第137話 パラサイト・コネクト

 あいつと顔を合わせたのは一度だけ、それもほぼ一瞬に近い邂逅だ。

 だが、会ったこと自体は覚えている。それだけ、俺にとって奴との出会いは忘れられないものだったのだ。

 ラルガの宮廷魔道士、ジークリンデ。

 自らを魔帝の忠実な下僕と強調した美女が、床から十メートル以上も離れている場所から何の躊躇いも見せずに飛び降りて、ふわりと音も立てずに床の上に降り立つ。

 その姿は。

 かつて俺の前に現れた時に見せていたものとは同じようで全く異なる、何とも形容し難い異様な存在ものだった。

「私の妹を殺し、長らく封じられていた道の封印を解き、そして今まさに、ロクシュヴェルド様のお膝元へと土足で近付こうとしている……人間の身でそれだけのことを成し遂げられたことは讃えてあげるべきなのかもしれないけれど、ラルガの宮廷魔道士たる私の立場でものを考えた場合、それを容認することなどできないの。お分かりかしら?」

 妹……ジークオウルのことか。あいつも同じラルガの宮廷魔道士だったし、何より名前が似てるからな。

 髪の色こそ違うが、ジークリンデの顔には何処となくジークオウルの面影を感じる気がする。

 ジークリンデが俺たちのことを脅威に感じて警戒心を抱くのは、別にいい。事実として俺たちは、ナナルリたちを筆頭とした多くの人々の協力を得てはきたが、俺たちの力で此処まで辿り着いたからだ。

 でも、奴はひとつだけ勘違いをしている。それだけは訂正させてもらう。

「……確かにジークオウルと戦って負かしたのは俺たちだが、殺してはいない。殺したのはバルムンクだ。もしも妹殺しの復讐をしに来たのなら、それは俺たちにじゃなくてあいつにするのが筋ってもんなんじゃないか?」

 俺はジークオウル殺しの責任をバルムンクになすりつけた。

 実際その通りだし、俺としてはダンジョンが水没するタイムリミットが刻一刻と迫ってきている状況下で、こいつの相手などしていたくはないからだ。

 地上でも魔帝の直属の部下など相手にしたくないのは一緒だが、時間的余裕があるとないとでは精神的にも大分違うのである。

 そうね、とジークリンデは肩を竦めた。

「知っているわ、あの子を手にかけたのがあの男だということくらい。彼が貴方のことをとても気に入っていることもね。私は何でも知っているの……彼が、ロクシュヴェルド様にとっての特別製の玩具だということも。本来なら、私も彼に気を利かせてあげるべきなのだということもね。でも」

 ぐらり、と床が大きく揺れた。

 いや。これは──床だけじゃない。ダンジョン全体が、震動している?

「私は私の使命を優先する。それが、私の存在意義だから」


 それまで壁の向こう側に流れていくだけだった大量の水が、水路から溢れて床に広がり始めた。

 決して遅くはないスピードで、床を飲み込み、広がっていく。


「貴方たちの旅は、此処で終わり。この迷宮と共に、深い水底に沈んで永遠に眠りなさい」


 ざばああああああん!

 巨大な水飛沫が上がり、水路の中から何かが顔を出した。

 それは、何かの生き物の頭だった。それも、とてつもなく巨大な。

 爬虫類と魚の中間のような、鼻先がすっと尖った形の頭。全体は棘のある青い鱗で覆われており、丸くて巨大な眼は銀色をしている。顔の横にある鱗の一部が大きいのは、そこにえらがあるからだろうか。

 水上に出ているのが頭の部分だけなので、全体の大きさがどのくらいあるのかは分からない。だが現在見えている頭だけで天井まで届きそうなくらいの大きさがある。三十メートル……いや、もっとか。とにかく非常識な大きさだ。

 巨大生物は、じっとある一点に視線を向けている。

 その先にいるのは──ジークリンデ?

 ジークリンデはそいつを見上げると、にやりと口の端を上げた。

「……来たわね。侵入者を排除する、迷宮の化身にして最悪の番人が。私があれだけあちこちを荒らして回ったんだもの、私の気配を辿って此処まで来るのは必然というもの」

 ギュオオオオオオ!

 巨大生物が雄叫びを上げながら長い首を伸ばしてジークリンデに食らい付く!

 彼女は──避けない。笑みを浮かべたまま、自らに迫り来る巨大な口と向き合っている。

 視線だけを、俺たちの方へと向けながら。

 彼女は、言った。


「……面白いものを、見せてあげる。ロクシュヴェルド様から賜った、私だけの魔法の力を」


 ばくん、と巨大生物の口の中に彼女の姿が消える。

 ジークリンデを丸飲みにした巨大生物は、頭を持ち上げて俺たちの方を見た。

 そして。

 ガアアアア、と叫びながら頭を激しく振る巨大生物。

 その眉間の鱗が突如として弾け飛び、その中から突き破るようにして白い何かが姿を現した!

 それは、今まさに巨大生物に食われたはずのジークリンデの上半身だった。

 臍の下から上の部分が、まるでつくしのように眉間から生えている。先程まで着ていたはずのドレスは身に着けておらず、裸だ。大きな胸も丸出しで男としては目のやり場に困る姿だが、当人は自分の裸を晒すことを何とも思っていない様子で、悠然と俺たちのことを見下ろしている。

「……パラサイト・コネクト。私はこの魔法でありとあらゆる生き物に寄生し、脳を支配して思いのままに操ることができる。例えそれが妖異であろうが関係ないわ。もしも迷宮の化身たる存在に寄生して操ったら、どうなるか……お分かりかしら?」

 暴れることをやめた巨大生物が、こちらを見て大きく吠える。

 その喉の奥から、大量の水がレーザーのように吐き出されてきた!

 高圧噴射された水は、石すら容易く切断するほどの威力がある。あの勢い、生半可な防御魔法ではそのまま貫通されてしまう恐れがある。

 ならば!

「アンチ・マジック!」

 俺は仲間たちを丸ごと包み込む形でアンチ・マジックフィールドを展開させた。

 噴射された水が、領域に触れて音を立てながら元の形のない魔力へと戻って──

 ──いかない!?

 水はそのまま領域を突き抜けて、シキの脇腹を貫いていった。

「……!」

 びしゃ、と水と血が混ざった液体が床に散る。

 シキは表情を歪めて、未だに震動を続けている床に足を取られてその場に崩れ落ちてしまった。

 ジークリンデが冷笑する。

「天才魔道士ハル、貴方が魔法を無効化する能力を持っていることも、私は知っているの。だから私はこの子の力を利用したのよ。幾ら貴方でも、流石に魔法でないものを消し去ることはできないでしょう?」

 確かに、奴の言う通りだ。アンチ・マジックは魔法ならばどんなものでも無効化することができるが、魔法でない普通の物体を消し去ることはできない。

 あの巨大生物に寄生して操る能力も魔法だと言うのなら、あそこに生えているジークリンデの体にアンチ・マジックを掛けてしまえば寄生状態を解くことができるかもしれないが、流石にこれだけ距離が離れてしまっていると領域を発生させることができない。もしもアンチ・マジックをジークリンデに命中させようと思うのなら、俺自身がある程度奴との距離を狭める必要がある。

 だがおそらく、それは奴に支配されている巨大生物が許さないだろう。近付いた瞬間に攻撃される恐れがある。さっきの勢いで水を吐きかけられようものなら、俺のフットワークでそれを避け切ることは難しいと思う。

 それに……仮にジークリンデの寄生状態を解くことができたとしても、巨大生物が俺たちに敵視を定めないと決まったわけではない。あちらにとっては、俺たちもジークリンデも同じ『ダンジョンへの侵入者』であることに変わりはないからだ。

 かといって、あれだけの大きさの存在を仕留めるのは、不可能ではないにしてもかなり厳しいことだと思う。俺たちが放つ魔法や人間サイズの武器で、あの巨体に何処まで傷を負わせることができるのか……ひょっとしたら鱗一枚弾き飛ばすのが精一杯で、本体にはろくにダメージを与えられないかもしれない。

 ……逃げる、しかない。仕留められなくても、あれだけの巨体ならば、俺たちが上にある扉の先へと逃げてしまえばそれを追って来ることはできないはずだ。そうなればジークリンデが寄生状態を解いて追って来るかもしれないが、そっちの方が俺たちにとっては好都合。ジークリンデだけならば、まだ対処のしようはある。

「……こりゃあ、厳しいねぇ。流石にあの蛇を斬るのは無理だよ。多分刀の方が折れると思う」

 ゼファルトにヒーリングの魔法を施してもらったシキがゆっくりと立ち上がる。

 服が裂けて、露出した腹に残った傷痕。今は塞がって血も止まっているようだが、完治とまではいかなかったようだ。それだけ先程の負傷は大きかったということなのだろう。

「大丈夫なのか、シキ」

「ん、何とか。傷口は塞がったから動けるよ。まあ、ちょっと痛いけどね。でも、そんなこと言ってる場合じゃないでしょ、これ。早いところ打開策を見つけないと、俺たち全員あいつに食われておしまいだよ?」

「……残念だが、我々の力であの巨大妖異を仕留めるのは不可能だな。頭を落とせば殺せるだろうが、あれだけの大きさを切り落とすのは、例えアルテマを数発重ねたところで多少肉を抉るのが関の山だ。その程度ではあれは止まらない」

 ゼファルトが冷静に状況を分析して意見を述べる。

 どうやら彼も、俺が今考えていたこととほぼ同じ答えを出しているようである。

「ここは、逃げを打った方が賢明だ。ハル殿、君はフォルテ殿と共に仕掛けの謎を解いて上へと上がる道を確立してほしい。その間の時間は我々だけで何とか稼ぐ。……この台座の結界を無力化できるのはハル殿だけなのだ。宜しく頼む」

「ああ、俺も同じこと考えてた……けど、大丈夫なのか、あんたたちだけで」

「あの妖異は巨大すぎるというだけで無敵というわけではない。目の部分やあの女の部分ならば、我々の魔法も通用するはずだ。……君は、結界を無効化している間は他の魔法が一切唱えられなくなると言っていたな。その状態でこちらに加勢されても、逆に我々が困るだけだ。我々の心配はいらない、だから君は仕掛けを動かす方に専念してほしいのだ」

「……分かった」

 こうもはっきり言われてしまっては、大人しく仕掛けの方に集中するしかない。

 俺はヴァイスに全力で戦うこと、魔法を撃つ時はジークリンデを狙うこと、ゼファルトたちの命令をよく聞くことを命令して、皆の方へと送り出した。

 身構える彼らを面白いものを見ているかのように笑いながら、ジークリンデが右手をすっと自らの頭上に掲げた。

「……何を企もうと無駄よ。全員、この子の餌食になりなさい。さあ……始めましょうか、最高の舞踏会を! やりなさい、海溝王シーノルド・ブリーズ!」

「全員、一撃で仕留めようと思うな! 我々の役割は道が開くまでの間の時間を稼ぐことだ! 己自身の生存を第一に考えろ! 行くぞ!」

 ゼファルトが皆に号令をかける。流石円卓の賢者のリーダーだというだけある、統率力はなかなかのものだ。

「……俺たちも始めるぞ、フォルテ。少しでもあいつらの負担が減るように、一刻も早く仕掛けの謎を解くぞ!」

「うん!」

 俺は台座にアンチ・マジックを施して、結界を無効化させた。

 誰一人欠けることなく生き残るための大博打が、今ここに、始まりを告げたのだった。

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