10/7:人生は大富豪ってゲーム

 僕という存在は、非常に非常に感化されやすい。映画や小説を読んだりなんかすると、「このネタ別の形で昇華して使えそうだなぁ」とか、

 現在生業としている職業も元々は小説のネタのために始めた仕事なのだけれど、なんやかんやで社員になって一年以上が経つ。食い扶持は必要だからね。仕方ないね。

 ジョーカーを観た。

 そう、バットマンに出てくるバットマンの宿敵――ジョーカーだ。ここ最近で見たバットマン映画といえば、ニンジャバットマン。あれはアクション全振りで活劇として、アニメ映画として傑作の部類に入る。合体合体合体合体合体合体合体ry。

 それはそれとして。


 映画は「面白い」という感想だけが映画たるものじゃない。

 内容的にしんどい、なんて感想がちらほらはあったものの、爽快さが段々と滲み出る感じ、タイトルが出るまでのアバンはクソクソの胸糞だったけれど、段々と主人公のアーサーがババという深淵に墜ちる様は、感情をジョーカー側に寄せたくなる。

 現に、ジョーカーがあることをした時には笑いそうになったし、またあることをしたときには「ざまぁないぜ」と心中で思ったりもした。

 最後には「GJ!!」と親指を立てそうになりました。まる。


「怖い?」「誰しもがジョーカーになる可能性がある?」じゃないんだよな。

「巷で、あなたの隣に座っている薄汚い中年男性や、隣人、しばらく顔を合せなかった中学時代の友人、の中に、実はもうなりかけている人間がいる……」が正解なんだと思う。

「怖い」って感想を投げた連中は、巷で起こった連続殺人事件の犯人や、通り魔、件の放火事件にだって同じ「怖い」を投げるはずなんだ。

 怖い――別にそれも感想だし、映画見た後の第一声が「怖い」なら、「そうかそうか、あんたらはああいう環境に身を置いたことが無いんだな」で一蹴できる、だから「怖い」はぶっちゃけ感想じゃなくって、誰に対しても、もしくは「凶悪なことをした人」に向けられる言葉だ。

 だからスクールカーストの上位にいた人は、この映画を見て心を痛めるだろう。うん、ただ痛めて終わり。怖かった、嫌な感じがした。そんな有り体な感想をまき散らして普通の生活に戻る。

 無敵の人が生まれた場所がゴッサムだったからヴィランになった物語。

 これが自分の中でしっくり来た。

 人生は大富豪っていう名のゲームだ。そう簡単に大富豪と大貧民が入れ替わることは無いし、

 富裕層は貧民の、凡人の気持ちなんて分からないし、貧民は富裕層特有の――

いわゆる「幸せな悩み」「幸せな苦悩」なんて分からないし、理解しようとも思わない。

 社会ってのは、生きやすい人にはとことん生きやすい社会になっていて、生きにくい人にはとことん生きにくい社会になってるんだ。残酷だなぁ……とも思うけれど、

 そういう人を、輩を助長するワケじゃないけれど、誰だって悩みを抱えているワケだけれど、もうちょい優しい世界があればいいよね……。

 誰かの幸福は、誰かの不幸で帳尻合わせがされている――そう思うと人間平等じゃね? って思うけれど、「人の死」を不幸としてカウントするのは、なぁ、なんか違う気がするんだけれど、そこんところはどうなのかなぁ……。

 人間誰しもいつか死ぬんだから、ってのは友人の言葉。

 肉親がほぼほぼいないからその気持ちは分からないさね。分からない。

 家の住所さえ知らない人間を「家族」って呼べるのかね。

 俺は呼びたいくないけど。



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