58.森にヒソムもの

 ノックの主は代書屋さんだった。

 カエルがこちらに来ているか確認しに来て、居るのはいいが鍵のかかっていたドアに訝しげな顔をしていた。


「窓から来たんですよ。目を疑いましたもん」

「ここ、3階だけど……」

「ね?」


 自分の感覚が間違ってなくてほっとする。

 笑ってカエルを振り返ると目を逸らされた。ふざけ過ぎてちょっと機嫌を損ねてしまったらしい。


 代書屋さんも今日は流石に二日酔いではないようなので、早めの朝食を一緒にとってしまう。

 酒場を後にする時、例のおっさんと会ったので、カエルは一応軽い打ち合わせをしていた。

 あの光や噂の事だけでなく、今日通る森の中が一番注意が必要な場所なようで、普通に狼や野犬、猪に下手をすると盗賊が出るという話だった。


「野犬くれぇならなんてことねぇんだがな……最近魔狼が目撃されてるみてぇなんだ。単独ならいいが、群れを作っていやがったら手伝ってもらうかもしれん」


 そんな会話が聞こえてきて、ちょっと緊張した。

 出発前には代書屋さんも神官サマ達と何か打ち合わせをしていて、気持ちだけがソワソワしてしまう。

 念のためだから心配ないよと代書屋さんは笑ったけど、冒険者達のピリリとした空気はとても安心できる物では無かった。


 街を抜け、小麦畑を後にするとあとは見渡す限りの草原が広がっていた。

 時折、遠くを鹿のような動物の群れが移動していたりする。

 変わらない景色の中に、こちらを窺う物があるかと、ずっと窓の外を眺めていた。


「少し寝たらどうだ? 今朝も早かったし、昨日は馬車で寝てないだろう?」


 カエルだって、と思ったが私の知っているカエルは朝早く、夜遅いのが普通で昼寝をしているのもあまり見ない。

 加護の力だけで、常に寝込んでた人がそれ程元気になるものなのかと不思議になるくらいだ。


「なんか、気になって寝れない……」

「大丈夫だ。彼らはそれが仕事だ。俺も居る。俺はそんなに信用無いか?」

「そうじゃないけど……」


 向こうでは野良犬さえ殆ど見掛けなかった。動物は動物園で見るやる気の無い奴らばかりで、馬車を襲うようなアグレッシブなものを想像できないのだ。


「シルワに入る前に休憩挟むと思うから、それまでなら安心して休めるんじゃない? もう、ずっとその景色が続くから、そのうち眠くなると思うよ」


 そんなこと無いよ、と思ってたのに、本当に代わり映えしない景色に、しばらくするとかくりと頭が落ちる。

 はっとして周りに視線を向けると、代書屋さんもカエルも苦笑していた。


「枕をどうぞ、お嬢様」


 ぽんぽんと膝を叩いてカエルは執事スマイルを浮かべた。


「それは要らない。永遠に起きられなさそう」

 

 2人ともちょっとだけ笑う。

 私は大人しくカエルの肩を借りることにしてことりと頭を寄せた。

 港町からの帰りはあんなに緊張して眠るどころじゃなかったのに、今日はすぐにうとうとと微睡む。

 たまにぽつりぽつりと聞こえてくるカエルと代書屋さんの声が、子守唄のようで心地良かった。


 ◇ ◆ ◇


 誰かが、笛を吹いている。

 低いような、高いような。長く、長く伸びる音。

 いや、笛じゃない。法螺貝? そうじゃない。これは。


 遠吠えだと気付いてびくりとして目を開ける。


「大丈夫だ。遠い」


 そっと手を握られて、私はカエルを見上げた。

 目が合うと彼は軽く頷いて窓の外に視線を移す。

 いつの間にか草原の縁には木々が増え、その向こうは小高い丘になっている。

 どんよりと薄暗い空は今にも泣きだしそうで、昼近くになろうというのに夕刻を過ぎたかのようだった。


「どっちだと思う?」


 代書屋さんも反対の窓から外を見やりながら、難しい顔をしている。


「微妙だな。魔狼の方を想定しておけば問題はない」

「普通の狼と魔狼と、どう違うの?」


 ちょっと強そうというくらいのイメージしかないので、聞いてみる。


「魔狼は体内の魔素量が普通の狼に比べて桁違いだ。頭のいい時期主候補ともなると単純な魔法で攻撃をしてくる。そうでなくとも魔素を身体能力に上乗せしてくるからやっかいなんだ。生まれながらに魔狼なモノと他から魔素を奪って魔狼に成り上がる奴がいて、前者の方が魔素の扱いに長けてる分やっかいだな」

「じゃあ、魔犬とか、魔猪まちょとかもいるってこと?」

「そうだ。それらをひっくるめて魔獣と言う」


 代書屋さんが不思議そうな顔をした。


「ユエちゃんの国では魔獣はいなかったの?」

「……いなかったんでしょうね」


 多分、きっと、絶対いないと思うけど、とりあえず有耶無耶にしておいた。

 カエルはもう色々と私のことに慣れているから、何の疑問も無く説明してくれるけど、それに慣れてしまうとちょっと不味いかもしれない。久々に言動に気を付けようと思った。

 草原の端っこと言っていい場所に休憩する街はあった。北側にはすぐ傍まで黒々とした森が迫っている。

 昼食に入った酒場で誰も彼も情報交換に当たっていた。


「ユエ」


 隣のテーブルから、神官サマに呼ばれた。軽い手招きに、他の人と話していたカエルは渋い顔で視線だけ寄越している。


「何ですか?」


 移動していくと、隣の席を勧められた。腰を下ろすと小声で左手を貸せと言う。


「何するんですか?」


 警戒バリバリで睨みつけると、少し困ったように首を傾げられる。


「護身具の一時強化ですよ。大っぴらにやると彼、良い顔しないでしょう? 石1つ分しかしませんから、テーブルの下で少し触れさせて下さい」

「強化ってどうするんですか」


 迷子札の他の使い道が思い付かない。


「別に書き換えたりしませんから。ちょっと、光量を増やすだけです。防御した時にそれに当たれば目眩ましになります。積極的に殴りつけてもいけますね」

「本当に、それだけ?」

「誓って」


 迷ったものの、私は左手を差し出した。

 神官サマは腕輪を指でなぞり、1つの石の上で止めた。特に光るでも熱を持つでもなく、ただしばらくそのままでいたが、やがてふっと一息つくと微笑んで指を離した。

 腕輪にも石にも特に変化はない。なんだか騙された気分だ。


「いざという時に使って下さい。以前に私が差し上げたティバーの縫いぐるみでもあれば、もう少しましな防御が出来たんですけどね。まぁ、持ち歩く年頃でもないですし、どうせ地下にでも仕舞い込まれているのでしょうから、言っても仕方のない話でしょうが」

「……縫いぐるみ?」

「もふもふがお好きだと、言っていたでしょう?」


 微かな記憶を辿ってみる。そういえば、熱を出してる時にテリエル嬢がプレゼントがあると言ってたような。


「え? 縫いぐるみが防御って、どういうことですか?」

「見てもいませんでしたか。瞳に、少し細工を。可愛らしいんですよ? 帰って気が向いたら見せてもらうといいです」


 彼は可笑しそうに笑った。

 可愛らしい縫いぐるみを防御に使おうとすることもよく分からないが、自分がプレゼントしたものがそういう扱いを受けていることに動じない彼もやはり解らない。いや、あの時は嫌がらせだと言ってた気もするので、そういうのも織り込み済みということなのか。

 色々と釈然としないまま、私は彼の頼んでくれた、この辺の特産だというベリーのジュースに口を付けたのだった。


「ルーメンは随分ユエさんを気に入ってるのだな。他人とそんなに楽しそうにしているのを俺は見たことが無いぞ」


 向かいに座って黙って事の顛末を見守っていたフォルティス大主教が、心底驚いたという顔をしていた。


「ええ。お友達になってくれたのはユエが初めてです」


 だから、初めては私じゃないでしょ? それに、随分強引に友達にされた気がするんですけど!

 呆れて神官サマを見るが、彼はにこにこと大主教に笑いかけている。


「そうか。だが、あまりそうしてると反対派の的にされかねんからな? 気を付けろ」

「大丈夫ですよ。ユエは私に冷たいですし、素敵な護衛がついてますからね。彼女を利用しても無駄だとすぐに分かりますよ」


 大主教はカエルと私を交互に見て、数度目をしばたかせた。


「そうなのか。それで、彼はお前に冷たいのか」

「そうですね。以前は半分がその理由でしたが……」

「今は?」

「8割、ですかね」


 あっはっはと、大主教は声高に笑った。


「増えてるじゃないか。どうしてそう人の神経を逆なでするのが好きなんだ」

「好きなわけではないのですが。結果的にそうなるというだけで」

「どうしてそれでお前が信者を増やせるのか不思議だな」

「仕事には真摯に向き合ってますので」


 仕事ね、と言って大主教は立ち上がった。


「よし。俺が彼と親睦を深めてこよう」


 彼はカエルの隣に陣取ると、エールを頼んで勧めていた。

 私はさっきの会話に少しの違和感を感じていたのだが、どこに感じるのか結局判らずに溜息を吐いた。


「信者を増やすのに、本当に使ないんですよね?」

「ないですよ。普通に説教するだけです。1度聴きに来られれば分かりますよ」

「遠慮しておきます」

「本当にユエは冷たいですね」


 ふふと神官サマは笑う。

 初め少し戸惑っていたカエルも、代書屋さんと3人で話しているうちにそこそこ盛り上がっているようだ。

 窓の外に目をやると、いつの間に降り出したのか雨粒が窓を叩いていた。




 それほどゆっくりもしていられず、暗くなる前に森を抜けてしまいたい私達は、雨の中馬車を走らせる。

 馬車の中にいる私達はまだいいが、御者や護衛をしてくれている冒険者の皆さんは大変だ。視界も悪くなるし、必然的にスピードはゆっくりとなる。

 森の入口に差し掛かると後ろから竜馬が1頭追い越して行った。


「何かあったのかな?」

「いや、斥候に2人ほど先行するんだ。うちの1人だろう」


 カエルも代書屋さんも、ちゃんと彼らの動きを把握している。

 ひとりだけぼやっと乗っているだけなのは、なんだか悪い気になった。


「私も何かできればいいのに」

「気にすることないよ? ユエちゃんは完全にお客様なんだから。僕は裏方には慣れてるからね」

「お前は黙ってるのが仕事だと思え。下手に動かれたらこっちが困る」


 カエルの呆れ顔と視線が痛くて、私は代書屋さんに愛想笑いして誤魔化した。

 森の奥に入り込むにしたがって、木々に遮られてか雨は小降りになったものの、周囲は夜のように暗くなった。

 御者さんはランタンの様な物を掲げていて、見通しがかなり悪いのだと知れる。

 突然、甲高い笛の音が響いた。

 カエルが厳しい視線を外に向ける。

 馬車はさらにスピードを落としたが、動きは止めない。


「一番嫌な動きだな」


 いつの間にかカエルがナイフを掴んでいる。


「ユエ、ジョットの方へ」


 言っているうちに暗がりの中から、もっと黒い塊が窓めがけて飛んできた。

 ぶつかる! と思った瞬間に前方から竜馬の顔が現れ、その黒いものに咬みついたかと思うとそのまま駆け抜けていった。

 立ち上がったカエルの袖を思わず掴んだが、彼は大丈夫だと笑ってその手をぽんぽんと優しく叩いた。


「怖かったらジョットに掴まってろ。役得だろ? ドアも窓も開けるなよ」


 後半は代書屋さんに向かって言って、カエルはゆっくりとはいえ動いている馬車のドアを開け、ひょいと屋根の上へ登って行った。

 動けない私の代わりにドアを閉め、隣に座ってくれた代書屋さんはやれやれと肩を竦めた。


「でも、僕が掴まえるのは駄目なんだよねー。そういう脅しでしょ。ユエちゃん、掴んでくれる?」


 差し出された手を、私は少し笑って握りしめた。

 後方にいたはずの竜馬が並走とまではいかないまでも、窓から見えるくらいには近くまで来ていて、ときおり威嚇するような鳴き声をあげている。

 暗くてよく分からないが、木々の間を何かが複数並走しているようだ。

 闇の中に光る点がいくつか見え隠れする。


 笛の音が短く数度聞こえた。

 馬車の速度が上がる。

 並走しているモノ達も同じだけ速度を上げてくる。

 窓の外を見ている代書屋さんの顔が厳しくなり、掴んでいる手に嫌な汗が滲んできた。


 ぎゃんっと、見ていたのと反対側から魔狼の声がした。

 反射的にそちらを見ると、竜馬に乗った冒険者さんが黒い塊を切り伏せているところだった。

 奥からもう2つ塊が迫っている。


 何か白いものが吸い寄せられるようにそれらに向かった。

 カエルのナイフだと分かったのは、それが魔狼の目に当たって先程聞いたのと違わぬ声を上げてから。


 3回目の笛の音は長く2回。馬車は徐々に速度を落とし、やがて止まった。

 睨み合うかのような緊張感の中、最初に動いたのはカエルだった。

 と、言っても本人が特攻したという事ではなく、魔狼の潜む木々のひとつにカエルのナイフが当たったかと思うと、その柄に後続のナイフが当たった瞬間、爆散したのだ。


 一瞬辺りが明るくなり、驚いた魔狼が隊列を崩すのが見えた。

 その隙を逃す冒険者などなく、あっという間に数頭片付いてしまう。

 爆発に馬車を牽く馬が驚いて、それを宥める御者さんが大変そうだった。


「……あの人、ナイフに何仕込んでんの……」


 代書屋さんの顔が引き攣り笑いしていた。敵に回したくねぇと、投げやりな声で呟いている。

 形勢が悪いと悟ったのか、魔狼が何匹か身を翻していくのが見えた。緊張して力の入っていた手を少し緩める。

 冒険者さんが2人ほど追撃しに行って、カエルが屋根から降りてきた。


「お……お終い?」

「殆どね。たまに、引いたと見せ掛けて隙を突いてくる奴らもいるから……」


 言ってるうちに前方で馬の嘶きとバタバタした気配がして、すぐに収まる。


「……ね」


 警戒しているカエルに竜馬に乗ったおっさん冒険者が近づいて、二言、三言何か告げそのまま戻っていった。




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