63.マリョクと私

「明日の夕方までに戻ってきて下さいね。それまでにこちらは出来る限り整えておきますから」


 事務員さん達は丸め込んだものの、不都合が多いというので、今日は近くの宿に捻じ込んでもらった。

 カエルも教会滞在は嫌だったろうから、かえって良かったのかもしれない。

 宿までの馬車まで用意してもらって、代書屋さんと神官サマにしばしの別れを告げた。

 疲れていたので宿併設の酒場で食事を済ませると、部屋に戻ろうとしたカエルを引き留める。今日聞いておかなければ、なんだか忘れてしまいそうだった。


「ちょっとだけ。教えてほしいことがあるの」

「ここじゃ駄目なのか?」


 部屋前の廊下は誰も居ないが、その分声も響く。


「あんまり聞かれたくない」


 珍しく真剣に言ったからか、仕方なさそうにカエルは私の部屋に入ると、そのドアに背中をもたれかけた。


「何を聞きたいって?」

「魔力の話」


 ふ、とカエルの表情が消えた。


ぬしや魔獣が魔素から魔力を作り出すって話は分かった。それって、人間にも当て嵌まる話だったの?」


 紺の瞳がじっと私の中を視ているようだった。


「……人間ひとは魔素を吸収すると自動的に魔力に変換してる。魔素から魔力に変換できる量や質は個人差が大きくて、それが個人を識別するのに役立ってる」

「じゃあ、皆、魔法を使えるってこと?」


 総魔法使い社会?

 カエルはゆっくりと首を振った。


「魔力を魔法に変換するのには、努力だけではどうにもならない問題がある。言わば才能という一言で片付くのかもしれないが、どれだけ大量の魔力を内包していても、魔法として発動できない人間は多い。それは呪文や魔術式の組み立てだけの問題じゃない」


 うん。そうだよね。そうじゃなきゃ、今まで私が気付かないはずがない。魔法なんて見たことも――

 ……あれ? 見たこと、もしかして、ある?

 いやいや。今はその話じゃない。ちょっと置いておこう。


「……魔力の無い人っていうのは、今までいたのかな?」


 カエルは少し視線を逸らした。


「聞いたことは無い。今日みたいな不具合が頻繁に出れば、登録式の魔道具が全く意味をなさなくなる。何か手を打つはずだ」

「魔力のある人が、魔力を無くす様なことは?」

「書物で聞きかじったことしか分からないが、魔法を使える人間が限界まで魔力を使用した場合、倦怠感や疲労感、脱力など感じるらしい。何らかの身体の維持にも魔力が関与している可能性がある」

「――そっか」


 何もかもが、異質だと。


「これも、知られない方がいい話なんだね」

「ユエ」


 呼んだくせに、カエルはこちらに視線も寄越さなかった。

 そのまま時間だけが過ぎていく。


「……カエル、ぎゅってしていい?」

「駄目だ」


 両手を背中に隠すようにして、即答する姿に苦笑する。

 断られるとは思ったけど。


「……ユエ違う。勘違いするな。駄目なのは、ユエのせいじゃない。俺の問題だ。今の話もほとんど関係ない。少なくとも、ユエ云々は全然関係ない。ただ俺が――」

「うん。わかった。我慢する」


 そこでようやくカエルは頭を上げた。


「疲れてるのにごめん。ありがとう……おやすみ」


 少し微笑むと、彼の方が傷ついたような顔をした。


「ユエ。ユエを、失くしたくない」


 それだけ告げて、カエルは泣きそうな顔のまま部屋を出て行った。

 カエルはいつも失くすことを怖がっている。

 私は何処へも行けはしないのに。行かないと言っているのに。

 繋いでくれて構わないのに、それはそれで及び腰だ。

 時々きつく抱締めるのに、それ以上は頑なに避けている。真面目だというだけではないんだろう。何かまだ深い理由があるのだ。


 それでも。

 それでも、今夜は誰かのぬくもりを感じたかった。

 ひとりじゃないと思いたかった。同情でもなんでも。


 だって。

 お前はこの世界でひとりだよと言われているようで――


 ◇ ◆ ◇


 その夜は何度布団を掛け直しても、背中が薄ら寒かった。

 それでも朝になるまでには気持ちも持ち直し、まぁいっか、と開き直ることができていた。

 こんな時にはあの変な夢も見なくて、わたるに毒づいたりもした。

 少し早めにカエルがやって来て、昨夜は悪かったと悲壮な顔をして謝っている。

 そもそも、何に謝っているのか。


「気にしてないよ? ご飯どうする? 久々に屋台でも覗いてみる?」

「ユエ、今、今ならぎゅってしてもいい」


 カエルが、これから討ち入りにでも行くかのように覚悟を決めた様相で言うので、思わず笑ってしまった。


「そう? じゃ、遠慮なく」

「――笑うな。もう時期を逸したのはわかってる」


 カエルは私を抱締め返しながら溜息を吐いた。

 どきどきと少し早い鼓動に身を任せていると、ランクさんがテリエル嬢にするようによしよしと頭を撫でられた。


「……昨夜こうしてやれれば良かったんだ。解ってる」

「今でもいいよ。ありがとう。落ち着いた」


 体を離すとカエルはしっかりと手を繋いでやっと少し笑った。


「屋台の飯でいいのか?」

「いいよ。公園にでも行けばあるよね? 散歩がてら行ってみよう」


 地図は相変わらずカエル任せなので、私はどちらに向かっているのかも判らなかったが、ちゃんと公園はあったし、行列のできている屋台で流行の朝食もゲットできた。

 目玉焼きの乗ったホットドックの様なもので、スープとセットになっている。

 周りに倣ってケチャップやマスタードを挟み込み、服に垂らさないように気を付けながら食べる。

 出来たてのそれはとても美味しかった。


 半日をどう過ごそうかと少し迷ったが、そう遠くない所に劇場があって、せっかくだからと観劇することにした。

 人気だというそのチケットは、次の回の物しか取れなかったので、待ち時間の間に辺りの店を冷やかすことにする。


 アクセサリーショップに並ぶものは恐らく最先端のデザインなのだろうが、私にはとてもアンティークに見えた。それはそれでとても素敵だったが、自分に似合うかと考えるとなかなか手を出せなかった。

 取敢えずシンプルなヘアピンを数種類選んで買ってみて満足する。


 念願の魔道具屋にも入ってみた。

 なんと、ドライヤーが売られていて、もの凄く欲しくなった。

 そうか。ドライヤーが最先端か。

 もちろん電動ではなく、焔石と旋石を上手く使って云々と説明を受けた。とてもお高かったので泣く泣く諦めて、普及品になるのを待つことにする。

 カエルが矯めつ眇めつ見ていたので、もしかしたら作ってくれるかもしれない。期待しちゃうぞ。


 一旦カフェで休んでから観た演劇はラブコメディーという感じだった。

 1人の女性を巡って2人の男性があれこれアタックを仕掛けたり、邪魔しあったりするのだが、結局女性は第3者を選ぶというオチ。

 久々に娯楽作品を見た気になった。テレビもネットもないからね。人気なのも頷ける。


 私は楽しく観たのだが、カエルはちょっと複雑そうな顔をしていた。

 お芝居でしょ? と笑って言ったら、解ってるけど、と苦笑された。男としては心から笑えなかったらしい。難儀だなあ。

 劇が終わるといい頃合いになったので、宿に荷物を取りに戻った。

 今夜は教会の方にお世話になることになる。馬車を待つ間、カエルがぽつりと言った。


「何もないといいが」


 護衛は一般客が入れる範囲しか立ち入れない。


「代書屋さんもいるし、大丈夫だよ」


 見たままを告げるだけ。問題無いはずだ。

 心配そうに紺色の瞳が揺れる。


「どこかに隠されても、カエルは迎えに来てくれるんでしょ?」


 左手を軽く振ると、カエルはちょっと笑った。


「……そうだったな」




 昨日も見上げた重厚な扉を、今日も見上げて神官サマを待つ。

 この時間がもどかしい。

 衛兵さん達は微動だにしないし、勝手に動くことも出来ない。

 どうして待つだけの時間はこんなに長いのか。

 扉についている丸い鋲の様な模様を半分くらいまで数えたところで、ようやく内側からその扉が開いた。


「お待たせしました。どうぞこちらへ」


 昨日と同じようにエスコートの為に差し出された腕に手を添える。

 今日は左の廊下を進むようだ。

 いくつか扉を潜り抜けて、渡り廊下の様な場所を進むと別棟に行き着く。


「この、奥側がユエの部屋になります。並んでカエルレウムさん、ジョットさんの部屋ですよ。2階より上は一般客立入禁止です。それなりの防犯仕様になってますので、お気をつけて。私もこの2階に部屋があります」


 こくりと頷く。面倒事にこれ以上巻き込まれたくないので、あまり出歩く気はない。


「夕食は敷地内に来客用の食事処が御座いますのでそちらで食べましょう。私が常に同行すると言ってしまった手前、ご一緒しないと不自然ですのでその辺はご了承下さいね」


 にこりとカエルに笑いかけて、神官サマは小首を傾げた。


「仕方ない」


 ぶっきら棒だったが、眉間に皺が刻まれなかっただけ関係は改善してると言えるのかもしれない。限りなく希望的観測だけど。


「ジョットさんは出かけているのでわかりませんが、フォルティスも誘っていますので、後で一緒にお迎えに来ますね」


 部屋のドアを開けてくれて、神官サマは踵を返した。

 フォルティス大主教を誘ったというのは、彼なりの気遣いなんだろうか。

 開いたドアから中を覗いてみたが、カエルの部屋と繋がるドアなんて物はもちろん無かった。


「そのまま待ってろ。荷物だけ入れて、部屋の確認するから」


 カエルは自室のドアを開けると荷物を押し込み、私の部屋へと入っていった。

 外から見た感じだと、質素で堅実な教会のイメージ通りの部屋だった。

 窓際の机の上に聖書――教典と言うのが正しいのだろうか――が置いてあるのが見える。

 一通りチェックし終えて、カエルはいいぞと荷物を運んでくれた。


「幾つか気になることはあるが、多少の監視は仕方ないな。言動には気を付けろよ」


 監視カメラは無いと思うが、盗聴器はあるかもしれない。そんな感じだろうか。神妙に頷いた。

 神官サマが迎えに来るまで、カエルは机の抽斗に入っていた地図と睨めっこしていた。

 建物が多いので全部は把握しきれないような気がする。

 食事処はこう言っちゃ何だが、普通のレストランだった。一般客用と言うだけあって宗教色はほとんど無く、逆に不思議な気分にさせられた。


「結局ジョットさんは帰ってこなかったんですか?」


 代書屋さんの姿がないので確認してみる。


「彼は顔が広いから。下手すると今日は帰ってこんかもなあ」


 久しぶりだって言ってたしね。明日二日酔いじゃないと良いんだけど。

 審問会は4刻からだから、大丈夫だとか思ってそう。

 関係者用の通行証って結構自由利くのかなぁ?


「あの……私の通行証、ホントに無くて大丈夫なんですか?」

「あぁ、忘れてました。登録できないものは仕方ないですからね」


 神官サマは内ポケットから何か取り出してこちらに差し出した。


「何ですか?」


 それはクリスタルカットされた腕輪のような物だった。ぐるりと螺旋状に一巻きしていて、端は互い違いになっていて繋がっていない。ほんのり黄色がかっているのかと思ったら、透明な中に金の粒が浮いており、ゆったりと揺れていた。

 バングルとか、アームレットとかいう物が近いかな?


「許可証代わりです。総主教のお墨付きですよという証左ですので、明日は服の上から二の腕に付けておいて下さい」


 試しに嵌めてみると少し大きかったのだが、神官サマがそれを指でなぞるように触れると、ぴたりとフィットした。


「外すときは逆になぞれば良いですから」


 見た目が硬質なのに、腕に触れた部分は少し柔らかい。謎物質だ。

 おお、と感動していたら今晩は、と声を掛けられた。


「わざわざ総主教猊下の手を煩わせたという方は貴女ですか」


 視線を上げると特徴的な菫色の瞳と目が合った。

 アッシュグレイの少し癖のある髪を真ん中で分け、神経質そうな年齢不詳のその人物に値踏みするように見下ろされて少々不快だ。


「通行証が発行されないなど、前代未聞です。きちんと身辺調査は成されてるのでしょうね?」

「ウィオレ総主教補佐。ユエは私が宣誓をかけた相手です。御心配なく。その為にこちらへ?」


 神官サマはいつものように薄く微笑んでいたが、纏う空気はぴりりと緊張感を漂わせていた。


「神の愛し子の愛妾とやらを一目見ておこうと思ってな」


 あぁ、カエルの空気まで凍らせたよ。


「ウィオレ総主教補佐、彼女はルーメンの愛妾ではないし、別にお相手のある方だ。少し失礼が過ぎるのではないか」

「ほぅ。他に。それは失礼した。世の噂など信じるものでは無いな」


 彼は嫌な笑みを湛えてもう一度私を見る。つと、その目が細くなった。


「お声を聴かせては頂けないのかな? お嬢さん」

「……ユエと申します」

「……成る程。可愛らしい囀りだ。ご不快にさせて申し訳ない。総主教猊下の手を煩わせないようにするのが私の仕事でね。明日は何事も無く済むことを祈っているよ」


 私の顎に指を掛け、軽く持ち上げるようにして瞳を覗き込むと、彼は喉の奥で小さく笑った。

 ぞくりと悪寒が走る。


「……何処かで、お会いしましたか?」


 聞いたことのある声のような気がして、ふと聞いてしまった。

 離れかけた彼の指がその場に留まった。


「……これは、私を口説こうとしているのかな? いや、失礼。私はあちこち飛び歩くのでね。何処かの街ですれ違っていてもおかしくありませんな」


 少し首を傾げて可笑しそうにそう言うと、神官サマの方を一瞥して、では、と去って行く。

 私は触れられた部分を無意識にごしごしと擦りながら、教会関係者とすれ違いそうな場所を全く思い出せずに、もやもやとしたモノを抱え込むだけだった。




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