あーるけー!

アオイヤツ

第1話 日常のおとなりさん


 海を見るのが好きだった。


 舗装された普通の道からすこーしだけ高い場所に登る。そーすると海が見える。海に立ってる白い柱、大きな橋も見える。んで、その向こうに淡路島が見える。

 私の生きてきた神戸の街ではそれが当たり前なのでした、と。


 何の変哲もない通学路。毎日通うその道を反れて、林の方へと歩いてく。するとそこには小高い山の上へと続く細くて暗いハイキングコースが隠れてる。うちの生徒でもほとんどの人が知らない、というか気にしていない様な狭い道。

 高校生にもなるとそんなもんだ。私だって特に興味はない。

 なんでそんなことを考えながら、そのハイキングコースを歩いているのかって?

 なんでだろう。よくわからない。


 しいていうなら……暇だから。


 少し登ると道は横へと伸びていく。黒々としたアスファルトを見下ろしながら狭い道を進む。道の左右、藪のあちこちに紫の花が咲いてて、なんだか甘さと緑臭さの混ざったような匂いがする。

 小高くなっているけれど、間には背の低い木しか生えてなくて、車道が上から丸見えだ。こちらから見えるという事は向こうからも見えるという事。人が通らないといいな、そう思いながら少し足早に進んでいった。


 しばらく行くと斜面にぶつかって、ここからは木で出来た階段を登っていく。そこそこ急な斜面を上がっていくと、すぐにアスファルトが見えなくなった。ここまで登れば簡単には見つかるまい。

 紫の花を眺めつつ、えっちらおっちら階段を進む。ふーっと息を吐くぐらいに上ったあたりで高い平らな場所に出た。

 道のまわりは木に囲まれているけれど、細い木が多いので隙間から向こうの様子がちらほら見える。北っ側には大学のキャンパスとたくさんの人が住んでる団地。南っ側には別の山がある。


 先に進むと、程なく階段はなくなって枯葉の積もった坂道になった。歩く。なだらかーな坂道を4月のぬるい風が吹き抜ける。気持ちいい。

 ところどころに木製のベンチが設置されている。なんか手作り感がすごい、丸太むき出しのイスだ。乱雑だけど愛を感じる。なんとなく。

 更に前に進む。山の向こうに青い空が見えてきた。


 まるい地球のまるい山。

 てっぺんがどこなのかもよくわからないなだらかな山にちいさな案内板が置いてあった。山頂。あ、そうですか。制覇したー。そんなにしんどくもなかったので別に嬉しくはなーい。

 横に設置されてたベンチに座る。誰がしたのかわからないけど南側の木だけが短くカットされていて、白い橋、キラキラした海、そして淡路島が見えていた。背中側の藪の向こうからはドンガドンガブーブーと賑やかな音楽が聞こえてくる。


 これも登山って言っていいのかな。登頂ではあるよね、たぶん。制服着て、指定の靴で、思いつきだけで登ったけど。


 青空が見えて、淡路島が見えて、明石海峡大橋が見えて、瀬戸内海が見える。

 この風景は好き。

 見慣れた風景、見慣れた場所。でも、こんな角度で見られる場所はそんなに多くはないハズ。なんかこう、嬉しさはあるよね。


 んー、ん。背伸びをした。欠伸も出た。少し眠いかもしれない。

 優しい天気と適度な疲労感が混ざり合って、なにかが私を引っ張ってる。

 ドンドンプオオン、よく響く楽器の音がぐるぐると頭の中を回る。


 誰もいない場所で、ひとりぼっち。

 いいじゃんね、たまには。



「もしもーし」

「寝かせておいてあげたらいいじゃない」

「いやいやいや、風邪引いちゃうって」

「それはそうだけど、こういうとこで眠るのって気持ちよさそうじゃない? 私だったら邪魔されたくないと思うもの」

「キクコ、こんなとこで寝るの?」

「私は寝ないわよ」

「寝ないのならなんでそんな話したの」

「アナタはこういった場所でよく寝てるし、起こすと不機嫌になるからだけど」

「睡眠って罪深いよね?」

「同意は出来ないわね」

 眼を開けると、二人のお姉さんが話し合ってた。


 二人とも少し大人っぽいし、服の感じからして大学生っぽい。

 私に声を掛けてくれたのはニット帽をかぶったボブカットのお姉さん。今は後ろを向いているけど。

 その向こうにいる長い黒髪のお姉さんと話をしているっぽい。黒ロングのお姉さんは春色のゆったりとしたカーディガンがとても綺麗だった。


 茶色の髪をふわりと揺らしながらボブのお姉さんが振り向いた。目が合うと、ぱっと笑った。お日様みたいに明るい笑顔だ。

「あ、起きた? おはようおはよう。ねえねえ、キミキミ、こんなところで寝てると風邪引くよ?」

「貴方が言うと説得力ないわね。あら、逆に説得力あるのかしら?」

「キクコはちょっと黙ってなさい」

 不思議な人たちだ。私が瞬きをしている間にも二人だけで話が進んでいく。


「あれ、今何時だっけキクコ。まだ高校は授業中なんじゃない?」

「11時。でも今は春休みだから授業はないわよ」

「あー、春休みってのもあったねぇ」

「私達も春休みよね」

「休講ならなんだって一緒だから、今日が何日とか気にしてなかったわー」

「今年の科目を考えなきゃいけない時期なのよ、一応」

「キクコと同じでいいよ」

「はぁ、相変わらず適当ね」

 まだなにも会話してないけど、なんとなく二人の関係がわかった気がする。


 えーと、と前置きをしてから私は口を開いた。

「起こしてくれてありがとうございます」

 確かにこのままだと風邪を引くところだった。

 春になったとはいえ、じっとしていたらまだまだ寒い。山を登って火照った身体もとっくに冷めていた。

「あ、いやいやいや、気にしなくていいよいいよー」

「単なるお節介だものね」

「それはそうなんだけど、なんかトゲを感じる言い方だなー?」

「そんなことないわ、普通よ普通」

 放っておくといつまでもじゃれあってそうな人たちだ。


「あれ、そういや学校休みなのになんで制服着てるの?」

 唐突に、茶ボブのお姉さんがくるりとこちらを向いた。

「あ、と、部活、です」

「おお、学生さんにはそーいうのもあったか」

「貴方も大学生さんでしょ、一応」

「一応?」

「一応よ、間違ってないわ」

 すぐに話が脱線するなぁ。

 ぽりぽりと頬を掻いて待つ。


「にしても」

 茶ボブのお姉さんがくるりと回る。ちょっと慣れた。

「珍しいところで寝てるね、キミ」

 人差し指をくるくるっと回している。たぶんココで、という意味だと思う。

 空を見上げる。右を見て、左を見る。確かにあんまり人が来る場所じゃなさそう。

「そうですね?」

 なぜか語尾が疑問形になった。

「そうだよ?」

 お姉さんも語尾が疑問形になった。

 そして少し沈黙した。


 ・


 ・・


 ・・・


「そろそろ行くわよ、ミナミ」

 スマホを見ながら、黒ロングのお姉さんが言った。

「あ、うん」

 茶ボブのお姉さんが返事をしながら私を横目で見たので、ぺこりと頭を下げておいた。

「次、どこだっけ」

「向こうに見えてるでしょ。あれが高塚山よ。あの尾根を越えていかないといけないから、そんなにのんびりしてる時間はないわ」

 それを横で聞きながら、私は黒ロングのお姉さんが指さした山を見た。

 今いる場所と同じぐらいの高さの山が、ぐるりと町を囲むように伸びている。そこに山があることは知っていたのに、名前も形も知らなかった山。

 なんだか不思議な気分だ。


 ぽけーっと見ていると、茶ボブのお姉さんと眼があった。

「行く?」

 それだけを言った。

「え?」

「え?」

 黒ロングのお姉さんと私の声が重なった。

 茶ボブのお姉さんはニヤりと笑いながら言い直した。

「一緒に行こうよ」

 その発言の意味もよくわからないまま、私は何故か頷いた。


 理由? 思いつかない。


 しいていうなら……暇だから。


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