第112話 森の秘宝と王と忌子

 エルフ領……アルヴァンデュースの森の中心に、一本の巨大な木が生えている。

 その木は天から降りて来た一人の女神が姿を変えたものと言い伝えられており、豊富な魔力をその内に宿していた。

 地上に降りた神の名を取ってアルヴァンデュースと名付けられたその木は、自らが宿した魔力を根付いた大地に与えて多くの木を育み、精霊を、そしてエルフという人間と精霊の血を半分ずつ引いた存在を生み出した。

 エルフたちは森の中に自分たちの国を作って精霊たちと共に暮らすようになり、人々からは『森人』と呼ばれるようになった。

 アルヴァンデュースの木から生まれた森はアルヴァンデュースの森と名付けられ、精霊が住む神聖な森として森の外の人々からは崇められるようになった。

 それが、今からおよそ二千年ほど昔の話。

 アルヴァンデュースの木は、森とそこに暮らす精霊やエルフたちを森の外にある悪しき存在から守るために、自らが宿した莫大な魔力と身体の一部を用いて一振りの剣と一張の弓を生み出して道具を用いるエルフたちにそれを与えた。

 それが、神樹の魔剣と神樹の魔弓である。

 森の御神木と言えるアルヴァンデュースの木から生まれたそれは、御神木と同等の強度と魔力を宿した『アルヴァンデュースの化身』であり、御神木が存在している限り決して折れることはなく、御神木の死と共に朽ちてこの世から消滅するとされている。

 故に、この二つの武器はエルフの国の宝として大切に保管され、エルフの王族にのみ手にすることが許された。

 神樹の魔弓は次期王位継承者である王女アヴネラへ渡されて。

 神樹の魔剣は国を守護する使命を背負った守護兵団の長ウルヴェイルへ託された。

 何故、王族でもない一介の騎士が、国宝とも言える武器を持つことを許されたのか。

 つまり。ウルヴェイルは──

「……あんた、ひょっとしてアヴネラの……」

「……姉だ」

 俺の問いに、彼女は静かに答える。

「もっとも、姫様はそのことを知らぬがな。私には姫と呼ばれる資格もなければ、姫様を妹として名前で呼ぶことも、女王様を母と呼ぶことも許されん。……私は、忌子だから」

「忌子?」

「……エルフ族は、アルヴァンデュース様の祝福を受けて産まれてくる。自然の声を聞く耳を持ち、魔法の才に恵まれているのは、アルヴァンデュース様の祝福が身に宿っているからなのだ。それはエルフ族にとっては当たり前のことであり、それこそがエルフ族の証であると古来から伝えられているのだ。……だが、私が産まれた時、私の身にアルヴァンデュース様の祝福は宿っていなかった。私は、エルフ族でありながら自然の声を聞くことも、魔法を操ることもできん……耳が長いだけの、異端者だ」

 魔法が使えないエルフ。

 それは、まるで、あいつと同じではないか。

「故に、私は忌子としての烙印を押され、王位を剥奪されて王家の一族として名乗ることすら許されなくなった。だが、武芸の才を買われて特別に守護兵長としての役割を与えられ、一臣下として国のために働くように命じられたのだ。……そんな私に何故神樹の魔剣が与えられたのか、その理由だけは分からぬが……このような形でも私という存在が必要とされているのならば、私はそのために命を懸ける。娘として愛されずとも構わん、女王様に認めてさえもらえれば、それだけで十分だ」

 巨大蜘蛛が彼女めがけて鉤爪を振り下ろす。

 それを、彼女は叫びながら一刀両断した!

「……来るがいい、森に仇為す化け物め! 森の怒りを、殺されていった同胞の嘆きを、この一振りに込めて叩き込んでやる!」

「さっきからごちゃごちゃうるさいわよォ……そんな光る棒切れひとつでこの子の相手が務まると思ったら大間違いよ! そのおめでたい脳味噌、潰してこの子の餌にしてあげるから覚悟しなさいっ!」

 ぱあっ、とジークオウルの前で、円陣を組んだカードが回転しながら輝く。

「ライティングレイ!」

 十枚のカードから放たれた、十の光線。それは絡まり合いながら一本の太い光となり、ウルヴェイルに迫る!

 ぎゅばぁっ!

 しかし、それはウルヴェイルに直撃する前に、横手から飛来した光に射抜かれて弾け散った。

 今の光を放ったのは──

「ウルヴェイル!」

 構えていた弓を下ろしたアヴネラがこちらへと駆けて来る。

「ボクも力を貸すよ! 魔力を失ってるから本来の力は出せないけれど、それでもこの森の中でなら、多少は……」

「なりません! 姫様はお下がり下さい!」

 巨大蜘蛛の攻撃範囲内に入りかけた寸でのところで、ウルヴェイルはそれを諌めた。

「姫様は次期女王となられる御方……姫様にもしものことがあったら、女王様が悲しまれます! どうかこの場は我々にお任せ下さい!」

「でも!」

「なりません!」

 巨大蜘蛛が鉤爪を振るう。

 それを顔の前で構えた剣で受け止めて、ウルヴェイルは歯を食いしばる。

「姫様は、最後のお世継ぎなのです! 姫様がいなくなられたら、王家の血筋は途絶えてしまうということをお忘れですか!」

 ……そうか、だから女王はアヴネラが王位を捨てると脅した時、あっさり引き下がったのか。

 ウルヴェイルに王位継承権がない今、現女王の後継者の資格を持つのはアヴネラのみ。

 アヴネラに妹はいない。もしアヴネラの身に何かがあって彼女が王位を継げなくなったら、次期女王となる者がいなくなる。つまりそれは、王家の滅亡を意味する。

 国を動かす存在である王家がなくなれば、国は国の形を保てなくなる。すぐに次の指導者が選抜されれば良いが、それはそう簡単にはいかないだろう。下手をすればそこから権力者同士の争いが始まり、それがきっかけで最悪国は解体されてしまうのだ。そうなったら、この森の中でしか暮らすことを知らないエルフたちは──

「……成程ねェ」

 ジークオウルの視線がアヴネラへと向く。仮面で顔が隠れているので目の向きが実際に見えるわけではないが、そんなニュアンスを奴から感じた。

「ということは、アンタさえ殺せば国は潰れてエルフ共も滅びるってことよね? だったら話は簡単よォ、最初からアンタ一人に狙いを絞ればいいってことだものねェ」

「……お逃げ下さいっ! 姫様!」

「逃がすわけないじゃなァい! やりなさい、アンタたち!」

 ぶわぁっ!

 アヴネラの背後に現れる巨大な赤黒い波。

 巨大蜘蛛の命令を受けた小蜘蛛たちが一斉に彼女に襲いかかったのだ。

 そこかしこで守護兵たちが駆除して回ってるっていうのに、まだこんなにいたのか!?

「……!」

 アヴネラの小さな体が赤い闇に飲まれていく。

「ラピッドストリーム!」

 それを、不可視の力が横殴りに駆け抜けて遠くへと押し流していく!

 ラピッドストリーム──空間の一部を一時的に切り離し、任意の方向に移動させる魔法である。見た目は風魔法のようだが空間魔法に属し、発動させられる場所は選ばない。魔法の効果が及びさえすれば、水中だろうが溶岩の中だろうが地中だろうが強制的に標的を動かすことができるのだ。

 この魔法の利点は、自分と標的との間に障害物が存在していようがお構いなしだということだ。風魔法だとアヴネラまで巻き込んで一緒に吹き飛ばしてしまっていただろうが、この魔法ならば小蜘蛛の周囲のみに効果範囲を設定すればアヴネラが傍にいても巻き込むことはない。

 逆に欠点を挙げるとすれば、この魔法は物理的な力ではないので、標的を強制的に移動させるだけの効果しかないということ。どんなに相手を移動させても重力による負荷を与えられるわけではないので、ダメージは皆無に等しい。つまりただの時間稼ぎにしかならないということだ。

 だから、再び小蜘蛛が集まってくる前に──

 俺はアヴネラの横に移動した。

 俺は魔法使いだから、わざわざ巨大蜘蛛の前に陣取る意味はない。巨大蜘蛛がアヴネラに迫るのを間近で妨害するという意味でなら多少は役に立つかもしれないが、魔法は基本的に射程距離のある攻撃手段だし、そもそもあの巨大蜘蛛には魔法が殆ど通用しないのだから、俺がいてもウルヴェイルの邪魔になるだけの可能性の方が高いのだ。

 アンチ・マジックはある程度であれば離れた場所でも発動させることができるから、ジークオウルの魔法からウルヴェイルを守る程度ならば離れていても十分に可能だ。それにアヴネラの傍にいれば何かあった時に彼女をすぐにフォローできるから、ポジション取りはこの形が最善のはず。

「ウルヴェイル、前衛はあんたに任せる! アヴネラのガードは俺が引き受けるから、そいつらをこっちに近付けさせないようにしてくれ!」

「姫様を呼び捨てにするな!」

 俺からの提案にウルヴェイルは怒鳴ってから、頭上で剣をくるりと回転させて構えを取った。

「幾ら巨大な相手だろうが、脚を失えば動けなくなるのが地を這うものの定めだ。まずはその脚、全て落としてやる!」

 巨大蜘蛛めがけて真正面から突っ込んでいく彼女に、俺は魔法を飛ばす。

「エンチャント・デクスタリティ!」

 魔法を浴びたウルヴェイルの身体速度が一瞬にして驚異的に跳ね上がる。そのまま彼女は大きく踏み込むと同時に俺たちの視界から姿を消し──

 ぞばん!

 巨大蜘蛛の脚が一本、根元から斬られて傍の木に叩きつけられ、辺りに黒い体液を撒き散らした。

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