人分響いている。


 祖母との散歩は少し変わっていた。「下駄を履いた方が足腰 強くなるんだ」と、どこで買ってきたのやら、子供用の真新しい下駄を私に差し出した。しかし、躊躇う。今は、大正や昭和の世ではない。お洒落なスニーカーやサンダルなどが歩く、平成の世。その中を カランコロン鳴る下駄が行き来していたら……。田舎とは言え、さすがに恥ずかしい。


 だが、祖母は「下駄を履かない奴は連れていかない」と怒る。気分屋の彼女の機嫌を損ねると後々面倒だ。仕方なしに従い、元気の無い下駄の音を響かせながら、彼女の後ろを歩いた。


 更に散歩コースも変わっている。

近所をぐるりと一周したり、公園に行くわけでは無い。お墓巡りに行くのだ。本宅と親戚宅、それから祖母の友人のお墓へ。


 それぞれのお墓は違う墓地にあり(本宅と友人のお墓は同じ墓地だった)、三箇所巡って お参りし、家に着く頃には大体 朝七時を回っていた。


 何も朝方に行くことは無いのではと思い、日中に お墓巡りはした方がいいのではないかと祖母に言ったのだが、夏の暑さに体が負けてしまうのだと彼女は言った。確かに 七十歳目前でカンカン照りの中を二時間も歩いたら、倒れてしまいそうだ。それに加え、朝方だからこそ人や車の通りが少なく、二時間で帰れるのだと祖母は続けた。


 祖母は運転免許を持っていたのだが、迫る七十歳の壁に事故に遭ってからでは遅いと免許を返納していた。その為、足がない。近場の移動は、もっぱら徒歩。そこで「朝なら交通量も少ない上に暑さすることも無い。よし! 散歩がてら、墓参りに行こう!」という案に至ったようだ。


 墓巡りの道中は河川敷を歩いたり、大通りを歩いたりと、普段通らない道なども通り、知らない世界を旅しているような錯覚を覚えた。RPGの主人公に自分がなった気がして楽しかった。


 散歩をしている方とすれ違う事もあり、どちらからともなく、「おはようございます」と挨拶を交わしたり、「いいお天気ね」と声を掛けられたり、これもまた " 大人 " の仲間入りをしたと嬉しくなったものだ。


 夏の朝の緑溢れる香りをいっぱい吸い込みながら、祖母と歩く誰もいない道。カランコロン鳴る二人分の足音。どれも大人となった今では、儚い思い出の1ページとして胸に刻まれている。


 朝陽が登った頃には、三ヶ所の中でも一番遠い一つ目の墓地に到着し、墓参りを終えていた。次の墓地までは、さほど離れておらず、大凡ではあるが三十分足らずで到着した。


 二つ目の墓地は門をくぐった先に大きな観音様が祀られており、参拝者を見下ろす形で視線が向けられている。とても穏やかな表情をされているのだが、やはり朝方に見ると恐い。動くはずはないと分かっていても墓地に流れている不思議な空気のせいか、動きそうな気配がある。だから、二つ目の墓地は苦手だった。


 三つ目の墓地は我が家から歩いて15分ほどの所にあり、最終目的地。こじんまりとした墓地で、特に目立ったお墓も無く、オーソドックスなお墓が敷地内にずらりと並んでいた。


 三ヶ所目のお参りするお墓へ向かうには、入口から入って正面に進み、二つ目の通路を右手に折れ、突き進んでいかねばならない。両サイドには、ズラリと並んだ お墓の列。前を歩く祖母の服の裾を掴み、足元に視線を落とし、電車ごっこのようにして進んでいった。


 三つの墓地を巡って感じたのは、それぞれの場所で空気……雰囲気が違うということ。墓地特有の不思議な空気は三ヶ所とも漂っているが、一つ目の場所は重くなく、ドライ。変な話、長時間その場に居られる。嫌な空気は一切感じない。


 二つ目の場所も観音様を通り過ぎさえすれば、何じゃなかった。一つ目とは また違ったサラッとした空気が流れている。


 問題は、今いる三つ目。昼間に来ても、朝方に来ても、背中を冷気が通り過ぎていく。日陰という訳でもないのに、何故か肌寒い。苦手所の話ではない。出来れば、近寄りたくない。


 ここに朝方来る時は必ず、祖母の背に身を隠すようにして、お参りする墓前まで誘導してもらった。


 入口の所に柄杓と桶があり、それに水を汲んで、お墓に持っていき、水をかけた。


 乾いた墓石に水が勢いよく流れていく。その様子が自分たちの訪問を歓迎しているように、私の目には映った。


 墓前で目を瞑り、手を合わせていると、今までとは違う嫌な空気を背中が感じ取った。ゾワゾワと体が落ち着かない。早く この場から逃げ出さなければと祖母の背中を叩いた。


「どうしたの?」

「早く帰ろう」

「何で?」

「いいから、早く!!」


 よく分かっていない祖母の手を引き、急いで入口まで歩いていく。


「あんまり急ぐと危ないよ! 墓場と風呂場で転ぶと治りが遅いって昔から言われてるんだから!」

「知らないよ、そんなの! それより、急がなきゃ!!」


朝陽は既に暑さをもたらし始めている。けれども、体の寒さは止まらない。何とかして、入口の外へと出ることが出来た。


「何だって急いだの? 来た時は、あんなに怖がってたのに」

「ばぁちゃんは分からなかったかもしれないけど、嫌な空気がしたんだよ。だから、早く出なきゃと思って」

「気のせいじゃないの?」

「気のせいじゃないよ!」


 ムキになって声を張り上げた時。お寺から住職さんが木の箒を持って、私たちに近づいてきた。お寺の朝は早いようだ。住職さんの顔に眠気は全く見られない。服装はジャージにサンダルとラフではあるが、正装で掃除はやりにくいためだろう。


「おはようございます。お参りですか?」

「おはようございます。はい。日中になると暑いので」


 祖母と軽い挨拶を交わしたあと、住職さんは私にも挨拶をしてくれた。


「……お嬢ちゃん、何か見た?」


 突然住職さんから飛んできた質問。" 何か見た? " とは……。あの墓地には【】いるという事なのか……?


 首を横に振ると、「そう……」と住職さんは眉を八の字にし、微笑んだ。


「あの墓地には何かいるの?」


 今度は、こちらから質問を投げかける。気になることをそのままにはしておけない。


「……私もまだ見ていないんだがね、お参りに来た方の中に見た方がいて、お墓の前に女性が立っていたらしいんだ」

「その方もお参りに来たんじゃないの?」

「うーん。それがどうにも違うみたいなんだ」


 墓前に立っているのだから、当然 墓参りだろう。それ以外に何があると言うのだ?

 頭上にクエスチョンマークを浮かべながら、住職さんの話を聞いた。


「おばあさんは御存知かと思いますが……【 墓荒らし 】のようなんです」

「墓荒らし!? 埋めた遺体を掘り返すって聞いたことがあるけど……。まさか、今は火葬されてるし、遺骨だけで金目の物なんて埋まってないだろ?」

「そうなんですが……。現に見た方もりますし……」


 土葬だった頃は、墓荒らしが多かったそうだ。遺体が入った棺桶に生前大切にしていた物を一緒に埋めたり、地域によっては あの世でお金が無いと困るだろうと幾らかのお金を一緒に埋めたりしたのだと、後に祖母から聞いた。


「もし、不審人物を見かけた際は教えて下さい」

「分かりました」


 住職さんに手を振り、家へと向かって歩き出した。墓地の入口の前を通りかかった時、【 墓荒らし 】について気になり、墓地に目が行っていた。……いや、何かを感じて無意識に見ていたのかもしれない。


 飛び込んで来た光景は、入口近くにあるお地蔵さんの前に立っている女性。横を向いているせいもあるが、腰辺りまで伸びた黒髪が邪魔で顔は伺えない。服装は、白のTシャツにジーパンと当たり障りの無い格好だった。立ち姿は何処にでもいそうな女性なのに、全身を何かが駆け巡る。


 バクン、バクン……

心臓も警報を鳴らす。冷や汗が止まらない。前を歩く祖母との距離がいつの間にか開いている。おかしい。そう思った時には手遅れだった。足が動かない。声も出ない。体が機能を停止した機械のように言うことを聞いてくれない。このままではマズイ……。


 女性がゆっくりと顔をこちら側に向けようとしている。スローモーションで長い髪が揺れ動く。周りの音すら聞こえない。静寂と恐怖が交わる空間に 唯一 聞こえるのは、鳴り響く胸の警報音。


「……早くおいで! 何やってるの!? 置いてくよ!」


 突然、聞こえた祖母の声。と、同時に周りから蝉の声や風の音が聞こえ始めた。


「あれ?」


 地に埋もれたように感じた足は羽が生えたように軽く、思うがままに動いた。……さっきのは何だったんだろう。もう一度、墓地を見た。


 しかし、そこには誰の姿もなかった。


 【 墓荒らし 】の事もあり、祖母に頼んで朝の散歩コースから三ヶ所目の墓地を外してもらった。家から歩いて十五分ほどの所だ。いつでも行ける。祖母一人でも。


 だが、忘れた頃に厄介事はやって来る。

祖母が親戚の和菓子屋さんから饅頭を一箱頂き、その中の二つをお墓に供えてきて欲しいと頼んできたのだ。勿論、断った。即答で。


「行ってくれるなら、お小遣いあげる」


 働けない子供にとって、欲しいものを買う資金を貯めるのは大変だ。あと少しで欲しいゲームソフトが買えるところまで貯まっている。このチャンスを逃すわけには行かない。


「分かった。その代わり、千円ちょうだい」


 饅頭二つが千円に化けた。祖母からしたら痛い出費だ。けれども、彼女には予定があった。どうしても外せない用事。そう、大好きな演歌歌手のコンサート。この日を祖母は待ち望んでいた。渋い顔をしながらも財布から千円札を取り出し、私に手渡した。


 時刻は、夕方の三時半。夏の夕方はまだ昼間のように明るい。だが、あの墓地へ行くのだ。早いに越したことは無い。


 履きなれたスニーカーに足を入れ、ギュッと靴紐を縛り直した。今度は下駄ではない。何かあったら、すぐに走り出せる。


 まだ帰らない太陽の沈む方角へ饅頭を二つ持ち、私は駆け出した。



 墓地は相変わらず、異様な空気が漂っていた。と言っても、まだ中に入れずにいる。入口の近くまで来たものの、恐怖に負けて一歩が踏み出せない。


 カァ……カァ……と不気味にカラスまで鳴いている。こっちまで泣き出しそうだ……。


 饅頭二つ、千円のおつかい。走りやすいようにスニーカーで来たんだ。ダッシュで行って、ダッシュで帰ってこよう。このまま待っていたら、太陽が帰ってしまう。行くなら明るい方がいい。意を決し、足を踏み入れた瞬間。異様な音を耳が捉えた。


 ムシャムシャ……ガサガサ……


 何かを食べる音。コロッケやお惣菜の入ったパックを触った時に鳴るガサガサ音。……鳥などの動物たちではない。直感的にそう思った。


 これは……人間が出している音だ。

割と近い。だが、安易に近づくのも怖い。音を立てぬ様、忍び足で徐々に近づいていく。


 お墓の影に隠れ、そっと覗き見た。


「……ッ!?」


 悲鳴をあげそうになり、両手で口を覆った。何個か先にある墓前で、この間見た女性が四つん這いになり、お供え物を次から次へと口に詰めていく。長い髪の間から頬骨や筋肉が見えている。


 あれは、【ヒト 】なのか?  【ヒト】のなりをした別の生物なのか……?


 分からない。分からないからこそ、目が離せなかった。食事をしていた女性が突然、むくりと立ち上がった。食事を終え、移動するのだろうか。次の場所を探すかのように、しきりに辺りをキョロキョロしている。


「……生肉の臭い……」


 そう聞こえた時には、女性とバッチリ目が合っていた。両頬の骨が見えている。耳の付け根辺りまで口が裂けている。大きな口が笑っている。「獲物を見つけた」と嬉しそうに……。


 悪い夢だと思いたい。お墓に漂う不思議な空気のせいで悪い夢を見ているのだと。だが、現実は迫っている。女性が四つん這いで走ってくる。パニックになり、とりあえず、手にしている饅頭二つを投げ、墓地から逃げ出した。


 その後は覚えていない。気づいた時には、住職さんの心配した顔と見慣れない木の天井が視界にあった。


「……お嬢ちゃんも見たんだね」

「分かりません……。夢かもしれないし……」

「この間 話した【 墓荒らし 】を見た方たちも、お嬢ちゃんと同じように墓地の入口付近で倒れていたんだ」


 倒れていた……、いつから?

分からない。覚えているのは、四つん這いで追い掛けてくる女性の姿。異様なまでに裂けた口。【ヒト】の動きでは無かった。獣のような……だが、実体は分からない。


 恐怖で見た夢だろう。きっとそうだ。倒れたのも、お墓の空気に緊張しての事だ。人は、極度の緊張状態で気を失うこともある。そう思うことにした矢先、住職さんが首を傾げながら何かを正装の懐から取り出した。


「……それと、お嬢ちゃんの周りに食い散らかした饅頭が落ちてたんだけど……あと、この包装紙が二枚」


 突きつけられた饅頭の包装紙。それは紛れもなく、私が投げた饅頭のもの。紙には、シッカリと親戚の和菓子屋さんの名前が印刷されている。


 現実か、はたまた非現実か……。

それ以来、あの墓地には行っていない。墓前に立っていた女性。彼女は今も、そこに立っているのかもしれない……。



墓前の女【完】

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