マジョとクロウ
筆々
第零話
「う~ん……」
深刻そうな顔をして、満祇(みつるぎ) 来浪(こなみ)は首を傾げ、キャンパスを歩んでいた。
来浪の表情と雰囲気はこのキャンパスの空気とは合致しておらず、通りすがる学生たちの楽しげな声や表情と比べるとひどく場違いな気さえする。
しかし、本来大学というのは、中学高校では学べなかった専門的な知識を得るためであったり、自分が欲しい技術等を学ぶためであったり。と、どう曲解しても声を大にして雑音を響かせ笑う場ではないはずである。
とはいえ、それは来浪が人見知りであるとか、対人に恐怖を抱いているなどという理由で導き出された結論ではない。
こうして、まるで空気のようにキャンパスを進んでいく来浪は、そもそも大学での関係は教師と教え子だけの関係で満足しているのが理由であった。
来浪はそれ以外を全て除外して生活できるのである。
もっとも、それが短所であることは薄々感づいているのだが、今さらそれを覆す気もなく、現在大学2年、残りの時間もただ教え子という役割だけで過ごそうと来浪は決めているのである。
では、何に対して頭を悩ませているのかというと。
教師と教え子の関係には、基本的には2種類の登場人物しかいないのだが、その教師からお叱りを受けたのだ。
いや、ただ叱られただけならば、それは教師と教え子の関係の許容からはみ出してはいない……のだが、その叱られた内容が来浪にはまったく覚えがない。
故に頭を悩ませる。
一体何に対してあの講師は声を荒げたのだろうか、どれだけ頭を捻ってもその答えは出なかった。
「……まぁ、良いか」
一度立ち止まった来浪は小さく息を吐くと頭を振り、再度歩き出す。
すでに終わったこと。叱りを受けたがペナルティーはなく、明日になっても昨日と変わらない平凡が続くであろう。と、早足で帰路へと着く。
来浪は頭の中を切り替えることにした。
大学では専攻している学科以外を考えないのだが、いざキャンパスから外に出ればその頭の中には日常のあらゆることで埋め尽くされる。
まず、朝アパートから出た時、冷蔵庫にどれだけの食糧が残っていただろうか。アパートに戻った後、何かやるべきことはないか。等々である。
来浪は思案顔を浮かべるが、帰ってから確かめても問題はないだろう。と、切り捨てる。
そして、大学の門を抜け、徒歩3分ほどにあるアパート、そこで来浪は暮らしていた。
このアパートの名前は大家にすらよくわかっていないようだが、ここに住んでいた店子は山の頂上にあるこの場所を指し、天辺ハイツという、高台に高台を掛けたような名称で呼んでいたそうである。
さらにはこの天辺ハイツ、大家の両親が戯れにいくつも作ったアパートの1つであり、特に採算を考えていなかったのか、住める人数はなんと2人。
2階建てで、1階部分は全てガレージ。
来浪自身、このアパートに関しては何の不自由もしておらず、むしろ2LDKの部屋は1人では持て余すほどの広さで、何のストレスもなく生活している。
そうして、そんなアパートに帰って来た来浪は階段を上がり、自身が住んでいる部屋の扉を開けようとするのだが。
ふと、部屋の中から人の気配がする。
いや、来浪が他人の気配を読めるなどということはないのだが、中から朝は確かに消したテレビの音が聞こえてきており、それで誰かがいるのだろう。と、推測したのである。
「……勝手に入らないように。と、伝えたはずなんだけどね」
来浪は部屋にある気配に心当たりがあった。
このアパートに越して来てから1年と数か月――最早、その言葉を聞いてもらえないことにも慣れ、部屋に帰って来る度に行なうやり取りを頭の隅に置き、料理の下処理を行なうが如く自然な動作と不機嫌な表情で、今日はどんな言い訳(ストーリー)を聞かせてくれるのか。と、来浪は扉を開けた。
「ただいま戻りました」
玄関からリビングダイニングまでの道のりを、来浪は大きな足音を立てて進んでいき、ドアを開け放った。
すると、部屋の中央程にあるソファーでティーカップを片手に女性がくつろいでいた。
「あら、おかえりなさい。さっき、透視実験をしていて貴方の部屋を覗いていたのだけれど、それが私の記憶からくるものか、もしくは極限の集中からきた幻覚かなんて判断が付かないでしょう? だからこうして確認しに来たのよ」
彼女は言い放つとティーカップに唇を添えたのだが、その表情はどこか勝気で、気品がある――透視実験という言葉が、テレビから聞こえてくる声とシンクロしなければ、その表情に見とれていただろう。と、来浪はため息を吐いた。
「その番組、面白いですか?」
「興味深いわよ」
その番組には、大きくテロップで『双子の透視能力! 互いに見ているものがわかるのか!』と、以前やっていた番組の再放送であった。
「それで? 僕の部屋は透視出来ましたか?」
「駄目ね、ここ1年毎日来ているんだもの、例え透視できていたとしても、私が超常的な能力ではなく極々一般的な記憶からの推測だと判断してしまうわ。でもそうね――」
クスクス。と、声を漏らし、彼女はある一点を指差す。
「ねぇ『カラス』宝物は紙に紛れさせるより、お守りか何かに入れて肌身離さず持っていた方が良いわよ」
「……」
来浪は昨日、持っているより隠した方が良いだろう。と、普段から部屋に張っている履修表の裏に祖父から届いた最期の手紙を張り付けておいたのだが。
キョロキョロと来浪は部屋を見渡し、カメラの痕跡がないかを探った。
「……それは透視ですか『魔女』さん?」
「さぁ、どうだったかしら?」
テレビを見ているわけでもなく、目を閉じているようにも見える魔女――マリア=陽女(ひめ)=モニカが薄い笑みを浮かべていた。
来浪は肩を竦め、どうせ、何を聞いてもまともな答えは返ってこないだろう。と、諦める。そして、それならば。と、きちんと返答があるだろう言葉を放つことにした。
「今日の晩ご飯の希望はありますか?」
「う~ん、そうねぇ……カラスが作る物はなんだって好きよ、でも、ええそうね、昔ながらのオムライスが食べたいわ」
オムライスは現在にも存在する料理であり、昔も今もないと思うのだが。来浪はそんなことを考え、どの程度昔なのかをマリアの表情から推測することにした。
しかし、目に映る彼女の顔は白く美しく、長くしなやかな髪は心を奪いに来る。背丈はそこまで高くはないが、白い肌が黒のゴシックロリータに映えていた。これがマリア=陽女=モニカと知らなかったのなら、例え一時のバグだとしてもお茶に誘うくらいはするだろう。
と、思考を脱線させてしまった来浪は首を横に振り、オムライスについて考える。
「……溶いたタマゴにご飯を混ぜ込んで、お好み焼きみたいに焼いたオムライスですか?」
「違うわ、ケチャップが掛かっている、え~と……お子様ランチにあるような」
あれを昔ながら。というのだろうか? 今では競ったかのように、どれだけ綺麗に作ることが出来るのか。の技術を開発していき、あれこそ最先端を行く料理ではないのだろうか。来浪は冷蔵庫まで移動し、材料を確認する。
「大丈夫よ、タマゴも玉ねぎも、鶏肉だって残っているわ」
来浪は冷蔵庫を開ける手を止めた。
その残っている。は、もちろんこの部屋の冷蔵庫の中身のことだろう。来浪が知っている限りでは、この『お隣さん』は料理もしなければ、食料も買わない。
では何故それを知っているのか。昨日冷蔵庫を見た素振りもなかった。なら、部屋を空けている間に覗いたのだろうか? いや、マリアはまずそんなことをしないだろう。来浪は考え込む。すると、ふとマリアと目が合った。
マリアが「ふふふ」と、笑みを漏らしているのが、来浪は少し癪に思った。だが、どう問いかけてもそれは無意味だろう。
先ほどの透視も、まるで心を見透かしたかのような視線も――彼女が『魔女』だから。で、納得するようにしているのだ。
来浪が彼女のことを魔女と呼んでいるのは何も名前を略しただけではない。
ここに越してきた時、来浪に向かってマリアはそう自己紹介しただけ。
もっとも、魔女らしいことをしているか。と、聞かれればそういうものは見たことはない。隣である彼女の部屋には様々な本と実験道具、自分の血を注射器で取り出し、それを冷蔵庫で冷やしているくらいであるが、ファンタジー世界で言われる魔女とは天と地ほどの差があるだろう。
しかし、彼女はそう名乗ったのである。
真実か偽りかはともかく、来浪は様々な言葉や雰囲気で惑わせてくるマリアを魔女。と、渋々ながら認めているのであった。
「あら、私の顔に何かついていて?」
「綺麗な顔ですよ、これからその綺麗な顔がケチャップで汚れてしまうのかと思うと心苦しい程に」
目を細め、マリアは上品に笑った。
これも見透かされていたのだろうか。と、肩を竦めると来浪は手を洗い、エプロンを掛けた。そして、冷蔵庫から材料を取り出していく。
玉ねぎ、にんじん、ピーマンを細かく刻み、鳥のささみを茹でておき小さくカット。そして、野菜類に火を通し、そこにご飯を入れ――。
と、チキンライスを作り、次はタマゴ……なのだが、それだけでは味気ない。来浪は冷蔵庫に残っていた野菜とベーコンを刻み、お湯にコンソメブロックを入れた鍋に材料を投げ入れた。
そうして料理を作っているとマリアが来浪をジッと見つめていた。
「……顔に何かついていますか?」
「可愛い顔よ。でも、そうね――大学で何があったかはわからないけれど、そこまで引きずるということならば私は静かに聞き手になっていた方が良いわよね?」
「……食事がてら聞いてもらえるだけで嬉しいですよ」
この魔女には敵わないだろう。と、来浪は小さく笑うのであった。
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