67.ツミと罰

 あの、金糸の刺繍のある折り返した袖の持ち主が、ウィオレ総主教補佐だと自分の中に確信が持てるまで、私は黙っていた。余りにも反応が薄いので、フォルティス大主教が心配そうに私を呼んだくらいだ。


「……昨夜のあれだけの対面で、彼はそれを確信したというのですか?」

「いや。数年前の別の街であった、とある事件の話もしていた。何故その件をあいつが知っているのか、俺は分からん。その件に教団は全く無関係だったからな」


 初め、神官サマの嫉妬心からの謂れない追求だと誰もが思っていたらしい。

 彼がその場にいるはずのもうひとりの加護持ちに真偽を投げかけても、応えは無かったようだ。

 精度が低くて判らなかったのか、それともウィオレ総主教補佐側の人間だったのか、それは判らない。


 では、と話し出したのがその事件の話だったという。

 教団に関係のない事件の話だったので、知っている者はいなかったようで、何故その話を彼がしているのか、皆不思議そうに耳を傾けるだけだった。だが、ウィオレ総主教補佐は黙り込み、神官サマを鋭く睨みつけていたという。

 それだけで周りの雰囲気は少し変わってしまった。少なくとも、謂れ無き話ではないのかもしれないと――


「ユエさんは、彼の瞳が発動していなくとも常に何か視ているのは知っているか?」


 話の途中だけれど、フォルティス大主教はそんなことを聞いた。


「はい。本人に言われました。私は分かりやすいとも」

「そうか。実はそれを知っている者は殆どいない。発動さえしていなければ、ルーメンは普通の人間と変わりないと思われている。言えば言ったで益々あいつに近付く人間は居なくなるだろう。だから、それが間違っているとは思わない。だが、こういう時は話の信憑性が薄まってしまうのも確かだ」


 だから、神官サマはあの場でわざと瞳を光らせたのだと。

 視えてしまいましたよ、と周りに知らしめるために。


「正直、ルーメンは本当に教団と縁を切りたいのかもしれないとも思う。だが、あいつが他の事を出来るのかというと、出来無いとも思うんだ。あいつが神官を辞めれば良いという話でもない。それを解っているのか。ユエさんを守りたいだけなら、個人的にウィオレ総主教補佐と話を付けるという手もあった」


 そう言って、フォルティス大主教は溜息を吐いた。


「しかし、それをしてしまうと教団内で事件の隠蔽を図ることになってしまう。話し合いで終わるとは思えないからな」


 ちょっと待って。話し合いで終わらないって、つまり、どちらかの口を塞いじゃうって事?!


「正直、ルーメンが決着を何処に持って行くつもりなのか、俺には判らない。まだ話は続いていて、教団内に貴女を攫おうと動く者が居るかもしれないと判った時点で、こうして来てもらっている。ここでも何か起きるようなら、大主教以上の中にもまだ犯罪に手を染めている者が居るということだ。由々しき事態だろう?」


 その、少し諦めたような笑いは組織への嘲笑なのか、自嘲なのか。


「恐らく何も起こらない。起こるようなら教団自体が滅びかねん。それを皆解っている。俺はルーメンが不用意な発言をしないと知っているし、あいつを信じている。だから、話の途中でユエさんを託された。あの場で総主教猊下がルーメンを信じるなら、この後ウィオレ総主教補佐は宣誓にかけられるに違いない」


 何が出てくるのか怖いと、フォルティス大主教は冷めてしまった紅茶に視線を落とした。


「『神眼』に覗き込まれると本当に何も隠せない。あいつが視ようと思ったこと全てが引きずり出される。そう聞いた。外から視るだけならば、表層の意識しか視えないらしい。それも個人差があると。ルーメンは見たくないモノを見過ぎているから、必要ないモノはなるべく視ないのだと言っていた。だが……」

「必要なモノしか視ませんよ。フォルティス大主教の仰る通りです。それが誰であれ、彼はスタンスを変えません」


 ゆっくりと私に視線を向けて、彼は力無く笑った。


「……ユエさんを特別だと言うわけだ。俺よりよほど彼を解っている」

「知ってますか? 『神眼』で繋がってるとき、微かですが彼の心も視えるんですよ。本人も気付いてないと思うので、今度教えてあげて下さい。油断してると足を掬われますよって」


 フォルティス大主教は少しぎょっとして、私をまじまじと見詰める。


「そんな余裕のある奴は、この世に貴女しかいないのでは?」

「この先現れないとも限りませんよ。前例が出来たんですから。あ。やっぱり教えるのは少し経ってからにして下さい。次に覗かれた時に覗き返してやります」

「次って……本当に忌避感が無いのだな」


 もう驚きを通り越して呆れている。


「全く無い訳じゃ無いですけど……隠すこともそうないんで。あの魔方陣は本当に綺麗なんですよ?」


 にこりと笑うと、大主教もつられて笑った。


 ◇ ◆ ◇


 もうすぐ6刻の鐘が鳴ろうという頃、涼しい顔をして神官サマがやってきた。

 まるで自分の部屋に帰ってきたかのように、流れるようにこちらへ来てソファへ腰掛けたので、何故か私の方が居心地の悪い思いをしてしまった。

 フォルティス大主教は、机に向かって何か書類をチェックしていたので、少しだけ気付くのが遅れて、振り向くと同時に眉間に皺を寄せていた。


「ルーメン。黙って入ってくるな。終わったのか? どうなった?」

「終わった、というか、終わらせましたよ? 後日なんて言うものですから、逃げられたらどうするんだと。流石に私も少し疲れたので口を開くのが億劫だったのです」


 小さく溜息を吐いて、また神官サマは口を閉じた。

 仕方ないなぁ、とポットを持ち上げるとまだ少し入っていたので、フォルティス大主教に簡易コンロを貸して貰う。

 温め直したお茶を神官サマに注いであげたら、嬉しそうに微笑まれた。


「ユエが淹れたのですか?」

「カエルが淹れてくれたものです。温め直したものですから味は落ちますが、感謝して飲んで下さい」

「それは、有難うございます」


 ふふっと笑って彼はカップに口を付けた。

 そういえば――


「……ここって大主教以上の人しか入れないんですよね? 神官サマはどうして入れるんですか?」


 質問してるのに、彼はにこにこと笑うだけで答えてはくれなかった。

 答えたくないのか、喋るのも本当に億劫なのか。


「ルーメンは総主教付きだった時の登録証をそのまま使ってるからだ。どうやったのか知らんが、ちょっとずるをしたに違いない」

「ふふ。秘密です。図書室に入るくらいにしか使ってませんよ」

「俺の部屋に勝手に入ってるじゃないか」


 そこはそれ程気にしてはいないようで、大主教はちょっと笑っている。


「私の部屋は色々落ち着かないのですよ」


 それ以上はまた口を閉じて、いつもの薄い微笑みを湛えるだけだった。

 深読みすると、この部屋なら落ち着けるということだ。それはセキュリティーだけの問題じゃないんだろう。


「この部屋も生活感が結構ありますけど、フォルティス大主教はパエニンスラに居るんじゃないんですか?」

「大主教というのは結構面倒でな。ふた月に1度位は会議だなんだでここに顔を出さねばならんのだ。その為の滞在用個室なんだよ。荷物もある程度置いておくから、防犯がしっかりしてるというわけだ」

「しっかりし過ぎて女を連れ込めもしないと苦情もあるようですよ」

「誰だ。そんなことを言う奴は。何のために神官になったのだ」


 ふふ、と笑う神官サマに大主教は渋い顔をしてみせる。


「今回はユエさんが変わった体質で助かった面があるな。知られていると逆に利用されかねない危うさもあるが……」

「もう誰も手を出しませんよ。充分脅しておきましたから」

「脅してって……」

「脅迫したわけではありませんよ? テル・ルーメンの想い人に手を出すと、手に負えない状況になると思ってもらっただけです」

「それで、あれか!」


 フォルティス大主教は驚き半分、呆れ半分で神官サマを見ていた。


「フォルティスから見ても危ない人間に見えたでしょう?」

「では、追放云々は……」

「そこは別に偽りありませんよ? まぁ、私が神官以外の職に就けるとは思ってませんが」


 くすくす笑う神官サマにフォルティス大主教は苦笑する。


「自分で言うな」

「と、いうことでユエ、安心してお眠りなさい。朝になったらちゃんと彼の元にお届けしますので」

「え。まだ眠く……」

「お疲れのはずです。ソファで失礼とは思いますが。お詫びに枕になりますので」


 疲れているのは私より自分の方でしょ!

 ってか、枕って……


 文句の1つでもと思っているうちに、小さく子守唄が聞こえてきた。

 あ、やばいと思ったときにはもう既に遅く、意識がとろりと溶けてゆく。

 神官サマの子守唄にはどうにも抗えない。


「ルーメン、は俺も眠くなる」


 フォルティス大主教の少し慌てた声と神官サマの笑いを含んだ唄声が重なると、私の身体はふらりと傾いた。

 少し体勢を直され、人の体温の枕に頭を乗せられると、その髪を細い指が梳くのがわかる。

 意識は深く深くへと落ち込んでいき、やがて夢も見ずに眠ってしまった。


 ◇ ◆ ◇


 目が覚めると、ストレートの銀髪が目に飛び込んできた。

 神官サマを下から見上げていると気付くまでに数秒かかってしまう。


「……おや。起きてしまいましたか」


 前髪を払われて、慌てて起き上がった。

 ひ、膝枕してた!


「朝まではもう少しありますよ? 遠慮せずにどうぞ」


 微笑みながら膝を叩かれても、もう眠る気は無い。

 ぶんぶんと首を振るとふふ、と笑われた。


「朝までぐっすりの予定だったのですが、子守唄これまで効きが弱いのですね。もう少しユエの寝顔を堪能したかったのに」


 薄明かりの中、部屋を見渡すとフォルティス大主教はベッドの中のようだ。


「し、神官サマは寝てないのですか?」

「少し眠りましたよ。問題ありません」

「あの子守唄って……」

「えぇ、そうです。私が自分の声に、他人には無い効能があると気が付いたきっかけでもあります。これだけはフォルティスにも効くのですが……よく眠れたでしょう?」


 私は溜息を吐いた。ある意味怖い。


「夢も見ませんでした」

「請われなければ何もしませんよ。ご安心下さい」


 くすくすと可笑しそうに笑って彼は両腕を軽く開いた。


「……あの人はどうなるんですか」


 ずり落ちてしまった毛布を拾い上げ、少し神官サマから距離を取って座り直す。


「国の然るべき処で罪を償う事になると思いますが。余罪がぽろぽろ有りそうでしたよ」

「神官サマは?」

「私?」


 聞かれることが意外だというように、彼は少し目を見開いた。


「とりあえず、色々保留にしてもらいました。例の湖にも行かなければなりませんし」


 保留とは。


「『神眼』を使ったことは咎められませんか?」

「それを含めての保留ですね。総主教補佐が1人居なくなるだけで、教団内はゴタゴタしますし。何より私を教団から追い出すことは出来ないでしょうから」

「確信犯ですか」


 ふふ、と神官サマは笑う。


「罰が罰になるとは限りませんからね。教団に縛られ続けるというのも一種の罰かもしれませんね」

「……神官サマが神様を信じてないからですか?」


 聞いていいものか迷うより先に口をついて出てしまった。

 神官サマは驚いてはいなかったけど、答えまでは少し、間があった。


「フォルティスに聞きましたか。神を、と言うよりは神の愛を感じられないのです。『神眼』を与えられし神の愛し子。前総主教猊下は私のことをよくそう呼びました。しかし、私には神に愛されている実感などありません。愛してくれているなら、もっと私の願いを聴いてくれても良いのにと幾度思ったことでしょう。愛されている自分が、こんな理不尽に曝される訳がないと――」


 その瞳が寂しげに伏せられる。


「……神様の愛は人の愛とは違いますからね。神様の愛ってえげつないですよ? 愛しているから手元に欲しいと、この世では辛いことばかりを与えて呼び寄せる。そういうのが神様の愛って感じ。だから、この世が理不尽だと思う神官サマは、確かに愛されているのかもしれませんよ」


 神官サマは途中から怖い顔になった。失礼だったかもしれない。


「え、えーと。異教徒の言うことですので……」

「その場合、他者への愛はどうなるのです?」

「へ? えと。その他はひっくるめて平等なんじゃないかな……」

「平等……」


 彼はしばらく怖い顔のままだったが、そのうち長く息を吐くと、口元だけ微笑みを浮かべた。


「不思議ですね。ユエの言うことの方が私にはしっくりときます。えげつない、利己的な偏愛……一方で博愛でもある。そうであって欲しいとすら思う私は、私の神に見放されはしないでしょうか」


 どちらかというと、見放して欲しいとも思えるニュアンスで彼は言う。


「愛する者が何をしても、しなくても、産まれたときから――或いはもっと前から、愛しいと請われるのが神に愛されるということだと思います。その人にとっては不幸かもしれませんけど、そこを汲んでもらえないというか……抗えないというか……」

「では、辛くとも出来うる限り生きていくということが、唯一の抗いになるのですね」

「多分……信心深くもない異教徒の言うことなので、あまり本気にしないで下さい」


 神官サマの真剣な瞳に、責任が持てなくなって声が小さくなる。


「いいえ。それを信じることは教団の教えには背くことかもしれませんが、私がこの先、まだ生きていきたいと思うためには、必要なものだと思います」


 おもむろに、彼はソファから降り私の前に跪くと両手で私の手を包み込み、その微笑みも消して私を見上げた。


「ユエ。今とは言いません。いつか、良いと思ったら、私に貴女の故郷を見せて下さい」


 故郷? 故郷って……


「あの、それって、実際にではなく、ということですよね?」

「ユエは帰れないのですよね? ですから、貴女の中の思い出の風景を、いつか。この瞳に見詰められても良いと思ったら」


 見せてあげられる日が来るのだろうか。この世界の何処にもない風景を。

 見せてもいいものだろうか。味気ないビルの群れを。

 出来ない約束はしたくない。


「……それが、どちらかの死の間際でも良いと言うのなら」

「それは、私が死ぬときにユエは傍に居てくれるということですか?」

「え? あ……あー……ぜ、善処します」


 結局、何だか締まりのない返事になってしまった。

 神官サマはいつもの微笑みをその顔に戻して、ユエらしいですねと立ち上がったのだった。




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