32.旅行ダンギ

 一連の話を代書屋さんにしたら、乾いた笑いを漏らしながら「そんな気はした」って呟いてた。

 でも宿泊費出してもらえるのは予想外だし、そもそも行けると思ってなかったので嬉しいと言ってくれてはいる。


 クロウの方は本人どうこうよりもサーヤさんだ。お子様を預かることになるんだし。

 洗い物をしながら話を切り出すと、意外とあっさり同意が取れた。信頼されてると思っていいのかな?

 日取りが決まったら、その日と次の日のお昼はお休みにするわ、と笑っての了承だった。


「お休みしちゃって大丈夫なんですか?」


 ちょっと不安になって聞いてみたが、サーヤさんは全く気にしてないように言う。


「元々昼は開けてなかったしね。宿泊客も増えて、お昼分の収入も増えて、うちは全然問題ないのよ。その上宿泊費持ってもらえるんでしょ? 宿まで休んだってお釣りがきそうよ」

「そう言ってもらえると気が楽になります……」

「ふふ。それよりクロウをよろしくね。きっと、凄くはしゃいじゃうと思うから。私達では多分、経験させてあげられないことに誘ってくれてありがとう」


 サーヤさんは母親の顔でお礼を言った。

 すぐ隣の町へ行くだけの事に一生縁の無い人達が大勢いる。ここはそういう所なのだ。


「海見て、驚くかな」

「ユエちゃんは海を越えてきたんだっけ? 私も見たことないのよね〜。平原が全部水だって思えって主人に言われたけど、想像できないわ」


 私もここの海を見るのは初めてだ。越えてなど来ていない。

 赤とか紫とかだったら新鮮に驚ける自信はあるな。

 不用意なことは言えないので、私はそこで口を噤んだ。

 ホールに戻るとカウンターで遅い賄いを食べているクロウにそっと耳打ちする。


「港町、一緒に行こう?」


 ごふっと咳込んで、クロウは慌てて水を手に取った。


「は? 何? 何の話?」

「サーヤさんにね、許可取ってきちゃった。まだちょっと日取りは決まってないんだけど、皆で行くことになったから」

「それって、代書屋の兄ちゃんに話してたのと同じ話か?」

「そうそう。同じ話」


 聞き耳を立ててたのか。可笑しくて笑いが漏れる。


「……でもそれって泊まりの話じゃ……」

「うん。心配ないよ。ランクさん……お屋敷の旦那様が宿手配してくれるから。いつもクロウにはお世話になってるし、ご褒美だと思って」


 クロウはちょっと呆然として、それからそわそわと視線を逸らし、ありがとう、と小さな声で言った。

 うんうん。素直なクロウは可愛いね。


 ◇ ◆ ◇


 行くことが決まれば、情報収集したくなるのが人の常というモノ。

 私は観光客らしき人に積極的に話しかけては港町の話をねだった。

 曰く、料理はどこが旨いだの、漁師は無愛想だの、スケッチポイントは何処だの、教会ではお金を払えば位の高い人から洗礼や祝福を賜れるだの――


「港町には位の高い人が常駐してるんですか?」


 まさに陸の孤島なのに、聖地とか、パワースポットとか、そんな感じなのかと疑問を口にしてみる。


「いいえ。冬の間はいなかったし、その前も聞いたことなかったのよね。冬が開ける頃から高級宿に常宿してるって話よ」


 宿に? 教会の施設とかじゃなくて?

 疑問には感じるが、余所の事情だし……教会関係には係わるつもりもないからスルーした。

 教えてくれた奥様にはお礼にとカエルのお茶をサービスして(彼には何で俺がと睨まれた)喜んでもらった。


「そんなに聞かなくても、行けばわかるだろ」


 呆れたカエルに言われるが、想像するのが楽しいんじゃないか。


「百聞は一見にしかずって言うけどさー。ねー?」


 同じように代書屋さんやお客さんに話をねだっているクロウに同意を求めてみる。


「なんだ? 聞いたことねー表現だな。でも、まあ、言いたいことは分かる」


 ちょっと照れたようにそっぽを向いてしまったが、同意は取れたと思おう。


「カエルが淡泊すぎなんじゃない?」

「普通だろ? 地図も特徴も大体頭に入れたし、後は行くだけだ」


 私はぎょっとする。クロウも目を見開いてカエルを見た。


「地図なんてどこで……」

「家にあるぞ? ランクが行くような所のは必要だからな」


 そうでした。お金持ちのお坊ちゃんでした。

 まず最初にカエルに聞くべきだったんだね!


「カエル様……私めにも地図を拝見させてはいただけませぬか」


 揉み手をして近づいたら、思いっきり顔を顰められた。


「やめろ。見たいなら後で見せてやる」


 こんな時スマホかパソコンがあればなー。ググれば一発なのに。

 ぐるぐるアースでエア旅行も出来るのに。

 わたる、調べて夢で教えてくれないかな。異世界の情報まで載ってないか……


「ユエ、ユエ。戻ってこい」


 文明の利器に思いを馳せていたらクロウにつつかれた。

 カエルの顔を見ながら意識が飛んでいたらしく、殺気立ったホールの空気にちょっと驚く。


「うわ。なにこれ」

「兄ちゃんに近づいて、熱い瞳で見つめ始めた女に嫉妬の炎の図だよ」

「なにそれこわい」


 ぼそぼそとクロウと話していたが、ランチタイムはもう随分前に過ぎている。皆さんそろそろお帰りになってくれてよろしいのよ? 時間をずらしてきてくれる常連さんに申し訳ない。


「カエル、奥でお茶してきたら?」


 解決策としてカエルを隠すことにする。姿が見えなければ帰るだろう。

 彼は小さく息を吐いて、軽く手を上げて厨房へと消えて行った。


 こうかはばつぐんだ!


 ぱらぱらと帰り始めた女性客の中、階段を下りてくる長いスカートが目に入った。

 これから来るなんて珍しい。

 注文を取りに向かおうとして、すぐ後ろに黒い神官服が見えた気がして足を止めた。

 せっかく席を立とうとしていた女性客が何人か座り直してしまう。


「クロウ、行ってくれる?」


 クロウは視界を遮っている私の体を避ける様に階段側を覗き込むと、顔を顰めた。


「しゃーねーな」


 すみません、と手を上げた神官サマにクロウは早足で近づいた。

 二言三言話した後につと目を上げてこちらを見た彼と目が合う。


 こっちみんな。


 お客として来た彼よりも、カエルを厨房から出さない方がいいだろうか。何だか話がややこしくなる気がする。

 私はそっと厨房に向かい、作業台の隅でお茶を飲んでるカエルに声を掛けた。


「カエル。それ飲んでも、しばらくこっちに来ないで」

「……なんかあったのか?」

「何かはないけど、その方が精神衛生上いいと思う」


 少し首を傾げて、おもむろに立ち上がり、カエルは入り口からホールを見遣った。


「あー……」


 止める暇もなかった。

 これ以上もないというほどの仏頂面をして、こちらに戻ってきた彼は溜息を吐いて再びカップに口を付けた。


「……お客さんだからね」

「わかってる。ここにいる」


 注文を伝えに来たクロウと入れ替わるようにホールに戻ると、神官サマは一身に視線を集めていた。

 だよね。そこだけ空気感が違うよね。

 お相手の女性も酒場とは不釣り合いな気品があった。絹のような光沢のある深い紫のスカートには全面に刺繍が施されているようで、歳の頃は30に満たないくらい。オレンジに近い金髪を複雑に結い上げ、神官サマを見つめる瞳は濡れたようにも見える。


 2人は優雅に軽食を食べ、談笑していた。

 でもたまに近くを通ると神官サマの視線が付いてくるのが判る。

 だから、こっち見なくていいから。

 流石に用もなく声を掛けられることはなかったけれど、食事の後化粧直しにと彼女が中座した時に食器を片付けに行ったら、話しかけられた。


「ここはお酒も置いているのですよね?」

「酒場ですから」

「お薦めを聞いても?」

「好みにもよりますけど、蜂蜜酒は評判がいいですよ。無難なところは葡萄酒ですね。強いのがお好きなら火酒も少しあります」


 なにやら吟味するように頷いて、彼は微笑んだ。


「パンが美味しいのは知ってたんですが、他もなかなかイケるのですね。今度お客が来そうなので連れて来てもいいかもしれません。教えてくれた彼女には感謝ですね」


 向かいの椅子を指差して言う。


「彼女に食後のお茶を下さい。なるべく、いいものを」

「善処しますが、高級品には及びませんからね」


 ふふと笑って、彼は頷いた。

 私は内心ほっとする。客と従業員以上の会話ではなかったから。

 さて、問題はなるべくいいお茶だ。といっても私にどうこう出来ないし、知識もないので厨房でサーヤさんとカエルに相談した。


「いいお茶と言ってもねぇ」


 サーヤさんは頬に手を当ててちょっと困った顔をした。


「春摘みのやつはまだ入れてないのか?」

「一応、先日届いたのがあるけど、そこまで高級では……」

「それでいい。あるやつで少しブレンドしてみる」


 カエルは茶葉の入った缶をいくつか並べて、軽く匂いを嗅いだり少し口に含んだりしながら何種類かブレンドを作っていた。

 それぞれを淹れてみて、内の1つの葉を増減して調節する。


「……妥当な線か」


 私とサーヤさんに少しずつそのお茶を分けてくれて、味見を促す。


「ま。これ、うちのお茶?」


 サーヤさんが目を丸くした。

 確かに美味しい。というか、高級っぽい。香りが強いのかな?

 流石本職……


「カエルがいる日で良かったかも……」

「本当ね」


 もちろんカエルに淹れてもらって、私はお茶を届けた。

 彼女に、と言われたが神官サマにも出してやる。売り上げが欲しい訳じゃないよ! カエルの仕事を自慢したかったのだ。


「あら。美味しい」


 美女の称賛の言葉にこちらをちらりと見た神官サマもカップに口を付ける。

 視線がキッチンの方を向いた。


「ユエ」


 突然名前を呼ばれて驚く。

 神官サマの声はよく響く。

 ちょっと! なんでここで呼び捨てるの!

 皆の視線、特に同伴の女性の視線が痛いが、呼ばれたら行かない訳にはいかない……


「……なんでしょう」


 テーブルの上に銀貨が1枚差し出される。


「美味しいお茶のお礼に」

「私、チップは銅貨1枚しか受け取りません」


 ご婦人が少し目を丸くした。


「そうなのですか? 疾しい気持ちのお金ではありませんよ?」

「何と言われても、ここでの私のルールです」

「そうですか」


 ふふっと笑って、銀貨は銅貨に変えられる。

 それから彼は立ち上がって、私の両肩に手を添えた。


「では、残りの金額分の祝福でもいたしましょうか」

「え? い、いらな……」


 つかつかと近づく足音に気付いた次の瞬間、体が引かれて、目の前に見慣れた背中が現れた。


「ここは教会じゃない」

「……それは、失礼いたしました」


 神官サマは少し目を細めて薄く笑う。


「美味しいお茶、ありがとうございました」


 明らかにそう告げて、神官サマはご婦人をエスコートしながら出て行った。

 もう。なんでカエルに変なちょっかいかけたがるのかな?

 私をエサにカエルを釣り出された気分になって、申し訳なさでいっぱいになる。


「カエル、ごめんね。ありがとう」


 階段を睨みつけていたカエルは、険しい表情のまま振り返ると、そのまま暫く私を見下ろしていた。

 怒られそうでどきどきする。


「――いや、多分俺のせいだ」


 そう言うと、カエルは執事の仮面を被りテーブルの片付けを始めた。

 カエルは何か心当たりがあるんだろうか……

 聞きたいのに聞けなくて、もやもやが心に住み着いた。




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