64.おネガい

 しばらく、その場の空気は冷たいままだった。

 カエルなど怖い顔を通り越してうっすらと笑っている。


「あんなのが偉い奴か」

「補佐という立場はなかなかに大変なのですよ。まぁ、性格云々は私が申し上げる立場にございませんが」

「そうだな」


 冷やりとする。

 そういう会話は自分がする分には何とも思わないのに、カエルがするとひどく不穏に感じる。

 神官サマはそれに関して特に何も思うところが無いようで、テーブルをとんとんと指で叩きながら別の何かを考えているようだった。


「ユエは、ウィオレ総主教補佐に見覚えはないのですね?」

「初めてお会いしたと、思います」


 あの、特徴的な菫色の瞳を忘れる訳がない。


「カエルレウムさんは」

「カエルでいい。あんたに正式に呼ばれると皮肉に聞こえる。俺も、見たことが無い」


 眉間に皺を寄せて、カエルはひらひらと手を振った。


「では、カエルさんと。この旅程でお2人はほぼ一緒に行動されていたと思いましたが、ユエが貴方と離れていたことはどのくらいありますか?」


 私はカエルと顔を見合わせる。

 カエルはずっと護衛をしてくれている。離れたことなどない。


「パエニンスラの、お城の中くらい? 着替えとお茶会の間はさすがに……」

「そう、ですか……では、それ以前……」


 神官サマは珍しく難しい顔をしていた。


「ルーメン?」

「……ポルトゥスに、行きましたね? その時に神殿関係者には?」

「会ってない。ユエに近づくなと言ったのはあんただろ? 遠目に今回の厄介事の原因は見た。街中はごった返してたから、あの中に紛れていたのなら気が付かん」

「手は代書屋さんとクロウと繋いでたけど、すぐ後ろにカエルもいたからその時も離れていたとは言わないよね。攫われかけていた間くらい?」

「……そういえば、そういう話をしていましたね。一団を潰したとか。ユエが攫われかけたんですか?」


 あれ? 神官サマは知らなかったっけ?

 というか、何でも知ってる気がしてたから意外だ。


「海辺の倉庫にしばらく閉じ込められてました」

「そうでしたか。無事でよかったですね。護身具は役に立ったということですね」


 ふふ、と彼は私の左腕に視線を落とした。


「ユエは髪色が濃いので人混みでも意外と目立ちます。変な輩に目を付けられることも心に留めなければなりませんね。フローラリアでも腕を引かれたのでしょう?」

「人違いだったと、言われましたけど」


 カエルが話したのかな? 彼に視線を向けてみたが、カエルはじっと神官サマを見ているだけだった。


「で? なんの確認なんだ?」


 カエルがそう言って初めて話が流れそうになっているのに気付いて、私ははっとした。

 神官サマが意外そうにカエルを見やる。


「いえ。私の勘違いだったようです。人混みでユエとすれ違えば、確かに印象に残りますものね。あまり気にしないで下さい」


 話の中心点が見えなくてもどかしい。

 私の印象に残る、ではなくて、私が印象に残る、なのか。

 カエルも同じことを考えているようで、眉間の皺が深くなった。


「ルーメン。話が見えなくて困っているではないか」

「すみません。何ぶん確証のある話ではないので、ついそのような話し方になってしまうのです。勘違いのようなので、この話は無かったことにしたかったのですが、突っ込まれると恥ずかしいですね」


 神官サマは葡萄酒のグラスを持って、いつものように微笑んだ。

 そう言い切られてしまうと、もうそれ以上は突っ込みようもない。

 私も葡萄酒のグラスに口を付けたら、横からカエルに奪い取られてしまった。


「そろそろ、やめとけ」

「えー。代書屋さん運べるなら、私は軽いもんでしょ? まだ大丈夫だよ」

「こんな所で潰れるつもりか? どれだけ能天気なんだ。あの部屋は内鍵しかない。お前が潰れたら誰が鍵をかけるんだ?」


 フォルティス大主教に笑われた。


「何、カエル君がかければいいではないか。別に1つのベッドで寝ても誰も咎めはせん」

「そっ……」


 カエルはぎょっとして大主教を振り返ると、何度か口を開け閉めした。

 それを見てまた彼は笑う。


「カエル君は真面目だな。うちのやつらにこそ見習わせたいところだ。悩み多き年頃だろう? 部屋で飲み直すか?」

「な、悩みは……」

「よし! 行こう」


 まだ開けていない葡萄酒の瓶を引っ掴んで、大主教は楽しそうに立ち上がった。


「いや、だから悩みなんて……」

「いいからいいから」

「ユ、ユエを送って……」

「ルーメンが送り届ける。心配するな」


 もの凄く強引にカエルを促して、彼らは行ってしまった。

 私はぽかんと呆気にとられてしまう。


「魔狼の時の活躍と、お酒の強さに一度ゆっくり話したいと言ってましたから」


 神官サマはくすくすと笑っていた。


「私と違って、真直ぐないい男ですよ。誰にでもああです。心配かけないように私達も行きましょうか」


 カエルがいなくなったのをいいことに、もう一度葡萄酒のグラスを持っていたのだが、カエルがしたように神官サマは私からグラスを取り上げた。


「ユエを運ぶくらいは私にもできますが、せっかく名前を呼べるくらいまで改善した関係を壊したくないので、彼に倣っておきます」


 にっこりと笑う神官サマに私は少し膨れて見せて、仕方なく立ち上がった。


「神官サマって、私よりカエルの方が好きですよね」


 ふふっと楽しそうな笑い声が聞こえた。

 先を行く神官サマの肩が少し揺れている。


「好き嫌いでは見ていませんが、興味を引く方、という言い方をすればそうかもしれません。ユエは見た目や行動は幼いですが、中身は意外と大人なので」


 外をしばらく歩いていたが、神官サマがぴたりと足を止めて振り返った。

 いつもの笑顔が、少し悪い笑顔になっていた。


「大人なユエに、少し頼み事をしてもいいですか? ナイショの、頼み事です」


 私は少し怯む。碌な事じゃない気がする。


「嫌だ、といったら真直ぐ帰してくれますか?」

「今日、今しか機会が思い付きません。中央ここでの最後の心残りです。聞いてくれたら何でもします。二度と近づくなと言うならそうします。誰かをこの世から消してほしいならそれもします」

「……物騒すぎて、聞くのが怖いです」

「ユエにしか出来ない事ですので。ついて来て、資料を1枚見つけてほしいのです」


 彼が提示した内容に見合うだけのお願いとは思えなかった。

 でも、それだけ問題のある資料なのかもしれない。


「その資料をどうするんですか?」

「抹消します」


 間髪を入れず、短い答えだった。

 誰かに売り渡すとか、他に迷惑のかかる類ではないのだろうか。

 彼自身の、何か拙い資料というなら、まぁ、いいかな。

 消したい過去って誰にでもあるだろうし。


「それが無くなって、誰か困る人は出ないんですか?」

「元々、多くの人の目に留まる物ではありません。もう調べ尽くされた資料です」


 私は溜息を吐いた。バレたら間違いなくカエルに叱られる。


「私に危険は?」

「ユエが一生口を閉じていれば、ありません」

「そういうのばっかり」

「では、忘れさせてさしあげます。どちらでも、構いません」


 根負けしたというか、面倒くさくなったというか、お酒の力もあって私は半分自棄になってそれを受けた。

 神官サマは傍にあった扉を開けて建物に入り込むと、迷うことなく歩みを進めた。

 何度も言うが、角を3つくらい曲がったら、もう私は自分が何処にいるのだか判らない。階段を幾つか登ったり降りたりもしたし、雰囲気の違う建物にも入った気がする。

 最終的に辿り着いたのは図書室と書かれた板のかかっている1室だった。


 中に入ると正に図書室で、教団の歴史と書かれた背表紙が沢山並んでいるのが目に入る。

 神官サマは棚の間を本など目もくれずに進み、まるで隠されるようにしてあった地味な扉に手をかけた。

 少しの間、じっと私の顔を見て、それからゆっくりと扉を開いていく。


 扉の先は下へと続く螺旋階段だった。

 ぐるぐると降りていくと、窓の無い狭い部屋に着いた。

 その部屋にただ1つある棚には鍵が掛かっているのか、一文字の穴が取っ手の下に開いており、ぼんやりと魔方陣がそれを囲むようにして回っていた。


 これ、ダメなヤツじゃない?


 私の気持ちを知ってか知らずか、神官サマは自分の胸元からプレートを取り出してその穴に差し込んだ。

 かちゃりと軽い音を立てて、魔方陣は霧散する。

 両開きの扉を開けると、神官サマは振り返って微笑んだ。


「お願いします」

「そこまで開けられるのに、ご自分で探さないんですか?」

「中の、抽斗だけ開けられないのです。その抽斗は総主教しか開けられない仕様なので」


 乾いた笑いが漏れた。笑うしかないよね?

 見た目は普通の質素な抽斗だ。左側の棚の半面を上から下まで埋め尽くしている。


「この、抽斗です」


 神官サマは下の方の抽斗を指した。

 場所まで分かっているという事は何度か自分で試したのかもしれない。

 少し緊張しながら、抽斗に手をかける。


 何の抵抗も無く、その抽斗は開いた。中には紐で括られた資料の束と、袋がひとつ入っていた。

 資料を取り出して神官サマに手渡すと、彼はぱらぱらと目当ての物を探し始めた。

 やがてあるところで動きを止め、静かにそのページを見下ろしている。


 あまり見てはいけないと思いつつ、好奇心に負けて視線を向けると人体図が描かれていた。矢印や注釈がついていて、カルテみたいだな、とちょっと思う。細かい字は見えない。

 ただ、その人物が女性で妊娠しているという事だけは図から読み取れた。

 やがて彼はその1枚を丁寧に外して、残りの資料を私に差し出した。


「元に戻しておいて下さい」


 黙って言う通りにすると背中の方が急に明るくなった。

 今まで足元が見えるくらいのぼんやりとした明るさしかなかったので、びっくりして振り返る。

 神官サマの手の中で、先程の資料が青白い炎の中に消えていくところだった。

 灰も残らない。

 どきどきして見入っていると、神官サマが少し哀しそうに微笑んだ。


「ありがとうございます。もう、心残りはありません」


 両開きの扉をぱたりと閉めると、一文字の鍵穴からするすると文字列が出てきて円を描き、やがて魔方陣となってゆったりと回り始めた。


「何をしてほしいです? 約束ですから、何でもしますよ。望むならユエを抱いてもいい」

「の、望みません!」


 慌てて否定すると、彼はちょっと首を傾げた。


「人恋しい、感じがしたのですが」

「誰でもいい訳じゃないでしょう!?」

「そうですか。すみません。そういう方もいらっしゃるので。では、何を?」


 何を、と言われても困る。


「いいです。別に何もしなくて」


 思いつかなくてそう言うと、神官サマは困った顔をした。


「ここで決めておかないと、いつまでも私と関わることになりますよ?」

「じゃあ、『何もしない』をして下さい」


 神官サマは少し考えてから、声を立てて笑った。

 この人に会ってから、そんな風に笑うのを初めて見た。それ程長い時間ではなく、すぐに喉の奥でだけくっくと笑ういつもの様子に戻ったのだけど。


「ユエ。ユエが私の上に落ちてくればよかったのに」


 一生分笑ったというような顔をして、一息つくと、神官サマは螺旋階段を登り始めた。


「『何もしない』をしましょう。ただ、ここで起こるかもしれない厄介事からは私が全力で守ります。少々不快なことがあっても、目を瞑ってもらいますよ」


 何だかまた物騒なことを言っている。

 ちょっと証言をして終わりの筈じゃないのか。

 しかも、起こる事、じゃなくて、起こるかもしれない事、って。

 あの瞳には未来まで映るというのだろうか。

 私は溜息を吐きながら螺旋階段を登るのだった。




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