第87話 サクラの想い出夏休み(5)

「ゆ〜らりゆ〜らりゆ〜、そぉらり〜ゆ〜らりゆ〜らりゆ〜」

 歌声に近づく連れ不思議な感覚に囚われていく。


「なんだろうこれ、空気が澄み切ってるっていうか、森が歌っている?」

 今の私ではこの感覚に対して明確な答えを出せないが、空気が、木々が、大地の全てがこの歌声に合わせて笑い、喜び、そしてさえずりとして共に合唱をしているように思えてしまう。


 もしかしてこれ以上部外者である私がこのステージに足を踏み入れてもいいのか? この心地よい空間を私という者が無断で踏み入りことで、合唱会を台無しにしてしまうのではないだろうか?

 木々や大地に人間のような感情があるとは思えないが、そう感じてしまうほどこの空間は異質なんだと思えてしまう。


 ……やっぱり帰ろう。

 こんな時間に一人でこっそり歌っているなら、他人に聞かれたくないそれなりの理由があるのだろう。

 そう考えに至り、来た道を戻ろうとした時。誰かに背中を押されるように自然と足が前へとすすむ。


 えっ、えぇーーー!?

 軽くパニックになりつつも、押される力は何処か優しく、まるで私を観客の一人として迎え入れてくれるような感覚に囚われてしまう。

 やがて森とも思える木々を抜け、浜辺に近い一角に見慣れない葉の付いてない一本の木の前へとたどり着くと、そこには見知った一人の女性の後ろ姿が目に入った。


「……アリス……さま?」

 目の前の女性、それは紛れもない今私をもっとも悩ませている原因であるアリス様。

 服は昨日まで着られていたような豪華なドレスではなく、白いワンピースに青い刺繍が施された何処か神秘的な服装。

 そこに海の向こうから朝日が照らし、まるで背中に天使の翼が生えているんじゃないかと思える姿が、純粋にキレイだと心の奥底から見とれてしまう。


 どれぐらいだろう。アリス様の姿から目が離せなく、心に響いてくる歌声をただ一人の観客として聴き入ってしまい、なぜか冷たい水滴が私の頬から滑り落ちていることに気づく。


 あれ……もしかして私泣いているの?

 この歌を聴いていると、自然と心に溜めていた不安やわだかまりが嘘のように消し去って行く。


 あぁ、私寂しかったんだ。

 ずっと一緒にいると思っていたお姉ちゃんが居なくなり、私だけが一人残されるという不安を溜め込んでいたんだ。

 学園では優秀なお姉ちゃんの妹だと期待され、誰にも弱音を吐くことなく頑張っていると言うのに、久々に会ったお姉ちゃんはすっかり今の生活に順応し、楽しそうにミリアリア様達に対して笑顔を見せている。

 私がこんなにも一人で苦しみ、頑張っているというのに……。


「ゴメンね。サクラちゃんの気持ちを何も知らずに」

 気づけばアリス様の胸にすっぽりを収まる私の顔。

 この人はいつから私の存在に気づいていたのだろう? 私でも気づいていなかった感情にいつ気が付いた?

 普段なら赤面して逃げ出した気分になるんだろうけど、なぜか純粋な気持ちで感情をぶつけていいんだと思えてしまう。


「私も……私もお姉ちゃんみたいになれますか?」

 正直私はお姉ちゃんほど優秀な人間ではない。それでも同じ道を歩む夢ぐらい見させてもらってもいいのではないか?

 だけどアリス様は……


「……それは無理かな」

「……」

「サクラちゃんはココリナちゃんではないでしょ? 別に同じ道を歩むのが悪いって言ってる訳じゃないんだよ。サクラちゃんはサクラちゃん。わざわざ真似する必要もなければ、ココリナちゃんにならなくてもいいんじゃないかなぁ。

 同じ道を歩んでいたら、いつまでも追いつく事なんてできないでしょ?」

 お姉ちゃんみたいな女性になる。いや、この場合私がお姉ちゃんのコピーになるとでも言った方がいいのか。

 追いつき、共に同じ道を歩むにはお姉ちゃんと同等の事が出来なければ、同じラインに立つ事すら出来ない。

 アリス様はまさに私が心の奥底に抱いていた思いを見事にさらけ出してしまったのだ。


「……そうですか。うん、そうですよね」

 アリス様の胸から抜け出し、無造作に頬を伝う涙を拭い取る。

 もしここでお姉ちゃんみたいになれると言われていれば、私はますます深みに嵌っていただろう。

 私は私。お姉ちゃんに追いつくには私なりのやり方で進めばいいんだ。

 同じ道を歩んでいたんじゃ追いつく事は出来ない。まさにアリス様が仰ったその通りだ。


「ありがとうございます。ちょっとだけ気分が晴れた気がします」

 すごいなぁ、私とは歳がたった2つしか違わないというのに、こんなにも差があるんだと純粋に尊敬さえしてしまう。


「それじゃ私からサクラちゃんへの誕生日プレゼントだよ」

「えっ?」

 私が止める間もなく、アリス様はその場で両手を左右に大きく広げ小さく言葉を紡ぎだす。


「豊穣の光よ、大地を照らして……」

 たった一言。たった一言でさっきまでアリス様が向かって歌われていた一本の木に、一瞬で小さく可愛らしいピンクの花々が一面に咲き乱れる。


「うそ……キレイ……」

 見た事もないピンクの花が咲くの一本の木。海風に吹かれ、小さな花びらが私を祝福してくれるように降り注いでいくる。

 キレイだ。まるで雪のように降り注いてくる花びらの中で、私はただこの一時に全てを忘れて身を委ねる。


「これはね、桜って言うんだよう」

「桜……私と同じ名前の花……」

「元々は東の島国に咲く木だったらしんだけど、昔に一本だけ苗木を貰ってここに植えたんだって」

「そうなんですか、どうりで王都でも見た事がないと思っていました」

 こんなにキレイな花を咲かすなら、王都にあっても不思議ではない。だけど見た事がなかったという事はそれなりに大変貴重な木なんだろう。


「本当は春に咲く花なんだけど、ちょっとズルしちゃった」エヘッ

 さっきまでの大人びた姿ではなく、アリス様は可愛らしくペロッと舌を出して微笑みかけてくれる。

 これがどれだけ凄い事なのかなんて私だって分かるけれど、なぜかアリス様なら不思議と納得出来てしまう。


『純粋な目でアリスちゃんを見て。そうすれば自ずとその答えは見えてくる筈だよ』


 あぁ、そういう事か。

 私が私であるように、アリス様もまたアリス様なんだ。

 敵わないなぁ、お姉ちゃんにも、アリス様にも。


「全く、目を覚まして居ないから心配して探しにきてみれば、勝手にサクラのプレゼントを先に出しちゃうなんて。私が考えたサプライズが台無しじゃない」

 声が聞こえてくる方をみれば、そこにはお姉ちゃんを後ろに控えさせたミリアリア様。


「ごめーんミリィ、ついつい成り行きやっちゃった。えへへ」

「別にもういいわよ、サクラも喜んでくれてるようだし。

 サクラ、お誕生日おめでとう。これは私とアリスからのプレゼントよ」

 そう言いながら差し出される小さな小箱。


「ありがとうございます」

 これは私の事を思ってのサプライズプレゼントなんだろう。

 私は素直な気持ちで小箱を受け取り感謝の言葉を口にする。

 だけど……


「それで、その……大変申し訳ないのですが……」

「なに? 今更プレゼントを受け取れないとかはなしよ。ココリナに言われてるから高価物ではないし、国民の税で買った物でもないわよ」

 そう言われて、簡単に受け取ってしまった事を一瞬後悔するも、国民の税ではないと知らされホッとする。

 流石にその辺りは私の気持ちを配慮してくれたのだろう。


「えっと、そうではなくてですね……」

「ん? じゃなに? 何でも聞くわよ」

 ん〜、言っていいんだろうかと悩むも、これはハッキリをさせておいた方がいいだろうと、覚悟を決めて口にする。


「先月終わってるんです。私の誕生日」

「……………………はぁ?」

 ゆうに5秒ほどの沈黙後、見た事もないようなミリアリア様の表情になんとも申し訳ない気持ちが込み上げてくる。


「嘘よね?」

「いえ、本当なんです。私の誕生日は丁度一ヶ月前の今日なんです」

「……」

「今日はその……私じゃなくてお父さんの……」

 このピンクのワンピースに、メッセージカードが入っていた時から気にはなっていたんだ。

 あの時は「またお姉ちゃんったらまたお父さんと勘違いして」と、クスッと笑みが漏れていたが、まさかここまで話が大きくなっているとは誰が思うだろうか。


 グギギギィーーーッ

 まるで物語で出てくる古代ロボットのように、ミリアリア様の顔が後ろでオドオドしているお姉ちゃんへと向く。

「コーコーリーナァーーー!!」

「きゃー、ごめんなさーーーい」

 そのままダッシュで逃げ出すお姉ちゃんを、ミリアリア様が同じく猛ダッシュで追いかけていく。


「ふ、ふふはははははー」

「あははははー」

 取り残された私の笑いと、様子を見ていたアリス様の笑い声が重なり合い、お互いの顔を見て再び笑いが込み上げる。


「やっぱり私、お姉ちゃんになる事は諦めます」

「うん、私もその方がいいと思うよ」

 お姉ちゃんは私の目標。だからいつか追いつき追い越す為に今を頑張ろう。


「ありがとうざいます、アリス様」

「うん」

「私と同じ名前の花に笑われないように頑張らないと。この桜の木に合わせる顔がありませんよね」

 私と同じ名前の一本の木。この子もここまで成長する為に頑張ってきたんだ。私もまだまだ頑張らないとだね。


「うん、それじゃ来年は春に一緒に来ようね」

「はい」

 ………………………………。

 ダラダラダラ。

 口にしてしまった直後から自分が放った言葉に徐々に顔色が変わっていく。

 この場合、雰囲気に流されて答えてしまうのは仕方がないと思うんだ。


「それじゃ約束だよ」

「い、いや、違うんです。今のは間違いで、また桜を見たいって言うのはですねー」

「だーーめ、もう約束しちゃったもん。嘘ついたらミリィのお仕置きスペシャルをココリナちゃんが受けることになるからねー」

 いやいやそこは私が受けるべきでしょ!

 そう言いながらアリス様はお姉ちゃん達が走りさった方へと駆けていく。


「ま、待ってくださいアリスさまぁー」


 お姉ちゃん、どうやら私の苦難はまだまだ続きそうです。

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