16.閑話:酒場にて

 ねーちゃん達が出て行った後、代書屋の兄ちゃんが仕事道具を片付けながら溜息を吐いた。


「結局、あの2人の関係って何なんですか? 恋人? 夫婦? そうは見えなかったんだけどな〜」

「おまえさんは何処で2人を?」

「水時計ですよ。ユエちゃんが興味津々でねぇ。お兄さんが見守ってるようにしか見えなかったんだけど……」


 がりがりと頭を掻いて空いたカップをまた傾ける。


「あ、ないや。親父さん、もう1杯」

「はいよ」


 親父は蜂蜜酒を空のカップに注ぎながら続ける。


「なんだ。ユエを口説くつもりで来たんか?」

「違う違う。そんなつもりは全然。でも、こんな恥ずかしい仕事ちゃんとしてくれて、耳元であんなこと言われたら、ちょっと変な気になってもおかしくないデショ? い、いやいや、もう目は覚めてますよ?!」


 ギロリと親父に睨まれて、代書屋の兄ちゃんは慌てて両手を振って否定した。


「ユエはちょっと訳ありらしいんでな。ほいほいと紹介するわけにはいかねぇんだ」

「訳あり?」

「詳しくは俺も知らねぇよ。なんでも記憶がちと混濁してるとか。だから突飛なことを言ったりやったりしがちなんだとよ。子供っぽく見えるのはそのせいじゃないか?」


 記憶がコンダクってなんだ? とは思ったけど、俺が口出しても答えてもらえないのは解ってる。分かった顔してふんふんと頷いておいた。


「うちで働くのもリハビリみたいなもんだな。ここなら色んなヤツが来るから、多少突飛でもそれほど目立たねぇ。パッと見でここいらの国のモンじゃねぇと分かるから、多少のトラブルは想定してるけどな」

「へぇ。で、お兄さんの方は?」

「嬢ちゃんを拾ったのがあの兄ちゃんらしいぞ」

「「拾った?」」


 俺と代書屋の兄ちゃんの声が重なった。


「あー……語弊があるな。倒れてたのを助けた、だったかな? 身元がはっきりしねぇんで宣誓までかけたらしいが……まぁ、お屋敷で保護してる形だな」


 宣誓って、犯罪者が主にかけられるヤツじゃね? ここの神官は特別な力があって、絶対に嘘がつけないって聞いた。最近では子供を叱る時に宣誓にかけてもらうよって脅し文句が出るくらいだ。


「せ、宣誓を受けてるの? あの神官に? あぁ、まあ、それで放免されてるってことは、何よりも強い保障なんだろうけど……」

「言いふらすんじゃねぇぞ? ユエはなんにも悪いことはしちゃいねぇんだ」


 親父は俺の方にも視線を寄越してそう言った。


「大丈夫ですよー。僕の商売、口が堅くないと信用されませんからね。そこまでするお屋敷の奥様はちょっと怖いですけどねー。親父さんも、そんなこと話しちゃっていいんですか?」

「俺に話すってことは、そこまでは世に出ても問題ねぇってことだよ。宣誓を受けたことがあるって聞きゃあ、怯んで関わってこねぇ奴もいるだろう。そこを狙ってんのかもな」

「そこまでしてるのに、随分手厚く保護してるんですね? お兄さんも、護衛みたいな?」

「ほっとけなくなったんじゃないか?」


 親父はがははと笑った。


「妙なアンバランスさがあんだろ? 俺もそうだが、お前さんも随分気に入ってんじゃねぇか」

「え? う、うーん。そう? そうかも?」

「まぁ、あの兄ちゃんの目があるうちは望みはねぇだろうがな」

「上げて落とすって! 何でですか! 甘い関係じゃないんですよね?!」


 親父はにやにやしている。


「別に上げてねぇだろ。勘だよ勘。ユエはあんなだからな。甘いも甘くねぇもねぇようだが、兄ちゃんは拘ってる感じがすんだよ。嫁にする気はねぇと思うがな」

「あら、なんで?」


 いつの間にか厨房の入口で話を聞いていた母ちゃんが、びっくり顔で親父に聞く。

 親父はそこで少し顔を曇らせて、小さく息を吐いた。


「兄ちゃんはずっと寝たり起きたり繰り返してんだよ。そう聞いてる。街に気軽に下りて来られるような身体じゃなかったんだ。何がどうなってあんなに元気そうにしてるかわかんねぇが、自分がそんな身体だったら嫁なんてもらえねぇだろ? 嫁に来る奴が可哀相だ。俺ならそう思う。元気になったように見えて、コロッと逝っちまうかもしんねぇ」


 確かに以前の兄ちゃんは人形みたいに無表情だった。

 親父に付いて行ったお屋敷の庭で御者台の上から1、2度見かけたくらいだけど、青白い顔をしていて生きている感じがしなかった。

 でも、ねーちゃんに初めて会ったあの日、兄ちゃんは無愛想だったけどちゃんと普通の人だった。ちゃんと生きてるってわかった。同一人物とは思えないくらいに。


「……だからユエちゃんに断ったのかしら」


 母ちゃんが頬に指を当てて少し首を傾げる。


「何を断ったって?」

「お嫁にしてくれって言ったけど断られたって言ってたの」


 変な間が出来た。

 最初に元に戻ったのは親父だった。


「……なるほどな。それで、あんなに必死なんだな」


 呆れた顔をしている。なんだ? 俺にはよくわかんねーぞ?


「必死?」

「必死ですか?」


 あ、母ちゃんと代書屋の兄ちゃんも分かってないみたいだ。


「必死だろ? ユエのことだ。嫁にしてくれって言ったのだって下らねぇ理由に違いねぇよ。お前、うちの料理が旨いからってクロウの嫁にしてくれって言われたって断るだろう? んで、ちょっと考えてみろよ。この調子で明日は誰にそんなことを言い出すのか、心配にならねぇか? 誰か碌でもねぇヤツが本気にしたら?」


 そんなこと言うかな? ねーちゃんでも、いくらなんでも。


「ま、俺の考えすぎかもな! ガキには難しかったか!」


 ぐりぐりと頭を掻き回されて、俺は親父から距離をとる。


「ここまで聞いてお前さんが真面目に頑張るって言うなら、別に俺は邪魔しねぇよ。後は当人次第だ」


 最後に代書屋の兄ちゃんの肩をバンバン叩いて、親父は盛大に笑った。

 代書屋の兄ちゃんの顔が引き攣っていたのは、痛みの為だけじゃないような気がする。

 ここまでだったら代書屋の兄ちゃんを肴にした酒場の馬鹿話で済んだんだ。

 ここまでだったら――




 次の日の昼、まかないを食べていたねーちゃんが、うっとりとして言ったんだ。


「はぅ。美味しい。いつも思うけど、こんな美味しいご飯を毎日食べられるなら、私クロウのお嫁さんにしてもらおうかなぁ」


 厨房で盛大に何かを落とした音がしたのと、無理矢理仕事を作ってきた代書屋の兄ちゃんが飯を喉に詰まらせたのは、同じタイミングだった。

 発言した本人はきょとんとして厨房を覗き込んでいる。

 俺はそっと壁際のカエル兄ちゃんを盗み見た。

 全然焦ってもいないし、いつもと変わらない仏頂面だ。ちょっと溜息を吐いてるくらいだ。

 そんで俺は昨日親父が言っていたことをやっと咀嚼して飲み込んだ。

 あぁ、だめだこれ。全然ほっとけねぇ。


「ねーちゃ…………ユエ!」

「え? えっ! ユエって、なんで呼び捨て?!」

「ユエで充分だ。俺はユエなんてお断りだからな!」


 ユエはびっくり顔のまま、視線を泳がせる。えぇ〜と情けない声が漏れた。

 代書屋の兄ちゃんにサービスで水を1杯注いでやり、もう1度カエル兄ちゃんを見たら、にやりと笑われた。お前も大変だなって聞こえた気がする。

 俺には男女のあれこれとかまだ全然わからないけど、ひとつだけはっきりした。


 ユエの面倒を見るのは、本当に大変だってことだ。




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