第十章 秋生の残像
マンションのエントランスを抜けて扉が開くといつも飛び込んでくる残像がある。
秋生が死んだ、あの日の光景――道に流れ出した真っ赤な血と白いシートに包まった物体。
思い出したくないので僕は目を瞑るが、海馬に刻まれた記憶が何度も何度も、あの日の残像を僕に見せる。
秋生の死体が発見されたあたりに時々花束が置かれている。たぶん、秋生のお母さんは供えたのだろう。僕もその側に秋生の好きだった炭酸飲料の缶を置いた。だが、いつの間にか取り払われている。マンションの管理人が片付けたのだろうか。
きっと、マンションの管理者としては、ここが人の死んだ場所だという記憶を、みんなに早く忘れ去って貰いたいのだろうけど……。僕やおばさんにとって『秋生の記憶』は、秋生が死んだからと言って、簡単に消すことなんかできやしない。
秋生のホームページの小説を読むことで、僕は『秋生の記憶』を新たにしている。ああ、秋生はこんなことを考えていたんだ。そうか、秋生はこんなことに興味があったんだなあ――。
そんな風に、僕の中で『秋生の記憶』は今もなお更新されているのだ。
それでも、あの場所だけは見たくない! ナッティーは自縛霊になって秋生は死んだ場所に居るかもしれないと言ったが……僕にはそうは感じられなかった。
道路側に面した通路の奥には自転車置き場がある。通学に自転車を使っている僕は毎日、あの場所を通らなくてはいけないのだ。ツライので目を背けるが、意識とは別に、僕の目はそこに貼りつく。そして、いつも秋生を守ってやれなかった自分の不甲斐なさを嘆いているのだ。
――あの場所に珍しい人が立っていた。
秋生が入っていた『文芸部』の部長で創作仲間だった深野(ふかの)さん――。秋生の遺体が発見された場所をジーッと見つめている。
手に何も持っていないので献花にきたわけではなさそうだ。何をやっているんだろう? 自転車置き場から出てきた僕は、彼の側を通り過ぎると間際に「――ちはっ」と軽く会釈をした。
「あっ! 君は……」
深野さんは驚いたように振り向いた。
「ども、秋生と幼馴染だった福山翼です」
「ああ、確か君のクラスは3-Eだったね」
「秋生は3-Bだからクラスは違うけど、ずっと僕らは親友でした」
薄い眼鏡のフレーム越しに、悲しい目で深野さんは僕を見ていた。
「そうか……じゃあ、君も辛いね」
「……はい」
今さらながら、その言葉に僕はうなだれる。
「僕と村井は創作仲間で文芸部やネットの小説投稿サイトでも作品を発表して、お互いに触発されながら成長してきたのだ。――なのに、彼に死なれて……悲しくて、虚しくて、僕は創作ができなくなってしまった」
深野さんは独りごとのように、僕の方を見ずに一気にしゃべった。
「……その気持ち分かります」
「僕たちは小説家になるのが夢だったのに……」
あの日、火葬場で僕と同じように、秋生のために肩を震わせて嗚咽を漏らしていた、深野さんだから……。僕らは同じ傷を舐め合うようだった。
「なにか、秋生の自殺の原因とか知りませんか?」
僕の知らない秋生を知っている深野さんだから、思い切って聞いてみた。
「自殺の原因? あれは堪えたかも知れないなあ……」
「なんですか?」
「僕らは『のべるリスト』という小説投稿サイトに作品を書いていたんだけど、村井の小説は人気があって、すぐに人気作家ランキングの1位になったんだよ。――それでね、村井の人気がオモシロクない連中がいて、同じサイトの作家たちから嫌がらせを受けていたようなのだ」
「本当ですか?」
「ああ、嫌な書き込みされたり、悪口をミニメールで送ってきたり、自分らのコミュニティの仲間同士で村井の小説のことをこけ落としたりと、かなり陰湿なイジメにあったようだ」
「そうですか……」
やはり秋生は小説投稿サイトでも虐めに合っていたんだ。
もしかしたら、3ちゃんネルの秋生に対する誹謗中傷の掲示板も『のべるリスト』の奴らの仕業かもしれない。
『のべるリスト』のプロフィールに秋生は自分の写真を載せていた。自己紹介文には都立高校の三年生で文芸部所属、血液型AB、10月17日生まれなど公開していた。そのせいで秋生の個人情報がネットに流れてしまった――。
だから、あんな掲示板を挙げられて、いかにも秋生自身を知っている者の仕業のように見せかけたのかもしれない。さすが物書き、そういう悪知恵だけは働くのだ。
なんて卑劣な奴らだ! 同じ趣味の者同士なのに……大勢でひとりを潰そうとするなんて、こんな虐めをするような連中は器の小さい奴らじゃないか。
他人の才能を嫉妬する前に、もっと自分たちも創作に精進しろよ! と、僕はそいつらに怒鳴りつけたくなった。
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