55.サクラさくら

 伸ばされた和音が光に溶けて消えると、静寂に包まれた。

 我に返った私は、ぱちぱちと惜しみない拍手を送る。

 凄い。技巧とか私にはよく分からないけど、とても素敵な演奏だった。

 照れくさそうに立ち上がってこちらにやってくると、フォルティス大主教は神官サマに声を掛ける。


「落ち着いたか?」


 ぱちりと目を開けて、彼は顔を上げた。


「はい。相変わらず素晴らしい演奏ですね。その無骨な体躯からだの何処にあの柔らかさが潜んでいるのでしょう?」


 心底不思議そうに神官サマは視線を往復させる。

 頭の先から爪先まで眺めまわされて、フォルティス大主教は顔を顰めた。


「ひとこと多い。そうやってウィディア大主教も挑発したんだろう」


 まだ残る頬の傷跡に指を這わせて、彼は舌打ちした。

 結構深かったので、完全には治らないかもしれない。シスター・マーテルなら治せるのかもしれないけど。

 傷は証拠なので治さないと神官サマは言っていた。ナイフの方も確保されているらしい。


「少しは箔がつくでしょうか」

「その綺麗な顔に箔は必要ないだろう? よりにもよって顔とは」

「全くです。命が欲しいなら心臓か首を、『神眼』が欲しいなら右目を狙えばいいものを。拍子抜けですよ。せめて顔の皮を剥がすくらいまでしてくれれば……」

「ルーメン」


 ぴしりと冷たい叱責が飛ぶ。


「ひとこと多いと言っている。審問会で言ってくれるなよ?」

「もちろんです」


 薄い微笑みは崩れない。

 諦めたように2、3度頭を振って、フォルティス大主教はこちらに目を向けた。


「こんな面倒な奴と旅など疲れるだろうが、私も同行してフォローするので許してほしい。場所を移そう」


 そう言って彼は先導するように歩き始めた。

 彼を追って神官サマも立ち上がったので、ひとこと言いに近寄る。


「友達、いるじゃないですか」


 きょとん、と神官サマは私を見下ろした。


「彼は後輩です。教え子と言ってもいいかもしれません。まあ、今は私よりも立場が上ですが」

「あんなに対等に心配されて、先輩も後輩も教え子もないですよ。ああいうのを友達って言うんです」


 不思議そうにぱちぱちと瞬きをしてから、神官サマは前を行く広い背中に目をやった。


「そう……そういうものですか……彼も、」


 そこで神官サマは声のトーンをほとんど聞こえないくらいまで落とした。


「彼も、に影響を受けにくい人間です」


 なんとなく、納得した。なんかしたか? と笑っていそうだ。


「納得するのですね。貴女と似ているのでしょうか?」

「似てませんよ。全然違います」


 神官サマは微笑んだまま首を傾げた。


「そろそろ貴女の護衛の元に戻らないと、叱られますよ。振り返らずとも怖い気配がします。ふふ。少し開き直ったのですね」

「あ。そういえば、あの時何を言ったんですか? 虐めないで下さいって言ったじゃないですか」

「現状を正しくお伝えしたまでですよ。一緒に行くのなら、ちゃんと自覚してもらわねばと思ったので」


 それ以上は何も言わず、彼は少し足を速めてフォルティス大主教に並んだ。

 嘘は言わないと大主教は言うけれど、彼の言葉はいつも謎かけのようで難しい。

 少しぶーたれてカエルの傍に戻ると、眉間に皺を寄せたカエルが私を覗き込んだ。


「何か言われたのか?」

「ううん。難しいこと言われてよく分からなかったから、不満」


 そうか、とカエルはほっとした顔をした。




 行き着いたのは会議室の様な所だった。

 机の上に地図を広げて、フォルティス大主教は赤い色鉛筆で現在地に丸を付けた。


「ジョット君は大体わかっていると思うが、ここからカンプス領を抜けて帝国に入ろうと思う。カンプスからは帝国のシルワ領に入って、そこから中央に入る。帝都の南のフローラリアで日程調整をして、審問会の2日前に帝都に入る予定だ」


 赤い線と立ち寄る場所の丸がとても分かりやすかった。

 この地図で見ると砂漠の国は帝国の西側にあるようだ。遠いな、と溜息が出そうになった。


「わざわざこんな話をするのは、カンプスからシルワに抜けるまでの森林地帯が少々物騒な為だ。どちらかカンプスの隣の領地を回りこむ方法もないではないのだが……こいつがやたら敵を作るのでな。色々不都合があるのだ。森林地帯に出る獣を相手にする方がまだ楽だと判断した」


 こいつと赤鉛筆で指された神官サマは怒るでもなく笑っていた。


「フローラリアでの日程調整も同じ理由からだ。あまり早くは帝都に入りたくない。で、カエルレウム君。どのくらい出来る?」

「さあ。やったことが無いから何とも言えん」


 は? と鳩が豆鉄砲を食らったような顔で、フォルティス大主教はぽかんとカエルを見詰めていた。


「先日港町で人攫いの一団を潰してましたよ。ビヒトさんと2人で、ですけど」

「は!?」


 代書屋さんのフォローに今度は別の驚きを乗せて、大主教はカエルを見る。


「1人逃がしたようだし、もう数人は手伝ってくれてたぞ」


 カエルは肩を竦めて見せた。


「ビヒトって、ビヒト・アドウェルサか!?」

「そのビヒトで間違いありませんよ。ちっとも衰えてません」

「待て、待て、待て。話が見えん。何故ここでビヒト・アドウェルサが出てくる? 彼女は彼のなんだ?」


 一瞬、誰が説明したものかと顔を見合わせた。

 結局、私が口を開く。多分それが一番違和感がない、かな?


「私が保護された家の執事がビヒトさんでした。カエルはそこの家族で、小さい頃からビヒトさんに色んなことを習っていたと聞いてます」


 こんなとこでどうだ? とカエルを見たら小さく頷いてくれたので安心した。


「執事? 執事なのか? 彼が? というか、保護?」


 彼の中で小規模なパニックが起こっているようだ。ビヒトさんて、有名だったんだなぁ。いや、わかる気がするけどね。


「私が迷子? みたいなもので、お屋敷に保護されて、神官サマに宣誓を受けて潔白を証明して、代書屋さんとはバイトの酒場で仲良くなりました」


 当たり障りのない一連をずらずらと列挙すると、ようやく彼は落ち着きを取り戻したようだ。


「あー……つまり、ビヒトさんは今は冒険者を表向きにはやってないんだな? で、彼の教えを受けてるのがカエル君だと。獣相手は実践が少ないということで大体いいだろうか?」

「そうだな。猟くらいはしたことがある」

「砂漠越えをミスター・ビヒトが確約してくれましたので、問題無いと思いますよ?」

護る」


 カエルは神官サマに不敵に笑いかけた。


「手厳しいですね。それでいいですよ」

「ルーメン……」

「これでもお話してくれるようになったので、進歩してるんですよ? ねぇ?」


 嬉しそうに神官サマはカエルに笑顔を向ける。

 カエルは途端に顔を顰めたのだが、神官サマは全く気に留めてもいない。


「……ルーメン、そこじゃない」


 フォルティス大主教は呆れて少し頭を抱えた。

 自覚のない前向きなコミュ障って手に負えないんだなぁ。なんだか妙にしっくりきて、私はひとりで納得したのだった。 


 ともかく、とフォルティス大主教は話を元に戻した。


「獣対策の護衛は雇ってあるが、手が足りなそうな時は助けてくれ。どうしてもの時は私も数に入れてくれて構わない」


 ん? と顔を向けると、彼はにっこりと笑った。


「前職が騎士だ。少しは役に立つ」


 納得の体格だった。これは野暮なのだろうが、どうして神官に? と思わずにいられない。彼はビヒトさんのことを言えないと思う。

 人には色々な理由があるのだ。


 カエルがちょっと興味を示していた。手合せしたいとか、思ったんじゃないだろうか。この数日でそこまで仲良くなれるかな?

 代書屋さんの言う通り、この大主教様は気さくでいい人だ。敵が多いという言葉からも、教会の人間が彼のような人ばかりではないのは確実だ。

 旅の間の気持ちは少し軽くなったが、帝都についてからのことはあまり考えたくないかもしれない。


 ◇ ◆ ◇


 細かい話は大主教とジョットさんとカエルで頭を突き合わせてしていた。

 当事者が2人して蚊帳の外というのはどうなんだろうと思うのだが、地理にも詳しくないし害獣退治なんてできないし。

 私は良いとして、神官サマの方は話を聞くべきなんじゃないだろうか。


「あれに加わらなくていいんですか?」


 暇すぎて指をさして話しかけてみると、神官サマはゆるゆると首を振った。


「あそこに入るとお邪魔でしょう。話が進みません。後でフォルティスかジョットさんに聞きますよ」


 ある意味自分を良く分かっていらっしゃる。


「じゃあ、桜でも見ます?」

「サクラ?」

「歌でも視えるかな? 私にも見えればいいのに」


 ひょいと隣に腰掛けると、神官サマは焦ったようにカエルの方を振り返った。


「叱られますよ?」

「歌うだけですよ。覗くのはやめて下さいね。外から視るだけで見えるか、ちょっと試してみてください」


 私はチューリップの歌をおもむろに歌いだした。ほんの短い歌だ。

 神官サマはカエルを気にしながらも、好奇心に抗えなかったのか、ほんのり右目を光らせた。私はその眼を見ないように正面を向いたまま歌いきる。

 どう? と目で問うと少し口角が上がった。


「カップの様な、花。ですね? 赤と白と黄色の」

「正解」


 続けて蛙の歌を歌ってみる。


「緑色の蛙……が並んでる?」


 疑問の表情に思わず笑ってしまう。私のイメージに引きずられるのか。


「そうそう。正解」


 私の笑い声に何事かと3人が振り返った。続けてさくらさくらを口にした私にカエルとフォルティス大主教が反応した。

 彼らに軽く手を上げて目で大丈夫と訴える。

 神官サマはしばらく迷っていたが、結局視ることにしたようだ。

 私はなるべく覚えている桜の景色を詳細に思い出しながら歌った。

 神官サマの表情かおがうっとりと弛緩する。

 歌が終わる頃、彼の右目が揺れ、一筋涙が零れた。先程と同じ。

 はっと目元を押さえて、再び困惑する。


「視えましたか?」

「え? は、はい。とても、美しく。サクラ、という花なのですね」


 気恥ずかしさを誤魔化すかのように彼は少し視線を下げた。

 カエルの視線は痛いが、神官サマの反応は気になる。見たことのない花に聞いたことのない曲なのに、彼のこの反応は何だろう?

 本人も分かっていなさそうなところが余計不思議だ。

 チューリップや蛙ではこんな反応じゃなかった。桜にだけ何故あの右目が反応するのか。


「ユエ、もういいです。あまり、彼らに心配をかけるのは良くありません」

「心配?」

「ユエが平気でも、周りはそうは見ないのです。私の瞳は人に緊張を与えるようなので。サクラ、嬉しかったです。ありがとうございました」


 彼は深々と頭を下げる。

 別に、神官サマだけの為じゃないし。変な反応されたら気になるじゃない?


「子供の頃にどこかで見たとか、ないんですか?」

「ないですね。3歳以前のことは記憶にもありませんし」


 ああ、赤ん坊の頃の記憶ならあり得るのか。


「生まれは何処なんです? 似たような花があったのかもしれませんよ」

「さあ。私の記憶は帝都の教会の孤児院の前から始まりますので」


 ぎょっとした。

 勝手に、彼の人生は順風満帆だったのだと思っていた。少なくとも途中までは。

 幼い頃から加護の力を求められ、蝶よ花よと慈しまれてきたのだと。


「ああ、お気になさらずに。皆が知っている事実ですので特段抵抗もありません。ただ、その前の記憶は微かにも無いのです。ぼんやりと立ち尽くしている。それが私の始まりです」


 何と言ったものか。

 これは多分あまり踏み込んではいけない領分だ。私の性格上、踏み込むと抜け出せなくなる。

 すでに好奇心はかなり刺激されてしまっているが、カエルの傍にいると決めた以上係わるべきではない。

 何か言うべきかと口を開け閉めしている私を見て、神官サマは可笑しそうに笑った。


「そうですね。ここまでにしましょう。いつかまた、機会があればお話しすることもあるかもしれませんね」




 だいたいの行程が決まって、少し早いが夕食に出ることにした。代書屋さんが美味しくてリーズナブルなお店を教えてくれると言うので、3人で教会を後にする。

 フォルティス大主教と神官サマが知り合いだと、代書屋さんも知らなかったらしい。

 でも、正直助かったと笑っていた。


 カエルの機嫌が少し悪かったけど、謝るのも違うなと思ったのでそのままにした。籠の鳥になるつもりはないので、頑張って折り合いをつけてほしい所だ。

 この先は神官サマ達のテリトリーになる。ある程度の歩み寄りは必要なのだ。

 カエルも分かってると思うんだけどね。


 この夜、2人は結構飲んでいた。私の飲む量はカエルに調整されていたけど、一応代書屋さんと一緒に飲むというイベントは達成された。

 私が宿に返された後も2人で別の店に飲みに行ったので、ちょっと羨ましかったくらいだ。

 まぁ、2人が仲良くなるのは嬉しいんだけどね。カエルの世界は、まだまだ狭いから――




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