第152話 すれ違う思いと消えゆく言の葉
漆黒の城。純白の城というのは地球では普通に存在していたものだが、壁も床も柱も全てが真っ黒というのは珍しい。
造りは、俺が知っているもので例えるならばロマネスク建築様式といったところか。等間隔に高窓の形をしたステンドグラス(外の光を通していないから多分窓ではない)が並び、天井には交差したヴォールトが架けられ、半円アーチと付柱によって分節された空間によって構成された、いわゆる教会とかで見かける構造の建物だ。一説によるとロマネスク建築とは千年頃に中世西ヨーロッパで主流とされていた建築様式で、ファンタジー小説では王道とも言えるくらいに登場するゴシック建築よりも更に古いものらしい。
燭台のように柱に設置された光の玉が、空間内を明るく照らしている。かなり強い光なのだが、建物自体が真っ黒なため、壁や床が浴びている光を吸収してしまい目が痛むほどの眩さは感じない。
誰もいない、広々とした廊下。
まっすぐに伸びた一本道を進む俺たちが立てている足音が、かつんかつんと反響して静寂を彩っている。
俺たちを先導するように先頭を歩くユーリルは、先程から何も言わない。
ただ淡々と、何処にあるのか分からない目的地に向かって歩みを進めていく、そんな時間ばかりが過ぎていった。
「……おい。ユーリル」
沈黙と気まずさに耐え切れず、俺はユーリルの背中に向かって話しかける。
「何でしょう?」
彼は、特に嫌悪感を露わにすることもなく、俺の呼びかけに応えた。
「本当に……戦うしかないのか。俺たちは。わざわざ殺し合わなくたって、話し合って分かり合うことだってできるんじゃないのか? 俺たちは、言葉が通じ合う人同士なんだから」
「言葉は、通じ合う。確かに、貴方の仰る通りです。私たちは対話が可能な存在です。相手の言葉を理解して、互いの心の内を知ることも、できるでしょう」
「だったら……」
「……ですが、だからといって、それが相手を受け入れることに繋がるとは、限らないのですよ。ハルさん」
肩越しに、僅かにこちらに振り返って視線を投げてくるユーリル。
その眼差しは、穏やかなように見えて──何処までも冷え切った、ドライアイスのようなものだった。
「私は、貴方のことが憎い。殺したい。以前、私は貴方にそう言いましたよね。あれこそが、私が貴方に対して抱いている気持ちです。嘘偽りは全くありませんし、今もその気持ちは全く変わっていません。……私は、この手で貴方を殺したくてたまらないのですよ。それを、対話して、理解し合う? できるはずがないでしょう。今の私たちに必要なものは、言葉ではなく、相手の存在を抹消するための、力なのです」
「……どうして、そんなことを言うの? ユーリル……どうして、そこまでハルのことを憎むの? ハルは本気で貴方のことを心配しているのに、大切な人だって、思ってるのに。貴方だって、ハルと一緒に過ごしてた時、笑い合うことができていたじゃない! どうして、それを殺すなんて当たり前みたいに言えるの!?」
「……フォルテさん。貴女も自分の召喚技術のことで悩んでいましたよね。召喚獣ひとつ呼び出せない、落ちこぼれの召喚士と人に笑われてばかりだったと。そんな貴女の目から見て、何の苦労もなくあっさりとエンシェント・フェンリルを召喚してみせたハルさんのことは、どのような存在に思えましたか?」
ユーリルの言葉に反論するフォルテに、あくまで冷静で紳士的な態度を保ったまま、彼は答えた。
「純粋に、尊敬した? 確かに、そういう気持ちもあるでしょう。……しかし、本当にそれだけで済みましたか? 他の感情を全く抱かなかったと、貴女は断言できますか? 彼の才能に嫉妬しなかった、羨ましいと感じなかった、悔しいと思わなかった……胸を張って堂々と、そう宣言できますか?」
「!……それは」
言葉を詰まらせて俯くフォルテ。
そんな彼女の様子に、ユーリルはふふっと肩を揺らす。
「……別に責めているわけではありませんよ。恥じることなどありません。それが、人らしい心のかたちなのですから。人は羨望や嫉妬を醜い感情として敢えて目を向けないように振る舞おうとしていますが、実際はそれこそが、人に最も力を与えるのです。羨ましいこそ自分もそうありたいと願って努力し、妬ましいと思ったからこそ自分もそれを手に入れようと生き足掻く。目の前に欲しいものが現れたら、他人を蹴落としてでもそれを手に入れようとする。……私は単に、それを実行しようとしているだけにすぎません。責められる謂れなど、何処にもないのですよ」
「自分の欲を満たすために他者を蹂躙して、食い物にする……まるっきり、魔帝の考え方と一緒だね。本当に、何処までも腐ってる屑じゃないか。エルフ族にこんな考え方をしてる奴がいるなんて、信じられない」
「……エルフだから羨望も嫉妬もしないと? ……それはありえないでしょう。この世に無欲な存在なんて、いるわけないではありませんか」
アヴネラが吐いた毒に失笑するユーリル。
確かに、彼が言うことも一理ある気がする。俺がこの世界に来るまで欲望とは無縁の存在だと思っていた神ですら、実際は自分の欲望に忠実すぎるくらいの残念な方々だったからな……
ついフォルテが抱いているアルカディアに視線を向けてしまう。
アルカディアは何でこっちを見るんだとでも言いたげな目で、尻尾を揺らしながら俺のことを見ていた。
「自分たちには、そのような醜い欲望を抱く気持ちなど全くない……それならば、私は貴方たちに問いましょう。貴方たちがこれから為そうとしている、あの御方を殺めて命を奪うこと……それは貴方たちの欲望ではないと、断言できますか? 自分たちが平穏に生きたいから、そのためにあの御方を亡き者にする行為。これは人の欲望の定義には当てはまらないと、言えますか? どうです?」
「…………」
その場の誰の中にも、ユーリルの質問に答える者はいなかった。
世界を蹂躙している魔帝。奴の手から世界を守るために奴を倒す。一見すれば、それは何の非もない正義の行いのように見える。
だが、裏を返せば、それは──俺たちが平和な暮らしを手に入れたいがために理由を付けて正当化した殺戮行為であり、究極の欲望の形であるとも言えるのだ。
神は下界の出来事に対しては一切干渉しない。
それは、見放しているのでも神が非情なわけでもない。
人類と、魔帝側と、どちらが正義なのか。人類が正義側だという主張はあくまで人類側の目で見て掲げられた判断であって、魔帝側はそれとは真逆の主張をする。そしてそれらの主張は、第三者である神の視点からすると……どちらが本当に正しいことであるとは、言えないのだ。
第三者目線の主張など、俺たちからしてみたら理解できないものであるし、想像すら付かない。
だが少なからず、神の目には、俺たちと魔帝との争いは、こんな風に映っていることだろう。
どちらも我を主張してばかりの、愚かで醜い争いである、と──
くすりと笑いを零して、ユーリルは満足そうに言った。
「……つまりは、そういうことなのですよ。所詮他者とは分かり合えないのです。ハルさんは私に対して同情しているつもりなのでしょうが、私にとってはそのような気遣いなど不愉快なもの以外の何でもないのです。逆も同様に、私が心の底から望んでいるハルさんの死を、ハルさんは受け入れる気など全くないでしょう? ……ですから、これ以上余計な対話をするのはやめにしませんか。幾ら言葉を重ねたところで互いに相手にそれが届くことがないことは、分かりきっているのですから。シンプルにいきましょうよ。私と、貴方たち、互いに殺し合い、どちらか一方が死んだらそれで後腐れなく終わりにする。それで良いではありませんか」
それきり、移動中にユーリルが言葉を発することはなくなった。
彼が宣言した通りに、彼には俺たちと分かり合う気が全くないことを示した、姿であった。
……必ず彼を魔帝の手から取り戻してやると、心に決めていたのに。
まさか救いたいと思っていた当の彼にそれを裏切られてしまうとは、思ってもみなかった。
やがて、俺たちはある場所へと到着する。
そこは、広い部屋だった。色こそ黒だが、例えるならば、その構造はアニメにもなった某童話のラストシーンの舞台として登場したベルギーのアントワープ聖母大聖堂によく似ている。高い天井、大きなアーチと柱……アントワープ聖母大聖堂は別名『聖母マリア教会』とも呼ばれているが、まさに教会を彷彿とさせる厳かな雰囲気を湛えた美しい空間だ。
部屋の最奥には祭壇があり、アントワープ聖母大聖堂ならばそこには絵画が飾られているのだが、此処は絵画がない代わりに一枚の扉がある。重たそうな金属製の黒い扉はしっかりと閉ざされており、その一部が赤い鉱物のようなもので覆われて、開けないようになっていた。おそらくあの赤い石は、ユーリルが生み出した魔血の一部だろう。
部屋の中心まで歩を進めたところで、ユーリルは立ち止まる。
ゆっくりとこちらに振り返り、両腕を緩やかに広げて、開口した。
「……此処は、城内の中枢に存在する部屋のひとつで、私たちは『静寂と調和の間』と呼んでいます。城内で最も美観を誇る場所でもあります。神の御座を前にする場として相応しい、美しい場所でしょう? あの御方に特別に許可を頂いて、此処を貴方たちとの戦いの舞台として選ばせて頂きました」
「……本当に、やるのか」
「ええ。そのために貴方たちは此処までいらしたのでしょう? 今更何を躊躇うのです?」
俺の言葉に、彼は微笑みを見せる。
穏やかなようで、虚ろな──影を宿した、微笑。
「一人ずつ、とは申しません。どうぞ皆さん、遠慮なく全員で向かってきて下さい。私は最大の敬意を払ってそれにお応えしましょう。決して背を向け逃げることは致しません。どちらか一方が地に伏すまで、全力を持って戦い抜くことを誓います」
ユーリルが右の手首をひらりと翻す。
その手中に、彼がいつも手にしている真紅の大鎌が出現した。
「……さあ、どうぞおいで下さい。一人ずつ、殺して差し上げますから」
厳かな空気が、一瞬にして異様な気を含んだ張り詰めたものへと変わる。
できることならば避けたいと願っていた悲劇の舞台の幕が、上げられたのだった。
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