12.職業選択の自由とデート

 お昼に約束通りカエルはやってきて、一緒に過ごしてくれた。

 と、いうか、むしろ見張りに来ていたと言ってもいいのかもしれない。きっちり昼寝もさせられて規則正しい病人ライフだ。

 次の日になると固形物も食べられるようになり、徐々に体力も戻ってくる。更に次の日にもなると、なまじ元が健康な人間だったものだから、こもっているのが苦痛になってきた。


「私って、いつまでここにいていいの?」


 元気になってきたので、有耶無耶になっていたことを思い出してしまった。

 昼食についてきたサラダをつつきながら、思わず口に出す。

 カエルはぴたりと手を止めて、2、3度目をしばたいた。

 困惑が広がっていく。


「好きなだけ……いいんじゃないか?」

「そんな訳ないじゃん。人ひとり養うって大変なことだよ。とりあえず生計が立つまではお世話になれると助かるけど……んー。嫌だけど教会に行けば、最悪生きていけそうな雰囲気はあるし、お世話になった分くらいは返したいから、あまり遠くには行きたくないなと思ったら、選択肢があまりなくて……」


 教会、と聞いただけで顔が渋くなる。そんなに嫌いか。


「お嬢はユエを教会にやるようなことは絶対しないと思うぞ」

「そうなの? うーん。結局仕事先も斡旋してもらうことになるのかなぁ。文字書けなくてもできる仕事ってどれだけあるかな……いや、死ぬ気で勉強すれば……」


 ぶつぶつと就職に思いを馳せていると、カエルが小さく溜息を吐いた。


「まず体調を万全にするのが先だろ」

「もうほとんど万全だよ。このまま寝て過ごしたら太りそう」

「まぁ、もう少し肉がついてもいいな」


 久しぶりに聞いたけど、胸か? 胸のことかー!?


「軽すぎると生きてる心地がしなくて心臓に悪い」


 あ、トラウマ抉ってた。ってか、んん?


「軽い?」

「軽い。初めて抱え上げたときなんて飛んでいくかと――」


 はっとして、カエルは口を噤む。

 カエルって力持ち? ってか、初めってどれだ。今は寝込んでてちょっと減ってるかもしれないけど、標準体型くらいだと思うんだけど。


「カエルって力持ちなんだねー。軽いなんて言われたことないよ」

「安心して食えってことだ」


 えっと、何の話だっけ。そうそう就職。だいたいどんな職業があるのかさえ分からないからなー。


「職業体験ツアーなんて無いだろうしなぁ」


 ぼそりと呟いた言葉に反応してかはわからないが、カエルが提案する。


「じゃあ、明日あたり街に下りてみるか? 雰囲気だけでも味わえるんじゃないか? 散歩がてら昼までならお嬢もいいって言うだろ」

「いいの?!」


 軟禁生活が一気に解けた気分だ。


「俺も村の中を歩いて把握しておきたいからな。あまりはしゃがないでくれよ? 倒れられても連れて帰れないかもしれん」


 馬車でのことを思い出すのか、眉を顰めて釘を刺された。

 はあい。努力します。

 テリエル嬢は夕食の席で、朝の診察と昼までに必ず帰宅することを条件に、渋々外出を認めてくれた。


「病人2人で外出とか、気がしれないわ。私だってたまに羽伸ばしたいのに」


 ぷりぷりと怒る彼女の言葉には、自分も行きたいとストレートな気持ちがこもっていた。


「俺は今病人じゃない」

「倒れないで帰ってきてから言ってね。通信具は手放さないで」


 散歩に行くだけだよね? テリエル嬢にとっては初めてのお使いを見守る親の気持ちなんだろうか。

 可笑しくて笑っていたら、2人に睨まれた。


「ユエ、変なことしないでね」

「見るだけだからな」


 私が一番信用無いの?!


 ◇ ◆ ◇


「不本意ながら、2人とも合格です。んもう。午後からの来客がなきゃ!」

「また行けばいいだろ」


 テリエル嬢の愚痴をカエルはいなす。


「そうねー。2人で行きたいのよねー。ゆっくりデートを楽しむといいわっ」

「……デっ」


 にやりと意地悪な笑みを浮かべる彼女。カエル、からかわれてるだけだよ。それもいなそう?

 朝の健康診断で合格をもらったので、早めに朝食をとって店の開き始める2刻を目途に街に降りることにする。


 街と言っても教会周辺に店が密集しているので、その辺りを街と呼んでいるだけらしい。ほんの狭い範囲だとか。それでも市場は活気があるし、観光客が多い日は結構混雑するらしい。

 つづら折りの坂道を繋ぐように、木製の階段があみだくじのように交互に続いている。天気が良いので駆け降りたくなるけど、ゆっくりと言い渡されているので我慢する。


 外出なんて初めてだから(教会に行ったのはカウントしない)何を着るか迷って、アレッタに丸投げして選んでもらっていた。菜の花色のシンプルなエプロンワンピみたいな形の物だ。後ろで縛るので、スカートが広がらず引掛けにくいだろうということだった。


 坂を下りきるとだんだんと家が増えていく。石造りの家が多く、高くとも3階までだ。中にはログハウスのようなお洒落なものもあった。

 小さな水路が家々の間を流れていて、四阿あずまやのような屋根のある所では井戸端会議でもするのだろうか。今は子供が数人いるくらいで、静かなものだけど。


 カエルは時々立ち止まって辺りを見渡し、難しい顔をしたりしている。頭の中の地図と一致させているらしい。私にはできない作業だ。見たままを覚えるのは難しくなくても、地図からそれを思い起こすのは苦手だ。


 そうやってきょろきょろしながら進んでいくと、土で踏み固められただけの道がいつの間にか石畳の広い通りになり、屋台が家々の前に並ぶ広場へと出た。

 中央には石畳の隙間から噴水がきらきらと水を噴き上げていて、周りで濡れるのも構わず子供たちがはしゃいでいる。


 それを取り囲むように、こちらにもぐるりと木製の小さな屋台が並び、何か食べ物や飲み物を売っている。

 その奥にはいつも見えている教会の鐘楼が見えていた。

 2刻の鐘は鳴っていないと思うのだが、思ったよりも人の数は多く、そのほとんどが教会の方へと足早に進んでいく。


「礼拝があるみたいだな」


 周りに耳を傾けていたらしいカエルが呟く。


「礼拝?」

「行きたいとか言わないよな?」


 視線が冷たい。礼拝には行きたくないけど……


「礼拝は出たくないけど、礼拝中に水時計が見たい……」


 礼拝中なら、顔合わせ無くて済むんじゃない?!

 睨みつけたまま、しばし無言だったカエルはやがて諦めたように息を吐いて、少しだぞと折れてくれた。

 私たちは準備中の屋台を冷やかしながら、鐘が鳴るのを待って教会に向かった。

 そろそろと扉を開けると、爽やかな男の人の声が飛んできてびくりとする。


「代書! 代書の御用はありませんか? なんでも書きますよ! 洗礼の受付からラブレターまでっ。誠心誠意代書いたします!」


 ちらほらと水時計を望む観光客に向けて、若い青年が小さな木机を前に呼び込みを行っていた。

 代書。そんな仕事もあるのか。ということは、字が書けない人って珍しいことじゃないんだ。ちょっとほっとする。

 珍しげに眺めていると目が合って、にかっと笑われた。


「お嬢さん、何か書くかい?」


 慌ててふるふると首を振る。

 代書屋さんはつれないなー、と笑ってまた呼び込みに戻った。

 代書って儲かるのかな……字さえ書ければ……うむぅ。


 気を取り直して水時計に意識を移す。ふらふらと引き寄せられるように近寄って、きらきらする水流に視線を這わせる。

 どうして私はカメラを持ってないんだ! コンビニに行く時だって財布は忘れてもスマホは持っていたのに!


 指で四角を作っていろんな角度で想像のシャッターを切る。

 ぐるぐると池の周りを回っていると、スケッチしている人が数人いるのに気が付いた。中には描いたものをお土産にどうだいと他の観光客に売りつけている人もいる。なかなか自由だ。


 スケッチが売れるのなら、私にも出来るかもだけど……この場所に長居するのをカエルやテリエル嬢が許可するはずがない。

 なかなか難しいね。

 そうやってひとのスケッチを覗き込んだり、歯車を観察したりしているうちに誰かに呼ばれた。


「――ユエ」

「はい?」


 あ、カエルもいたんだった。すっかり忘れていてちょっと焦る。


「あ、あ、ごめん。カエル。座っててよかったのに」

「いや……それより、そろそろ」


 文字数の多い文字盤の時計を見上げると、次の鐘が近いのが分かった。


「代書屋に聞いたところ、礼拝は次の鐘には終わるそうだ。面倒に巻き込まれたくないなら、もう行くぞ」

「わかった」


 ドアを出る前に私はもう一度振り返って、水車に水を注ぐ女性像を目に焼き付けた。

 教会を出るとカナートの周りにもぽつぽつと屋台が見える。


「このあいだ来た時は誰も居なかったよね?」


 不思議に思ってカエルに尋ねる。あの日は確かに今日より早い時間だったかもしれないけど、人の数が違い過ぎる気がした。


「あの日は門が閉まってたんじゃないか? 特別な日は誰も入れないようになってる」


 カエルはそう言って、街の通りとの境にあるスライド式の金属の門を指差した。

 その門を横目に超える頃、鐘がひとつ鳴り響く。

 広場には人がごった返していて、さながらお祭りの様だった。


「すごいね!」

「あんまり離れるなよ」


 カエルもちょっと驚いているようだ。

 屋台をひとつひとつ覗き込みたい気もするが、カエルを見失いそうで目の端に映すのがやっとだ。

 チュロスのような揚げ物に目を奪われた瞬間、後ろからやってきた一団に体を流され、人混みから弾き出された。よろりとよろめいて、何かにぶつかる。


「うわ、あ、ごめんなさい」


 振り返ると、むっとした顔の少年と目が合った。


「観光客か? ぼやぼやしてるとあぶねーぞ」

「ご、ごめんなさい。いつも、こんなに人が?」

「今日はなんだかいつもより多いな。礼拝が終わったから、まだ増えるんじゃねぇか? 連れはどうしたよ? ひとりか?」


 はっとして、カエルを探す。

 少し向こうに濃紺の短髪がきょろきょろしているのが見えた。ここの人達は皆私より頭半分くらい背が高いが、カエルはそれよりもう半分高い。見つけやすいのが救いだ。


「あ、いた! カエール!」


 手を振って叫んでみるが、喧騒にまぎれて聞こえていそうにない。

 仕方ない、と人混みに特攻しようとして腕を掴まれた。


「また流されるぞ。ったく、どれだ? あの紺の髪のあんちゃんか?」


 そう言って私の手を取ると、先導して歩き出す。どういう理屈なのか、ただの慣れなのか、少年は人混みの間をするすると抜けていく。程無くカエルの所まで辿り着いた。


「兄ちゃん、兄ちゃん」


 人波に流されないように、端の方から少年は声を掛ける。


「これ、兄ちゃんのだろ? こういう所ではこういうのの手を離しちゃダメなんだよ。しっかり捕まえとかないと、人攫いにかっ攫われるぞ」


 見かけは10歳くらいなのに、言うことが大人びている。

 こちらを振り返ってほっとした顔をしたカエルも、ちょっと驚きながらやってきた。


「すまない。こんなに人が多いとは思わなかった。礼を言う」

「礼はカタチで表してくれてもいいぜ」


 ほいっと私の手を差し出して、離した掌を上に向ける。

 ちゃっかりしてるなーと思っていたら、少年はカエルの顔をまじまじと見て眉を顰めた。


「……あんた……」


 いや、でも、となにかぶつぶつ呟きながら、がりがりと頭を掻く。そして意を決したようにもう一度口を開いた。


「まさか、丘のお屋敷の兄ちゃん、か?」


 今度ははっきりとカエルが驚いていた。


「なんで知ってる?」


 カエルの方には見覚えはないらしい。


「親父が兄ちゃんちに小麦や酒を持ってってんだよ。たまに俺も手伝いでついていったり御用聞きに出されてんだ」

「ああ……あの……」

「こんなとこで何やってんだ? その、家から出て、大丈夫、なのか?」


 少年は後半かなり口籠る。


「ああ。だいぶ良くなったから、少しずつ外に出ることにしたんだ。今日はそいつの付添いだな」

「……兄ちゃんで大丈夫かよ」


 呆れた瞳で私とカエルを交互に見て、少年はぼそりと呟いた。

 カエルの病弱さが透けて見えるようだが、私には今一つピンとこない。

 カエルは肩を竦める。


「立ち話もなんだな。礼を形で表すから、どこか休憩できるところを紹介してくれ」


 少年はにやりと笑って、近くの飲み物屋に案内してくれた。

 きちんと建物の中で、狭いながらもイスとテーブルが置いてある、喫茶店のような所だ。お任せにして、少年に飲み物を買ってきてもらう。カエルが銅色のコインをじゃらりと握らせていた。


 私はひとり内心で焦っていた。文字も書けないが、お金の価値もさっぱり分からないことに気付いたからだ。もしかしたら、ウエイトレスなんかのバイトすらできないかもしれない。


 ほくほく顔でオレンジ色のジュースを3つ運んできてくれた少年は、クロウと名乗った。九郎、と聞こえてちょっと親近感が湧く。

 期待を裏切らない、見たまんまのオレンジジュースは、とてもフレッシュで美味しかった。


「なんだかしんねーけど、最近週に2回くらいこの時間に礼拝やってるぜ。朝の礼拝とは別みたいだな。若いねーちゃんや金持ちの奥様方が通ってる。おかげで港町からの人の入りも増えたし、俺たち商売人は懐が温まって嬉しいけどな」


 人が多すぎるのもちょっとな、とクロウは開きっぱなしのドアから外を見やった。


「そういえば、港町にも偉い神官様が滞在してて、金は落としてくれるけど落ち着かないって話してた商人がいたな。こんな田舎にまでよく来るよなー」

「クロウは神様信じてないの?」

「帝国の神様はな。あんまり興味ないな」


 商売の神様だけ大事にしていればいいという感じらしい。


「ねーちゃんは信じてんのか? それとも、あの神官目当てか?」

「神官サマはどうでもいいけど、水時計は魅力的」

「水時計? 噴水みたいなヤツか?」

「それそれ。凄く綺麗だし、面白いよ」


 変わってんな、と鼻で笑われた。なんで?


「まぁ、よかったなー。兄ちゃん。あの神官様に興味ねぇってよ」


 よほど周りの女性達に神官の話を聞かされるのか、自分の代弁とばかりににやにやとカエルを見上げる。

 カエルは特に反応もせず、そうかと頷いただけだった。


「じゃー、俺もう行くわ。ジュースごちそうさま。今度はしっかり捕まえとくんだぜ、兄ちゃん」


 ジュースを飲み干し、ぴょんと椅子から飛び降りて、木製のカップをカウンターに置くと、クロウはカエルに釘を刺して出て行った。


「……しっかりしてるねー」

「お前がちょっと抜けすぎてるんだ。10歳とおにもなればあんなもんだろう」

「えっ」

「でなければ仕事の手伝いなんて任せられない」

「えっ?!」


 10歳で普通に働いてるの?! 私よりずっとオトナ?!

 周りが私を子供だと思う理由がわかってきた。あんな子供たちばかりなら、確かに私は子供っぽい。かも。

 私は頭を抱えたくなった。


「人も落ち着いてきた。行くか。もう少し見るんだろう?」


 カウンターにコップを返し、カエルは手袋を嵌めた手を差し出した。

 じっと、その手を見つめる。


「どうした?」

「……大丈夫?」


 一瞬何が、という顔をして、短く息を吐く。


「直にではないし、心構えができていれば大丈夫だ。これだけ人がいれば、本当に人攫いが紛れ込んでいてもおかしくない」


 直にではないと言われて、テリエル嬢がほぼいつも手袋をしているのを思い出す。あれは、お嬢様の嗜みではなく、カエルの為だったのか。

 じゃあ、と私は人差し指だけを絡めた。

 カエルは一瞬怪訝な顔をして、それからふっと苦笑した。

 そのまま2人で広場を1周し、お昼に間に合うように屋敷に戻ったのだった。


 軽く健康チェックを行うテリエル嬢に、「無事に戻って来なかったら外出禁止にしようと思ってたのに」と、嫌みだかなんだか分からないことを言われつつ、カエルも私もお墨付きをもらった。ただし、午後からは様子を見て大人しくしているように、だって。

 珍しく皆で昼食を食べたのだが、私の心はつづら折りの坂の下でするりと離された人差し指にあった。


 少しだけ、寂しかったのだ。




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