13.ワタシに出来ること

 街で見たことやクロウに聞いた話などを話しながら昼食を食べたけど、一緒に行ったカエルが給仕をしてくれるので、なんだか落ち着かない。

 食後のお茶を入れてもらった後、ようやく彼は席に着いたのだが、給仕をしようと近づいたアレッタから適当にひょいひょいと奪い取り「後はいい」と下がらせてアレッタを呆れさせていた。


「宿屋の坊主に覚えられてるとは、思わなかったな。正直助かった」


 給仕のあいだ口を挟まなかったカエルが苦い顔で言う。


「クロウ君ちって宿屋なの? あれ? お酒と小麦を届けてるって……」

「酒場を併設してるんだ。嫁さんの方の家が小麦作ってて、その嫁さんも料理の腕がいいから自家製でパンとか焼いてる。小麦じゃなくたまにパンの方も仕入れてるぞ」


 なんか、パンの種類も豊富でたまに凄く美味しいのがあると思ってたけど……


「親父さんは対応した事あるが……何度考えても思い出せん」


 スプーンを咥えて腕を組む。

 すかさずアレッタがスプーンをひったくった。


「子供は印象の強かったことをよく覚えてますからね。睨んだとか、倒れたとかしたんじゃないですか」


 険のあるアレッタの言葉も気にすること無く、カエルはうーんと首を捻っている。


「人前で倒れたことは無いはずだ……まあ、いいか。ユエよりよっぽど頼りになりそうだったからな。小遣いやればユエのお守りもしてくれそうだ」


 何だと?!

 カエルはにやにやしながらアレッタからスプーンを受け取り、昼食を再開する。


「自分の仕事を他人に丸投げするのは感心しないわ」


 テリエル嬢が呆れている。

 いや、てか、お守りは否定されないの?


「宣誓も問題なかったし、慣れてきたらベッタリじゃなくてもいいだろ? ユエも働きたいって言ってるし……」

「え?!」

「……え?」


 思っても無いことを聞きました、というように素っ頓狂な声を上げて、彼女はこちらを見た。


「ユエ、出て行くつもりなの?!」

「えーと……まぁ、自立できれば……そのうち。なんか、色々問題があるので、まだしばらくはご厄介にならざるを得ないですけど……」


「仕事? 仕事なら、えーと……そう! うちの外国語系の書類の確認とか! 出来るんじゃない?!」


 不自然に焦った様子を不思議な気持ちで眺める。


「すぐに出ていったりは出来ませんよ。私、無一文ですし……」

「あ……そう。そうね。あんまり気にしないでうちに居て? 私も年の近いお友達があまりいなかったから……もう少しユエと仲良くなりたいわ」


 じっと見つめられて、何だか照れる。美人のおねだりは聞かねばならないような?


「恩が返せなくなる程積もる前には、どうにかしたいんですけど……」


 おどけて肩を竦めて見せると、彼女はふふっと笑った。


「あら。じゃあ、もっと恩を売っておけばいいのね」


 それから真剣な顔をして、仕事、仕事、と呟いている。


「ん。そうね。丁度これから取引があるから、それが終わったら試しに少し手伝ってもらおうかしら」

「えっ、いや、私、字も書けなくて……」

「試しにって言ってるでしょう? 何が出来るか見てから決めるから大丈夫よ」


 はぁ、と曖昧に応える私と、にこにこと話を進めるテリエル嬢をカエルは呆れた瞳で見ていた。

 結局商談が終わったらビヒトさんが連絡をくれることになった。もちろんカエルに、だ。2人は常に通信具を持っているらしい。


「なんか……お手数かけてごめんね……」

「お嬢のワガママには慣れてる。それに、嫌なら断ればいい」


 さらりと言うが、ここまで世話になっていると断りにくいじゃないか。

 部屋に戻ると私はカエルの作ってくれた文字一覧とにらめっこして、少しでも覚えられるように練習するのだった。


 ◇ ◆ ◇


「ユエ、ユエっ」


 肩を揺すられて、ほぇっと妙な声が出た。

 どうやら机に突っ伏して寝ていたらしい。


「……あれ? カエル?」


 カエルはほっとしたような、むっとしたような複雑な表情を浮かべた。


「寝るならちゃんとベッドで横になれ。まだ体力は戻りきってないだろう? 無理するな。お嬢には断るから、そのままベッドに入れ!」


 うかうかうたた寝も出来ないな……


「だ、大丈夫。大丈夫。ここ、陽当たりいいから、ちょっとうとうとしただけだよ」


 家の中で移動するくらい何でもない。体力仕事をさせられるわけでもないだろう。

 疑わしげな視線を振り切って、私は先に部屋を出る。


「執務室で良いんだよね?」


 返事ではなく、溜息が追いかけてきた。

 逃げるように階段を下りると、振り返らずに執務室のドアをノックする。


「ユエです」


 すぐにビヒトさんがドアを開けてくれる。


「そちらにどうぞ」


 長椅子を勧められ、素直に座った。

 カエルが仏頂面のまま詰めろと手を振る。

 え。カエルも?

 慌てて1人分飛び退く。


「俺は元々手伝い要員だ」


 な、ナニモイッテナイヨ……


 ビヒトさんがカエルに書類と何か四角い物を渡していた。幾つかの横溝に丸い玉のような物が嵌まっている。算盤を縦にしたような物と言うのが近いかもしれない。


「それって……」

「計算機ですよ。見たことございませんか?」

「それを横にしたようなのなら……」


 どちらにしても、あまり得意ではなかったので使えるとは思えない。


「横……?」


 ビヒトさんは計算機を横にしてみて、何かに気が付くと部屋を出て行った。


「計算は出来るのか?」

「一応……そういう計算機を使うのは苦手だけど。計算用に紙か黒板みたいなのがあれば四則計算くらいなら問題ないよ」

「計算機がなくて?」


 何だかカエルもテリエル嬢も妙な顔だ。

 おかしいかな?

 紙が貴重だから、計算になんて使えないのかも?


「これは?」


 書き仕損じか何かの紙と鉛筆を渡されて、書類の数字を指される。


「……ごめん、読み上げて」

「……372かける12」


 普通に筆算する。


「よんせんよんひゃくろくじゅうよん」

「……だな」


 カエルが眉間に皺を寄せて計算式が書かれた紙を眺めて、テリエル嬢に渡した。


「数字……なのよね? でも、これなら分かりやすい、のかも」


 ぱっと見た感じ、こちらの数の表し方は棒線と点でローマ数字に近い。それだと確かに筆算はやりにくいに違いない。


「この数字は、こうやって……角の数でそれぞれを表したモノから出来たみたいです」


 私はカクカクとしたアラビア数字の元になった記号を書き付けていく。


「なるほど。凄いな。分かりやすい」


 テリエル嬢もカエルも飲み込みは早い。


「後は位取りと言って……一の位、十の位、百の位と10倍ずつで位を上げて表記してます。お陰で計算が楽に出来るんです」


 十進法以外だった場合、説明は出来る気がしないが……通じただろうか?

 ふっとカエルが息を吐いた。

 そこへ何処かに行っていたビヒトさんが戻ってきた。


「ユエ様。ユエ様の知ってる計算機はこちらではありませんか?」


 ビヒトさんが持ってきたのは上の珠が2つ、下の珠が5つある正に昔の算盤だった。


「使ったことのあるものとは若干違いますけど、それです」

「それも計算機なの? 使い方が分からなくて、倉庫で眠ってたヤツよね?」


 テリエル嬢は不思議そうだ。

 私はビヒトさんから算盤を受け取って珠を揃える。


「私が出来るのは、上の珠が1つで、下の珠が4つなんですけど……」


 多い珠数にちょっともたつきながら、1から10までを声に出して足していく。


「上の珠が5で、下の珠が1ずつ。左に行くごとに桁が上がるんです。さっきの掛け算も、えっと、3桁、2桁だから確かここからスタートで……決めた定位置を1の位として答えを読めば……」

「4464」


 カエルが答えを読み上げる。

 ちょっと、部屋の中がしんとなった。

 実際、電卓ばかり使っていたから、もたもたもいいところなんだけど、見た目に分かりやすいというのは理解してもらえたと思う。


「……ランクが帰ってきたら、話すことがいっぱいね」


 商売人の顔をして、テリエル嬢は小さく息を吐いた。


「えーと、で、私は何をすれば……」


 なんだか変な空気を算盤と一緒に端に押しやるように、私は口を開く。算盤を披露しに来たわけではなかったはずだ。

 皆も気を取り直して自分の仕事を再開した。


「では、ユエ様はこちらを」


 ビヒトさんに2枚の書類を渡される。


「こちらが訳された書類で、こちらが原文です。両方ともお読みになれますか?」


 確かに、文字が違う。カエルに習っている方は比較的すらすらと読める。ルビが。

 でも、もう1枚はルビが浮き上がるまで少し時間がかかる。


「同じペースで、とはいきませんが、読めます」


 ビヒトさんは頷く。


「では、内容に齟齬がないか確認をお願いします。問題ないものはこちらに」


 書類の内容は主に発見者や発見場所などで、たまに発見した時に起きた現象とか欠落部の推測などが書いてあった。

 訳された方には個人所有か法人所有(主に国やギルド)の区別があって、売買の許可を認める旨が書き足され、翻訳者のサインの他、エンボス加工のように浮き出る印が施されていた。


 丸いのや四角いの、凝ったのやシンプルなものと数種類あり、よく見るとコルリス、とか共和国とか見えてきて国の刻印だとわかる。

 書類自体は数枚入れ替わりがあったが、内容には問題がなかった。

 ただ、少し気になったのは――


「何故、帝国ではなくて教団の刻印なんですか?」

「――え?」


 一休みのお茶を口にしながら、テリエル嬢は首を傾げた。


「他は皆、国の刻印なのに……帝国の刻印はひとつも無かったので」


 私は浮き出た印を指でなぞりながら、彼女の真似をして首を傾げる。大国であるはずの帝国のものがひとつも無く、国でもない宗教団体が印を押しているなんて不思議だったのだ。


「帝国のが……ないですって?」


 テリエル嬢が眉を寄せた。

 私は数枚の書類を彼女に渡す。


「全部、教団の印です」


 彼女は眉を顰めたまま、書類から目を離さずに何か手で合図する。


「……いつから……」


 ビヒトさんが紙のサンプルのような束を彼女に渡した。

 いくつか捲って、手元の書類と見比べ始める。


「確かに、一部帝国の物と違ってるわ。パッと見気づかないくらいだけど」


 隣でビヒトさんも見比べている。


「よく、気付かれましたな」

「そんなことまで判るのね……『神眼』をうつされたわけじゃないでしょうね」


 長い溜息が漏れた。


「加護ってうつるもんなんですか?」

「聞いたことないぞ」


 いらっとしたカエルの声が被さる。

 今度鏡で確認してみよう。


「書類的には問題は無いのだけれど、気に食わないわね。総主教が変わってから、権力に関心があることを隠そうともしなくなったわ」


 皇帝がオトゥシーク教に帰依してから、教団の内政への干渉は強くなる一方らしい。

 この印も教団の所有物は国の管理下にないことを表すもので、意匠を似せていることを国側が問題としていないなら、こちらからどうこう言うものでもないとのことだ。


「ちなみに、これはどう見えるのかしら」


 テリエル嬢は机の抽斗から紐で綴られた何かの束を出して、中の1枚を私に見せる。紙ではなく羊皮紙の様だったが、同じような書類であることが分かった。

 内容的には特に変わった所もない。

 帝国の物と思われる浮き出した印に目を移した時、ふいにその印が滲んだ気がした。そのまま見ていると、じわじわと文字が浮き上がってくる。


「――偽造印ですか?」


 呆れたことに、印の上には『偽』の文字が見えるのだ。どうなってるんだ。私の翻訳機能!


「ご名答!」


 テリエル嬢は心から感嘆の声を上げた。

 私はその偽造印ファイルとも呼べる束を貸してもらって、いくつか眺めてみた。

 不思議なことに『偽』の文字が見えないものもある。でも、どこのものか国名なども見えてこない。


「これはどこの国の物ですか?」


 ビヒトさんが黙って覗き込んで、先程テリエル嬢が確認していた方の束を手に取って探し出す。


「砂漠地帯の小国の物ですね」


 差し出された印にはワスティタの文字が浮かんでいた。

 もう一度偽造印の方に目を戻すと、今度は『偽』の文字が浮かび上がる。


「あ、見えた……」


 一度正しい物を目にしていないと、はっきりと偽物かどうか分からないようだ。

 私はその旨をみんなに告げる。


「本気でユエを通訳で雇おうかしら。今日の商談に付いてきた人より、よっぽど優秀な気がするわ」


 執務室に入ってから何度目かの深い溜息を吐きながら、テリエル嬢はそう言った。問題は通訳を必要とする商談が年に数回もないってことかしら、とさらに続けて、彼女は力のない笑いを漏らしたのだった。




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