閉ざされし世界の勇者

工藤部長

第1話 危機、そして…

 視界左端、上部にピコンと青っぽい光が明滅する。それを人差し指で軽く触れる――と、言っても、感触があるわけではない。

 その光る“アイコン”と呼ばれるものから、更に幾つかの長方形が並んでいる。その内の一つに赤色で『!』が表示されている。

 それをタップすると――

 ――この度は、採用試験に参加いただきありがとうございました。まことに残念ではありますが、今回は不採用という結論に至りましたことをお知らせします。またの参加お待ちしております。

 またか・・・・・これで何度目だろうか。

 その時、電話のベルが家中に鳴り響く。

 僕は急いで受話器を持ち上がる。

「はい。もしもし」

『ステアか。今すぐ来なさい』

「えっ、あ、ちょっ・・・・・」

 僕の言葉を待つことなく、電話は切れてしまう。

 うぅ・・・・・やだなぁ。きっとまた怒られるんだ。

 だけど、行かなかったら余計に怒られるよね・・・・・

 嫌々ながらも、覚悟を決めて玄関へ向かう。

 一旦、玄関を出てから庭を介して、離へと向かう。

 戸を三回ノックすると、扉の向こうから、入れと指示がある。

「お邪魔、します・・・・・」

「そこに座りなさい」

 指差す先には、薄い座布団が敷かれている。僕は何を言われるんだろうとビクビクしながら支持に従う。

 しかし、座ってからもしばらく、目をつむったまま何も話を始めようとしないので、僕は思わず口を開いてしまう。

「あ、あの、おじいちゃん・・・・・」

「なんじゃ」

「い、いえ、なんでもないです・・・・・」

 すると、おじいちゃんは、はぁとため息を吐く。

「ステアよ。ワシに何か言うことがあるのではないか」

「あ、えーっと、今日はいい天気だね」

「そんなこと知っとるわ!ワシの心はお前のせいで曇り模様じゃがな」

「ご、ごめんなさい・・・・・」

 おじいちゃんは はぁと再び呆れたようにため息を吐く。

「また落ちたんじゃな」

「あはは。ダメだったみたい」

 おじいちゃんの米噛みが一瞬ビクッと動いた気がした。

「あははじゃ無いわ!いい加減諦めて、家を継ごうと思わんのか」

「だ、だって、あんなひたすらカンカンしているだけの仕事なんて、カッコ悪いし嫌だよ。それに・・・・・」

 おじいちゃんは目を細める。僕を見るその視線の鋭さに、一瞬殺されるとさえ感じた。

「それに、おじいちゃんと約束したから」

 沈黙が訪れる。

「そうじゃったな。ワシはこのことに関して何も言わないと約束したんじゃった」

 それは妥協とか諦めじゃなくて、呆れてものも言えないといった風にも感じ取れた。

「もう、いい。さっさと帰って、次に備えるでもするがよい」

 そうつぶやき、おじいちゃんは奥の部屋に姿を消した。



自室に戻った僕は、畳の上にどかっと寝転がる。

 特にやらなければいけないことはない。ただ、ぼーと天井を見つめるだけ。

 目をつむって、これから僕はどうするべきか考える。たぶん、おじちゃんが最後に何も言わなかったのはあの約束があるからちというだけではない。自分で考えろという意味も込められているのだと思う。

 僕が試験に度々落ちる理由はなんだろう。しかし、いくら考えても、自分の全てが悪いんじゃないかと思えてきて、改善点がわからない。

 やっぱり、おじいちゃんが言うように僕には無理なのかな。

「あぁ、どうすればいいんだよぉ」

 と、ゴロンと寝返りを打つと、押入れに目が行く。

 襖を開けて、中からあるものを取り出す。

 これは、僕の先祖が残した『マンガ』と呼ばれるものだ。

 学校で語学や数学を学ぶための教科書は貰うけど、このマンガのようにほとんどのページに絵が描かれているものは、教科書にはない。初めて読んだ時の感動はどう表して良いのか、今でもわからないくらいだ。

 中にはよくわからない内容のものもあるけど、敵やモンスターと戦っているマンガは読んでいて凄くワクワクする。

 このマンガは数年前におじいちゃんから託されたもので、その時おじいちゃんから、

 ――これは先祖が大事にしていたもので、いわば家宝のようなものじゃ。大事に扱うんじゃぞ。

 と、言われた。だけど、おじちゃんはなんでそんな大事なものを僕に託したのだろう。理由はわからないけど、いつかわかる時が来るかもしれないと、汚さないようにと押し入れで保管している。

 マンガは数えきれない程たくさんあって、自分の部屋に運ぶだけでもかなり苦労したのを覚えている。ゆっくりと時間をかけて、全てを読み尽くした。意味のわからない言葉が出て来たらその都度調べたり、それでもわからないものはおじいちゃんに訊いたりもした。それでも、おじいちゃんも知らないことも幾つかあった。

 もっと読みたい。おじいちゃんに、他にはないのかと尋ねても、僕にくれたので全部だと言い切られてしまう。

 本屋に行っても、売っているのは学校で使う教科書やそれよりももっと高度な知識を得るための専門書、あとは主婦たちが娯楽として読む雑誌ばかりだ。僕が持っているマンガは置いていない。

 学校で友だちに訊いても、誰もが知らないと答える。先生でさえも。

 中には興味を示してくれる人もいたけど、やはり訳がわからないとあしらわれるのがオチだ。

 確かに僕の部屋にマンガはあるのに、他の誰も知らないなんておかしい。

 おじいちゃんに問い質すも、そんな暇があったら勉強するなり特訓しろと怒鳴られる始末。



 それから数日が経った夕方。学校から帰って部屋でマンガを読んでいる時だった。

 視界左端に、例の青い光が瞬く。

 この前と同じようにして、メールボックスを開く。

 題名がない新着メールが一件。

 ――先日の採用試験に見事合格されました。下記に詳細がありますので、お読みください。

 えっ、採用試験?この間、落ちたはずじゃ・・・・・

 あれから新しく試験を受けた覚えはない。でも、今こうして合格の通知が来ている。

 メールの下の方を見ていくと、色々と詳細が書かれている。

 ――集合場所や日時。

 明日の十六時か。学校が終わってからなら時間的には大丈夫そう。

 そ、そうだ。おじいちゃんに報告しないと!

 その一心で離へと急ぐ。

「おじいちゃん!!」

 勢い良く扉を開けると、おじいちゃんがびっくりしてこちらを振り向く。

「な、なんじゃ!いきなり」

「おじいちゃん大変。僕、合格したよ!」

「合格?何に合格したんじゃ」

 こいつは何を言ってるのだと言いたげに、訝しげな顔を僕に向けてくる。

「試験だよ。採用試験!」

「・・・・・お主、この間落ちていたではないか」

「で、でもほら」

 おじいちゃんにメールを見せると、

「確かに合格の通知じゃな・・・・・」

 メールをまじまじと確認する。

 一拍置いたおじいちゃんは、じゃがと言って続ける。

「それが偽物という可能性も少なからずあるぞ」

「ど、そういうこと?」

「ほれ、ここを見てみ」

 おじいちゃんが指差すのは集合場所の部分。

「『第一ダンジョン入り口』って書いてるけど・・・・・」

 おじちゃんは、うむと頷く。

「そこに集まって、話を聞いたりするんじゃないの?」

「そうなんじゃが、手続きは協会で行うものじゃ」

「と、いうと?」

「わざわざダンジョンに集合させる意味がわからんのだよ」

「そのまま、特訓をするとかじゃないの?」

 おじいちゃんは、ううんと首を振る。

「ダンジョンに入るには申請が必要じゃ。当然、登録手続きがまだのお主には原則入ることはできんのじゃよ」

 それに、と続ける。

「仮に特訓だとしても勇者になりたての素人同然の者にいきなりダンジョンに潜らせるとは思えんのだ」

 第一ダンジョンは、確か既に勇者たちによって攻略されている。第一というだけあって難易度はかなり低いらしいけど、それでも不慣れな初心者には相当キツい試練になるのは間違いないはず。それを乗り越えてこそ勇者といえるのかも知れないけど、そんな命がけの特訓を行うのかと言われれば疑わしくもなる。

「じゃあ、これは誰かのいたずらってこと?」

「断言は出来んが、限りなく黒に近いと思っていいじゃろな」

「そんな・・・・・やっと、やっと勇者になれると思ったのに」

 すると、おじいちゃんは立ち上がり、僕の傍までやって来ると、僕の肩に手を添えた。

「まあ、まだ偽物だと決まったわけじゃない。ひとまず、行ってみるといい」

「そ、そうだよね。うん」

「じゃが、少しでも異変を感じたら、すぐにその場から逃げて、帰ってくるのだぞ」

 僕は、うんと頷き、ありがとうと言って離れを出ようとする。

 しかし、おじいちゃんに呼び止められる。

「待たんか」

「な、なに?まだ何かあるの?」

 おじいちゃんは、玄関から向かって右側の襖まで歩いて行く。

 襖を開け、ほれと中を指差す。

 中の様子が見える位置まで移動すると、中に入れと促される。

「早く入らんか」

「う、うん・・・・・」

 恐る恐る入るが、窓が一切なく真っ暗だ。便りとなるのは襖から漏れ入る光のみ。

「その中から、好きなものを選べ」

 そう言うと、おじいちゃんは部屋のあかりを点ける。

 部屋の中にあったのは――

「これって、剣?」

「ああ、そうじゃ」

 片手剣や細剣、大剣だったりと様々な武器が乱雑に置かれている。武器の種類は学校で習っているから、ある程度は見ればわかる。

「まあ、今のステアじゃ持つことすら叶わない代物もあるがな」

 僕は部屋の中の物を一つ一つ手に取り確かめていく。

 その中でも、唯一他とは明らかに違う大剣を見つける。

「この剣はなに?凄く重いし、なんか錆びてるみたいでダサい」

「それは使えんよ。それに持ち歩けんだろ」

「え、でもストレージに入れちゃえば重さなんて関係ないんじゃ?」

「ダンジョンに潜って、レベルが上がれば可能かもしれんが、重量制限があって無理じゃ。そもそれは武器としては登録されておらんから、ストレージなんぞに格納できんよ」

 へーそうなんだ、と相槌を打ちながら、大剣から手を離すと、その剣は姿を消してしまう。

「あれ?剣がなくなっちゃったよ?」

「何を訳のわからんことを・・・・・」

 しかし、僕の言った通り、大剣が見当たらないことをその目で確認したおじいちゃんは、黙り込む。

「・・・・・ステア。ストレージを開いてみろ」

「あ、うん・・・・・」

 言われて、僕はすぐにストレージウィンドウを表示し、おじいちゃんにも見えるようにする。

 おじいちゃんは、まじまじと見つめて、一旦、目を離すと再び目を見開いて凝視する。

「一つ、訊きたいじことがある」

「な、なにかな?おじいちゃん」

 おじいちゃんは、眉間にしわを寄せ、

「なぜ、お主のストレージには教科書や筆記用具が入っておるのだ?」

 そう訊いた。

「へ?」

 全く予想しない問いかけに僕は声が裏返ってしまう。

「入るものなんじゃないの?」

「何を言っておる。この『ストレージ』と呼ばれるものは、武器や防具として登録されたもののみが格納できるんじゃ。学校でも習っただろ」

「そうだっけ・・・・・?」

 今まで、これが僕の中で普通だったから特に疑問には思わなかった。

 おじいちゃんは、はぁとため息を吐く。

「お主はそんなんじゃから、今まで試験にも落ち続けてきたんじゃ」

「だ、だって、学校の授業とか聞いてても、知ってることばかりでつまらないんだもん」

「今、ストレージに関して知らんかったじゃろが!」

 と、怒鳴られる。

「いいかステア。勇者とは何じゃ」

「勇者・・・・・強いこと?」

 おじいちゃんは、うむと頷く。

「広義に見れば、まあ間違いではないだろう。だが、勇者とは何が強いのじゃ」

 僕は考え、黙り込む。

「剣の扱いに長けるものか?それだけではないだろ」

「う、うん・・・・・」

「これは前にも言ったことじゃが、敵に勝つことだけが真に強いと言えるか?」

 僕はおじいちゃんの言葉を頼りに、過去の記憶を探る。

 そう、確かあれは僕が勇者になりたいと宣言して、お許しを貰った時に言われたこと。

「えっと、『技を磨くことは、身を持って自分の強さを実感出来る』だっけ?」

「確かに、ワシはそう言った。だが、それだけではないだろ」

「うん・・・・・」

 更に記憶をたどる。

「『どんなに技を磨いても、戦闘で敗れるものがいる。それは、その人の心が弱いからじゃ』」

「そう。今のお前は、その『心』が弱い」

 僕はおじいちゃんの話を真剣に聴く。

「いかなる戦闘でも一瞬の気の緩みで敗れる。最悪の場合は死ぬことは理解しておいたほうがいい。いくら強くなったとしても、怖じ気付き、動けなくなってしまっては、それだけで死ぬと言っても過言ではない」

「その『心』ってのがよくわからないんだけど・・・・・」

 目を閉じ下を向いたおじいちゃんは、寝てしまったんじゃないかと思うくらいに長い間そうしていた。

「実際にダンジョンで冒険すれば、どうにかなるとでも思っておるじゃろ」

「そ、そこまでは思ってないよ」

「でも、『戦っていれば強くなれる』。そうは思っているじゃろ」

 おじいちゃん言葉に対して、僕は否定できなかった。

「ただ、戦うことは誰にでも出来る。それでいいなら勇者なんていらんのじゃ」

「戦うのは意味のないこと?」

「そうは言わん。むしろ、強くなるには戦うことは必要じゃ。だけど、それはあくまで一つの過程でしかない」

 僕が黙って話を聴いていると、おじいちゃんは話を続ける。

「戦えば確かに強くはなるだろう。それは自信にも繋がり、さらに成長を促すことにもなる。だけど、それは時に己の実力を過信することにもなりかねない。それはやはり、心が弱いから自分の実力以上に力があると思い込むのじゃ」

 おじいちゃんが言いたいことはなんとなくわかるけど、それでも根本となる部分はやあり理解できない。

「思い込みは、油断を産み、結果として死をもたらす」



 翌日、僕は予定よりも一時間程早く家を出た。

 やっと、ようやく、勇者になる第一歩を踏み出せるんだ。そう思うと、いてもたってもいられなくなり、走ってダンジョンまで向かう。

 家から第一ダンジョンまでの道のりはおよそ十分。走る必要は皆無だけど、どうしたって駆け足になるのが止められない。

 数分ほど走っていると、人でごった返す商店通りへとやって来た。

 逸る気持ちを抑え、人とぶつからないように速度を落として早歩き程度にする。

 迂回すればここを通らなくても済むのだけど、なんせものすごく遠回りになってしまうから必然と商店通りを通ることになる。

 色々な人が多種多様に物を買ったりしているが、僕はそれを横目に通り抜けていく。

 人混みを抜け、走り出そうと一歩踏み出した時だった。

 足元の石畳がグラッと揺れた。

 ――ヤバい、倒れる。

 そうわかっていても、時は既に遅くそのまま身体は左に傾いていく。

 為す術なくした僕は目を閉じ、身体が地面にぶつかるのを待った。

 しかし、体感では身体が九十度は左に傾いたはずなのに痛みは一切感じない。

 それもそのはず。僕は地面にぶつかっていなかったのだ。

 目を開けると、辺りは薄暗く周りがはっきりとは見えない。

 それでもなお身体は傾き続け、ついに衝撃が走る。もう何がなんだかわけがわからず、その場の流れに身を任せる他なかった。

 頭が身体よりも下の状態になった僕は、そのまま転がり今度は頭が上になる。そこでどうにか少しだけ冷静になることができ。自分が今滑り台のようなものの上を滑っていることに気付く。

 そのまま滑って行くと、道が途切れ、そのまま真下に落下する。

「いてて・・・・・」

 尻餅をついた僕はお尻をさすりながらゆっくりと立ち上がる。

 自分が落ちた場所を見上げると、崖のようになっていて滑り台状の地面が途中でなくなっているのがわかる。高さがそれほどなかったのが幸いと言うべきか。

「だけど・・・・・」

 独り呟いて、辺りを見渡す。

「ここはどこなんだろ?」

 薄暗く、黒光りしたような岩で辺りは覆われて洞窟のような感じだ。

 それになんだか熱い気もする・・・・・

 落ちてきたことを考えると、やはり地下なのだろうか。

 こういう時ってむやみに動かない方がいいと聞くけど、別に迷子になったわけではないからなぁ。

 そうだ!メールを誰かに送って、助けに来てもらえばいいんだ。

 早速、フレンドリストを開き、その中から一番頼りになりそうな人物を選ぶ。

 適当な文面を打って送信。

 ダイちゃんお願い助けに来て!

 そう願いを込めてみるが、それも虚しく『error』の文字が浮かぶ。

 地下ではメールが送れないと聞いたことはあるけど、やはりここは地下なのだろうか。

 ここが地下であるとするなら、どこかに地上への出口があると思うけど・・・・・

 出口を探すよりも先にもう一つ気がかりなことがある。

 地下──つまりここはダンジョンである可能性が高い。街の中や郊外に無数に存在するダンジョンのほとんどが地下にあるらしく、ダンジョン攻略は少しずつ下に降りていくのが鉄則で、攻略後も来た道を戻らなくてはいけない。ということは、学校で既に習っている。勇者を目指す以上、最低限知っておかなくてはいけない知識の一つでもある。

 ここがダンジョンの中だとして、一番怖いのはモンスターとの遭遇だ。モンスターと戦ったことのない僕が、いきなり出くわしてまともに戦えるとは思えない。

 その前に地上に出るのが一番いいんだけど、どっちが出口かわからない。一箇所、わかるとすればさっき僕が落ちてきた場所だけど、崖をよじ登ろうにも手足をかけるような場所がなくて上手く登れない。ジャンプしてみても、僕の身長では届かないし、仮に届いたとしてもそこからよじ登れるかと言われるとたぶん無理だ。

 このままじゃ状況は変わらないだろうし、帰るのが遅くなればまたおじいちゃんに怒られる。

 それにずっとここにいたからって安全とは限らない。

 ひとまず、この頑丈そうな岩で囲まれた空間を隅々調べてみる。

 すると、岩と岩の間に大きな切れ目を発見する。

 他に道は見つからないし、ここを進む他はなさそう。

 そこを進んでいくと、これまた似たような空間にたどり着く。

 同じようにして次に進めそうな場所を探すが、さっきみたいな切れ目は新たに見つからない。その代わり、岩壁の下の方に穴を見つける。

 人一人がやっと通れそうな程度の大きさしか無く、身体が同級生たちより小さめの僕ならたぶん通ることは可能だろう。

 服が汚れるだろうけど、今はそんなこと気にしている場合じゃない。

 四つん這いになり、穴の中を進んで行く。

 しばらく進むと、途中で道が二手に分かれている。どちらに進むべきか悩んでいると、視界左側に何やらキラリと光るものがあることに気付く。

 左側の道を進み、その光るものを拾い上げる。

 両面に大きく星が模られているコインで、どちらが表か裏かはわからないけど、それぞれの面で星の造形が違う。

 片面は星が盛り上がるように作られているのに対して、その反対側の面は星が凹んだ

ような形をしている。

 よくわからないけど、せっかく拾ったものだし貰っておこう。

 ストレージと呼ばれる武器や防具のしまっておく場所に、このコインも入れておく。

 昨日、おじいちゃんが言っていたように本来は武器や防具しか仕舞うことは出来ないのだけれど、僕のはなぜかそれ以外の物も入ってしまう。

 このストレージに入れてしまうと、入れた物の名称が確認できる。

 基本的にその名称は変えることが出来なくて、おじいちゃんからもらった武器にもちゃんと名前が付けられている。

 唯一例外なのが武器や防具を作成した時で、自動で何かしらの名前が設定されるけど確定するまでは任意で変更が可能らしい。当然、作成後、決定してしまうと別の武器として作り変えたりしない限り変更が出来ない。

 そして、今ストレージに入れたばかりのコインにも名前が付けられている。

 ──二面星

 にめんせい?にめんぼし?どう読むかは定かではないけど、文字の意味からして両面に星が模られているから、そういう名前になったのだろう。

 どちらにしろ名前だけじゃこのコインが何なのかはわからない。他にも何か落ちてないか見渡すが、光るものは見当たらない。

 こっち側は行き止まりみたいで、引き返すしかない。

 さっきの分岐点に戻ってきて、今度は右側を進む。

 そのまま進んでいくと、無事に穴から抜け出すことが出来た。

 それでも、景色は特に変化はなく、相変わらず黒光りする岩壁に覆われた空間だ。

 さらにそこから別の空間に移動すると、どこか遠くの方からわずかに声が聞こえた。

 残念ながら、何を言っているかまでは聞き取れないけど、僕の他にも誰かがいるのは確かだ。もしかすると、僕と同じように地上から落ちてきたのかもしれない。

 この空間に来て声が初めて聞こえたということは、少なくとも僕が今まで辿って来た道を引き返す必要はなさそう。

 もう一つ隣の空間に移動すると、さっきよりも声が大きくなっていて、僕の予測が当たっていたことがわかる。

 だが、その声が聞こえるようになる度に違和感が増す。

 話し声、叫び声。そういったものとは何か違う気がする。強いているなら、雄叫び。

 どうもこれは人間の声ではなさそうだ。

 この閉鎖空間で人間以外にいるとすれば、それはすなわちモンスター。

 やっぱり、引き返してさっきのところで助けを待っている方が良いんじゃないか。

 で、でもダメだ!僕は勇者になるんだろ。これくらいで怖がっていては勇者になれない。

 おじちゃんも言ってたじゃないか。『心』が強くなくてはいけないって。

 今の今まで何も装備していなかったけど、モンスターと出会わなかったのが幸いとしか言いようがない。

 こんな生身の状態でモンスターがいるかもしれない場所に向かうのは自殺行為に等しい。昨日、おじいちゃんからもらった武器と防具をストレージから取り出し、身に付ける。

 まともに戦ったことのない僕にどうにか出来るかなんてわからないけど、やるしかない。

 装備はおじいちゃんのアドバイスで全体的に軽めのものにしている。おじいちゃん曰く、防具はあくまで補助のようなもので防具があるから大丈夫だと思わない方がいいぞ。とのこと。

 つまり、防具あろうとなかろうと攻撃されたら死んでもおかしくないということだ。だったら、防具は軽い方がいいというのは一応、理にかなってはいるような気がする。

 武器は、僕でも比較的容易に扱える片手剣。片手剣は大剣に比べて軽いから扱いやすい分、耐久面では不安なところがある。だから、無闇やたらと振り回せば折れる可能性もあると注意も受けている。

 剣を鞘に収めて背中に担ぎ、別の場所に移動を再開する。

 幾つかの空間を進んでいくと、今までより一回りは大きいであろう場所にたどり着く。雄叫びもかなり大きくなって、すぐ近くにいることが伺える。

 恐る恐るその広間の中を移動し、ちょうど中央付近に差し掛かった時だった。

 何もなかった場所に、光を帯びたホタルのようなものが漂い始めた。

 その次の瞬間、光たちはまるで逃げるかのように上方へと上がって行くと、次第に光は実体を得る。

 そこに出現したのは、飴のような質感を持ちながらもプリンのようにぷるんと震える生物だった。

 そのどこかで見たことがある気がする生物が出現して数秒、そいつの真上にマンガで見るような吹き出しのようなものが現れる。

 目を凝らすと、何か書かれている。

──SLIME

 スライム──これは僕も見たことがある。学校で対モンスター戦の練習として学校で養成されているスライムがいて、生徒はそれと戦う。僕はまだ戦ったことがないけど、学校にいるそれと確かに見た目や形が似ている。

 大きさはここにいるスライムの方がやや大きいか。色も学校のは青っぽい色なのに対して、こいつは赤い。

 マンガでもスライムが出てくる作品があったはずだけど、そこではめちゃくちゃ弱いモンスターとして主人公に一瞬で倒されていた。

 向こうはただそこにいるだけで特に何かをする様子はない。これなら僕でもがんばれば倒せるかもしれない。

 背中の剣を慣れない手つきで引き抜き、両手で握る。

 剣術は学校である程度は習っているけど、今までクラスメイトとの模擬試合はどれも勝ったことがない。だから不安もあるけど、相手は動かないし、武器だって持ってない。こいつならなんとか倒せそうだ。

 剣を構え、少しずつスライムに近づいていく。

 それでも相手は動く気配はない。

 よ、よし。やるぞ。

 はっ!っと、勢い良く上からスライムに叩きつける。

 身体が柔らかいから、あまり切ったという感覚が伝わってこない。

 実際、剣はスライムの身体の途中で停止している。剣によって切れた場所も徐々に塞がっていく。

 慌てて剣をスライムから離し、再び構える。

 今度は、剣の側面を上にし、そのまま横振りでスライムに斬撃を食らわせる。

 今度はさっきよりも切ったという感覚が感じられた。

 切り口からは謎の液体を迸らせている。スライムと同じ赤色をしているが、なんだか血のようで気持ち悪い。

 もう一度、今度はさっきとは逆向きに剣を振るうと、さらに液体を垂れ流す。

 すると、スライムはまるで側面がえぐられたプリンのようにグチャッと形を崩してしまった。

 それから数秒が経つと、耳の奥の方で小さくチャリンと音が響いた。それとほぼ同時に、視界の左端に薄赤い光が明滅した。

 タップすると、ウィンドウが開き文字が浮かぶ。横書きで上から順に、

 ──\198

 ──赤い粘液×1

 ウィンドウを閉じると、先程までスライムがいた場所に何かが落ちている。拾うと、何か小瓶のようなものだ。中には赤い液体のようなものが。

 ストレージに入れてみると、確かにそれは《赤い粘液》と記されていた。ウォレットの方にもお金がちゃんと追加されていた。

 ここに来てようやく、報酬を得たことで本当に倒したんだと実感が湧いてくる。

 この調子なら、案外楽に地上へと戻れるかも。

 そんな考えは、次の瞬間打ち消される。

 ブォーという雄叫びがすぐ近くで聞こえた。

 恐怖が込み上げてくるけど、このまま逃げたとしても地上へと戻るすべおそらくない。助けを待っていたって、いつになるかわからないし、来ない可能性の方が充分に高い。

 何もしなければたぶん死ぬ。なら、何もしないよりは何かをした方がよっぽどましだ。

 スライムを倒した剣を右に携え、中の様子を伺うようにして隣の空間へと足を向ける。

 今いる場所から隣を覗き見ると、ここよりもさらに大きな広間の中央に僕の方に背を向けて、二本足で立つ、少なくとも人間ではない何かが佇まいしていた。

 遠目に見れば人間に見えなくは無いかもしれない。けれど、その身長はあまりにも大きく、僕の身長を軽く二倍以上、下手すれば三倍を越す大きさだった。

 筋骨隆々とした肉体を覆う皮膚はどす黒く、周りの岩とも似たような色をしている。

 あ、あんなデカイのに勝てるわけないよ。武器となりそうなものは持っていないようだけど、なんせあの巨体だ。手で握りつぶされたら、足で踏み潰されたら命はないだろう。

 それでも、やらなくちゃいけないんだ!

 僕が一歩踏み出そうとしたその時、背を向ける巨体が動きを見せた。

 首を左右に一度ずつゆっくりと動かすと、今度は足を持ち上げ、ドスンと地面を揺らす。それを何度か繰り返し、右回りに半回転ほどした。

 ようやく見えたそいつの顔は、豚のような造形をしていて、鼻が特に豚のそれだった。さらに、頭には左右に二本の角が生えている。

 鼻からフンスーと盛大に鼻息を吹き出すと、口元が一瞬笑ったようにも見えた。

 そして、豚顔の頭上にスライムの時と同じような吹き出しが現れた。浮かび上がる文字は、

 ──Mnir de Steik

 ムニル・ド・ステイク?

 ムニルの意味がちょっとわからないけど、後半はステーキと響きが似てるし、もしかしてこいつは焼豚?

 再び鼻息を荒げるムニルは、足を持ち上げゆっくりと一歩、また一歩と前へ進む。

 も、もしかして、気づかれてる?

 逃げたい衝動に駆られるも、さっきやるって決めたんだ!と言い聞かせ、ムニルと対峙する。

 このままここで立ち尽くしていては、いずれこちらにたどり着かれ攻撃される。

 急いでムニルのいる広間に飛び込み、岩壁に沿って右側へと走り、距離を取る。

 僕を目で追うように顔を向けた豚顔は、それに続いて身体もこちらに向ける。

 どうも、スライム程でないにしても動きはかなり鈍いらしい。

 だったら、やることはスライムの時と変わらない。

 ただ、正面から突っ込むのは怖いので、相手の後ろから攻撃をすることにしよう。

 ムニルを中心にして、円を描くように一定の距離を保ちつつ走る。

 後ろに回り込めた僕は、すかさずムニルの足に一撃を食らわす。

 するとムニルは、ブホォと叫びを上げる。

 しばらく同じようにして攻撃を繰り返していると、ムニルの動きに変化が生じた。

 のっさりとしていた動きは、少し機敏になった。

 おまけに、さっきまでは僕がいくら攻撃しても身体を動かすだけで反撃らしいことはしてこなかったのに、ごつい拳で殴りを入れ始めた。

 一撃目はなんとか避けることができた。二発目からが心配だったが、それ以降は動作が単調で、大体のことは予測が出来たから、避けることもさして難しくなかった。

 それが長く続けば、戦いというよりも作業という感じもしてきてちょっと気が緩みそうになるのを、軽く頭を振って意識を元に戻す。

 だが、そんな作業のような戦いも永遠ではなかった。

 さらに動きが機敏となり、それと同時に相手の身体にも変化が訪れた。

 激しく動きまわるムニルに踏み潰されぬよう、広間の端に一時退散し、様子を見守る。

 すると、ムニルの身体に纏う黒光りした皮膚がばらばらと崩れ始めた。

 皮膚の下から現れたのは、なんと全体的に茶色がかった毛だった。

 その様子はまるで、

 ──イノシシ。

  豚だと思っていたそいつは、イノシシだったのだ。

 どこで聞いたかは忘れたけど、イノシシを品種改良したのがブタだったはずだから、あながち間違ってはいない。

 そんなことを考えている間にも、豚改めイノシシは容赦なく襲い掛かってくる。

 早くなった動きに、今まで以上に身の危険を感じながらも、なんとか相手の攻撃を避けていく。

 ムニルの攻撃が外れ、拳が地面に激突する。その時、動きが停まった。

 これはチャンスだと一気に攻撃の体勢に入る。

 一発、相手の腕を斬り付ける。

 硬い皮膚が無くなった分、今までよりはダメージが大きいらしい。

 もう一発お見舞いしてやろうと二発目の攻撃に入ろうとした時、相手は口を大きく開けた。

 一瞬、溜めるように停止し、その後すぐになんと大量の水を吐き出したのだ。

「えっ!?」

 ムニルの傍にいた僕は、逃げようにもその広範囲な攻撃を避け切ることが出来ず、頭から水を被ってしまう。

 溺れるとまではいかなかったが、服が肌に張り付いて動きにくくなる。

 さらに追い打ちをかけるように相手が拳を振り上げる。

 迫り来る拳を避けようにも思ったように身体が動かせず、僕はとっさに剣で攻撃を受け止めた。

 剣を顔の前辺りで構え、剣の側面と相手の拳がぶつかり合う。

 そのまま相手の拳を受け流そうとしたが、濡れた手から剣が滑り落ちてしまった。

 拾おうとするが、相手は休むことを知らない。もう一方の拳を振りかぶり始めたので、拾うことを諦めその場から離れる。

 僕の行動に気付いたムニルは、攻撃の体勢に入っていた拳を引っ込めて僕を追いかけてくる。しかも、両手を地面に付き、四足歩行で走り始めた。

「は、早いっ!!」

 これまでとは桁違いに早くなったヤツは、一気に僕に追いついてしまう。

 相手が立ち停まった時に地面が大きく揺れ、僕は転倒してしまう。

 僕の前で停止すると、再び二本足で立ち、拳を構える。

 手元には剣もない。もうダメだ。

 そう諦めかけた時、ふと昨日のことが頭を過る。

 昨日、おじいちゃんに剣を託された時、片手剣以外にもう一つストレージに収めたままにしてあるものがある。

 そ、そうだ。もう一本あるんだ!

 おじいちゃんは、僕には使えないと言った。だけで、持って構えるくらいなら出来るはずだ。

 震える手を抑えながら、ストレージから例の大剣を取り出す。

 僕はこの剣をダサいと言った。でも、今はなんだか輝いて見える。たぶん、錯覚だろうけど、この剣でならムニルの拳くらい受け止めてくれる。そんな気がした。

 拳が振り下ろされるとほぼ同時に、剣は自体化した。そのまま、剣を地面に突き立てて柄を上にした状態で、側面を相手に向ける。

 剣と拳が触れたか触れないかぐらいのところで、相手の動きがピタリと停まった。

 次の瞬間、ムニルの身体は幾数もの光を撒き散らし、やがて跡形もなくなった。

 僕は、消えゆく光の先に何かを見据えた。

 そこには、一人の女性が立っていた。

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