Epilogue 大聖刻 -Sirius Crest-

・1・


「う……ッ」

 うなされていたザリクは窓から差し込む月明かりで目を覚ました。

 そこはどうやら薄暗い屋敷の食堂のようだった。真っ白い布を被せられた長いテーブルの前に、彼女は座っていた。

「……」

 どうやら移動の途中で体の不調が限界を迎え、気を失ったらしい。

 眼帯の下の左目が痛い。あの蒼眼の魔道士ワーロックの魔力を吸ってからというものの、体が鉛のように重かった。


(あの蒼い眼……)


「……と同じ――」

「お目覚めですかな? 我が主よ」

 暗闇の奥から、執事風の男が現れた。

「シャルバ……この場所はお前が?」

「はい。私が目覚めたのは80年ほど前でしてな。戦争で誰の記憶からも消え、廃屋と化していたこの場所を私が使っているというわけです」

 確かに内装は古びているが埃はない。手入れを欠かしていないのだろう。

「タウルは……うッ」

 身の丈より大きな椅子に座っていたザリクが立とうとすると、彼女はバランスを崩した。その華奢な体をそっと優しく支えたのはシャルバだった。

「ほっほっほっ。まだあの蒼眼の小僧の魔力が馴染んでおりませんか。我が主がまるで赤子のようだ」

「冗談はよせ」

「これは失礼しました。タウルは庭を散策しております。手塩にかけた華園を燃やさなければいいのですが」

 ザリクはふと、シャルバに言った。


「随分と人間らしくなったな」

「長い年月を人間として振舞い続ければそうもなりましょう。おかげで今の人間というものをかなり理解しているつもりです」


 そう言う今のシャルバの肌は魔人独特の灰色ではなく、温かみのある人のそれだった。なるほど自らの肌の色を調整して、人の世に溶け込んできたのだろう。

 シャルバはザリクの前に湯気を放つ黒い飲み物をそっと置いた。

「……何だこれは?」

「コーヒー、という飲み物です。悪い夢を見た後にはうってつけです」

 鏡のような黒い液体には自分の顔が映っている。ザリクがそっとカップに手をかけると、表面に小さな波紋が広がった。

 ほろ苦い香りに違和感を覚えながらも、彼女はそれをゆっくりと飲み干していく。


「いかがかな?」

「……悪くない」


 燃え尽きたような少女の灰色の頬が少しだけ、緩んだ。


・2・


「ったく、つまんねぇ場所だな」

 焔の魔人タウルは悪態をつきながら身を投げるようにソファーに深々と腰かけた。どうやら屋敷の散策に飽きたようだ。

「まだまだ若いのに風情を理解しろとは言わんよ。まぁ私の長年に渡る努力を踏みにじるような真似をしたら、殺すがね」

「ほぅ……おもしれぇ」

 好戦的な笑みを浮かべたタウルの人差し指に小さな焔が宿った。


「やめろ」


「……チッ」

 だがそれもザリクの一声で終息する。

「そろそろヤツが来る頃だ」

「そうですな」

「あぁ……あいつね」

 三人が大広間の出入口を見た時を見計らったように、その扉は勢いよく開かれた。


「グッモーニーン! おやおや皆々様お揃いで。元気してたぁ? って、バカみてぇにおねんねしてたんだったなヒャハハハハハハハ!!」


 下卑た笑い声で部屋に入ってきたのは、現代の若者風を装った黒い衣服に黄色のフードを被った灰色の肌の男。


「あぁ? 何? ここは感動の再会にむせび泣くところだろ――ぐがっ!?」


 次の瞬間、その饒舌はピタリと止まった。

 ザリクの黒き鎖――ヴリドラによって。

 男の体を無数の黒鎖が貫き、その場に拘束したのだ。強制的に膝を付かせ、仰ぎ見ることだけを許された……まるで判決を下される罪人のように。

 その上でさらに、シャルバが須佐之男スサノオを男の喉元に突き立てる。


「クヒヒ……ッ。これは、何の冗談だぁ?」

「……ドルジ、貴様の裏切りはわかっている」

「裏切り? おいおい俺様、眠ってたお前らと違ってちゃーんと仕事してたはずだが?」

 挑発的な目でドルジはザリクを見上げた。

「で、どうだったよ? 俺様が育てたワーロックの味はよぉ? 格別だったろぉ? なぁ――」

「黙れ小僧」

 怒気の増したシャルバの刃がドルジの喉元に触れる。笑い声はピタリと止まった。


「何故アカを殺した?」


 アカ。かつてザリクに仕えていた魔人の一人だ。

 ザリクの左目に刻まれた聖刻には他のそれにはない、ある種の感知機能が組み込まれている。長い眠りから目覚めてすぐ、彼女はその力でまずこの星全土を隈なく見通した。

 自身を合わせ六人いる魔人のうち、この場にいる者たちの存在はすぐに把握できた。

 残りは二人。

 一人は千年前の戦いで命を落としてしまった。宿主を失った聖刻は今はザリクの手中にある。

 そしてアカ。

 彼女の聖刻はたった今、

 ドルジがここに来たのとまったく同じタイミングでだ。にも拘らず彼女がここにいないこと。それはドルジの裏切りを意味する。


「あぁ、あいつね。何をとち狂ったのかこの俺様に牙向きやがった。だから殺した。正当防衛正当防衛」

 ドルジは隠そうともせず平然と白状した。

「んでもってあのクソアマ、死に際に俺の魂を伊弉冉に封印しやがった。まぁそのおかげで! お前らみたいにアイツらと相打ちせずにすんだわけよ。これでも長ぇ間、一人でせっせと仕事してたんだぜ? 伊弉冉の中でなぁ。ククク」

「……もういい。貴様から聖刻クレストを回収次第殺――」


「あっれー! いいのかなぁー!?」


 突然、ドルジは心底楽しそうに大声を上げた。

 ザリクは口を開かず、苦し紛れの戯言と彼を感情のない隻眼で見下ろす。

 だが、彼が懐から取り出したものを見て、それは変わった。


「ジャジャーン!! 大聖刻シリウス・クレストぉぉぉぉ!!」


 ドルジの手中には神々しく輝く紋章が浮かんでいた。ザリクにはそれがアカのものだとすぐに理解できた。


 だが、決定的に何かが違う。

 魔人が持つ聖刻。それよりもはるかに強い――もはや言葉では言い表すことのできないオーラを迸らせる力の源泉。


 大聖刻シリウス・クレスト


「貴様……どうやってそれを昇華させた?」

「アレ? アレアレアレ? 知りたい? 知りたい? 知りたいよねー」

 それはザリクの計画の要となるものだった。

 彼女の左目や、他の魔人に宿る聖刻の完成形。本来であればその構築にはあと千年、いやその倍はかかってもおかしくはない。それを成し得るための永遠を生きる魔人だ。

 なのに――未だザリクでさえ到達できていないものが、すぐ目の前にある。

「でも教えなーい!!」

 ドルジの体を縛る黒鎖の力が一層強くなった。

「調子に乗るなよ?」

「痛ででッ! タンマッ! タンマ!! 死んじゃう、死んじゃうって!」

 一度拘束を緩められたドルジは、わざとらしすぎる程ゆっくりと深呼吸をして、こう言った。


「取引だ。今後、俺様の邪魔をしないと誓うなら、大聖刻シリウス・クレスト……いや、あんたが憎んで止まない奇蹟さえ殺す絶対の力――月煌華ムーン・ヴァイスへの近道うらわざを教えてやるよ」


「……」

 ドルジは文字通り悪魔のような笑みで、ザリクにゆっくりと近づく。

 もはや彼を縛る鎖などどこにもなかった。


「さぁ、どうする? 死神ちゃん♡」




序章 魔人再起 -Wake up the world- 完

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