第107話 廻天楽土・黄泉比良坂 -Nowhere else-

・1・


「ふああ……」


 その男は一人、欠伸をしながら胡坐をかいていた。

 主張の強い黄色のフード付きコート。指には派手な指輪をはめ、腰の辺りでジャラジャラと音を鳴らす悪趣味な鎖のアクセサリ。魔人特有の灰色の肌でなければガラの悪い半グレに見られていただろう。


「……あ? チッ、ようやくお帰りかよクソジジイ」


 夜式カグラ――否、今は『ドルジ』と名乗る魔人は同類の気配を察知して悪態を吐きながら立ち上がった。


「よぉ、収穫はどうだったよ? 俺様の情報ネタ、本物だって証明されただろ?」

「……確かに」


 突如発生した空間の裂け目から現れたもう一人の魔人シャルバは小さく頷く。彼は刹那や燕儀たちと違い元いた夢幻せかいが壊れた後、現実の海上都市跡地に弾き出されてしまったようだ。おそらく夢の世界さえ崩壊させる彼の魔遺物レムナント――須佐之男スサノオの権能を伊弉冉いざなみが恐れたからだろう。


「貴様の言葉に偽りはないようだ。それは認めよう」

「ハッ、信用ないねぇ。悲しくなっちまうぜ」


 シャルバは自身の右手の甲に宿る聖刻クレストが強く輝いているのを確認する。その直後、聖刻クレストはその形を一度崩し、より複雑で大きな紋様へと再構築された。


 大聖刻シリウス・クレスト

 それは魔人の体に刻まれた聖刻クレストの次なるフェーズ。主であるザリクの大願――『世界の白紙化』に必要不可欠な純粋なる力の結晶だ。シャルバは今、その一つを手に入れた。


「美しいものだ」


 彼は手のひらを天にかざし、開花したばかりの大聖刻シリウス・クレストを眺める。


「ククク、本来ならそれ一つ作るのにバカみてぇに長ぇ時間を費やす必要があるわけだが……」


 聖刻クレストを進化させるには途方もないほど膨大な魔力が必要となる。生みの親であるザリクの見立てでさえ、各々の聖刻クレストが全て開花するまでにあと1000年は必要だとされている。

 だがドルジが新たに提唱した大聖刻シリウス・クレスト精製方法ぬけみちはその常識を根本から覆した。


「堕天……正直こいつは思わぬ収穫だった」


 ドルジはシャルバの手にある壊れた外神機フォールギアに視線を向けた。天上の叡智グリゴリと繋がりのある彼であれば外神機フォールギアを調達することは容易い。

 この外神機フォールギアによる堕天は魔具アストラを変質させる。それは能力の応用でもなければ隠された別側面でもない。完全に別の何かだ。

 神無月織江かんなづきおりえのラクシャーサ。

 クルト・シュヴァイツァーのアレス。

 実際、いずれも堕天したことで本来その魔具が持ちえない権能を獲得していた。しかし『能力の変質』というこの解釈は実は正確ではない。

 神凪かんなぎ曰く、消費した魔力に応じてを引き出す、というのが正しいらしい。


 ここで重要なのは『外の理』を引き出すという点。

 世界の外側に存在する理――そう、外理カーマだ。もしくは限りなくそれに近しい力。


「さすがに魔遺物レムナントを堕天させるにはそいつじゃ性能不足だが、俺らとしちゃあかえってそっちの方が都合がいい」


 要するに、外神機フォールギアを意図的に暴走させるのだ。

 魔遺物レムナントの強すぎる権能を代償に呼び出された『外の理』はもはや外神機フォールギアの性能程度ではまともに制御することができない。ましてや強者との戦いで臨界点に達した魔遺物レムナントの魔力であればなおさらだ。

 枷を失った力は際限なく膨張し、やがて過重積載オーバーロードする。結果として能力は不発に終わるが、その代わり等価交換の原則を完全に無視した膨大な魔力を聖刻クレストに直接吸収させることができた。

 そもそもその聖刻クレスト自体ザリクが外理カーマの研究を進める過程で生み出した術式だ。同じく外の理を扱う外神機フォールギアとの相性がよかったのも起因しているかもしれない。

 とにかく様々な要因が天文学的確立で重なったことで、1000年という途方もなく長い時間を何億分の1にも短縮することができたわけだ。


「貴様は同じことを伊弉冉いざなみでやったのだな?」

「ご名答! まぁ、その伊弉冉いざなみも今はあの妙な右腕のガキが持ってやがるがな」


 指をパチンと鳴らすドルジ。しかし彼の表情はどこか不満そうだった。


「フム、例の外理カーマ持ちの青年か」

「あー、やっぱ伊弉冉いざなみちゃんが手元にあった方がこっからの計画色々やりやすいか……そろそろ返してもらおうかねぇ、俺様の魔遺物レムナント。やっぱり本来の持ち主が持ってこそ道具は輝くってもんだろ? ククク」


 口元を吊り上げ不気味に嗤う裏切りの眷属は、静かに次なる策略を描き始めようとしていた。


・2・


「恥ずかしながらレイナ・バーンズ、ただいま戻って参りました!」


 ピシッと背筋を伸ばして、レイナはユウトの前で敬礼した。


「アハハ……まぁ、レイナが無事で何よりだよ」

「隊長……」

「人が死に物狂いで戦ってる間、呑気に夢見てただけだけどな」

「うぐ……ッ、今回ばかりは、何も言えない……」


 カインに図星を付かれ、レイナは苦虫を噛み潰したような笑みを浮かべる。


「とにかくこれであとは刹那と燕儀だけだね。まぁあの二人なら心配はいらないと思うけどさ」


 飛角はパチンと両手を合わせ、そう言った。


「出口は神凪滅火かんなぎほろびが用意してくれる。俺たちの役目は伊弉冉いざなみの足止めもしくは撃退。それと伊紗那いさなちゃんとロシャードの魂の回収だ」


 タカオの言葉に皆も一様に頷く。

 だが残された時間はもうほとんどない。あと数時間……いや、一時間。あるいはそれ以下。

 未だ二人を見つけることさえできていないこの状況下では、最悪見捨てるという選択を迫られるだろう。誰もそのことを口にしないが、全員理解していた。


伊弉冉いざなみの相手は俺たちがやる。それでテメェも文句ねぇよな?」

「……あぁ、分かってる」


 カインは少しキツめにユウトに確認した。

 実際、今のユウトは妙な力を持っているとはいえ、暴走するとあってはとても戦力に換算することはできない。ルーンの腕輪を破壊されたタカオも同様だ。


「俺と飛角が前に出る。レイナは残った防衛機構ネフィリムもどきだ」

「さんをつけろ、さんを。まぁ、いいけど」

「うん!」


 飛角とレイナも異論はなかった。誰が見ても現状考えうる限り最善の采配だ。


「あとは——ッ!? 伏せろ!!」


 しかし会議はカインの叫びで突如幕を閉じた。全員、考えるよりも先に体が動く。ユウトはレイナを庇い、タカオはテーブルを倒してバリケードを作った。飛角は龍化から両翼を展開してそんな彼らの盾になる。

 次の瞬間、屋内の全てのガラスが爆ぜる。凄まじい衝撃波がユウト達の隠れていた建物全域を徹底的に蹂躙した。


「今のは……ジャタの魔術か!?」

「ヤバい。みんな外へ出ろ! 崩れるぞ!!」


 飛角が叫ぶ。だがカインが彼女を右手で制した。


「面倒くせぇ!」

「お前何を——」


 カインの右腕が強く発光したその直後、巨大な霊体の腕が建物を垂直に貫く。


「おおおおおおおおおおおおおおお!!」


 そしてそのまま地面からすっぽ抜け、串に刺さった団子のようになった建物を彼は遠方の術者に向かって強引に投擲した。だがさながら散弾の如き無数の瓦礫は敵に着弾するよりも先に全て撃ち落とされてしまった。


「チッ、随分器用なヤツがいるみてぇだな」

「私が行くよ!」


 レイナはユウトから離れ、両足にスレイプニールを展開する。ノーモーションで最高速度に到達した彼女は襲撃者——ジャタの影を目指した。


「……ッ、やっこさんのご登場か」


 タカオが向いた方向を全員が向く。その先には黒より黒い悪意に満ちた瞳でこちらを眺める黒装束の女が音もなく佇んでいた。


伊弉冉いざなみ!!」

「まぁ、まぁまぁ主様。怖い顔をしないでください。そんな顔をされたら…………もっと見たくなってしまいます。うふふ」


 妖しく嗤う彼女が両手をパンッと合わせた次の瞬間、その周囲に黒い沼が複数発生した。その沼は胎動し、隆起し、徐々にその形を変えていく。


「上等だ。今度こそ上下関係をじっくり分からせてやるよ」

「……ッ」


 倒したはずのネフィリム達が次々に黒い沼から再誕する中、飛角はただ一点を見つめていた。


「飛角、どうし——」

「……ャード……」


 ユウトもすぐに気がついた。

 彼女の視線の先、ネフィリム達に混じって見覚えのある姿を捉えたから。


「ロシャード……」


 鋼の体に無二の心を宿したかつての仲間がそこに立っていた。

 黒い泥を身に纏い、赤い殺意まなこをこちらに向けて。


「フフフ、会いたかったのでしょう? 構いませんよ? 存分に殺し合いなさい」

「お前……ッ!!」


 古き神は謳う。


「愛は絶望、堕落は快楽。溺れなさい。ここは妾の夢の世界はらのなか。全ての欲望ねがいが叶う場所」


 これより先は悪夢。いや、そんな人の言葉では生温い。

 全てが溺れ、一つに消える。

 終わりなき快苦の連鎖。

 天国でも地獄でもない原初の海。


 ——廻天楽土かいてんらくど黄泉比良坂よもつひらさか


黄泉夜見の国の主——この黄泉津大神よもつおおかみの領域なのだから」

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