第193話 血紫の茨姫 -Bloody fallen-

・1・


 血だまりの中心――無惨な姿で横たわる御影みかげ

 そんな彼女をトレイは血走った目で見下ろしていた。


「はぁ……はぁ……ッ」


 この手で殺してやった。ケイトをこんな体にしたこの悪魔を。

 彼女を治せないのならいっそ――そんな怒りと憎しみに取り憑かれた末に染まった自らの赤い手をトレイは今一度見つめる。相手は何の力も持たないただの人間。外神機フォールギアで纏った鎧装の爪なら肉を裂くのは容易だった。


「お前が、悪いんだ……お前が……ッ!」


 その時、背後からパチパチと手を叩く音が聞こえてきた。


「ッ!?」

「よートレイ、お仕事ご苦労さん」

「……ジョーカー」


 例の特徴的な兎の面を付けていないが、それでもトレイにはその男がジョーカーであるという確信があった。そもそもこの戦場で半ば放し飼いのような扱いをされている二人を気にかけるのは彼くらいのものだろう。


「……フッ、即死か。相変わらずお前はケイトの事になると容赦ないねぇ」


 ジョーカーは倒れている御影みかげの脈を測り終えると、トレイに呆れた表情を向ける。


「ま、それもなんだけどな」

「……どういう、意味だ?」

「おそらく彼女も直前で気付いたはずだ。なんせお前はともかく、ケイトはそもそもカーネイジの適性がない」

「ッ……!?」


 その言葉の意味を理解するよりも先にトレイはジョーカーから距離を取り、眠っているケイトの傍に移動した。

 彼の策略がどんなものであれ、確かなことが一つだけあったから。


「お前……ッ!」

「そう怒るなって。別に俺はお前たちを裏切ったわけじゃない。あの時言ったはずだぜ? 死に方を選ばせてやる、ってな?」


 つまり、ジョーカーにとってケイトがこうなることは初めから想定内だったということだ。どんなに言い繕ったところで、トレイにとってそれは何よりも許し難い裏切りに等しい。


あかの叡智の下僕君とつるむのは正直意外だったが、お前は俺の目論見通りに動いて鳶谷御影とびやみかげを殺してくれた。カーネイジの運用データも集まってまさに一石二鳥ってやつだ」

「何で、僕にそんなことを……その女を殺したかったならお前が自分でやればよかっただろ!!」

『バーカ。そいつじゃ役不足だからわざわざゴミ同然のテメェにらせたんだろうが』

「ッ!?」


 トレイの反論に対し、どこからか瞬時に現れた神凪殺かんなぎあやめが答えた。どうやらホログラム映像のようだ。本物の彼女は別の場所にいる。


神凪殺かんなぎあやめ……」

あやめ様、だろ? たく……こいつもだが、ちっとは飼い主様の機嫌も取れねぇのか、あぁ?』

「いやぁ……俺は結構頑張ってるつもりなんですがね」

『テメェは妙に胡散臭い。可愛げがない』

「アハハ……」


 ボロクソに言われるジョーカー。もはや乾いた笑みを浮かべるしかなかった。

 そんな時、急にトレイ達は背中を刃物でなぞられるような冷たい感覚に襲われた。


「!?」


 どこからか感じる鼓動。それは何度も繰り返され、脈動へと変わる。


『フッ、始まったか』


 まるで心音のようなその奇妙な気配は、先程トレイがその手で命を奪った御影みかげから発せられていた。


「なに、が……」

『クク、そもそもテメェらの実験は例の海上都市と同じ……人為的に魔道士ワーロックを生み出すためのもんだ。失敗続きだったが魔法に関する知見はそれなりにたまってな』


 あやめの実験では魔法発現のトリガーとしてルーンの腕輪を使わない。そもそもあの腕輪は『海上都市イースト・フロート』という特異点だからこそ真価を発揮していたからだ。

 しかしだからと言ってそれを全く再現できないわけでもない。彼女は多種多様な薬物と徹底的な精神改造を被検体に施すことで同様の結果をもたらすことに成功していた。ジョーカー、トレイ、ケイト。今ここにいる三人は程度の違いはあれど、皆その産物だ。


『魔法ってのは要はそいつの心を写し出す鏡だ。そして人間の心は外から作り変えることができる。つまりいじくれるんだよ、ある程度は……『恐怖』ってメスを入れてやることでな』


 アリス覚醒時、御影みかげは彼女の眷属となりその身に魔法の種を宿した。だがそれは今の今まで開花するまでに至っていない。あえてそうなるようにあやめが処置を施したから。

 全てはこの瞬間――トレイという外的要因きっかけによって花開かせるために。


『ハハハハハッ! いいぞ、憎しみで染まっちまえ!!』


 結果、彼が御影みかげに向ける底なしの憎しみ。それをそのまま彼女の心に植え付けた。それは彼女の中の『愛』を『憎しみ』へ書き換える。

 本人が望む望まないに関係なく、人間の心は恐怖で歪むもの。死という最上級の恐怖。そしてその直前まで自分に向けられる明確な憎悪。それら二つによってもたらされる死は鳶谷御影とびやみかげの心を砕き、作り変えるには十分な理由だった。


 ドクン、ドクン――


 ドス黒い憎しみが御影みかげの中で蠢く。それを表すかのように飛び散った鮮血は黒へと染まり、彼女の周囲を漂った。

 次の瞬間、黒き鮮血が棘の生えた蔦へと豹変し、研究所内を侵食し始める。


『魔法が肉体そのものを作り変える先例はあった。吸血姫カーミラ……大昔にそんな突然変異種がいたらしい。あれも見ようによっちゃ人類の先――魔道士ワーロックとは別ベクトルの進化の形だ』

「――――――――――――――ッ」


 血紫の茨姫バイオレット・ソーン


 それが生まれ堕ちた彼女の魔法いま


『ようやくお目覚めね。テメェには吉野ユウトへの切り札として存分に働いてもらうわ。ククク……アハハハハハハハハハハハハハハハハ!!』



・2・


(ッ……何だ、この胸騒ぎ……)


 ユウトはほんの一瞬だけ、得も言われぬ焦燥感に襲われた。

 理由は分からない。そもそも無いのかもしれない。勘と言われればそれまでだが、経験上、この手の悪い勘は外れた試しがない。


(今俺がやるべきことは――)


 エクスピアが用意した超音速ジェットから降下し、ザリクの一撃を間一髪で防いだユウトは改めて自分が降り立った周囲を見渡した。

 そこにいるのは例の魔装状態のザリク。そしてもう一人。


「あれが報告にあった碧眼の魔道士ワーロック……メアリー」


 姿は随分と変わっている。もはや人間という枠を逸脱しているようにさえ見えた。しかし根本の部分で自分と同じような何かをユウトはうっすらと感じ取っていた。


「吉野ユウト!!」


 そんな彼に向かってザリクは喉が張り裂けんばかりの怒声を浴びせる。


「何故……何故お前は生きている!? 私の外理カーマに触れたお前が何故……ッ!!」


 彼女の隻眼はこれ以上ないほどの怒りに満ち溢れていた。だが今のユウトの目に映るのは決してそれだけではない。


「理由なんて俺にも分からないよ。ただあの時……外理カーマに触れた瞬間に見えたものがある。あれは……たぶんお前の過去なんだろ、ザリク?」

「ッ……」


 何もない。

 自分以外、一切の命が存在しない虚無の世界。

 そこで泣き続ける一人の少女の姿を。


「知ったような口を……」


 だがそれは彼女の逆鱗に触れる言葉だ。

 許さない。許されてはならない。


(お前に何が……ッ)


 ただ生きるだけで他の生を喰らい、絶対的な死を撒き散らす災厄。

 それが自分という存在のろい

 何百年と背負い続けてきたその重すぎる十字架が、吉野ユウトというただ一人の例外を今更認めるはずもない。


(お前に、私の何が理解できると言うんだ!!)


 ましてやそれを理解するなどありえない。あっていいはずがない。


「利くなぁぁぁぁぁ!!」


 ザリクは魔装でさらに威力を上げたインドラの光を怒りに任せて無差別に撒き散らした。だが――


真緋の灼牙アル・アサド・ルフス!」


 それら全てはユウトが放った神炎で一掃される。


「何ッ!?」


 蒼眼の魔道士ワーロックとして手に入れた新たな理想。

 生まれ変わったユウトの魔法によって。


「何だ……その力は……」


 以前とはまるで比べ物にならない。魔遺物レムナントすら上回らんとする彼の魔力にザリクは驚愕する。


「悪いけど、今はお前の相手をしてる場合じゃない。俺は御影みかげを助けたいんだ」

「ッ、戯言を……ッ!?」


 新たな三叉槍トリアイナを召喚したザリクだが、上空から迫り来る別の気配に感付く。


「ドーンなのだぁ!!」


 次の瞬間、空から物凄い速度で何かが落下してきた。


「……何だ」

「クックックッ……ガハハハッ! どうだわれのカッコイイ登場シーン! 恐れおののくのだ!!」


 角を生やした魔神の少女――夜禍ヤカは、自信満々の笑みでザリクの前に立つ。


「貴様が噂のマジン? だな? われらと名前が被っている不届き者!」

「邪魔だ!!」

「フンッ!!」


 破壊そのものである星の三叉槍トリアイナが再び投擲される。しかし夜禍ヤカの手のひらから放出された常闇――饕餮とうてつによってそれは丸呑みにされてしまった。


「ッ……!?」

「げっぷ……おぇ……気持ち悪いのだ……」


 何でも喰らい、自分の魔力に変換する夜禍ヤカ饕餮とうてつ。しかしその能力をもってしても、ザリクの一撃は許容量を僅かに超えていた。


「シャルバ! タウル! そいつを殺せ!!」

「御意」

「ハッ、何だか面白そうなガキじゃねぇか!」


 ザリクの命令で姿を現す配下の魔人。しかし彼らの眼前にも新たに別の人影が割って入った。


「おっ?」

「ほう……これはこれは」


 タウルを囲むのは三人の魔神――神深シンシン明娘メイニャン翠蘭スイラン

 そしてシャルバの前には御巫刹那みかなぎせつな橘燕儀たちばなえんぎが立ちはだかった。


「みんな、ここは頼む!」


 ユウトの言葉に、己が相手を定めた仲間たちは同時に応じた。


「待て!!」

「そういうわけだ。パパに代わって貴様の相手はわれがしてやるのだ」

「どこまでも……ッ!」


 遠ざかっていくユウトの背中を睨みつけながら、ザリクは血が滲むほど強く拳を握りしめていた。



・3・


「あとはあの子か」


 ユウトは天使化とも呼ぶべき変化の只中にあるアリスを見据えた。

 相手は自分と同じ特殊個体の魔道士ワーロック。それも深刻な暴走状態にある。さすがにそんな彼女の相手はユウトにしか務まらないだろう。

 そう考えていた矢先だ。


「誰かと思えば隊長サマじゃねぇか」

「ッ……この声、カインか!」


 いきなり近くの大穴から飛び出したのは見慣れないバイクにまたがるカインと、その後ろに座るレイナの姿だった。彼が目の前でバイクをターンさせると、後ろのレイナが我先にとユウトに向かって走ってきた。


「隊長!? ほ、本物です……よね?」


 変身能力を持つジョーカーが潜んでいる以上、どうしても正体の真偽は問わなければならない。それが今まで行方不明だったユウトならなおさら。


「二人とも無事だったのか……よかった……」

「……ったく、心配されんのはアンタの方だろ」

「隊長ーー!!」


 しかし自分より相手の心配が何よりも先に出てくるユウトの場合、二人にとって見極めるのは容易だった。


「いったいどこでバカンスしてやがった?」

「アハハ……まぁその話は長くなるからその内。それよりあっちで刹那せつな達が魔人と応戦してる」


 取り急ぎ、ユウトは地下に潜っていた二人とお互いの情報を交換することにした。


「なるほどな。道理で何人か見ねぇ顔がいるわけだ」

「例に漏れず可愛い女の子ばっかりですね……」

「……ッ、頼りになる、から……」


 久々のレイナの冷めた視線に顔を背けることしかできないユウト。


「つまんねぇ事言ってないで、アンタはさっさと行け」

「!? でも――」


 カインは大剣の切っ先をアリスに向け、ユウトの言葉を遮る。


「ヤツとはちょっとした顔見知りだ。正気に戻す役目は俺らがやる。アンタには他にやるべきことがあんだろ?」

「……ッ、頼んでも、いいんだな?」


 その問いに言葉は不要。

 ただ、二人は力強く頷くだけだ。

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