第107話 廻天楽土・黄泉比良坂 -Nowhere else-
・1・
「ふああ……」
その男は一人、欠伸をしながら胡坐をかいていた。
主張の強い黄色のフード付きコート。指には派手な指輪をはめ、腰の辺りでジャラジャラと音を鳴らす悪趣味な鎖のアクセサリ。魔人特有の灰色の肌でなければガラの悪い半グレに見られていただろう。
「……あ? チッ、ようやくお帰りかよクソジジイ」
夜式カグラ――否、今は『ドルジ』と名乗る魔人は同類の気配を察知して悪態を吐きながら立ち上がった。
「よぉ、収穫はどうだったよ? 俺様の
「……確かに」
突如発生した空間の裂け目から現れたもう一人の魔人シャルバは小さく頷く。彼は刹那や燕儀たちと違い元いた
「貴様の言葉に偽りはないようだ。それは認めよう」
「ハッ、信用ないねぇ。悲しくなっちまうぜ」
シャルバは自身の右手の甲に宿る
それは魔人の体に刻まれた
「美しいものだ」
彼は手のひらを天にかざし、開花したばかりの
「ククク、本来ならそれ一つ作るのにバカみてぇに長ぇ時間を費やす必要があるわけだが……」
だがドルジが新たに提唱した
「堕天……正直こいつは思わぬ収穫だった」
ドルジはシャルバの手にある壊れた
この
クルト・シュヴァイツァーのアレス。
実際、いずれも堕天したことで本来その魔具が持ちえない権能を獲得していた。しかし『能力の変質』というこの解釈は実は正確ではない。
ここで重要なのは『外の理』を引き出すという点。
世界の外側に存在する理――そう、
「さすがに
要するに、
枷を失った力は際限なく膨張し、やがて
そもそもその
とにかく様々な要因が天文学的確立で重なったことで、1000年という途方もなく長い時間を何億分の1にも短縮することができたわけだ。
「貴様は同じことを
「ご名答! まぁ、その
指をパチンと鳴らすドルジ。しかし彼の表情はどこか不満そうだった。
「フム、例の
「あー、やっぱ
口元を吊り上げ不気味に嗤う裏切りの眷属は、静かに次なる策略を描き始めようとしていた。
・2・
「恥ずかしながらレイナ・バーンズ、ただいま戻って参りました!」
ピシッと背筋を伸ばして、レイナはユウトの前で敬礼した。
「アハハ……まぁ、レイナが無事で何よりだよ」
「隊長……」
「人が死に物狂いで戦ってる間、呑気に夢見てただけだけどな」
「うぐ……ッ、今回ばかりは、何も言えない……」
カインに図星を付かれ、レイナは苦虫を噛み潰したような笑みを浮かべる。
「とにかくこれであとは刹那と燕儀だけだね。まぁあの二人なら心配はいらないと思うけどさ」
飛角はパチンと両手を合わせ、そう言った。
「出口は
タカオの言葉に皆も一様に頷く。
だが残された時間はもうほとんどない。あと数時間……いや、一時間。あるいはそれ以下。
未だ二人を見つけることさえできていないこの状況下では、最悪見捨てるという選択を迫られるだろう。誰もそのことを口にしないが、全員理解していた。
「
「……あぁ、分かってる」
カインは少しキツめにユウトに確認した。
実際、今のユウトは妙な力を持っているとはいえ、暴走するとあってはとても戦力に換算することはできない。ルーンの腕輪を破壊されたタカオも同様だ。
「俺と飛角が前に出る。レイナは残った
「さんをつけろ、さんを。まぁ、いいけど」
「うん!」
飛角とレイナも異論はなかった。誰が見ても現状考えうる限り最善の采配だ。
「あとは——ッ!? 伏せろ!!」
しかし会議はカインの叫びで突如幕を閉じた。全員、考えるよりも先に体が動く。ユウトはレイナを庇い、タカオはテーブルを倒してバリケードを作った。飛角は龍化から両翼を展開してそんな彼らの盾になる。
次の瞬間、屋内の全てのガラスが爆ぜる。凄まじい衝撃波がユウト達の隠れていた建物全域を徹底的に蹂躙した。
「今のは……ジャタの魔術か!?」
「ヤバい。みんな外へ出ろ! 崩れるぞ!!」
飛角が叫ぶ。だがカインが彼女を右手で制した。
「面倒くせぇ!」
「お前何を——」
カインの右腕が強く発光したその直後、巨大な霊体の腕が建物を垂直に貫く。
「おおおおおおおおおおおおおおお!!」
そしてそのまま地面からすっぽ抜け、串に刺さった団子のようになった建物を彼は遠方の術者に向かって強引に投擲した。だがさながら散弾の如き無数の瓦礫は敵に着弾するよりも先に全て撃ち落とされてしまった。
「チッ、随分器用なヤツがいるみてぇだな」
「私が行くよ!」
レイナはユウトから離れ、両足にスレイプニールを展開する。ノーモーションで最高速度に到達した彼女は襲撃者——ジャタの影を目指した。
「……ッ、やっこさんのご登場か」
タカオが向いた方向を全員が向く。その先には黒より黒い悪意に満ちた瞳でこちらを眺める黒装束の女が音もなく佇んでいた。
「
「まぁ、まぁまぁ主様。怖い顔をしないでください。そんな顔をされたら…………もっと見たくなってしまいます。うふふ」
妖しく嗤う彼女が両手をパンッと合わせた次の瞬間、その周囲に黒い沼が複数発生した。その沼は胎動し、隆起し、徐々にその形を変えていく。
「上等だ。今度こそ上下関係をじっくり分からせてやるよ」
「……ッ」
倒したはずのネフィリム達が次々に黒い沼から再誕する中、飛角はただ一点を見つめていた。
「飛角、どうし——」
「……ャード……」
ユウトもすぐに気がついた。
彼女の視線の先、ネフィリム達に混じって見覚えのある姿を捉えたから。
「ロシャード……」
鋼の体に無二の心を宿したかつての仲間がそこに立っていた。
黒い泥を身に纏い、赤い
「フフフ、会いたかったのでしょう? 構いませんよ? 存分に殺し合いなさい」
「お前……ッ!!」
古き神は謳う。
「愛は絶望、堕落は快楽。溺れなさい。ここは妾の
これより先は悪夢。いや、そんな人の言葉では生温い。
全てが溺れ、一つに消える。
終わりなき快苦の連鎖。
天国でも地獄でもない原初の海。
——
「
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