第15話 王女様の侍女

「それではあまり時間がございませんので先にメイクを直しますね。アリスはその間ミリアリア様のドレスの準備をお願いします」


 学園社交界当日、ご令嬢方の準備も授業の一環として、ヴィクトリア学園の教室を利用し支度が行われる。

 普通のお屋敷なら数名のメイド達によって支度されるところを、臨時にカーテンのみで仕切られた小部屋に大勢入る訳にもいかず、一人の生徒に対して支度役はたったの一人。だけどいきなり全ての行程を不慣れな生徒が一人できる筈もなく、各家々からプロのメイドさんがフォローに入る事が定められている。



「もう、時間がないからって勝手に服を脱がないでよミリィ」

 エレノアさんがメイクの準備をしている間、ミリィが勝手に制服を脱ごうとするので慌てて手伝いに入る。

 制服はドレスと違い簡単に一人で脱ぐ事が出来、普段からあまりドレスを着ないミリィにすれば、知らぬ間に一人で着替えているという事は何度もある。だけど今日はこれが私の仕事なんだから、ここはもう少し空気を読んでほしいところだ。


「いいじゃない、何時もしている事なんだから」

 制服にお化粧が付かないよう一旦服を脱ぐ事は当然の事だが、ヴィクトリアの制服は白のシャツにベージュのジャンパースカート、その上に同じくベージュのジャケットを羽織る形になっているので、制服の上から汚れ防止用のショールを羽織れば服が首をくぐる必要はない。

 もっとも今日は支度の順番待ちも発生している為、メイクは基本に各家々で行っており、いまここでするのは簡単なお化粧直しのみとなっている。


「もう、今日は私が支度役なんだから一人でしないでよ」

 ぷくっと頬を膨らましミリィに抗議するも、本人は膨らませた私の頬を両方の人差し指で突き刺し、最後は私の顔を両手で挟む。

「ほら、そんなに頬を膨らませてたら可愛い顔が台無しでしょ。うりうり」

「なぁーにぃーすぅるぅのぉよぉー、みぃにぃー」

 両手で頬を挟まれ揺らされているので、抗議の声を上げる上手く言葉に出せない。そんな私の姿に満足したのか、ようやくミリィの両手から解放されるも、隣にいるエレノアさんが放つ黒いオーラに、二人して必死に謝罪する。

 エレノアさんって私たちが幼い頃からお世話をしてくれているから、二人とも頭が上がらないんだよね。普段は優しんだけれど、一度怒らせると怖い事も十分把握している。

 一応義両親からの信頼も厚く現在は私たちの教育係も兼ねている関係で、王女様を叱ったとかいっても誰からも咎められる事はないんだ。



「それじゃ締めるよ、えい!」

「い、痛いって、アリス締めすぎ」

 ミリィの背後に回りビスチェの紐をキツく締め付ける。普段着として着ているドレスならビスチェなんて着けないけれど、今日着るのはパーティー用のドレスだからね。ビスチェは体のラインを綺麗に見せる効果と、ドレスの形に体型を絞る為に必要とされている。

「もう、なんでビスチェなんて物が存在するのよ」

 ミリィが締め付けられた部分を見つめながら文句を言うが、その意見には激しく同意する。

 私も何着かドレスを仕立ててもらっているが、このビスチェだけは未だにどうしても慣れないでいる。そもそもドレスに体を合わせるってどうなのよ。

 この世界では体をドレスに合わせる事は常識とされている。もちろん仕立ててもらう際にある程度のサイズに合わせて作られるが、腰のくびれが美しいとされている貴族社会では、腰回りが本人の体型より細めにデザインされる事が非常に多い。


「じゃ次はドレスを着せてくね」

 まずはドレスをクリノリンに重ねた状態で床に置き、その中央に下着姿にパーティーシューズを履いたミリィに立ってもらう。

 年頃の女の子としては少々恥ずかしい姿ではあるが、これが正式なドレスの着方なのだからと諦めてほしい。

 次に内側あるクリノリンのみをあげてミリィの腰に結びつけ、その上から赤と白が混ざりあったドレスを引き上げ、着付けていく。


 このドレスは入学祝いに義両親からプレゼントされたもので、ミリィは白の生地をベースに、赤いレースや花の装飾が胸元からスカート全体に施された、キャミソールタイプの可愛いドレス。私も同じデザインで白の生地をベースに青いレースが施されたドレスを頂いたのだが、残念な事に家族パーティー以外でお披露目する機会は来ないだろう。


「こんな感じでどう?」

「いいんじゃない? 少し動きにくいけどまぁ仕方ないわね」

 ドレスに動きやすさを求められても困るが、着付けが終わった姿をミリィが軽く体を動かし確かめてくれる。

 スカートの裾は足元まで届くほどの長さに、その下はふっくら見せる為にクリノリンという輪状の重ねたものを履いている。昔はこれでもか! ってほどの大きさだったらしいが、知らぬ間に暖炉の火が燃え移ったり、テーブルや椅子に引っ掛けたりで怪我人が続出した事から、今ではボリュームも随分抑えられ、スマートになったと聞いている。


「それじゃ控え室に行くわよ」

「うん、そうだね。早く出ないと次の人を待たせちゃうもんね」

 パーティー開始はもう少し後だが、支度室を空けない事には順番待ちをしている人が困ってしまう。その為会場となる庭園とは別に、控え室として私たちが入学式を行ったホールにテーブルと椅子を並べ、談笑とお茶を飲める場所が用意されている。

 私とミリィはそのまま控え室へと向かい、エレノアさんは脱いだ制服やお化粧道具なんかを片付けに一旦馬車へと戻っていった。後ほど控え室で合流する事になってはいるが、これらも授業の一環の為に余程のミスをしない限りは助けてくれない事になっている。




 場所を控え室へと移し、空いたテーブルにミリィをエスコートしながら座らせる。辺りを見渡すも、まだほとんどの生徒が準備をし終えていないのか、控え室にいるのはほんの僅か。

 友達であるルテアちゃんやリコちゃんの姿も未だ見えない。

「どうする? お茶でも飲む?」

「そうね……」

 ここでの給仕は基本接客組に任す事になっており、私が出来るのはあくまでもサポート。こちらから合図をすればお茶とお菓子を持ってきてくれる手筈になっているのだが、何故か合図をする前に一人のメイド役がキャスターを引きながらこちらに向かってくる。


 ココリナちゃん?

 こちらに向かってくる姿はいつもの制服に白のエプロンとカチューシャを付けたメイド姿。もともとメイド服をベースに作られた制服だと聞いているので、今のココリナちゃんはメイドそのもの。恐らく私が控え室に入ってきた事に気付き、気を利かせてお茶の用意をしてくれたのだろう。

 因みに私はいつもの制服姿のままだが、これは他の生徒が支度役に間違えて接客を頼まない為の区別なんだとか。


「アリスちゃんもう支度が出来たの?」

 ティーセットを載せたキャスターを引きながら私に声を掛けてくれる。どのみちミリィの事は後で皆んなには紹介しようと思っていたので、ここでココリナちゃんだけ先に話しておいてもいいだろう。ちょっとどんな反応が返ってくるかは分からないけど、伯爵家のご令嬢であるパフィオさんを受け入れてくれたのだから心配はいらないだろう。


「この子がいつも話してるココリナ?」

「うん、そうだよミリィ。ココリナちゃん、こっちが前に話した友達のミリィ。私がお世話になっているところのお嬢様だよ」

 ココリナちゃんには学校での会話という事もあり、あまりミリィの話をした事はないが、ミリィにはよくココリナちゃんの話はしているので、親近感は持ってくれている。

 『一度お城に連れてきなさいよ』とも言ってくれているが、さすがにそれは現実的に難しいだろう。


「初めまして、ココリナと申します」

「アリスから話は聞いているわ、いつもお世話になっているようね。私はミリアリア、ミリアリア・レーネス・レガリアよ、よろしくね」

 ココリナちゃんが頭を下げながら名を名乗り、ミリィが座ったままで言葉を返す。ちょっとココリナちゃんに対して失礼じゃない、って思うかもしれないが、これが貴族と平民との差なのだからこればかりは責めないであげてほしい。


「こちらこそ宜しくお願いします。ミリアリア……れーねす……れがりあ……さま?」

 ミリィの言葉を受け、ココリナちゃんも言葉を返してくれるものの、何故か後半から急に元気がなくなり、最後は問いかけるように首を傾げてからこちらを見つめて固まった。

「ん? ミリィの顔に何か付いてる?」

 ココリナちゃんの反応が気になりミリィの顔を覗き込むも、エレノアさんのメイクに手抜かりはない。

「何バカな事を言ってるのよ、どうせ私の事を説明してなかったんでしょ? この子完全に混乱しているわよ」

「混乱? あぁ、ミリィが王女様だって信じられないって事?」

 そういえばパフィオさんの時も最初は信じてないって様子だったっけ。でもここはヴィクトリアで、私がお世話になっている家のご令嬢だって言ってあるんだから、ここまで驚かなくてもいいと思う。


「ココリナちゃん大丈夫?」

 未だ動きを見せないココリナちゃんを心配して、目の前で手を振って確認するも反応なし。救いを求めてミリィを見つめるも、どうやらこの状況を楽しんでいるのか助けてくれる様子もなし。

 ん〜、どうしよう。とにかくお茶の準備でもしてようか。

 この場合、接客役のココリナちゃんが動かないんだから私が準備しても問題ないよね?



「ん〜、いいわねこの香り。後でルテア達にも淹れてあげてよ」

 ミリィが淹れたてのお茶の香りを楽しんでから一口口にする。

 今日は予めお湯が沸いた状態で運ばれてきているので、お茶を入れ終わるまでそれほど時間は経っていないが、一向に動き出さないココリナちゃんにそろそろ本気で心配しかけた時、馬車に荷物を置きに行っていたエレノアさんがようやく戻ってきた。


「こちらの方は?」

「えっとね……」

 ココリナちゃんに視線を送り私に尋ねてくるので、ここまでの経緯を簡単に説明すると、エレノアさんは手早くカモミールのハーブティーを一杯入れ、それを固まり続けるココリナちゃんに無理矢理持たせ、一口強引に飲ませた。

 カモミールはリラックスさせる効果があるからね、これで落ち着かせようって考えなんだろう。


「ココリナちゃーん、戻っておいでー」

 ハーブティーの効果があったのか、私の声で再び動き出すココリナちゃん。だけど……

「ア、ア、ア、アイスちゃん!」

「ココリナちゃん、アイスじゃないよアリスだよ、はい、もう一杯飲んで」

 ゴクゴク

 ハーブティーも一口程度じゃ効果がなかったのか、未だ混乱は続いている様子。仕方がないのでもう一口手伝いながら飲ましてあげる。

「どう? 落ち着いた?」

「えっ、あ、うん。ごめん、ちょっと変な夢を見ていて……アリスちゃんが王女様を私に紹介してくるなんて、そんな訳ないよね。あはは」

「ううん、本物だよ」

 再びミリィを目にし、二度目の硬直に突入したココリナちゃん。

 本人は認めていないが貴族マニアのココリナちゃんならミリィの顔ぐらいは知っているだろう。仮に知らなくても、聖女であるティアお義姉様なら必ず肖像画の一枚や二枚は目にしている筈なので、性格以外はよく似ているミリィを見れば大体の人は想像がつくのではないだろうか。

「面白いわねこの子」


 ミリィはココリナちゃんの様子を面白がって見つめている。結局このままではどうしようもないという事になり、エレノアさんの指示でしばらく様子を見る事に。

 しかしその直後、私たちの元へと慌ててやってきたのはエリクお義兄様であった。

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