02-01


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「これからどうすっかぁ」


 パンの最後のひとかけらを口に放りながら、グレンがぼんやりと言った。


 隣では、クローディアがまだマナを食べている最中だった。薄い皮ごとかじると、歯ごたえのある果肉から果汁があふれてくる。噛むたびにシャリシャリと音が鳴るのは新鮮さの証だ。


 人の往来を避け、通りの端に立ったまま軽食をとった二人は、アルミュールに来た当初の目的をいまだ果たせていない。


 リヤン襲撃の報告と、援助の要請。


 敵国の侵攻を報告しなければならないのは当然として、クローディアは両親をリヤン近辺に残してきている。しかし、兵士詰所で門前払いを受けている以上、少なくとも今日の内は町の中心にある重要機関を訪れるのも難しくなっている可能性が高い。


 赤毛の青年とフードで顔を隠した二人組は、人へ特徴を伝えやすすぎる。要注意人物として話が行き渡っているかもしれなかった。


「お母さんなら、神殿の巫女として国に認められているから話を聞いてもらえそうだけど……」


「戻るしかねぇかー」


 ため息と共に、グレンの上半身から力が抜ける。


 今朝、二人は軽い旅支度をしてから神殿を出発し、アルミュールに到着したのが昼前。今からまた神殿まで戻れば、すぐに日没の時間になってしまう。


「うーん……こういう報告って一日くらい遅れてもいいもんなのか?」


「そりゃあ、できるだけ早い方がいいに決まってるよ」


 パニーノの包み紙でマナの芯を包みながら、クローディアは後ろめたそうに呟いた。


 グレンが目をやれば、クローディアの手は包み紙を細かく折っている。うつむいたフードが陰になって表情は見えないが、思いつめた顔をしているのは間違いない。


「やっぱり私が──」


 なにかを言おうとしたクローディアの言葉は、甲高く響いた鐘の音でかき消された。


 見れば、アルミュールを囲む壁の上で鐘が大きく揺れている。その周りには、慌ただしく動く兵士たちの姿があった。


 ぞわぞわと、グレンの背を嫌な予感が這いあがる。鐘の音に驚いて落としたマナの芯を拾おうとするクローディアの腕を掴んで、グレンは町の中心へ向かって走り出した。立ち止まった人々が、遠く壁の上で生じた異常にどよめきを広げている。


「ちょっと、グレン!?」


 脱げかけたフードを押さえながら、クローディアが声をあげる。


「まだなにが起きたか分からないのに──」


「あの音、すげぇ……嫌な感じがするんだよ! うまく言えないけど!」


 なげやりにも聞こえるグレンの言葉に、しかしクローディアは口をつぐんだ。


 グレンの予感を裏付けるように、正面に白と青を基調にした軍服が見えてきた。


 張りあげられた兵士の声が、通りに響く。


「フリーデンの侵攻だ! 市民は中心街、もしくは強度のある建物へ! 急げ!」


 波のように恐怖が人々に伝わっていくのを、グレンは肌で感じとった。先程よりも大きくなったどよめきが耳に飛び込んでくる。


 次の瞬間には、グレンとクローディアは人々の移動に巻き込まれていた。我先に中心街へ向かおうとする群衆にのまれながら、押しつぶされないように足を進める。


 互いに離れないことだけに気を使っていると、グレンたちはいつの間にか建物内に入りこんでいた。誰かが出入り口の扉を閉め、閂をかける音がする。酒場のような広い空間に逃げのびた人々は、不安と緊張で声をひそめて囁きあっている。


「ここ……どのあたりの建物なのかな」


 クローディアも同様に、声量を落としてグレンに問う。人波に押し流される心配はなくなったものの、クローディアはグレンのそばを離れずにいた。


「中心街には入ってねぇような気がするんだけど……どうなんだろ」


 首を傾げつつ、グレンは周囲を見回した。


 すでに、手の届く位置にある窓はすべて目隠し用の雨戸が閉められている。開いているのは高い位置にある窓だけで、昼間だというのに室内は薄暗い。


 とはいえ、酒場のような内装は、重要機関の集まる中心街には似つかわしくないものだった。逃げるのではなく隠れることを選んだ人々が、ここには集まっているらしい。


 外で逃げまどう人の気配が絶えると、遠くに物々しい戦闘音が聞こえてきた。途端に、寄り集まった人々は息をひそめて黙りこむ。かすかな物音さえ許さない緊張感が、暗い屋内に満たされていく。


 居心地悪そうに身じろぎしたクローディアへ、グレンが視線を向ける。


 フードを掴む手に、筋が浮かぶほど力が入っていた。特異な髪と目の色を隠すその行為は、クローディアの保身の感情に繋がっている。


 普通の少女として、人の生活に溶け込むか。


 特異な色をあらわにして、責務を背負うか。


 その狭間でクローディアが思い悩んでいるのを、グレンは幾度も目にしてきた。


「私が、覚悟しないと……リヤンみたいな町が増えちゃうよね」


 ほとんど音にならない声で、クローディアが囁いた。


 そして、その手がフードを離したところで──ミシリ、と建物の柱が軋む。


 重苦しい沈黙を破った不吉な音は急速に存在感を増す。外からの圧を受けているように、屋根と壁が歪んでいく。


 歪みは徐々に大きくなり、屋根の中心──グレンとクローディアの真上に大きな亀裂が入るのを皮切りに、崩壊が始まった。

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