31.家族カイギ
代書屋さんは本当に細々とした仕事も請け負っていた。
教会での一般の人への書類の代書、教団からの書類の清書、配達、そして子供から誰かへの手紙の代書まで。
酒場に来た観光客のお子さんが、カウンターの代書屋さんに、こそこそと手紙のお願いをするのを見ていると、何とも微笑ましい。
帝国内の田舎で話されるような方言や、有名どころの(?)国の言葉などはある程度分かるようで、私は補助くらいで済んでいた。
「ジョットさんって、字が綺麗ですよね」
「ホント? いや、これを仕事にしてるんだから、そうじゃなくちゃ駄目なんだけどさ……ほら、僕、地味じゃない?」
嬉しそうに笑った彼は、自分の薄茶の前髪を摘まんで見せた。
確かに印象は薄い。瞳も同じ薄茶で、顔立ちもここらの人の中ではあっさりしていると言える。呼び込み中は爽やか好青年という風だが、背丈もそれほど高くないので人混みに紛れてしまうと恐らく探すのは困難だろう。
いわゆるモブ顔というのか。
「何処かで特徴を出さないと客商売としては致命的でしょー? でも、生活するのに精一杯で身形は二の次だし、とりあえず商売道具の字だけは読みやすいようにって練習したんだよね。まぁ、その地味さを買われて教団で重宝されるとは思ってなかったんだけど……」
あ、そういうことなのか。
勤勉で仕事も出来、大事な書類を届けるのにも目立たず安心。
「じゃあ、他の言葉は教団の仕事をするから覚えたんですか?」
「そうそう、必然的にというかね〜。中央神殿の図書館には言語関係の本も豊富だからよく篭ってたよ」
そう言われると、私は最近字の練習をサボってるな……
代書屋さんが書いてくれるから、なんとなくそれでいいかって気になっちゃうんだよね。いかんいかん。
彼の書くバランスのとれた四角い字に見惚れていると、クロウの尖った声がした。
「ユエ! サボんな!」
さ、サボってるわけじゃないよ……
クロウからトレーを受け取り、お客さんへと運ぶ。
最近私が貯金していることを知った常連さん達はチップを多めにくれようとしてくれるのだが、私は頑なに銅貨1枚を守っていた。
代書屋さんのお手伝いで貰える数枚の銅貨と合わせると、それでも結構な額になるのだ。
そろそろカエルの護衛の件をテリエル嬢に言い出さなきゃな……
「ねえ、クロウ。私お休みもらったらキツイかな?」
「こないだの旅行の件か? 礼拝の無い日なら、大分落ち着いたし常連も分かってっから何とかなんだろ」
「クロウも行きたい?」
何気なく聞いたら、結構な動揺をされた。
「そ、そりゃ行きたいけど、俺まで抜けらんねーだろ。兄ちゃん入ってくれんのか?」
「カエルは連れてくつもり。護衛という名目で」
クロウはぎょっとした顔をした。
「デートじゃねぇのかよ」
「え? 2人でとは一言も言ってないよ? って、いうか、主の件以来何に会うかちょっと不安で」
あー……と頭を掻きながら、クロウは代書屋さんの方を憐れみの目で見やる。
それからにやりと笑った。
「ま、そうだな。過度な期待は持たせちゃダメだよな」
先日思いがけず金貨収入あったし、サーヤさんに相談してクロウも連れて行ってあげたいな。一応お世話になってるんだし。
それにはやっぱりもう少し稼がなきゃ。きりきり働こう。
◇ ◆ ◇
夕食後、テリエル嬢に談話室に誘われた。珍しい。
彼女は基本忙しい人で、お店の仕事の他に薬師として薬の作成とか、趣味の実験とかで何処かに篭っていることも少なくないのだ。
そして、彼女に誘われるとなんとなく怒られるのじゃないかと思ってしまう辺り、どんだけやらかしてるんだ自分、と思わないでもない。
久しぶりにビヒトさんに入れてもらったお茶を啜ると、彼女は単刀直入に聞いてきた。
「港町に行きたいのですって?」
「あ、う。えっと、知り合いにお誘いを受けたんですけど、カエルを護衛で連れて行っちゃダメかなーと……」
伏し目がちにカップに口を付ける彼女の沈黙が怖い。
「主治医としては承認し難いわ」
う。厳しい。
「ずっと調子がいいからといって、この地を離れたらどうなるか分からないし」
「日帰り予定でも駄目でしょうか」
「少しずつ外に出してあげたい気持ちはあるけど、彼に持たせる緊急用の薬って量産できなくて……今ある分じゃ不安なの」
そう言われると二の句が告げない。
がっくりと肩を落とすと、小さく笑う声が聞こえた。
「主治医としてはそうだけど、彼の家族としては連れて行ってほしいのよ? もっと広い世界を自由に見せてあげたいもの」
顔を上げると、彼女の視線が私の左腕に注がれていた。
「カエルが作ったのですって? 双子石まで使って……結局あなたに何かあれば、彼はそこまで駆けつける気でいるのよね。彼のお手本は良くも悪くもビヒトだから……」
「奥様。私に悪い所がございましたでしょうか?」
「何でもそつなくこなす所が嫌味よ」
「これは……失礼致しました。ほどほどを覚えなくてはなりませんな」
「もう遅いのではなくて?」
2人のやり取りに私も少し笑った。
「だから、私が言っても無駄かな、とは思うのよ。いざとなれば勝手に行くのだから」
話を戻して、彼女は少し困った顔をした。
「元気になるのも少し寂しいものなのね」
その時、ノックと共にランクさんが入ってきた。手にはゲーム盤、後ろにはカエルもいる。
「まだ決心つかないの? カエル君自身は行くって言ってるんだろう?」
ランクさんが振り返ると、カエルは黙って頷いた。
「だって、ランク……」
彼らは一人掛けのソファを窓際に移動させると、出窓にゲーム盤を置いて駒を並べ始めた。
「ビヒト、次の一戦予約しておくよ」
「承知いたしました」
ランクさんは私を見てにっこりと笑うと、言葉を続ける。
「日帰りくらいなら大丈夫だって、君も分かってるじゃないか。いい機会だと思うよ。これで大丈夫なら山向こうの君のご両親に会いに行けるかもしれない」
「あんまり期待を持たせないで。今までだって何度もダメになってるじゃない」
「テリエル」
ランクさんは立ち上がって彼女に歩み寄ると優しく頭を抱きしめて額にキスを落とした。
「彼の寝込んでいない日数を数えてごらん。体調が下降する様子もない。大丈夫だよ」
「毎朝チェックしてるお嬢が一番わかってるだろう? 俺自身も大丈夫だと言ってる」
「カエルの大丈夫は信用無いのよ!」
むっとしたテリエル嬢に睨みつけられて、カエルは肩を竦めた。
「これがユエとカエルの新婚旅行だっていうなら、私だって野暮なことは言わないわよ」
ぶーっと片頬を膨らませるテリエル嬢。そうなの?
「じゃあ、そういうことでも……」
「ユエ」
今度は私がカエルに睨まれた。
嘘も方便だよ? 真面目なんだから。
「だいたい、それを今言って誰が騙されるんだ?」
……まぁ、そうですね。
よしよしとテリエル嬢の頭を撫でながら、ランクさんはいたずらっぽく笑った。
「仕方ない。僕が究極のアイデアを出してあげよう」
全員の視線が彼に集まる。
「テリエルは日帰りといえどもカエル君を離したくない。カエル君は行っても大丈夫だと思ってて、例え行けなくても彼女に何かあれば駆けつけるつもり。ユエちゃんはカエル君を連れて行きたい。間違いないね?」
それぞれがとりあえず頷く。
「皆で行けばいいんじゃない?」
「ランク!?」
一番驚いたのはテリエル嬢だった。
私はそれもありかなーくらいだったけど、出来るものだろうかとは思っていた。
「考えてみたら、テリエル全然休んでないじゃない? 僕は外国回ってのほほんとしてたけど。ここらで思い切って休んで旅行ってのもいいかなって」
にこにこと話すランクさんをテリエル嬢はあんぐりと口を開けて見ていた。
「日帰りも出来る距離だけど、バタバタしたくないから1泊の予定にしてさ。何かあったら帰ってくればいいんだし。向こうで別行動にすればそれぞれが楽しめるんじゃない?」
どや顔がちょっと可愛い。
「僕達も2人で出掛けられるなんて、そう機会はないんだからさ。ね。凄く素敵な思い付きだと思わない?」
呆然としているテリエル嬢の頭を優しく抱え込み、ランクさんは私にウィンクして見せた。
へ?! どこまでが本気で、どこからが彼の策略なの!?
ってか、カエルを連れ出すのにそれだけのことをしなきゃならないのか。
ランクさんを味方につけておいて本当に良かった。
私はカエルの方を見てみる。
ちょっと呆れた顔をしていたが、目が合うと肩を竦めてからにやりと笑った。
「あ、あの。私知り合いから誘われてるんで、その人と、クロウも出来れば連れて行ってあげたいんですけど」
すっかり忘れかけてたが、代書屋さんに誘われたのだ。
彼にはちょっと可哀相かもしれないな……まぁ、行かないと言ったら、次の機会にということにしよう。
「いいよ。こちらに日程を合わせてくれるなら、宿代くらいは出そう。そう言っておいて。テリエル、今回の事務処理を一段落させて行くということでいいね?」
「ランク……もう。嫌って言えないじゃない」
彼女は彼の腕の中からすり抜け、彼の首に腕を回すと熱い口づけを交わした。
そう、交わしたのだ。もの凄くいたたまれない。
そっと席を立って、なんとなくカエルの傍に移動してみる。
「ランクィールスの凄いとこだ。押し付けがましくなく、ずっとお嬢を包んでる。それが素なのか長い目で見た彼の謀略なのか、わからないけどな」
眩しいものを見る様に、カエルは少し目を細めて彼らを見ていた。
いや、なんで見てられるの。恥ずかしいんですけど!
これは、慣れなの? 習慣の違い?
そわそわと視線を定められず、あちこちを見ている私に気付くと、カエルは鼻で笑った。
「お子様だな」
それ、ぎゅってするだけで次の日の朝まで動揺していた人のセリフ!?
「キスもしたことないから、恥ずかしさが分からないんでしょ」
「は?」
「教えてあげようか?」
ソファの肘掛けに横座りして顔を近づけたら、立ち上がって軽く押しのけられた。
睨み合いになったので、なるべく余裕たっぷりに笑って言ってやった。
「お子様ね」
ひくりとカエルの頬が引き攣る。
大人げないのは解っているが、むかっとしたのだから仕方がない。
私はそのまま談話室を出て、部屋に向かった。
誰かが追いかけてくる気配がする。
「――ユエ」
渡り廊下の中程で追いつかれる。
「お子様はもう寝ます。ほっといて下さい」
足を止めずに言って、離れ側のドアを開けようとしたら、そのドアを片手で押さえつけられた。
「ユエ、ああいうことは言うな。子供扱いしたのは謝るから」
「何故? 別に私は清廉なお嬢様じゃないよ」
「俺が困る。どうしていいのかわからない。ユエの言うように子供なのかもしれん」
「見てるのは平気なのに?」
私は溜息を吐いた。
「あれは……慣れだ。多分。初めは俺も面食らった」
だんだん何に腹を立てていたのか分からなくなってきた。そもそも怒るようなことはなかったかもしれない。
振り返ってカエルの紺色の瞳を覗いてみた。
廊下の灯りが映り込んでいる。
「……私もごめん。目の前でラブシーン見て動揺してた。たぶん」
カエルがドアを押さえてるのをいいことに、私はそのままカエルの背中に手を回して抱き着いてやった。
「多分、ああいうの見ちゃうと羨ましくなっちゃうんだよね。誘われたくなかったら、近寄らないで。おやすみ」
彼が驚いて手を引込めた隙をついてドアを開けて逃亡を図る。
「近寄るなっ……て!」
うん。無理言ってるよね。近寄ったの私だし。
恨むならラブラブ夫婦を恨んでくれ。
ぱたりと閉じたドアの向こうで、深い溜息が聞こえた気がした。
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