15.ツキが見ている

 5刻の鐘が鳴っても、カエルは姿を現さなかった。

 基本的に遅刻したりしない彼のことなので、私は嫌な予感にそわそわしていた。


「まだ5刻の鐘鳴ったばかりだぞ? 心配すんなって」


 クロウに呆れられてるが、のんびりした村の人達と違ってカエルは時間に煩い。そして私の性格も把握されているので、5刻までに迎えに来なければ、あれだけ言われても酒場の手伝いをするに違いないとバレている。来ないはずはないのだ。

 自分が来れないのならばビヒトさんに頼むか、ここに連絡が来るはずだし、一言もないのは……


 どこかで倒れて……いや、常に通信具を持ち歩いてるはずだ。そんなことは私より自分が一番分かっているだろう。

 いや、でも、とひとりぐるぐるしていたら、目の前にオレンジの輪切りの入った水が置かれた。


「そんなに心配しなくとも、ありゃあちょっと絡まれたくらいじゃやられねぇぞ?」


 視線を上げるとルベルゴさんが笑っていた。

 夜は上の受付ではなく、酒場のカウンターが定位置になるようだ。


「そう、ですか?」

「ああ、俺ぁ冒険者だ、ならず者だと見てきたが、ちょっと見ひょろいくせして隙がねぇ。病弱だってのが信じられねぇくらいさ。外に出さずに暗殺者を育ててたって言われた方がしっくりくるな」


 がははと彼は笑った。

 私も倒れるようなところは見たことがない。でも、テリエル嬢のあの過保護っぷりは疑いの余地さえない気がする。

 隣に座っているクロウが目を丸くしてルベルゴさんを見ていた。


「兄ちゃん、そんなに強いのか? 見えねぇ……」

「人は見かけによらねぇんだよ。覚えとけ。まあ、あの兄ちゃんは持久力は無いかもしれんがな。まともに複数を相手にするなら、ちと厳しいか?」


 複数、と言われて昼の3人組を思い出す。ちょっと離れた不安が戻ってきてしまった。

 ルベルゴさんが余計なことを言った、という顔をして頭をぼりぼりと掻いた。

 その時、入り口のドアについている鐘がカラコロと音を立てた。反射的に階段を振り返るが、下りてきたのは若いお兄さんだった。


「らっしゃい」

「蜂蜜酒。なんか腹持ちのいいものも欲しいな」


 カウンターに座りながらそう注文をして、彼は私をひょいと覗き込んだ。

 あれ?


「ああ、やっぱり。異国の娘さんが最近入ったって聞いて、そうじゃないかと思ったんだ。覚えてないかな? 代書、しますよ?」

「……! あぁ! 代書屋の!」

「兄ちゃん、給仕はメインの仕事じゃねぇんだ。それに夜はやってない。迎えが来たら帰るところだから、ナンパしないでやってくれ」


 ルベルゴさんが笑いながら言う。


「そうなんだ? まぁ、夜はね。その方がいいよね。じゃあメインは宿の受付?」

「一応通訳です」


 へえ、と彼は目を丸くした。


「何ヶ国語できるの? 砂漠の方の小国は分からないかなぁ。あ、文字はダメかも?」

「書けないですけど、読むのはできますよ」

「ホントに?! いやぁ、ちょっと助けてくれないかな?」


 天の助け! と、彼は懐から折りたたまれた紙を取り出して、席を移してきた。クロウが勢いに押されて退けている。


「先日頼まれた仕事なんだけどね。恋人に送りたいんだけど、こっちの字は書けないからこの内容を代書して送ってくれって。受けたはいいけど翻訳に意外とてこずっちゃって……」


 あはは、と陽気な笑いに気が抜ける。


「もういっそ適当に書いちゃおうかと思ってたんだ。少し翻訳代払うから、読んでくれないかな?」


 差し出されたのは手紙のようで、照れくさくなるような愛の言葉がずらずらと並んでいた。

 これ、声に出して読むの? いや。仕事だと思えば恥ずかしくは……

 代書屋のお兄さんはメモするものを用意してスタンバっている。

 私は意を決してゆっくりと読み始めた。


「 僕の女神エメリアへ


 こちらへきてもう3日。君の笑顔が恋しい。

 全てを閉ざされたこの地において、君を思い出さない日は無いよ。

 女神の注ぐ水時計も、夜空に浮かぶ清廉な月も、僕の心を動かしてはくれない。

 どうして君はここにいないのだろう。ひとりの夜は長くて、寂しすぎる。

 この月を見ながら君も僕を思ってくれているだろうか。

 次に会ったら2度と離さない。

 朝も晩も、僕の腕に閉じ込めてキスの雨を降らせるよ――」


 私は一旦手紙から顔を上げて、ルベルゴさんを見た。


「すみません。この先はクロウの耳を塞いでおいて下さい」

「えっなんで?!」


 興味津々の顔で聞いていたクロウの耳を、ルベルゴさんは躊躇いながらも大きな掌で塞いでくれた。

 さらに私は代書屋さんに近づき、耳元で音量を下げる。

 この先は官能小説ばりなのだ。子供には聞かせられない。

 戸惑い気味の代書屋さんに私は続きを読み上げた


「――――……君のアンドリューより」


 途中で代書屋さんがメモできなくなり、耳まで赤くしてカウンターに突っ伏した。

 そのまま横目でちらりと私を見上げて、ぼそりと呟く。


「耳元で言うのは反則じゃない?」

「私だって恥ずかしいんですよ! 子供には聞かせたくないし!」


 読み終わるまでは何とか平静を保っていたが、彼の様子に耐えられずにつられて赤くなる。


「うわ。なんか変な世界開きそう……そしてどうしよう。後半覚えきれてない」

「もう1回読むなら、追加料金もらってもいいですか?」


 げっと呻いて、彼は仕事と精神力と財布の中身の間で葛藤する。


「ちょ、ちょっと待ってね。一旦落ち着かないと、同じ轍を踏むことになりそう」


 代書屋さんは蜂蜜酒を一気に煽り、深呼吸してから顔をパンパンと叩いてこちらに向き直った。


「よっしゃ、こい!」


 気合を入れたい気持ちがよく分かる。そして、彼の仕事に対する姿勢にちょっと感心した。口では適当に、なんて言ってても、きっちりしないと気が済まないのだろう。

 私はもう1度恥ずかしいラブレターの後半部分を読み上げた。

 代書屋さんは赤い顔のままだったが、今度は最後まで書き取り、深い溜息を吐いた。

 それから、おもむろに私の手を取り、銀貨を1枚握らせる。


「これ、迷惑料込みで――っつ?!」


 代書屋さんの顔が歪んだ。


「いった! いたたたた! 痛い痛いっ!」


 へ? っと思ったら、いつの間にかカエルが代書屋さんの腕を捻りあげていた。


「なんで、お前は、そう絡まれるんだ」


 少し息が乱れている。


「カエル?! え、ちょっと! 離して! 絡まれてないよ! 仕事だよ! 代書屋さんの腕が折れちゃう!」

「代書屋?」


 少し力は弛めたようだが、まだその手を離さない。


「夜は仕事するなって……」

「通訳の仕事だよ! 手紙の通訳を頼まれたの!」


 そこでやっとカエルはルベルゴさんが不自然にクロウの耳を塞いでいるのに気付き、ルベルゴさんが小さく頷くのを確認してから代書屋さんの腕を離した。


「……変な雰囲気だったから、てっきり……悪かった……」

「いえ、こちらこそ。ちょっと刺激の強い内容だったみたいで……ご迷惑を……」


 代書屋さんは捻られた腕をぷらぷらと振りながら苦笑いを浮かべた。

 奥でクロウがルベルゴさんの腕を振り解いている。


「なんで聞いちゃダメなんだよ! 子ども扱いすんな!」

「お前にゃぁまだ早ぇ。ユエの判断は適切だ」


 ふんっと鼻で笑って、クロウの頭を掻き乱すルベルゴさん。


「いやぁ、今度は女性からの恋文を読んでもらいたいですね。なんか、癖になりそ……」


 冷やりとした空気を前後から感じ取ったのか、代書屋さんは最後まで言い切れず、咳払いでなんとか誤魔化していた。


「あー、じょ、冗談はさておきとしてね? 僕としては、こういう代書も結構引き受けるわけで。本職の助けがあるとひっじょーに、やりやすくなる訳ですよ? で、えーと……名前、聞いても?」

「ユエです」

「ユエちゃんと今後も仕事出来ると、いいなー……とか」


 代書屋さんは遠慮気味にカエルとルベルゴさんに視線を走らせる。

 二人は黙って私を見た。


「歓迎です! 宿の方に言ってくれれば、空いた時間にお手伝いできると思います」


 私がルベルゴさんに視線を投げると、ルベルゴさんは軽く頷いてくれた。


「良かった。僕はジョット。よろしくね」


 彼は笑って手を差し出した。軽く握手して私も笑う。

 それから彼はカエルにも手を向けた。


「お兄さんも、よろしくです。妹さんに酷いことはしませんので」


 ちょっと呆れた顔で、カエルは代書屋さんの手を軽く叩き払った。


「妹じゃない」

「え?」


 代書屋さんは笑顔のまま固まった。


「そうだよ! 年齢的には私が上だし!」

「え?」


 だいしょやさんはこんらんした!


 ふっと息を吐いて、カエルが私の手を取って立ち上がらせた。


「話が済んだら行くぞ。お嬢が心配する」


 あ、こういうとこが誤解を増長させてるんだな? 前にクロウに言われたことを律儀に守ってるというか……

 近くなった顔を見ていたら、頬に血が付いているのに気が付いた。


「カエル、血が」


 思わず触ろうとしてすいと避けられる。


「触るな。汚れる。俺の血じゃない」

「え?!」


 ごしごしと頬を擦りながら言う物騒なセリフに一気に血の気が引いた。何をしてきたの?!


「親父さん、遅れて悪かった。また明日頼む」

「おう」


 ルベルゴさんはにっと笑って軽く手を上げる。私もどぎまぎしながら皆に手を振って宿を後にした。

 少し早足のカエルにせっせとついていくが、店に来たときカエルが息を乱していたのを思い出して、その手を軽く引いた。


「カエル、急いで来てくれたんでしょう? もうちょっとゆっくりでいいよ」

「速いか?」

「私はいいけど、カエルは疲れてそうだなって」

「……いや」


 ちらりと振り返って、すぐに視線を前に戻す。

 心持ち歩くスピードが落ちた。


「面倒事って、あの3人?」

「ああ、待ち伏せされたから、ちょっと相手して衛兵に突き出してきた。悪かったな。遅れて」


 何でもなさそうに言うカエルにちょっとむっとする。

 私は繋がれていた手を振り払って、驚いて立ち止まったカエルの背中に頭突きを食らわせてやった。


「――なっ」


 そのまま、額を押し付ける。カエルの背中が緊張していくのが分かった。

 本当は嫌がらせにぎゅっと抱き着いてやりたい。


「私の為に、危ないことはしなくていいんだよ! 私のせいで起こる面倒事は、私が片づけるべきなんだから! 周りには誤解されるし、カエルに得なんかないんだから」

「今日のは向こうが俺に突っかかってきたんだ。俺が払うのが道理じゃないか。それに、誤解?」

「カエルに向かうように、仕向けたよね? あのくらい何とも思わないよ。あんまり過保護にされてるから、私がカエルのお嫁さんに来たってみんな思ってるみたい」

「……あぁ……」


 興味のないああ、だった。


「誤解させとけばいい」

「サーヤさんにも言われたけど! 折角カエルが村に馴染むチャンスだよ?! いいお嫁さん候補とだって出会えるかもしれないのに!」

「興味ない。というか、元々結婚とか考えたこともないんだ。ビヒトみたいにお嬢の執事で一生を終える予定だったからな。村の奴らと交流を持ててるだけで奇跡だ――ユエが……迷惑するっていうなら、解いて回ればいいだろ」

「迷惑はしてないけど……もったいないなって思って……」

「急にあれもこれもはできない」


 そうか。トラウマもあるんだっけ。

 私はだらりと垂れたままのカエルの手を見つめる。この黒い手袋を嵌めている時は、あまり感じさせないので忘れがちだ。

 なんだかむかむかというか、もやもやというか、割り切れない気持ちが湧いてきて、その手袋を毟り取った。


「――ユエっ!」


 カエルが戸惑っているうちに、その手を引っ掴んでいわゆる恋人繋ぎにしてやる。これで簡単には振り解けまい。


「嫌がらせ。心配させたんだから、少し我慢して私を安心させて。自覚はあったんだけど、私触り魔だから。ここにきて結構我慢してたから、ストレス溜まってるんだよね。カエルが誤解されても気にしないって言うなら、このくらいいいよね?」


 人の体温は気持ちいい。心臓の鼓動は心地いい。

 他人にべたべた触れると誤解されるので、主な生贄は弟だった。

 ある意味大人になりきれてないんだろう。

 振り返ったカエルの顔が白くなって、赤くなった。多分。暗くてよく見えない。


「触り魔って? 我慢? あれで?!」


 カエルがパニックを起こしてるのが分かった。可笑しくなって、笑いながら先に歩き出す。

 本気になれば振り解けただろうに、カエルはそうしなかった。しばらく抵抗していたが、そのうち諦めたようだ。


「我慢、してるんだよ。本当は一晩中誰かを抱き枕にしていたい」

「……なっ……そ、それっ……」

「別にどうこうしたいんじゃないよ。本当に、黙って抱きついて寝たいだけ。でも、みんなそうは思わないよね? 分かってるから、しない。それに、触られるのはそんなに好きじゃない。だから、カエルの気持ちもちょっとわかるよ」


 けたけたと笑って付け加える。


「我儘だよね」


 見上げた空には地球で見る月よりも少し大きくて、少し茶色い月が出ていた。


「……青く、ない?」


 零れた呟きに、繋いでいたカエルの手がぴくりと反応する。


「……ユエ、なんともないか?」

「何が?」

「……気分が悪くなったり……眩暈がしたり……しないか?」


 教会の帰りのことを思い出しているのだろうか? 唐突な質問に、私は振り返った。


「大丈夫だよ? 何で?」

「……もう離せ」


 カエルは私の質問には答えてくれなかった。

 でも、なんだか辛そうな顔をした彼を見たら、意地悪をしているのが可哀相になってしまった。

 私は恋人繋ぎをやめて、人差し指だけを絡めた。手袋はカエルに返す。


「もうちょっとだけ。充電しておかないと後で誰かに迷惑をかけそう」

「ジュウデン?」

「補充」


 カエルがもの凄く驚いた顔をした。


「ユエが、何を補充するんだ?」


 ナニ? 何って、難しいな。


「えー。ぬくもり? 安心感? そんな感じのモノ」


 とりあえず、また歩き出す。今度はカエルも横に並んだ。


「それって、増えたり減ったりするもんなのか?」

「さぁ。気分的には減るよ。今日は心配したから凄い減った!」


 笑ってカエルを見上げる。

 不思議そうな瞳が見下ろしていた。


「だから、カエルを利用して補充してる」


 瞳が揺れる。


「――俺も、ユエを利用するとしたら……」

「すれば?」


 きょとんと即答する私にカエルは息を呑む。


「また……そういう考え無しなことを……」


 眉間に深い深い皺を刻んで、でも目は逸らさなかった。


「だって、カエルに拾ってもらった命だよ? あのまま溺れていたことを考えたら、衣食住と面倒を見てもらって、私に何が返せるの? 利用価値があるって言うなら、そうしてくれていいんだよ。カエルにはその権利があるよ?」


 一瞬の間の後、カエルは泣きそうな顔をして顔を逸らした。


「閉じ込めて、拘束して、拷問されても?」

「物騒だなぁ。痛いのは嫌いだから、拷問は嫌だけど……そういう趣味?」

「違う」

「抱き枕にする?」

「しない」


 カエルの手が、一度離れて、恋人繋ぎに戻る。


「言ったこと、後悔するぞ」

「売り飛ばすなら、痛いことしない人にしてね」


 肩を竦めてお願いしたら、ひどく呆れた顔をされた。


「売らん」


 結局、家に着くまでカエルは手を繋いだままでいてくれた。




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