第79話 生還と代償 -The memories you lost-

・1・


「う……ッ」


 酷い倦怠感の中、意識を取り戻したユウトはまず瞼だけをゆっくり開いた。


「ここは……」


 背中に感じる適度に柔らかな感触。自分がベッドの上で仰向けの状態になっているのは想像に難くなかった。白夜のせいで今が何時なのかは分からないが。


「俺は、確か……」


 死んだ。そう、確かに死んだはずだ。

 魔人ザリクから生じた黒い瘴気――死の外理カーマにほんのわずか触れてしまったがために。

 心臓を冷たい手で優しく握り潰されるようなあの感触。これまで生きてきてあれほどまでに全身が凍りつく感覚は味わったことがない。今もまだあの恐怖は鮮明に覚えている。だからこそ言い切れる。



 と。



「目を覚ましましたか、ユウト」


 黙って天井を見つめていたユウトに何者かが声をかけた。恥ずかしい話だが、名前を呼ばれるまで傍らに人がいるなんて全く気付かなかった。


「……ライラ、か」

「はい。おはようございます……にはまだ少し早いですね」

「みんなは……?」

「大丈夫です。皆、今は交代で休んでもらっています。私の番で目覚めてくれたのは幸運でした。直に朝です。少し、二人でお喋りしましょうか」


 この国の王女――ライラエル・クリシュラ・バベルハイズはクスリと笑うと、それまで座っていた椅子から立ち上がり、ユウトのベッドの縁に腰掛けた。


「そうだ、魔人は!?」

「彼女たちは退きました。ベルヴェルークも無事です」


 体を起こそうとしたユウトの肩をライラは掴んで制止する。そしてゆっくりと、一つずつあの後何があったのかを語り始めた。


 まず最初に国民の半数以上が機械人形オートマタだった件。


 ミュトスの覚醒と同時に国中で無差別に暴れ始めた彼らは、全てカインによって葬られたようだ。幸いだったのは、彼らの基になった人達は生きていたという事だ。全員、王国の土台ともいえる巨大氷河――『絶対結氷ダイアモンド・グレイシア』内に秘密裏に建造された施設で凍結処理されていたという。およそ5年間、彼らはずっとそこで眠りについていたのだ。


 次にミュトスが完全消滅したことについて。


 あの時、核となる部分は剣王機ヴィクトールに組み込まれていたらしく、それも最後のザリクの攻撃で跡形もなく消え去った。救出されたシーレの話ではどうやら内部でエクシアが器となってミュトスを閉じこめ、道連れにしたらしい。後の調査で判明した事だが、元々ロゴスが収められていた塔内部はもぬけの殻だったようだ。


 そしてその後――


「あなたは死の瘴気に触れ、死にました。その直後、彼の魔人ザリクにも大きな変化がありました。あの尋常ではない苦しみ様、おそらくはあれが彼女の外理カーマ副作用デメリットなのでしょう」


 まるで逃げるように、ザリクはそのまま姿を消したという。幸い……とはとても言い難いが、そのおかげで魔遺物レムナントを守りきれたという結果に繋がった。


外理カーマに弱点があるのか?」

「当然です。外理カーマは私たちの理解が及ばぬ理の力というだけで、万能ではないのですから。現に私は自身の幸運を制御できないでしょう?」

「……確かに、言われてみれば」


 ライラの外理カーマ――血を流すことで発動し、彼女にとって『最善』の結果をもたらす因果律操作。即効性はないが、血を流さずともその効果は有効だ。一見、これ以上ないほど素晴らしい能力だと思うかもしれないが、実際はそんなに都合のいい代物ではない事をユウトはここに至るまで何度も実感している。

 そもそもの話、本当にそんな便利な能力なら彼女の周りでこうも事件が多発するはずがない。ましてや今回のような王国始まって以来の未曽有の事件なんてもってのほかだ。結果いまが良いというだけで、そこに至るまでの過程は何も保証されていないのだ。


(下手をすればこいつだけ生き残るっていう結果もあり得たって事か……)


 あくまで何かしら『良い』というだけで、本人の感情や周りの人間はその対象に含まれていない。絶対の基準は例え本人であっても自由を許されていない。


「以前あなたたちの前でシーレにして見せたように、私がこの力で唯一自分の意志で制御できるのは傷を無かった事にする程度。それも私自身には適用されませんが」


 そもそもその必要がない、というのも理由に含まれていそうだが。

 ふと、ベッドの上に乗せられたライラの右手にユウトは視線を移す。彼女の5本の指にはそれぞれ薄い包帯が巻かれていた。おそらくそれはユウトの死を無かった事にするため。できるかどうかも分からないのに、彼女は何度も自身の指を切り裂いたのだろう。


「……ごめん」

「気にする必要はありませんよ。私は私にしかできない事をしたまでです。あまりお役には立てませんでしたが」

「ん? ちょっと待て……」


 自分のために尽くしてくれた王女に謝罪した矢先、ユウトはふと首を傾げた。


外理カーマで指を直せなくても、神聖術カレイドライトなら治せるんじゃ――」

「フフ」


 ライラはただ、ニコニコと笑うだけだ。笑って誤魔化そうとしている。


「お前……」


 間違いない。指を癒さなかったのは自分の努力をユウトに見せつけるため。そう考えると、先程まで座っていた椅子からわざわざここまで近づいてきたのも合点がいく。全て計算された行動だ。


「はぁ……困りました。日本の殿方はこういう細やかな献身に心を惹かれるものだと日本好きの侍女が教えてくれたのですが」


 ライラは目論見が失敗したと見るやすぐに治癒の神聖術カレイドライトを発動し、まるで手品のような所作で指の切り傷をあっという間に治してしまった。


「あのなぁ」

「仕方ないでしょう。私だって……その、こういう事は初めてなのですから……」


 珍しく彼女の歯切れが悪い。お得意の嘘ではなく、本当に困っているように見える。これ以上は良くない。そんな第六感がユウトにそう訴えてくる。


「そういえばさっき、俺の蘇生にお前の力はあまり役に立たなかったって言ってたけど、それってどういう意味なんだ?」

「言葉通りの意味ですよ。私の聖血ちからはあくまで呼び水でしかありません。あなたを救ったのは他ならぬあなたの魔法……いえ、より正確に言えばこれまであなたが歩んできた道のり、でしょうか」


 何やら含みのある言い回しだった。ユウトはその意味を読み取ることはできなかったが、どうやら死の淵から生還したのはユウト自身に理由があるらしい。


(どういうことだ? そんな魔法、俺は持ってなかったはずだけど……)


 修復・回復系の魔法メモリーはいくつか存在する。どれも効果に若干の差異があり、その組み合わせ次第で効果はさらに拡大する。

 だが失った魂を取り戻す。いわゆる蘇生魔法はだ。

 上手く説明できないが、死んだ人間を蘇らせるのは傷を治す事とは違う。少なくとも今のユウトにそんな力はない。


「言葉で説明するよりも実際に見た方が早いですね。これを」


 ライラはそう言うと、近くにあった手鏡をユウトに手渡した。


「あ、あぁ…………ッ!?」


 受け取った手鏡で自分の顔を見た瞬間、ユウトは思わず息を呑む。彼はようやく自分の体に起きた変化を理解したのだ。


「どういう……ことだ……」





 





 一般的な日本人が持つ、ごくありふれた目。何も異常はない。

 だが吉野ユウトの場合は違う。

 無限に等しい魔力を持つ魔道士ワーロック。その証たる赤き瞳は今の彼にはもう宿っていない。

 それはつまり――


「あなたはあの時……死を免れる代償として、魔道士ワーロックの力を失ったのです」


・2・


 ――エクスピア第3研究区画。通称『真理の間』。


 ここは一つの区画を丸ごと使った巨大な研究室だ。

 何故それほどまでの広さが必要なのか? その答えは中央に配置された巨大な魔具アストラにある。



 トリスメギストス。



 対象の過去、現在、未来。全てを見通す万能の解析機。

 その起動には所有者である神凪夜白かんなぎやしろだけでは足りない。魔道士ワーロックである彼女の無限に等しい莫大な魔力の他に、異次元の演算を可能にする膨大な前提情報が必要となる。それをかき集め、電気信号に変換して絶えず入力するためのスーパーコンピューターがトリスメギストスにはいくつも接続されている。そういった理由からこの魔具アストラは所有者がいながら、その管理はエクスピアが行っているのだ。


「神凪博士。解析は終わりましたか?」


 扉を開け、両手に缶コーヒーを持った遠見アリサが夜白に尋ねた。

 御巫の里で入手した謎の黒い腕輪。名を外神機フォールギアというそれを、彼女は持ち帰って夜白に解析を依頼していたのだ。

 夜白はアリサの差し入れを受け取り礼を言うと、こう返答した。


「うん。まぁ……ね。いろいろわかったよ」

「?」


 わかったと言う割にはどこか歯切れが悪い。むしろいつもの彼女なら嬉々としていてもおかしくない。だからアリサは妙な違和感を覚えた。


「……何か問題でも?」


 夜白は首を縦にも横にも振らなかった。


「いや、そうだな……こう言うと変に聞こえるかもしれないけど、んだよ」


 案の定、意味がわからないといった表情でアリサは首を傾げる。

 夜白は壊れた腕輪の破片を摘まんで、こう続けた。


「この腕輪、君の見立て通りベースになっているのは僕がイースト・フロートで開発したネビロスリングだ。基本構造もその進化系である神機ライズギアと非常によく似ている」


 だが似ているというだけで、その思想は明らかに別物だった。むしろ180度真逆と言ってもいいかもしれない。

 魔具の力を一定量引き出すことを可能にしたのが神機ライズギア。対して外神機フォールギアは魔具の力を消費して、別の何かを生み出すことを目的としている。起源ルーツは同じでも、全く違うベクトルへ進化を遂げていた。


「エクスピアの技術が漏洩している、ということですか?」


 夜白は首を横に振る。まるでそれ以前の問題だとでも言うように。


「例えそうだとしても、僕たちの技術を実際に製造まで実現できる者はそうはいない。まぁ、こうして物がある以上、それができる者たちのようだけどね。それ以上に僕が問題視しているのは、これがということなんだ」

「……はい?」


 いよいよもって理解が追い付かない。


「物理法則、相互作用、構成素材に至るまで、何一つ僕たち人類が知るものと一致しない。もはやオーパーツの域だよ……いや、それ以上にたちが悪い」


 存在するはずがない、とは言わない。現にこうして目の前にそれはある。

 人類が解明してきたこの地球ほしのメカニズムは未だ表面上ごく僅かだ。広大な宇宙も視野に入れれば、全体の1%にも満たないだろう。外神機フォールギアに使われている技術はその1%の外側にある。


「なのに僕は。これがどういうものなのか、一目で想像がついた。疑いもなく」

「……」


 ようやく彼女の言う『問題』が何なのか見えてきたアリサは、腕を組んで思考を巡らせる。

 この世界の技術ではないもの。それを夜白が理解できた理由。考えられるものがあるとすれば、それは――



「……神凪かんなぎ



 やはりこれしかない。

 ユウトの報告にあった、神凪明羅かんなぎあきらと名乗る謎の少女。夜白と同じ姓を持つ者の存在だ。


「やっぱり君もそこを疑うよね。でも僕はそんな女――」


 その時、夜白の言葉が急にピタリと止まった。


「博士?」

「……ッ……うッ……」


 突然襲ってきた眩暈にうなされ、バランスを崩した彼女はそのまま地面に膝を付く。同時に手から滑り落ちた缶コーヒーが白い床にぶちまけられた。


「ちょっ……大丈夫ですか!?」

「……だれ、だ……」

「え……?」


 刺すような痛みに頭を押さえる夜白は、大量の汗を流しながらうわ言の様にそう呟いていた。そんな彼女の頭に、情景が浮かび上がる。


 ――赤く彩られた通路。

 ――赤い化け物の少女。

 ――その足元に散らばった数多の装備。


 それは知らず知らずのうちに、都合よく欠落してしまった記憶じじつ


「……僕の……頭の、中に……う、ああああああ!」


 アリサは夜白の肩を支え、すぐに周囲を確認する。

 当然だが今この研究室には自分達以外誰もいない。声なんて聞こえるはずがないのだ。


「……ッ……」


 そのまま気を失ったのか、彼女の体から力が抜け、アリサの両腕にかかる重みが一気に増した。


「博士! しっかりしてください!! 博士!!」


 研究室に木霊するアリサの声。

 深い微睡みの中へと落ちていく夜白に、それはもはや届くことはなかった。

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