Epilogue 次なる混沌へ -Jump into the monster's mouth-

「ねぇ、よかったの?」


 燕儀えんぎのその言葉は、何も言わずその場を立ち去ろうとしたリュゼの足を止めた。


「何がだ?」

「こっちとしてはユウト君の力が戻ってありがたい限りだけど、そっちは……」


 そんなに簡単な話ではないはずだ。

 彼女が五星教会ペンタグル・チャーチから与えられた役目はあくまでユウトの監視。一個人の力の枠を途方もなく超越した魔道士ワーロックという存在を教会は人類の脅威に成り得ると見ているのは間違いない。

 故にあの場でリュゼが取った行動は教会の人間として合理的ではなかった。


「本部に戻れば間違いなくこの事は言及されるだろうな。何しろあいつの眷属でなくなったばかりか、封印していた魔力を自ら持ち主に返したんだ。フッ、監視役が聞いて呆れる。あいつの信頼を得るために師匠の真似事を引き受けたのが裏目に出てしまったか」


 リュゼは小さく笑った。情に流されて任務を放棄した。その事実だけなら教会を裏切ったも同然。しかし不思議とその表情に後悔の色は見えなかった。


「だが……いや、よそう」

「……リュゼ」

「あなたもユウト様をお慕いしているのですか?」


 これから起こり得ることを想像して重たい空気が漂う中、真紀那まきながコクリと首を傾げてそんな事を口走った。


「「は……?」」


 あまりに突然のことでリュゼと燕儀えんぎは揃って目を丸くする。


「いえ、その……何となく。すみません」


 自分でもおかしなことを言った自覚が芽生えたのか、彼女は表情を一切変えないまますぐに謝罪する。


「いやいや、いくら何でもこの冷血戦闘狂シスターが恋とかそんなわけ――」

「あぁ、愛しているとも。この世の誰よりもな」

「……今なんて?」


 さも当然のように断言するリュゼ。あまりにも清々しい愛の告白に燕儀えんぎは愕然としていた。


「フフ、今更だろう。いくら任務とはいえ好意を持たない男とベッドを共にしたりしないさ。これでも身持ちは固い方だ」

「……マジで言ってる?」

「失礼なヤツだな。私だって聖職者である前に一人の女だぞ? 人並に快楽に耽るし、男だって求めるさ。まぁ、その手の経験はまだないが」

「なんて生々しい……それよりいつから!? どこまで行ってるの!?」


 食い入るように燕儀えんぎはリュゼに詰め寄る。さっきまでの心配ムードはもうどこかへ消えていた。何なら詰問の返答もブッ飛んでいた。


。2年前、あいつの修行を終えた折にな」

「「な……ッ!?」」


 さすがの真紀那まきなもこれには心底驚いたようだ。顔に出なくても猫耳と尻尾があからさまにピンと張っている。まるで彼女の感情を代弁するかのように。


「フッ、心配せずとも丁重に断られたよ」

「あのユウト君が……女の子を、振った……」


 それはそれで彼女たちにとっては大事件なのだが……。


「やめろ。私をとんでもなく厄介な女みたいな目で見るな……思い出したら少々ムカついてきた。やはり教会へ戻る前に一発殴っておくか」

「待って、それなら何? あの時ユウト君に、その……」

「くちづけか? 無論、私の意思だとも。欲求半分、嫌がらせ半分といったところだよ。魔力を渡すだけなら他に方法はいくらでもある。当然だろう?」

「……」


 何から突っ込むべきか。燕儀えんぎは頭を抱える。


「まぁ私のことはいい。お前たちは自分の心配をするんだな。今回の件を報告すれば監視の任は別の者に移譲されるはずだ。こう言ってはなんだが、滅星アステールの中では私が一番の常識人だぞ?」

「それ、自分で言う?」

「事実だからな。とはいえユウトを見つけた今、目下我々が注視すべきは今の今まで潜んでいたもう一人の特殊個体イレギュラーの件だ」


 アメリカのとある企業が抱える虎の子。碧眼の魔道士ワーロック――メアリー・K・スターライト。

 もう一人の特殊個体イレギュラーとは彼女の事だ。リュゼの口ぶりから察するに、五星教会ペンタグル・チャーチもその存在に気付いたのはつい最近らしい。


「裏に……誰かいる?」


 燕儀えんぎの言葉にリュゼは小さく微笑んだ。どうやら考えていることは同じようだ。

 世界の理から逸脱した魔道士ワーロックという存在は良い意味でも悪い意味でもとにかく目立つ。にもかかわらずこれまで彼女の存在が公になることはなかった。つまり誰かが意図的に隠蔽していたということだ。それもかなり大きな力を持つ人間が。そして今やそれも過去形。隠す必要が無くなったのだとしたら……


「ユウトは……あの国へ向かうだろうな。お前たちが無関係でいられない状況にあるのは理解している」


 ここから先はさらなる苦難の道。万全の準備で待ち構える敵の口の中へ飛び込むようなものだ。普通なら乗るべきではない。


「幸いあの魔神たちはユウトに懐いている。新しい眷属も得た。せいぜい使えるものは何でも使うことだ。そういうのはあいつよりお前の方が適任だろう?」

「人を外道みたいに言わないでくれる?」

「褒めているんだよ。前にも言ったがお前のような人間がユウトには必要だ。あいつは優しすぎる。この私が好意を抱いてしまうほどに」

「……」


 腑に落ちない表情を全く隠さない燕儀えんぎを見てリュゼは微笑する。彼女は首に下げた十字架を握って転移魔術を発動させた。


「話はここまでだ。もう会うことはないだろう」

「ユウト様には何も言わないのですか?」


 真紀那まきながリュゼに尋ねる。彼女は少し考えて、こう返答した。


「……あいつにはお前たちから適当に言っておいてくれ。こういう時に気の利いた言葉が出てこない」

「あの鋼の聖女様が随分乙女になったもんだね」

「フン、何とでも言え」


 最後にそう言い捨て、リュゼ・アークトゥルスの姿は光の中へ消えていった。

 しばらくして、残された二人は互いの顔を見合わせる。


「適当にって……どうする?」

「次のお仕事に向かわれたとお伝えしては?」

「……お、おう」


 あまりに事務的すぎる真紀那まきなの回答に、燕儀えんぎは何とも言えないもどかしさを感じてしまっていた。




第五章 仙境奇譚 梁山泊 -The underground CIRCUS- 完

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