59.シルワ

 カエルはこちらに戻ってきて、軽くコートの水分を払ってから乗り込んでくる。前髪からは滴が落ちていた。

 その前髪をかき上げて、彼は肩で息を吐く。

 タオルを渡してあげたいが、荷物は全部屋根の上だ。


「もう大丈夫? まだ止まってるなら1度荷物降ろして……」


 そこで馬車は動き出した。


「この先に少し開けた所があるから、とりあえずそこまで行くようだ。何頭か逃がしてるから、頭目が別にいるなら気は抜けない」


 せめてもと籠バッグからハンカチを出して拭いてあげようと腰を浮かせたら、苦笑してそれだけ寄越せと言われた。


「こんな道の悪い中立ち上がるな。ユエまで濡れる」


 ハンカチを渡す時、触れた手袋がぐっしょりと水分を含んで冷たくなっているのが分かった。

 思わず顔を顰める。


「風邪ひきそう。それ外して、手を貸して? 温めてあげるから」


 両手を差し出してみるも、カエルはがしがしと頭を拭いていた手を止めてじっと私の両手を見詰めるだけだった。


「……いや、大丈夫だ。まだ出なきゃならんかもしれん」


 それでも手袋だけは外させた。ぎゅぎゅっと肌と擦れる音が響いていた。




 しばらく行くと、夕暮れくらいの明るさが戻ってきた。雨も上がっており、少しほっとする。

 馬車はちょっとした広場の中央付近に並べて停められた。

 隣の馬車から神官サマ達も出てくるのを見て、私はカエルの荷物を降ろしたいと主張する。寝込まれて困るのは、多分私だ。


 私が外に出るのは許されなかったが、代書屋さんが代わりに降ろしてくれると言ってくれた。

 扉付近で荷物を手渡されるのを待っていると、御者さんを残して冒険者さん達が集まっていくのが見えた。

 よいしょ、と代書屋さんが荷物を入口に置いてくれたのを見計らって、カエルが声を掛けてくる。


「ジョット、持ってろ」


 腰の剣を抜き、柄を上にしたままほいっと代書屋さんに投げ渡す。


「向こうに行ってくる。気は抜くな」

「え。ちょっと荷が重くない?」

「イイとこ見せられるかもしれないぞ?」


 にやりと笑ってカエルは冒険者さん達の輪の中に入って行く。

 もうそんなに危険は無いと思っているのか、代書屋さんの腕を信じているのか、あるいはその両方かもしれない。


「こんなもの渡されたら馬車に戻れないんですけど。お前が囮になれっていう意味なのか、密室にユエちゃんと2人っきりっていう状況をもう作りたくないのか……どっちだと思う?」


 口を尖らせてこちらを振り返った代書屋さんに、私は笑う事しかできなかった。

 ちょっと可哀相だったので荷物を奥へ押しやった後は、扉を開けたままお喋りする。

 ふと会話が途切れたところで、一陣の風が吹き抜けた。

 わっと代書屋さんが顔を覆った後で木々の葉に付いていた水滴がばらばらと落ちてくる。


「ジョット!」


 カエルの鋭い声が飛んでくるのと、正面の茂みから黒い塊が飛び出してくるのが同時だった。

 ただ、先程見ていた襲撃よりはかなりスピードが落ちるし、何より距離があった。

 代書屋さんはやれやれと、後ろ手に扉を閉め、剣を構える。


「ホントに見せ場作ってくれなくてもいいんだよ? 誰の差し金?」


 代書屋さんの首元めがけて飛び上がった黒い魔狼の鼻先を切り上げて、怯んだところで喉元を掻き切る。

 ほんの、一瞬だった。

 断末魔をあげる暇も無くどさりと地面に落ちたそれは、すでにあちこち傷だらけで、よく見ると額に10cm程の角が1本生えていた。

 全体が黒く長い毛で覆われており、その黒い角を目立たなくしている。知らずに突進されれば結構な怪我を負いかねない。

 代書屋さんはひゅっと鋭く剣を振り、血糊を振り払うと駆け寄ってきたカエルにそれを投げ返した。


「わざとじゃないぞ。俺が用意するならそんな死にかけじゃなく、元気な奴にする」

「それもどうかと思うよ?!」


 カエルは魔狼の死体をしげしげと眺めると、少し眉間に皺を寄せた。


「さっきの奴らじゃないな。ここまで手傷を負わせて逃がした奴はいないはずだ」


 カエルの後を追うように来て、同じように死体を覗き込んでいるおっさん冒険者は、顎に手を当てて考え込んでいる。


「剣で斬りつけられたにしちゃ、浅ぇな。あれみてぇだが……」

「あれ?」


 おっさんは少しだけ言い淀んだ。


「……旋風魔術ウェルテクス……いや、こんな風に傷を複数同時に付けるような規模のヤツは現実的じゃねぇが……」

「主クラスか。風使いでその規模が出来るヤツはいないのか?」

「範囲でそれを放つよか、真空魔術ワクウムで確実に首飛ばすだろ?」

「……かもな」

「……兄ちゃん、昨夜ゆうべ、何見たって?」


 カエルは死体から目を上げておっさんの顔を見た。


「鉢合わねぇこと、祈りたくなってきたな」


 皮肉気に笑って、おっさんは冒険者達の元へ戻っていった。

 もういいかと思って扉を開ける。


「カエル、着替えた方が良いよ。私ちょっと出てるから、中で」

「いや、それは……」

「熱でも出されたら、私が困るんだってば! 泊まる街までまだしばらくかかるんでしょ? 雨も止んでるし、危なそうなら隣の馬車にお邪魔するから」


 神官サマ達の乗る隣の馬車を指差して言い、数人が周囲の確認を行っている間に、カエルからコートを剥ぎ取って馬車に押し込んでしまう。

 仕方なさそうに、カエルはカーテンを引いた。


 少しでもコートの水分を飛ばそうと振ろうとしたのだが、水を吸っただけではない重さがあって上手く振れない。

 何だろうと内側をよくよく見て驚いた。

 裾の方はぐるりと投げナイフが収納されていた。それも、2段になっている。幾つか空きがあるのはさっき使ったからだろう。胸元にも何本か収納できそうなスペースがあるし、他にも隠しポケットらしきものが沢山付いているようだ。


 これ、絶対特注だよね。ロレットさんが作ったんだろうか。

 常にこの重さを着てるって、それだけでトレーニングになりそう……

 ってか、リアル忍者?

 乾いた笑いを浮かべている私に気付いて、代書屋さんがコートを覗き込んだ。


「……凄っ」

「――ユエっ! コートは危ないからジョットに預けておけ!」


 馬車の中から、はっとしたような声音でカエルが叫んだ。

 危ないって……そんなもの着ないでよ。


「危ないものを僕になら預けていいの? ねぇ、1本見せてもらっていい?」


 私からコートを取り上げると、代書屋さんは返事も待たずにナイフを1本抜いた。


危ないんだ。扱いを知らんからな。見てもいいが下手に試すなよ」

「りょーかい」


 代書屋さんが手にしたのは前に私が見たのとは違う、クナイっぽい形をしたものだった。

 刃は細く先が尖っていて、切るというよりは刺す方に重きがあるようだ。持ち手は丸みを帯びていて革紐の様な物が巻いてある。

 代書屋さんの手の中でくるりと回されると、柄尻に透明な石が嵌っているのが見えた。

 彼はその石を指でそっと撫で、次に軽く押し込もうとした。


「げ。鬼畜仕様だね。どんだけ自信あるの」

「試すなって言うのに!」


 馬車の中からイラついた声が飛んでくる。


「君のことだから安全対策はある程度してるんでしょ。ユエちゃんの傍で暴発なんてさせられないもんね。ちゃんと刃の方が重いし、落としても発動しないようになってる。ここの石が焔石じゃないってことは、中でもう1段仕掛けがあるんでしょ? 呆れるくらい安全じゃない」


 ベルトを締めるのもそこそこに、乱暴に扉を開けてカエルが飛び降りてきた。

 久しぶりに村にいたときの普段着のカエルだった。


「俺は自分のことをあまり信用してない」


 代書屋さんからナイフとコートをひったくると、ナイフを元の場所に収めてコートは畳んでしまった。

 代書屋さんは軽く肩を竦める。


「消耗品にお金かけてるよね」

「使い勝手はよくない。数はそんなに用意してない。念の為だ」

「毒塗った方が効果は高いしね。そういうのは……」

「あるに決まってる。だからユエには危ないと……」

「勝手に触ったりしないよ」


 子供扱いされた気がして、むっとして口を挟んだ。

 2人の視線がこちらを向く。

 どちらも少ししまったという顔をしていた。


「あー……そうじゃなくてね。僕も変わった武器とか好きだから、つい、ね。ユエちゃんの前でする話でもなかった、か、なぁ」

「あれは中に火薬が仕込んである。柄尻にある程度以上の衝撃が加わると爆発する仕掛けだ。威力は大したことないが取り扱いには一応注意が必要だから、言ってないユエには預けたくなかった」


 言い訳の仕方に見事に性格が出ていてちょっと面白い。

 そして、飲みながらそんな話をしてるのかな、と2人の関係が少しだけ透けて見えた。代書屋さんは経験を伴った知識を。カエルは読書で培った知識を。それぞれをぶつけると面白いのかもしれない。


「おーい。そろそろいいか? 出発するぞ!」


 いつの間にか全員揃っていたらしい。

 私達は慌てて馬車に乗り込むと、顔を合わせて少しだけ笑った。


 ◇ ◆ ◇


 その先は緊張するようなことは無かった。

 何度か馬車のスピードが落ちたが、止まるようなことも無く、熟練の冒険者さん達はしっかりと仕事をしてくれているようだった。

 深い森を抜け、小さな町や村を通り過ぎると、やがて森に囲まれた領都シルワに到着した。


 ここは今までの都市と違い、圧倒的に木造の建物が多かった。高くとも3階くらいまでのログハウスのような作りで、縦に高くない分ワンフロアが広く作られていた。

 街の中にも緑が多く、自分の住んでいた街を懐かしく思いだす。


「……どうかしたか?」


 馬車の窓に張り付くようにして黙り込んだ私に、カエルは訝しそうな視線を向けていた。硝子……氷板石だっけ? に映り込んでいる。


「ううん。雰囲気がちょっとだけ、住んでた所に似てたの」


 本当にちょっとだけ、だけど。

 だって、カナダとか、スイスとかの方が絶対に似てる。


「こんな感じなのか?」


 カエルも窓の外をじっと見つめた。


「いや、かなり違うけど。街の中に緑が多い所とか、ちょっとだけ」


 誤解されると困るので、ちゃんと訂正する。

 もっと高層マンションがいっぱいで、これを基にされると幻滅される。いや、見ることなんてないんだろうけど。


「そういえば、ここの宿に木で出来たお風呂があるって聞いたよ。流石の僕も見たことなくて想像がつかないんだけど」

「え!?」


 ひ、檜風呂!? 檜じゃないかもしれないけど!


「そ、それって部屋付きのお風呂なんですか?」

「ううん。レモーラの公衆浴場みたいに別棟になってるって話。思ったより早く着いたし、ゆっくりできるかもね」


 代書屋さんの言うとおり、空は曇ってはいるもののまだ明るかった。

 宿に着いてすぐにひとっ風呂浴びれるかもしれない。なんて贅沢!

 先程までの緊張した旅路を忘れて、私はひとりほくほくと到着を心待ちにするのだった。




 宿に着き浴場に向かうと、レモーラで公衆浴場に行ったことがなかったので、初め少し戸惑ってしまった。

 浴場では受付で沐浴着の入った袋が渡され(ここの沐浴着はウエストの絞れる膝丈のムームーみたいなものだった)、男女別の入口から中に入るとシャワー室の様な個室が並んでいた。少し様子を見ていると、そこで体を洗ってしまってから沐浴着を着こんで湯船に向かっているようだ。

 個室の入口はカーテンで仕切られ、足元が膝くらいの高さまで開いている。


 なんとなく仕組みを理解して、私は個室に突撃した。

 中にはシャワーというよりは打たせ湯のように、お湯が高い位置から落ちている。

 シャワーヘッドを作って売り込んだら儲かるだろうか?

 まあ、私がしなくても近いうちに誰かがきっと思い付くだろう。そういうものだ。


 周りに習って全身を洗ってしまい、沐浴着を着こんで個室を出る。脱いだ服は沐浴着の入っていた袋に入れて、入口付近の棚に置いておくようだ。書いてある番号を忘れないようにする。湯船に向かうとほんのりと木の香りが鼻をくすぐった。


 温泉銭湯等にある檜風呂さながらに、数人先客が浸かっていた。

 ここでも少し懐かしい気分になる。裸じゃないのが少し不思議なくらいだ。

 流石にお湯に沈むのは自重したが、心ゆくまで浸かるとまた個室で着替えて外に出る。

 代書屋さんが受付でエールをもらっているのが見えた。


「何杯目ですか?」


 苦笑して聞くと、彼は笑って目を逸らした。

 結構ゆっくりした自覚があるので、1杯ではないだろう。

 休憩所の様な場所で椅子に座ると、半分くらいジョッキを空けて代書屋さんは口を開いた。


「カエル君もくればよかったのにね」

「……苦手なんですよ」


 私は曖昧に笑う。紋を隠しておきたいカエルはこういう場には来られないだろう。幸い部屋にも普通のお風呂が付いていた。いい宿を選んでもらっている。


「部屋のお風呂でゆっくりしてますよ」

「まあ、僕は湯上りのユエちゃんが見られて役得だけど? よく送迎まで託してくれたなー」

「昼の魔狼退治で株上げたんじゃないですか?」

「そんな甘くないでしょ。渋々ってとこかな。護衛の冒険者にも何人か会ったし、彼らに絡まれるよりは脅しの効く僕の方がいいってね」

「脅されてるんですか?」

「目でね」


 おどけて代書屋さんは笑った。

 さて、と彼は残りのエールを一気に流し込み立ち上がる。


「戻って晩御飯だね。無事に着いたから、今日は宴会じゃない?」

「すでに飲んでるじゃないですか」

「これは風呂上りの水分補給だもの」


 呆れる私に背を向けて、彼は足取りも軽く受付にジョッキを返しに行った。




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