54.神スマウ処

 お城を発つ日だというので、今日の朝食は食堂で集まってとることになっていた。

 テリエル嬢のご両親の雰囲気が少し柔らかくなっていて、恥ずかしい思いをしただけはあるなと自分を褒めておいた。


 食後に出立の挨拶をしてしまって、部屋で纏めた荷物もカエルに預けておく。邪魔になるので使用人に任せて宿に届けてもらうらしい。

 馬車で行くという手もあったのだが、観光がてら少し見て歩きたかった。

 玄関ホールでカエルを待っていると、テリエル嬢が見送りに来てくれて、耳打ちするように顔を寄せた。


「……カエルをよろしくね」

「えーと、迷惑かけないように気を付けます……」

「居るだけでいいのよ。私に出来なかったことだわ。昨夜ずいぶん怒られたのよ? 酷いわよね? 私はただユエを綺麗にしただけなのに。仕舞っておけないのなら、ちゃんと繋いでおかなくちゃ。ね?」


 ね? って綺麗な顔で笑われても。彼女が言うとなんとなく物騒に聞こえる。

 繋がれるのは、私なのかカエルなのか。


「ちゃんと帰ってきてもらわなきゃ困るのですもの。でも……カエルと2人で何処かに行くというのなら、許してあげる。彼がそれを望むなら、許してあげるわ」


 少し寂しげに彼女は言った。子供を溺愛していた母親のように。或いは、ずっと傍で見てきた想い人を送り出す女のように……


「帰ってきますよ。私もあの村が好きですし。ちゃんとカエルを連れて帰って来ます」


 安心させるようにそう言った私を、テリエル嬢はぎゅっと抱き締めた。1拍おいて、囁きが聞こえる。


「お願い。カエルを好きになってあげて」


 だから、私も囁き返す。


「……もう、だいぶ、好きな気がします……」


 彼女の抱擁がきつくなった。弾むように少し体を離し、私の朱の差した顔をキラキラした瞳で見詰めると、その頬にキスをした。

 う、わ。美人のキスを貰ってしまったよ!


「ユエ、大好き!」


 もう一度ぎゅうっと抱き締めて、彼女は子供のように笑った。

 真っ赤になって困っている私を見兼ねて、ランクさんが彼女を回収しに来てくれる。

 準備の終わったカエルとビヒトさんがやってきて、何事かと呆れていた。


 城を後にして振り返ると、ようやく全景が見えた。四角くて、四隅に塔の建った割とシンプルなお城だった。

 お城と聞くとどうしてもシンデレラ城の様な三角の塔がいっぱいあるのを想像してしまうが、あの気さくな領主様にはこちらの方が似合っている。

 宣言通りにすぐに帰って来られるといいんだけど。


 ◇ ◆ ◇


 パエニンスラはとても都会だった。地方の主要都市くらいには、人も建物も洗練されている。

 建物と建物の間にロープが張ってあって、ときおり洗濯物が揺れていた。

 乾燥機はやはりお金持ちの持ち物という事かな?

 屋台は公園や広場などに集まり、街中ではそれほど見かけなかった。

 港町で見かけたように、1階が店舗で2階より上が住居という造りが一般的なようだ。


「珍しいものがありすぎて、目移りする」


 魔道具屋とか、何それ見たい。

 魔石屋とか魔術屋というのも普通に何件もあった。焔石大特価とか、日用品から専門品まで(何の専門かさっぱり分からないけど)扱ってます! と看板に書いてある。

 ペット屋らしきものもあった。猫だか犬だかも分からない白い毛玉のようなものが、もそもそとケージの中で動いていた。


 も、もっふもふ! あれに手を突っ込みたい!


 教会までは結構な距離があるし、オルガンを楽しみにしているので流し見するくらいしか出来ないのが残念だ。

 ぺったりと窓に張り付いて白い毛玉に見惚れていると、笑いと呆れの混じった声が飛んでくる。


「生き物は買えないぞ」

「わかってるよ」


 掴まえているカエルの腕が少しずつ店から遠くなる。離してしまいそうになるぎりぎりまで待って、渋々その窓を離れた。

 カエルがこちらを見てにやにやしている。意地悪だなぁ。

 今度その紺の髪に手を突っ込んでわしわししてやる!

 出会ったころは短髪だったカエルの髪が、今では前髪も目にかかりそうだ。

 手を突っ込めばもふもふ感を得られるかもしれない。


「……なんか、良からぬことを考えてないか?」


 私が濃紺の髪を凝視しているので、カエルは半眼になった。


「別に。髪伸びたなぁって」

「そうだな。そろそろ邪魔くさい。ユエも、伸びたな」

「カエルの髪って誰が切ってるの?」

「ビヒトだ。流石に自分では上手く出来ん」


 アレッタ辺りがやってるかと思ったんだけど、それもビヒトさんがやるんだ。

 櫛と鋏を持ったビヒトさん……似合うかも。


「私も切ってもらおうかな」

「切るのか?」

「纏めるのも面倒だし……」


 ここではゴムが無いのでひょいと括る訳にもいかない。


「俺がやる」

「仕舞われない?」

「仕舞いたくならない程度に、やる。ユエの髪は陽に透けると綺麗だ」


 彼は私の髪を一束摘まんでぱららと広げた。

 普段褒めてくれないので、どきりとする。

 い、今更褒めたって、わしわしするのはやめないんだからね!


 休憩を挟んだり、軽食を食べたりしながら中心街を堪能した。何だかデートしてるみたいだなぁとちょっと楽しくなる。カエルがどう思ってるのかは分からないけど。

 昼頃に宿に着いて、とりあえず手続きをしてしまう。


 すぐに教会に行く予定なのだが、こちらに帰ってくるのが何刻くらいになるのか判らない。

 もちろん部屋は別々で、繋がってもいない。木製のシンプルなベッドに安心感を持ってしまう辺り、私は本当に庶民だ。


 届いていた荷物を確認して、部屋にしっかり鍵をかけてから教会に向かった。

 さっきまでと違ってカエルの表情は硬い。

 気持ちは分からないでもないが、この先ずっとこの緊張感が続くのかな?


 教会はまるで白いお城の様だった。シンデレラ城の様な、ああいうお城。

 全体では三角屋根のシルエットで、細い尖塔がいくつも並んでいた。

 中央上部の丸い窓は花のような模様が入っていて、恐らくステンドグラスのような色ガラスが嵌っているに違いない。

 教団の影響力を物語るような建物だ。


 中に入ると村とは比べ物にならないくらいの人が居たが、広さが違うのでそれ程混みあっているという感じはしない。

 シスターや神官も複数人居て、規模の違いをここでも感じさせた。

 私は呆けてしまいそうな自分をなんとか押し込めて、近くの神官に声を掛けた。


「すいません。こちらにルーメン主教が滞在されていると伺ってるんですが、お呼びしてもらってもいいですか? ユエが来たと、伝えてもらえれば分かると思います」


 その若い神官は少しぎょっとして、私をまじまじと見つめると、少々お待ち下さいと奥へ消えて行った。

 アーチを描いた天井や、細長い窓と窓の間の柱の彫刻などに目を奪われていると、先程の神官が戻ってきて、聖堂でお待ちくださいと私達を先導するように歩き始めた。


 大人しくついて行くと広い広いホールに着き、正面に一際目を引くいくつものパイプが目に入った。

 その背後には複雑にデザインされたステンドグラスがあり、オルガン付近だけに、ドーム状に高くなっている天井の大きな花のような採光窓から、柔らかな光が降り注いでいた。


 私達が完全にドアを潜ると、案内してくれた神官は一礼して出て行った。

 聖堂の中には他に誰もいない。人払いがされているのだろうか。あのオルガンがあるのに開放してないなんて、観光資源としてはもったいないじゃないか!

 私は我慢できずにオルガンに駆け寄った。


「……ユエ……」


 呆れたカエルの声が追ってくる。

 それに構わずに4段の鍵盤にうっとりと視線を這わせる。全て木製の美しい鍵盤。

 その左右にはゆったりとカーブした壁面に、ドアノブのような丸いものが複数付いている。確か、これを引くと音を色々変えられるのだ。

 触らないようにうろうろと立ったり座ったりしながら眺めつくす。

 ほぅ、と溜息を吐いたところでクスクスと含み笑いが聞こえてきた。


「触っても構いませんよ?」


 振り返ると神官サマと代書屋さんと……誰?

 神官サマも背が高いが、さらにそれよりも背の高い、がっしりとした体格の、人の良さそうな男の人がニコニコと近付いてくる。

 白の神官服に金糸で刺繍が入っている衣装を着ているので神官なのは間違いないのだろうが、どう見ても体育会系で違和感が半端ない。

 くすんだ金髪にブルーの瞳が、海兵さんを連想させる。

 近くまで来ると身長差がありすぎて、大人と子供みたいだ。


「初めまして。ようこそパエニンスラ大聖堂へ」


 体に見合うように少し大きな声で、彼は右手を差し出した。

 私と握手すると彼はカエルにも同じように手を差し出す。

 躊躇ったものの、カエルはその手を握り返した。


「私はフォルティス・プレセンテ。一応大主教の位を戴いております。オルガンくらいしか能がない若造ですが、どうぞお見知りおきを」


 若造と言うが多分30歳くらいじゃないかな。年齢不詳の神官サマより、もう少し上な感じだ。

 いや、待て待て。それよりも大主教って言った? 神官サマ切りつけた人と同じ位!? 


「……ユエです。そちらは護衛をしてくれてるカエルレウム」

「カエルレウム。ああ、貴方によくお似合いの名前だ。なぁ、ルーメン」


 彼は神官サマを振り返る。


「そうですね。ちゃんと名前をお聞きしたのは初めてですが、納得です」

「ちゃんと……って。一緒に旅をしてるんじゃないのか? 相変わらずというか、何というか……そんなんで1人でやっていけてるのか? やはり俺なんかよりお前の方がここの大主教は……」

「フォルティス」


 にっこりと神官サマは笑いかける。


「私はあちらでとても有意義に過ごしています。表舞台に立つ気もその資格も有りはしないのです」


 なんだ、と私は思った。

 ちゃんと、友達居るんじゃない。


「ユエちゃん、オルガン触らせてもらったら?」


 ひょいと出てきて、代書屋さんは鍵盤の前で手招きする。

 私がちらりとフォルティス大主教を見ると、彼は微笑みながら頷いた。

 鍵盤の前まで進み、どうしようととりあえず適当な鍵盤を押さえてみる。

 とてもいい音が響いた。


 ああ、どうしよう。押さえるだけではもったいない。

 一生懸命思い出して、私は『さくらさくら』を弾き始めた。片手だけで拙いけれど、私が弾ける曲の中でこれが一番パイプオルガンに似合いそうだったから。


 途中でフォルティス大主教がドアノブのようなものを幾つか引いたり押したりした。

 音が弦楽器のように変わる。自分が凄く弾ける気になって気持ちが良かった。

 短い1曲を弾き終わって振り返ると、カエルと代書屋さんはちょっとびっくりしていて、フォルティス大主教は小さく拍手してくれていた。


 神官サマは――淡く光る右眼から一筋涙を零していた。

 どきりと心臓が音を立てる。

 泣けるほど素晴らしい演奏ではなかった。主旋律だけの、拙い――

 私と目が合うと、はっとして彼は袖で涙を拭った。それから、何故拭った袖が濡れるのかと訝しそうにそこを見詰める。


「ルーメン! 何を視てる? 勝手に視ちゃ駄目じゃないか!」

「い、いえ、今のは、視ようとした訳ではなくて……」


 誰かにストレートに詰め寄られる彼を見るのも、本気で動揺している彼を見るのも初めてな気がする。

 訳が分からないといった風で、彼は私に救けを求める様に視線を寄越した。


「ユエ、今の曲は……」

「故郷の、花の曲ですけど……知ってるんですか?」

「いいえ。初めて聞きました。でも、そうですか。花……木に咲く花ですね。薄紅色……いえ、もっと淡い。風にはらはらと舞い散る……」


 言っているうちに神官サマの視線は私を通り越し、先程見た光景を思い出しているかのようだった。


「……とても、美しい」


 彼の琥珀色の瞳がまたぼんやりと光を孕む。


「ルーメン!!」


 フォルティス大主教が彼を目隠しするのと、カエルが私を隠すように立ち塞がるのが同時だった。


「何をしている!? いつからそんなに見境が無くなった?」


 神官サマは左眼だけ目隠しを避け、フォルティス大主教をぽかんと見上げた。


「また、発動していましたか? いよいよ壊れてきたのかもしれませんね。いっそ、抉り出してしまいましょうか」

「馬鹿を言うな」


 私はカエルの袖を引き、大丈夫だと目で伝える。


「あの。別に私は平気なんで。見たいなら、もう一度弾きましょうか?」


 桜を見せてあげるくらいどうということは無い。覗き込まれた訳ではないので、曲のイメージが伝わったのだろう。

 ぎょっとしたようにフォルティス大主教とカエルが振り返った。


「平気? この娘は何を言っているんだ?」

「彼女は私が宣誓を担当した娘ですよ」

「は?! 君が? それで、まだ平気だと?!」

「面白いでしょう? ふふ。内緒ですよ」


 思わず神官サマの目隠しを解いて、彼はしげしげと私を眺める。神官サマの瞳はもう光ってはいなかった。


「あ、いや。だからと言って同意も得ずに力を行使するというのは――」

「解っています。本当に無意識でしたので……もう、目を瞑っていますので、フォルティスの演奏を彼女達に聴かせてあげて下さい」


 神官サマはそう言うと私に微笑みかけた。


「ユエ、ありがとうございます。いつか、また聴かせて下さい」


 それから踵を返し、客席に腰を下ろすと目を閉じた。

 そんな彼を見てひとつ溜息を吐いてから、フォルティス大主教はこちらに歩み寄ってきた。

 席を譲ると優しく微笑まれる。


「ルーメンは意地は悪いが嘘は吐かない。彼が何か間違っている時は遠慮せず叱り飛ばしてやってくれ。それが出来る人間は多くない」

「フォルティス……」


 戸惑うような神官サマの声にフォルティス大主教は豪快に笑って、鍵盤に向き合った。

 彼が演奏の準備をしている間に私達は神官サマと通路を挟んで反対側の客席に腰を落ち着ける。


 少しの緊張の後、演奏が始まった。

 柔らかく絡み合う音が幾つものパイプから降ってくる。大きな体に似つかわしくない繊細な指運びと足使い。採光窓からの明かりが色づいていくような錯覚に囚われる。

 まるで天使や神々がそこに降り立ったかのように。


 カエルが視線を宙空に彷徨わせたまま、そっと指を絡ませてきた。

 彼も同じ景色が見えているのかもしれない。美しすぎる光景は少し怖い。

 後で教えてくれたその美しくも長い曲のタイトルは『神住まう処』といった。




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J.S.バッハ:パッサカリアとフーガ ハ短調 BWV582

のパイプオルガンでの演奏を聞きながら書きました。イメージソングにどうぞ。

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