66.信じるモノは

「そんな顔でユエを見ないで下さい。ウィオレ総主教補佐も彼女を欲しいのですか?」


 私を見ていた菫色の瞳が険を持って神官サマに向けられた。


「何を言い出すのだ。確かに珍しい容姿をしているので興味をそそられるが、欲しい、などと」

「いいえ。昨夜お会いしたときも、確かに貴方はユエを欲しがっていました。前から欲しかった、と。前とはいつでしょう?」


 ほんのり瞳を光らせて神官サマは小首を傾げた。

 その場の温度が一気に下がった気がした。


「ルーメン主教! この場でその瞳を使うなど!!」

「おや。光っておりますか? すみません。ユエのことになると、勝手に発動してしまうようです。パエニンスラでもフォルティス大主教に指摘されました。どうしたものでしょう?」


 ふふ、と全く悪びれない様子に、ウィオレ総主教補佐は、わなわなと身体を震わせている。


「た、タダでは済まされなくなるぞ」

「言ってるではありませんか。自分ではどうしようもないのです。その事で破門にされるのも罰を受けるのも、もう私にはどうでもいい話になってしまっている」


 言葉に詰まるウィオレ総主教補佐に、神官サマは微笑んだまま瞳の光りを強めてゆっくりと身を乗り出す。


「お答えがまだですよ? いつ何処でユエに会ったのです?」

「何処かなど覚えていない。立ち寄った何処いずこかの街で見掛けたのだ。彼女の色はとても目立つ。それで印象に残っているだけだっ」


 くっと喉の奥で笑って、神官サマの笑顔が冷たくなっていく。


「すみません。本日の議題に関係のないお話でした。ジョットさん、ユエを連れて退場を。猊下、この審問を早く終わらせてしまいましょう。私はウィオレ総主教補佐とゆっくりお話がしたい」


 総主教他、正面に座っているお偉いさん方が、はっきりと戸惑っているのが分かった。


「……ルーメン主教……瞳を」

「他の方は視ませんので、どうぞお許しを」


 破門も罰もどうでもいいと言い切る彼を止められる者はいないようだった。

 そして彼は確かにウィオレ総主教補佐だけを見ていた。

 威圧されるように、細かく震え顔を青ざめさせて、ウィオレ総主教補佐は動けないでいる。


 ジョットさんにそっと促されて立ち上がった。

 私が理由で暴走しているというのなら、彼を止めてもいい。本当に暴走しているというのなら。

 でも彼は暴走などしていない。きちんとその力を制御して使っている。

 少なくともパエニンスラでのあの様子とは全く違う物だ。

 この場で証言以外に私に出来ることなどない。

 扉の手前で1度振り返る。誰も、私達に気を留めていなかった。


 代書屋さんと控室に戻ると、自分の椅子を適当に持ち出して座り込み、彼は深い溜息と共に頭を抱えてしまった。


「大丈夫ですか?」


 私は既に置いてあった椅子に腰掛けると、少し困惑して彼に声を掛ける。


「ユエちゃんは相変わらず大物だね」


 頭を抱えたまま目線だけ少し上げて、代書屋さんは口元を歪めた。


「1日離れていただけで、妙な噂が蔓延してるかと思ったら、あれでしょ。途中まではまぁ、理解できたけど……」


 周りを気にして口を濁した彼に、私もそれ以上聞けなかった。

 しばらくして気持ちを切り替えた彼と、とりとめのない話をして時間を潰す。

 私が勝手に動けないので審問会が終わるのを待っているのだが、いつまで経っても誰も終わりを告げに来なかった。

 そわそわと人が出入りするのを横目で見ながら、さすがに溜息が出た。


「……遅いね」


 ウィディア大主教の件だけで、これ程時間が掛かっているとは思えない。

 あれからまだ問題発言を神官サマはしたのだろうか。

 私を何処で見たのかと彼は聞いていた。

 昨日の夜の話と通ずるモノがある。恐らく可能性があるのはポルトゥスだ。


「ねぇ、港町に遊びに行った時ウィオレ総主教補佐って見かけた?」


 港町の教会に行った代書屋さんなら会っているかもしれない。


「見てないなぁ。あちこち飛び回る人だし、来てた可能性はあるけど……僕もウィディア大主教と会ってたしね」

「……だよね」


 もやっとするけど、確かめようもない。


「私、人混みで埋もれちゃうと思ってたんだけど、そんなに目立つかな?」

「ああ、それはあるかも。人の隙間からユエちゃんの黒っぽい髪色がちらちら見えるんだ。周りが金髪とか明るい茶とかが多いから、意外と見付けやすいよ」


 そうなんだ。クロウはカエルだけを目印にしてたわけじゃなかったのかもしれない。


「2階とかから見下ろしたなら逆に1発だろうね。僕ならユエちゃんを探すなら高いところに行くなぁ」


 ちょっとどきりとした。それなら確かに私は気付かないが向こうは知っているということになる。

 それだけで欲しいなどという話しになるのは少しおかしいが……


 いきなり勢いよくドアが開いた。

 びくりとそちらを見ると、顔色を悪くしたフォルティス大主教がつかつかと歩み寄ってくる。

 周りの神官やシスターが慌てて道を空けて頭を下げていた。


「ユエさん、部屋に戻ろう」


 神官サマではなく、フォルティス大主教が迎えに来たことに驚く。

 周りの反応を見ても大主教がそんなことを、というぎょっとした空気になっている。


「あの、カエルが図書館で待ってるはずなんですけど……」


 彼はちらりと周囲を確認した。


「歩きながら話そう」


 代書屋さんと共に大主教の後について行くと、彼は神官サマがよく使う魔道具を同じように発動させた。ふわりと風が巻く。


「カエル君にはジョット君に知らせに行ってもらいたい。ユエさんは今夜私の部屋で預かる」

「え!?」


 何がどうなったのだろう。

 代書屋さんと私の声が重なった。


「どういうことですか?!」

「ルーメンのお願いだ。彼も来られたら後で来る。私の部屋は大主教以上の登録証がなければ入れない場所にあるから、カエル君には朝になったら彼女を届けると伝えてくれ」

「……それ、僕、もの凄く貧乏くじ引かされてません?」

「ユエさんの安全のためだと言っとけ」


 途中の廊下で渋々と代書屋さんは別れ、私はフォルティス大主教の後について3階に上がる。

 途中プレートを使って開けるドアを潜って大主教の部屋に案内された。

 内装は私の部屋と同じくシンプルだが広さが倍以上有り、ソファとテーブルが備え付けられていた。

 よく見ると小さめのウォークインクローゼットがあり、簡易コンロ等生活感が見える。

 ソファを勧められて腰掛けると、大主教は水差しからお水を1杯注いでくれた。


「茶など淹れないし、後は酒くらいしかない。洒落っ気も無いが我慢してくれ」

「いえ、有難うございます」


 飾り気の無いフォルティス大主教の振る舞いはほっとする。


「あの……何が……」

「その前に飯だ。何か適当にもらってくるから、少しのんびりしててくれ。ただし、ノックがあっても応えたりドアを開けたりしないこと。すぐ戻る」


 私を安心させるためか、笑顔で彼は出て行った。

 ぽつりと残されて、急に寂しくなる。

 カエルにはもう知らされただろうか? 代書屋さんに八つ当たりをしてなきゃいいけど。


 朝まで離れているなんて当たり前なのに、何かあっても来てもらえないのだと思うだけで寂しさが倍になる。

 向こうでひとりで暮らしていた時には、こんな風にならなかったのに。

 それはいつでも実家に帰れると思っていたからだろうか。平和すぎて何事も起こらないと思っていたからだろうか。


 身体の角度を変えて、背もたれに頭を乗せる。そのまま何も考えないようにして目を瞑った。

 意識を戻したのは人の気配を感じてから。寝ていたつもりは無かったけど、思っていたより気疲れしていたようだ。

 毛布を持ったフォルティス大主教と目が合って、気まずそうに苦笑いされた。


「すまない。起こしてしまったか」

「いえ。寝るつもりはなかったので……」


 どのくらい時間が経ったのだろう。直ぐだったのか、それとも結構経っているのか。


「カエル君に簡単な事情説明をしてきたら、少し遅くなってしまった」

「……何か、言ってましたか?」

「怒られた。俺の仕事を取るな、と。彼の言い分も確かだからな、平謝りだ。そうしたら、もう1つの仕事の方を届けてくれと言われてな」


 彼はテーブルの上を指差した。

 テーブルの上には、トレーに乗ったレタスやハムやチーズが挟まったパンが幾つかと、ポットが1つ乗っていた。


「少し無理を言って、厨房を貸してもらったのだ。それで、遅くなった」

「……これ、カエルが?」

「口に入る物も安全な物が良いと。茶が冷めてしまう前に食べてしまおう」


 慣れない手つきでお茶を注いでくれて、大主教はにっこり笑った。

 カエルの淹れてくれたローズマリーの香りのするお茶は、寂しがっていた私を少しだけ落ち着けさせてくれた。


 ◇ ◆ ◇


 食事をしながら、ぽつぽつと現状を話して貰う。

 ウィディア大主教は大主教位を剥奪。数年拘束された後、一神官として監視の下、現場に復帰するということになるらしい。

 神官サマが挑発的な発言をしていたと自らも言っているので、追放等の重い処分はないそうだ。


 その場で閉会になり、解散となるはずだったのだが、神官サマが瞳の力を行使したまま、ウィオレ総主教補佐に詰め寄ったので、大主教以上の者達はその場に留まり、彼と総主教補佐の間に立つような形で話を聞くことになったのだと。

 放っておくと一方的に宣誓をさせかねない勢いだったので、彼を抑えるのが大変だったとも……


「あんな無茶はしたことないんだがな。ユエさんひとりの為にそこまでするのかと、皆おののいていたよ」

「……でも、あの発言って少し大袈裟ですよね?」


 フォルティス大主教は優しく笑って、少し遠くを見るような目をした。


「あの場には、真偽を見極められる加護持ちがいたはずなんだ。ルーメン程ではないにせよ、それを誤魔化しきるのは難しい。あいつもそれを解っているし、だからあいつの発言に嘘はない。どの特別かは判らないが、あいつが特別だと言うのなら、特別なんだよ。その後の言葉は少し誘導くさかったけどな」


 ちょっと間を開けて、彼は付け足す。


「前にも言ったが、彼は普段から嘘は言わない。『神眼』持ちの彼が、嘘、出鱈目を言うということは、その発言の信用に関わる。宣誓者の真偽を捻曲げられるのは彼だけだ。だから、あいつは普段から人一倍言葉に気を付けているんだ。まあ、気を付ける方向が間違ってるから、それが厄介事の元にもなるんだが」


 大主教の笑顔が苦笑に変わる。そして、それが真顔に。


「ユエさん。あいつは元々、出世や自分の立場という物に頓着が無かった。教えられたことを忠実に守り、実行している。それだけだ。彼の発言に違和感を覚えたことは?」

「……なんとなくなら。何がそうなのか、解らないんですけど」

「ルーメンは神というものを信じていない。あれ程教義に忠実で、皆に教えを説いているというのに」


 驚いて、そして納得して、違和感を感じたセリフを思い出す。


 『神のお導きだと信じられますね』


 では、いつもは?


 『真摯に向き合っていますので』


 教え、広めることは真摯に。けれど、じゃあ、対象となる神様とは?


 そうだ。それは純粋な信仰心とは程遠い発言のような気がしたのだ。


「あいつは教団から求められなくても、罰を受けても、それに彼自身が傷付くことは無い。だが、今回のように自らが出ていっても良いと示すことは無かった。それはある意味、教団を脅迫しているに等しいからだ。誰よりも教団の裏側を知っている彼を、手放せる筈が無いと知っていて、罰を受けそうな行為をするなど……」

「……止めさせるべきでしたか?」


 恐らく、私には彼を止められた。

 解っていたけど、私は私に降りかかる厄介事は出来れば取り除きたかった。

 ウィオレ総主教補佐が私を欲しいと思っていたと判った時点で、彼を何らかの方法で遠ざけて欲しいと思ったのは確かだ。

 フォルティス大主教は視線を落としてゆるゆると首を振る。


「結果的に更なる闇を覗き込むことになってる。解ってやっているのか、偶然なのか……」


 ぐっと、一瞬力を込めてから彼は視線を上げて私を見据えた。


「ポルトゥスでユエさんを攫おうとした一団に、ウィオレ総主教補佐が関わっていた、とルーメンは言った。教団内の幾人かが彼に協力してる、とも」


 この人は何を言ってるのだろう。

 私の翻訳機能が壊れてしまったのかもしれない。

 意味が飲み込めるまで、私は本気でそう思っていた。




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