第16話 祠

「さて……」

 すっかり呼吸もおちつき、水分補給も終わった。軽い睡魔が襲ってくるが、深呼吸をして大きく伸びをしてみる。正樹は立ち上がると、ズボンを手で払った。


「あれがオクイ様の祠だね」

 ポツンと佇むそれを指し、正樹が尋ねる。

「えぇ」

 木造のそれは孝太郎の胸ほどの高さで、屋根にはしめ縄の両端が結び付けられている。格子状の扉の奥は暗く、中が見えない。


「開けるわけにもいかないしなぁ」

 孝太郎がおる手前、手荒な真似はできない。ならば聞いてみるしかないだろう。


「なぁ、孝太郎君」

「なんすか?」

 振り返ると、草でもイジっていたのか孝太郎はしゃがんでいた。呼ばれたことに気づくと、手を叩いて土を払う。それをポッケに突っ込むと、正樹の隣まで近づいた。


「この祠、中には何が入っているか知ってるかい?」

「さぁ……。考えたこともなかったっす」

 首を傾げて言う孝太郎は、祠をマジマジと覗き込む。


「開けちまえばいいんじゃないっすか?」

「え?」

 そんな乱暴なことして平気かい? そう言おうとするより前に、孝太郎はもう手を伸ばしていた。格子に指をかけ、ゆっくりと開ける。


 中には、何も入ってはいなかった。


 小さな子供がやっと入れるほどの広さには、何も置かれてはいない。

「おかしい……」

「何がっすか?」

 合点がいかない様子で、孝太郎は正樹を見上げる。


「普通祠っていうのは、御神体が入っているものなんだ。オクイ様って、食べ物の神様だよね?」

「えぇ、まぁ」


 少し疑問は残るものの、大昔に祀られたのならそんなのももあるかと自分を納得させる。正樹は冷めた目をしながら、格子戸を元のとおりに閉めた。


 外周をぐるりと周り、何枚かスマホで写真を取る。写り具合を確認すると、電源を消して尻ポケットに突っ込んだ。


「ありがとう、もう結構だ」

「あーい」

 その返事を聞くと、二人は鳥居の方に足を向ける。坂道を見下ろすと、少し気が重くなってため息をつく。


「降りなきゃしょうがないっすよ」

 孝太郎が励ますように正樹の背中を叩く。それが思いの外強く、グラリと体が傾いた。


 孝太郎は元気なもので、慎重に降りながらも口はよく動く。

「あそこの喫茶店はですねぇ、オレはやっぱ、ホットサンドかなぁ」

 話題は、これから行く商店街の喫茶店の話だ。どんな料理が好きか、またどんな料理が評判なのか。そんなことをとりとめもなく喋る。


「できればガッツリ食べたいね」

「それならナポリタンっすかね。あぁ、でもすげーみんな注文するから、すぐには出てこないかも知れないっすね」

「それは困るな」


 食べ物の話をしたからか、孝太郎の腹がグゥー、と鳴った。それに気づくと、恥ずかしそうに頬を掻く。

「朝飯ちゃんと食ったんすけどねぇ」


 正樹は苦笑すると、その腹もグゥーと鳴る。少し決まりが悪そうに、首に手を当ててみせた。


「早く食いてぇー。座りてぇー」

「あんまり急ぐと、明日が辛いんじゃないかい?」

「筋肉痛もヤダァー」

 駄々っ子のような声を上げ、正樹より少し前を歩いていく。置いていかれては敵わないと、歩く速度を少し早めた。


 少し早く麓に降りると、いま来た道を振り返ってみる。それを辿るように山を見上げると、微かな達成感を感じた。


「たまには山に登ってみるもんだね」

 関東に帰ったら、どこか山に登ってみようか。そんなことすら思い始める。都内の山にしようか、それとも茨城まで足を伸ばそうか。正樹は頭の中で、軽い計画を立てていた。


「じゃあ、明日も登ります?」

「いや、それは遠慮しておくよ」

「はっはっはっ、俺もゴメンですよ」

 豪快な笑いに嫌味なところはなく、清々しささえ覚える。正樹は笑うと、思わず声が漏れた。


「でもあと三十分は頑張ってくださいよ。商店街までまだ歩くんすから」

 気が遠くなりそうなのを引き止め、正樹は頷いてみせる。その顔が面白かったのか、孝太郎はもう一度笑った。


 石尾村は坂が多い。それは凛太郎から聞いてはいたが、正樹はそれを身を持って知ることになった。


 石造りや生け垣の間を縫うように、二人は並んで坂を登る。

「これ、キツくないのかい?」

「キツイっすよ」

 そう答える孝太郎は、少なくとも正樹よりは余裕そうに見える。その脇を、キャスター付きバックを持ったお婆さんがすれ違った。かと思えば、孝太郎に手を振ってくる。


「あぁ、太郎兄」

「その呼び方やめてくれよ」


 

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